2017年6月24日土曜日

Naha City

6月15日から17日にかけて沖縄で行われた、九州総合文化祭の写真部門に参加した。
審査員に写真家、そして冒険家として有名な石川直樹氏がいらっしゃった。
自分の提出作品を講評して頂き、その後サインを貰うこともでき、良い思い出になった。


国際通りと商店街
沖縄には3日間滞在したわけだが、僕はその大半を国際通り周辺で過ごした。国際通りというのは那覇市中心部、約1マイルの繁華街。そしてその付近には数本のアーケード商店街がある。

とにかく人が多く、観光客と観光客狙いの店の、お互いの熱気が凄い。店の看板には『〇〇さんご来店!』といって、安倍首相やら某AV女優やらの名前が躍っている。占い系のお店に特にそれが顕著だったが、お土産屋も何軒もあって、『空港にはない』だとか『最安値』だとかの謳い文句が飛んでいた。当然、お店の前には客引き的におばさんだったり兄ちゃんだったりが立っていて、時折話しかけてくる。

普段だったら、そういう対応には困る。やんわりと笑顔を作りながら、ササーッと通り過ぎる。しかし不思議と、沖縄ではそれに対する不快感は無かった。客引きの人たちが慣れているからだろうか、沖縄の風土がそうさせるのか、僕が沖縄旅行で浮かれているだけなのか。





路上のアート達
そんな那覇の街だが、僕の那覇の、沖縄の第一印象はこれに尽きる。
『治安が悪そう』。
なぜかって、そりゃ周りを見渡せば必ずどこかに『アート』があるからだ。

ゆいレールというモノレールに乗って、空港から市街地へ移動した。QRコード式の切符に戸惑いながら高架駅を下ると、そこには標識がある。標識に造詣が深いので、すぐに『横断禁止』だと分かる。しかし、どこか様子がおかしい。

全く、行政は何をやっているんだ!と思ったが、このアートの量だ、消しても消しても到底追いつかないのだろう。以前、フランスだかの芸術家が東京の道路標識にアートを仕掛けて叩かれるという騒ぎがあったが、ここはもっと酷いじゃないか。

しかし慣れてくると、これらのアーティスト達は何を考え、これを描いたのか、という気分になってくる。最初から冗談半分でアートだとか書いてきたが、本当に『那覇現代美術館』のような気がしてくる。




エロス
撮り鉄界隈の言葉で『エロ光』というのがある。意味は『夕方のオレンヂ光線に赤みを帯びている様子』。魅力的な鉄道写真に仕上がることもあれば、車両本来の色を損ねるのでネガティブなイメージもあるようだ。

何がエロいんだろう。fascinating『魅惑的な』みたく、性的魅惑をその魅力に投影しているのだろうか。広辞苑で『エロス』と引くと、性的な愛欲の他に『プラトン哲学で、イデア(その理想形)に対する憧れの愛のこと』とある。うーん、何か違う。

僕は沖縄で2つの『エロス』を感じた。まず1つ目は『性的な愛欲』の方のエロスだ。
商店街を歩くと、土産物屋の最前列に『ご当地コンドーム!!!500円!!!』とある。友人に買って帰ったわけだが、かくも開放的で良いのかと思うわけだ。それに前述の治安のイメージがつきまとい、エロスとなる。

2つ目は、エロ光とイメージが近い『ゾクゾクするような感覚』だ。
僕が沖縄へ行った3日間、沖縄は大雨だった。沖縄といえば夏、青い海、赤いハイビスカスというまさに『イデア』を空想しながら沖縄に降り立った僕にとって、どんより曇り空時々大雨というのは非常にある意味エロスを感じずにはいられなかったけど、今回のエロスはそっちではない。

傘で写真が撮り辛いな、と思いながら昼を過ごし、夜飯は先生にアグー豚しゃぶしゃぶを奢ってもらい、外に出た。20時を過ぎ、もう空は黒い。僕はとてつもないエロスを感じた。

大雨で路面は濡れ、それが夜の国際通りの光を反射しているのだ。そして、国際通りやその周辺は車通りも多い。テールランプがエロスを撒き散らしていく。そして一番エロかったのは、そのエロい夜景を『白黒』で撮った時だ。実際、腕が未熟なのでその写真は大したことなかった。でも、コンデジだから画面で大きく『白黒の国際通り』を見ながら僕は歩いたわけだ。世界はこんなにも華やいでいるのに、それを白黒だなんて、なんてエロいんだ!




本土
沖縄県は地理的だけでなく、歴史的にもユニークな特色がある。その象徴が『本土』という言葉だ。

かつて琉球王国として栄えた沖縄は、江戸時代には薩摩藩の侵攻を受け、明治には大日本帝國に組み込まれた。そして第2次大戦で、その後の沖縄と日本の関係を決定付ける出来事が起こった。当時の政府は沖縄を捨て駒とみなし、『本土』の防衛準備の時間稼ぎを沖縄守備の部隊に命じたのだ。その後の、民間人を巻き込んだ凄惨な沖縄戦については筆舌に尽くし難い。

戦後、沖縄は25年以上アメリカ領として管理された。その間にアメリカ文化を吸収し、また、復興を遂げたわけだが、彼らは自分達を見捨てた本土の日本国を祖国と考え、祖国復帰運動を50年代に開始。1972年に日本に返還され、現在に至る。

沖縄の政治活動が激しいことは語るまでも無いだろう。奇しくも僕が沖縄を訪れた頃はちょうどテロ等準備罪、所謂『共謀罪』が参院本会議で可決され成立した頃だった。街なかでは左派系政党の選挙カーが叫び、国際通りにはデモ隊が練り歩いていた。地元紙『琉球新報』の当日の朝刊には号外が如き大きさの見出しがついていた。『「共謀罪」法成立』と。

沖縄には未だ多くの問題が残されている。本土と沖縄の食い違いは米軍基地の問題で顕著だが、今回僕が沖縄で出会った光景の全ての背景にはその関係性があるのだろう。



国際通りを一本入ると、お土産物屋や飲食店、そして『現代アート』がひしめく商店街がある。さらにその裏路地を少し進むと、屋根からは雨漏りが滴る、というか降る。アパートだろうか、その壁にはこう書かれていた。『オキナワクルテル オマエノセイダ オマエダヨ』
誰が書いたのだろう。誰に向けて書いたのだろう。



おまけ
『列車待ち』
大分の審査で優秀賞を取って、沖縄行きが決定した写真。

『首里への大三角形』
石川直樹氏に講評を受けた作品。