2022年11月19日土曜日

日本在来馬を訪ねる・その1(総説)

このブログをよく読む方ならお察しの通り、筆者は競馬が好きだが、ギャンブルとしての側面にはそこまで入れ込んでいない。ギャンブル要素も好きではあるが、所詮人並みである。

あえて言語化すれば、そもそも馬という動物が好きで、なんとそれが体系づけられたギャンブルになっているのだからもうサイコー!ということである。

 

となると、競馬ブロガーとしての筆者の強みは、馬という種族そのものへの興味関心である。

そこで、日本の各地に生きる「日本在来馬」たちのもとを訪ねることとしたい。

 

日本在来馬とは、ずんぐりむっくりした、大昔から日本にいた馬のことである。(写真は対州馬)

競馬場で走るような、中東生まれのサラブレッドとは異なる。が、馬である。

品種としては以下の8種類に分類されている。


北海道和種(道産子):北海道

木曽馬:長野県、岐阜県

野間馬:愛媛県

対州馬:長崎県

御崎馬:宮崎県

トカラ馬:鹿児島県

宮古馬:沖縄県

与那国馬:沖縄県

 

個々の紹介は「その2」以降、それぞれを訪ねる記事で行うとして、この記事では総説をしたい。

 

日本在来馬の祖先はモンゴル在来馬と同じである。古代王権が対馬を経由して列島に馬を持ち込み、そこから南北に拡散していったということらしい。これは2020年にDNA比較で明らかにされたことである。(朝日新聞20201105日朝刊)

 

『国史大辞典』によれば、「古墳時代に入ると馬具・埴輪馬をはじめ、各種の関係遺物が発見されることからみて、四世紀以後大陸から飼育技術とともに本格的に移入されたものともみられる」らしい。(下線は引用者による)

 

馬は軍馬としてはもちろん農耕用など様々な用途で用いられた。その用途の一つが「駅馬」である。筆者は交通系ブロガーでもあるので、少し語りたい。



古代、全国に直線道路が整備されていた。そして約16キロメートルごとに「駅」が置かれ、馬が飼養されていた。緊急連絡の際には、連絡を伝える使者が駅ごとに馬を乗り換えていた。その馬が「駅馬」であり、言うまでもなく、このシステムが陸上競技「駅伝」の由来である。

例えば、豊後国の駅にはそれぞれ五疋が置かれた。例外的に、豊後・日向国境の「小野駅」には十疋が置かれた。前後の駅との距離が長く、峻険な地形のためと思われる。

中世・近世は門外漢で分からないが、同様に馬は様々な利用がなされただろう。

 

馬は4世紀に日本が入ってきて、そこから明治維新まで約1500年間、日本各地で暮らしてきた。それぞれの地域で、長い時間の中でそれぞれの特質にあった進化を遂げていた。江戸時代には40ほどの品種があったという。


明治維新で文明開化がなされる中で、軍馬の必要が高まった。日露戦争では大陸の大平原でロシアの騎馬隊・コサックとドンパチやることになる。その軍馬が、小さい日本在来馬ではまずい。そういうわけで、太平洋戦争の終戦に至るまで、大きな欧米馬が持ち込まれ、日本在来馬との混血が進んでしまった。

この過程でほとんどの在来馬は絶滅し、今残っている「日本在来馬」も少なからず混血の影響を受けている。純血種はトカラ馬くらいのものか。

 

戦後は在来種保護の機運が高まり、絶滅寸前の在来馬をどうにか回復させている。農耕馬や荷役馬としての需要は消失したが、ホースセラピーや観光など新たな需要が生じている。

 

〜〜〜〜〜(朝日新聞20201105日朝刊)〜〜〜〜〜

日本在来馬、対馬から全国へ 南の小型馬も中型馬と同じルート

 日本の在来馬は、どこから、どのルートで渡ってきたのか。競走馬理化学研究所(宇都宮市)と米ネブラスカ大などのチームが在来馬8品種と世界の32品種のDNAを比較し、日本在来馬は、モンゴル在来馬の祖先が対馬を経由して輸入され、全国に広がったとみられることがわかった。沖縄県の与那国馬や宮古馬は中国南部から来たとの説があったが、九州を経由して南下していたという。

 現在、日本に残っている在来馬は、北海道の道産子から沖縄県の与那国馬まで8品種。このうち、南西諸島のトカラ馬と宮古馬、与那国馬は体高が110センチほどと小さく、本州の中型馬とは別ルートで日本に来たのではないかとする説があった。京都大の野澤謙名誉教授らが1998年、血液型たんぱく質の分析から、「中型馬と小型馬は遺伝的に区別できない」と、同じ系統だと明らかにしたが、今回はDNAの6万5千カ所を比較する手法で精度を上げたという。

 その結果、日本の在来馬8品種の祖先は、中国北部からモンゴルにいるモンゴル在来馬の祖先と同じ集団だった。国内に持ち込まれたあと、長崎県対馬市の対州馬と愛媛県の野間馬のグループがまず分岐した。ここから長野県の木曽馬や北海道へと北上するグループと、宮崎県の御崎馬や鹿児島県のトカラ馬など南下するグループに分かれ、南下した馬は南西諸島を経由して沖縄県の与那国馬まで至ったとみられるという。

 競走馬理化学研の戸崎晃明上席調査役は「今いる在来馬は恐らく、朝鮮半島から対馬を経由して本州に輸入され、古代王権によって全国に広がった」と推測した。論文は専門誌「アニマル・ジェネティクス」に掲載された。

(上林格)

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