2022年5月20日金曜日

佐賀関鉄道その2(概略)

2015年、私が中学生の頃に、このブログで佐賀関鉄道について扱った。その記事がありがたいことに未だに読まれている。しかし中学生が作ったもので、全体的に雑だと感じる。そこで、改めて特集していきたいと思う。

日本鉱業佐賀関鉄道は、終戦直後の1946年から1963年まで運行していた全長9.2kmの、期間も長さも短い軽便鉄道である。

佐賀関とは、大分県東部に位置する人口2164(令和4年)の港町。関アジ・関サバが有名であると共に、旧日本鉱業佐賀関精錬所(現・JX金属)の企業城下町としても栄えた。これらは一見相反するように思える。つまり、海への環境被害などはないのだろうかという疑問である。無いから百年も続いているのだろうが。

場所から確認していく。


大分県南部はリアス海岸で、半島が多い地形である。その一番北の半島あたりが旧佐賀関町地域であり、佐賀関鉄道は北岸に沿って東西に走っていた。
国土地理院の航空写真を基に作成した概略図である。日豊本線とは幸崎駅で接続していた。
また、おおむね国道197号線と平行していた。
ちなみに、現在は大分市に合併された佐賀関町と大分市との旧市境は、日豊本線坂ノ市駅と幸崎駅の間にあった。つまり、この佐賀関鉄道は旧佐賀関町域で完結していたということである。

さて、今回は概略ということで、Wikiの記述を参照しても仕方ないので、ここではchakuwikiの記述を参照してみたいと思う。
-----
chakuwiki「大分の交通」(2022.5.17収録)

1.戦後生まれの軽便鉄道。

・工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。

・佐賀関の精錬所に鉱石を陸路で運ぶ(絶たれにくい)ルートを確保し銅板などを安定的に供給できるようにする意図があった。

2.全駅の名称に「日鉱」が付けられていた。

・このうち他地域に同名の駅があったのは大平駅と金山駅だけなので何を意図していたかは謎。

3.当初は貨物オンリーだったが鉄道敷設法での予定線と重なることもあり旅客輸送も始まった。

・該当区間には戦前から省営バス→国鉄バスが走っていた。 

・日鉱社員の通勤に役立っていたのは言うまでもない。

4.この路線の女性車掌の制服は鉄道員としては異例の茶色。

5.廃止直前でもかなりの盛況だったという。

・軌間が1067mmならおそらくもう少し長生きしていたはず。

----- 

0 件のコメント:

コメントを投稿