2020年6月28日日曜日

穏やかかつ豊かなテッサロニキ

 深夜にも関わらず、駅に止まる度に爆音の放送で起こされる。ギリシャ国鉄の夜行列車運賃に安眠は含まれていないらしい。起こされ眠ってを繰り返し、時間感覚が掴めなくなる独特の浮遊感にまみれ、ようやく終点テッサロニキに着いたのは7時前だった。
 早朝の街に、ギリシャ正教の教会から鐘の音が響く。行く当てがないことはないが、今日は1日をこの街......エーゲ海に面した、ギリシャ北部最大の街テッサロニキで過ごすのだ。急いでも仕方がない。差し当たり、目的を定めず駅前の大通りを歩くことにした。
 見かけたパン屋で手頃なものを買い、店前の椅子で食べながら目の前の交差点を見つめる。外国の生活には漠然としたイメージしかなく、日本がキッチリしているとの先入観からかえって外国はルーズだと考えがちだったが、車が忙しなく走り勤め人が足早に歩くのを見ると、どこでも皆真剣に働いているんだという当たり前の感慨を抱くことになった。
 歩いていくと、石の遺跡のような場所に出た。これがローマン・アゴラというものだろう。金を払えば中に入れるようだが外からでも俯瞰できたため、例によってケチり、ある程度眺めたところで去った。
 その足で海に向かった。海に行き着くと、海沿いに柵も何も無いプロムナードが遠くまで続いていた。当然、テッサロニキの人々はそれを危険だと思うこともなく、犬の散歩やランニングを楽しんでいる。やはり日本に住んでいると、平和ボケならぬ安全ボケが過ぎてしまう。エーゲ海を望むベンチに腰掛け、しばし民主主義を生んだ海を眺めた。遠くに何隻もの貨物船が見える。ガスっていなければオリンポス山も望めたのだろうか。僕は何度も往復しているにも関わらず、富士山を見たことが無い。つくづく名峰と縁が薄いのだな、なんて考える。
 プロムナードを歩くのは、海を眺めるのと同様に爽快だった。暖かい陽に照らされながら、海沿いに軒を連ねる家々を眺め、海を眺め、釣りのおじさんを眺める。街に没入し、人の営みを観察するのはなんと楽しいものだろうか。あっという間に終点に行き着いてしまった。
 そこには巨大な像があった。馬に跨った男の像。感心して眺めていると、若人に声をかけられた。
「どこから?」
「日本だよ」
「そうかい!僕は***から来たんだよ。すまないが、像と僕の写真を撮ってくれないか?」
(***は忘れた)
 そういうわけで、僕はその気の良い青年の写真を撮り、ついでに僕も撮ってもらった。彼によると、これはAlexandrosの像らしい。それならば、像の巨大さも合点がいく。若くして世界を駆けた、この地出身の英雄だ。全く、世界史ロマンが止まらない。
 その後、近くの市場や古代の城壁を見に行った。市場はバザールよりかは生活に根ざしており、八百屋さんや魚屋さんが多かった。日本とはやはり品揃えが違うため見ていて面白かったが、偏食のために食欲は刺激されなかった。城壁の周りはのどかで、犬の散歩をしている人がちらほらいる程度だった。我々が日本の城址にあまり感慨を抱かないようなものなのだろう。
 道を登ると、坂の上に教会があった。歩き方で調べると、世界遺産のハギア・デメトリオス教会という正教の教会らしい。あまり観光地化されていないようで、中に入るのは無料で、こじんまりとした土産物屋があるだけだった。
 イスタンブルのブルーモスクもそうだったが、入場無料の宗教施設ほどボーッと過ごせる場所はない。幾許かでも金を払うと、何か急かされるような気持ちになる。そういうわけで、僕は長い時間を、たまに現れる敬虔な信者さんを眺めつつ、ボーッと過ごした。
 ブルーモスクでは出口に寄付のお願いがあったので、感謝の印に100円程度を渡した。ここには土産物屋があるので、長い時間を過ごせたお礼に何かを買って還元しようと思ったが、あまりにも要らないものばかりだったので買うのを断念した。或いはそれでも何かを買っておくべきだったかもしれないが......。

 一昨日は飛行機で寝て、昨日は夜行列車で寝た。気持ちとしてはそういう限界旅行が好きなのだが、僕の身体は相当に脆いので労わる必要がある。今回の旅ではホテルを一切予約していないストロングスタイルだったので、早速沢木耕太郎イズムでホテルに飛び込み空室を尋ねた。だが、入った三軒全て
‘Full, no room.’
 四軒目を断られ、ようやくエクスペディアなりを使用すれば良いことに気付いた。鈍過ぎる。安ホテルを探している途中、先ほど断られたホテルに空室があることを発見し一瞬コロナでの人種差別かと頭によぎったものの、まぁ色々事情があるのだろうと思い直した。
 15時きっかりに、大通りに面するホテルエル・グレコにチェックインした。凄い名前だ、日本に『ジャパニーズ』というホテルがあるようなものだ。想像の通りスペイン人が接客をしており、一瞬駒場で鍛えられたスペイン語を披露しようかと考えたが、低空飛行する成績を思い出しすぐに英語を選んだ。
 部屋はなかなかの高層階で、嬉しいことにバルコニーが付いていた。早速近くの商店でコーラとハイネケンのビールを買って、いそいそと机と椅子をバルコニーに動かす。まだ15時、陽が暖かい。コップに注いで太陽に乾杯なんてしながら、苦手なビールを背伸びして味わった。街を眺め、街の音を聴き、ビールを嗅ぎ味わい、ギリシャの陽気な太陽を身に浴びる。五感が満たされた至福の時間だった。

 気持ち良く微睡んでいたが、夕方に冷たい風が吹くようになったので部屋に戻り、ヨーロッパ鉄道時刻表を友に今後の計画を練る。この旅は元々1週間ペロポネソス半島をのんびり周遊しようという趣旨であったのだが、移動欲が収まらない僕の頭では既にその線は棄却され、セルビアに行くかルーマニアに行くかの2択になっていた。結局観光できる時間などを勘案してルーマニア行きが決定したわけだが、旅先のホテルで明日どこに行くかを決める、というのは非常に高揚する営為だった。
 とにかくソフィアまで一気に鉄道で行くことが固まったため、コートを羽織って切符を調達しに駅まで歩いた。だが、窓口でソフィアに行きたい旨を告げてもなぜか追い返される。ノートレイン!らしい。だがよく聞くと、エブリ・モルニング!と訛りの強い英語が聞こえた。しばらく駅前をブラブラしながら考え、駅員は僕に「今日はもうノー・トレインだ、列車は毎朝だけだ。」と伝えていたのだと気付くのにかなりの時間を要した。酒が回っているのかもしれなかった。
 一応、インフォメーションで情報を仕入れ、再度同じ駅員と対峙する。
「ブルガリアのソフィアまで、明日の朝列車でいけるのか?」
「あぁ、但し今日はもう無い。」
「じゃあ、それに乗りたいんだ。」
 それからは円滑で、20歳未満であることを確認され割安になって16.8ユーロ、およそ2000円で国際列車の切符を購入できた。国際列車と言うからにはもう少し高いかと身構えていたので、なかなか嬉しい。割引の分、帰りにもう一本ビールを買おうかと思ったが、列車が早朝であることを考えてやめた。
 久しぶりにシャワーを浴び、旅の計画を練り、久しぶりにベッドで眠る。穏やかで、豊かな一日だった。全く、普段が忙し過ぎるんだ、日常も、旅も。