2023年11月10日金曜日

イギリス領アデン

 


エウダエモン・アラビアはかつて一人前の都市であった。

インドからの船はエジプトに行かず、エジプトの船もあえて遠くには行かず、ここまでしか来なかった。

『エリュトゥラー海案内記』



イギリス領アデンは、1937年から1963年まで存在したイギリスの直轄植民地である。

1839年にイギリス東インド会社がアデンを支配して以来、インドの一部として統治されていたが、1937年に直轄植民地となった。

1967年に南イエメンの一部として独立し、アデンはその首都になった。


アデンはアラビア半島の最南端に位置し「幸福なアラビア」と呼ばれるほどに中継貿易で繁栄した。

鄭和も訪れており、その記録には「阿丹」と記されている。

ポルトガル、オスマン帝国、エジプトの支配を受けた後、1839年にイギリスが海軍基地を置き、アデン港とその後背地を支配した。




イギリスにとってのインドの価値は言うまでもない。その連絡航路に、アデンはあった。ゆえにアデンはインドの一部として統治されていた。

地政学的に重要とされるチョークポイント・マンデブ海峡の近くにまた、アデンはあった。


直轄植民地となって以降もアデンの栄華は変わらなかった。アデン港は東西貿易の要として、或いは燃料補給の地として繁栄を極め、1955年にはニューヨークに次いで世界で二番目に寄港する船が多い港となった。

しかし民族自決の波には抗えず、1963年にアデンは南イエメン連邦に加盟した後、イエメン人民民主共和国・通称南イエメンとして独立した。イギリス連邦には加盟しなかった。

南イエメンは人民民主共和国の名前が示すようにバリバリの社会主義国家であり、アラブ世界やインド洋地域におけるソ連の足場となった。そしてソ連の崩壊とともに、北イエメンと統合した。


直轄植民地の旗には、世界史でお馴染みのダウ船が描かれている。

ちなみにダウ船は現在でもペルシア湾内交易などで使用され続けているらしい。



アデン植民地の1s切手(紫のもの)には、ご丁寧にそのダウ船の建造の様子まで描かれている。ダウ船の建造について、Wikipediaによると「外板を固定するための釘を一切使わず紐やタールで組み立てることが特徴」とのこと。流石にそこまでは図案からは読み取れない。

50セント切手にはアデン植民地の地図が描かれている。これを見れば、立地に恵まれていることが(嫌味なほどに)一目瞭然である。


インドの一部として統治された経緯から、独自の貨幣は発達しなかったようだ。一部、インド硬貨に加刷したような硬貨が確認されており、欲しい。


関連リンク

World coins chat: Yemen, South Arabia, and other Yemenite states

イギリス植民地帝国(準備中)



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