2023年3月8日水曜日

大分県の未確定県境・その1(英彦山)

領土問題といえば「北方領土」「竹島」「尖閣諸島」の3点セットだが、大分県民ならばあと2つも言えなければならない。「英彦山」と「みそこぶし山」である。

 

 

リメンバー・ミソコブシ!!というのは冗談だが、その県境論争について概観していきたい。

先ず本稿では、比較的有名な「英彦山」を巡る議論について見ていく。

 


英彦山は、修験の山であった。「ひこさん」と読み、もともと彦山と書かれていたが、江戸時代に霊元法皇の院宣で「英」の字をつけたという。こういう読まない字を「雅字」という。

山伏の修験道場として古くから栄え、大名に匹敵する勢力を有していたともいう。が、次第に衰退した、という話は他所と同じだろう。

 

その英彦山を神体山とする英彦山神宮は、ちょうど県境の地域にある。問題は、この部分の県境が未確定であることだ。

 

 

直線距離にして約2キロメートルの区間で、県境線が途切れていることが分かる。

この地域の領有をめぐり、大分・福岡両県は次のように県境線を主張している。

 

(長野覺(1988)「山岳霊場に於ける聖・俗境界の諸相九州英彦山を事例として」より)


分かりやすくGoogleマップに引き直したものが次の通りである。ちなみにGoogleマップは(ありがたいことに?)大分県主張線を採用している。

 

 

問題の焦点は、英彦山神宮が尾根線にあることである。

大分県はこの未確定県境について、次のように考えている。

「このあたりの県境はいずれも嶺通りを境としており、当該地のみそうでない結果となるのは疑問である。」

つまり、英彦山神宮の存在を無視し、尾根線を県境とすべきということだ。

一方の福岡県は、山伏が修行するエリアを示す「聖域線」を重視する。尤も、これは明治時代の話。現在の福岡県の立場は、明治34年(1901年)に設定された「妥協線」の遵守を大分県に求めるものとなっている。

 

よって、問題は次のオレンジ色エリアの領有帰属である。

 



単純な主張合戦ではなく、一旦曖昧に「妥協」されたものを争っているがゆえに複雑であり、現在に至るまで未解決の問題になっている。

係争地の面積は約85万平方メートルで、これは0.85平方キロメートル、東京ドーム約18個分の面積である。この係争地は今のところ、福岡県とみなされている。

 

大分県はなぜ妥協線を超える主張を始めたか。まさか筆者のような大分ナショナリズムのためではあるまい。

これは、「国への交付金申請に伴い、山林の面積を広めに画定させようとした」と、読売新聞では説明されている。

仮に大分県の主張が通った場合、大分県の増収はいかほどか。

 

森林・湖という条件が異なる概算ではあるものの、十和田湖(61.02Km2)の事例によると、十和田湖が配分されたことで「両県と両市町に年計約6,700万円の交付税が入ります」とある。

61.02平方キロメートルで地方交付税が約6,700万円だから、係争地(約0.85Km2)は約93万円の交付税が相当すると思われる。また、他に若干の固定資産税などが増収となりうる。

つまり、100万円の為に争っているということだ。

 

と、概要はこのくらいだろうか。他に書くこととしては、

・妥協線確定の史料(福岡共同公文書館にあるという噂)

・妥協線確定に際して参考にされた「里道」

・現地調査

くらいか。

 

思うに、そもそも英彦山周辺は俗権が入り込めない歴史的経緯があった。また、当地域はもともと両方「豊前国」であり、当該県境線は明治時代に大分県ができた際に新しく書いたものである。こういう事情があると推察される。

 

次回・みそこぶし山

ネット上に情報がないので頑張ります。とりあえず町村史を読まねば。

 

【参考文献】

総務省地方交付税制度の概要

長野覺(1988山岳霊場にける聖・俗境界の諸相九州英彦山を事例として『歴史地理学紀要』30、pp.123-151

国土地理院十和田湖周辺の青森県・秋田県境界が画定しました

[Wonder]神の聖域 県境どこ? 英彦山 福岡・大分の対立120年読売新聞、2020年9月19夕刊

 

 

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