☆今回の概要
8月23日、僕は遂に念願の「重岡宗太郎グランド・ツアー」を行った。道中、まさかの大トラブルに涙を呑みながらも、しっかりと2つの駅を訪れることができた。あれ?この区間は昼には列車が無かったんじゃなかったっけ?一体どうやって2つの駅を…?今年の夏は冷夏だ、エルニーニョだと春にテレビが甲高く叫んでいたが、今では毎日のように記録的猛暑と報じている。ここ数年、何回「記録的」「十年に一度」「今世紀最強」と聞いただろうか。まるでボジョレー・ヌーボーのようだと思うが、本当に異常気象なのかもしれない。
そんな"記録的な"猛暑に見舞われた夏もまもなく終わろうとし今度はテレビが残暑残暑と叫ぶのかと思われる8月下旬の朝、僕は南へ下っていた。別に受験勉強から逃避するためでは無いが、深層心理ではそう思っていたかもしれない。僕が下っているのは、念願の重岡宗太郎グランド・ツアーを敢行するためだ。
重岡宗太郎といって決して人名では無く、日豊本線の大分県極南部に位置する2つの駅『重岡駅』『宗太郎駅』をセットで呼ぶ通称である。重岡性の方はぜひ息子の名前にご検討頂きたいところだが、まぁそんなことはどうでも良い。ともかく、その地に行くために僕は青春18きっぷで佐伯駅まで到達したわけだ。重岡宗太郎の前に、前菜としてまず佐伯の街を少し探索したいと思う。
まず見に行くのは大手前交差点の白看板だ。白看板とは昭和25年、戦後5年から昭和46年まで使用されていた看板のことである。昭和46年からは新たに読者諸兄が普段目にする、青地に白の通称「青看」が使用されている。
つまり白看板は旧世代の遺構となり、本来は行政が率先して撤去したいものだろうが、別に看板としての能力を失ったわけでは無いので、撤去する必要が薄く、今でもそこそこの数は残っている。
とは言え今は平成の世、しかも27年ときたら撤去開始から早44年経っているわけである。故にそう多く残っている訳ではない。つまり、僕は旧世代の遺構を探しだして訪れて写真撮って、愛でているわけである。
次に見るのは『指定方向外進行禁止』である。しかしまぁこの物件はそこまで珍妙でなくあくまでついでに訪れただけなので、詳しい解説は控える。
次は、40高中である。この3つの中で最もレア度は高いと言える。日本列島にほとんど現存はしていないが、こと大分県に関しては結構な数残っている。
この40高中というのは…まぁ昔の表示で、珍しいのである。詳しくは調べて欲しい。きっと興味が湧くはずだ。
場所に関してはマイマップ『趣味の世界』に載せているので参照いただきたい。
さて、佐伯市街探険を終え、いよいよ本編『重岡宗太郎グランド・ツアー』に入ろうと佐伯駅へ向かった矢先!!!矢先!!!カメラがぶっ壊れた!!!
非常に残念なことが起こった。宗太郎駅の様々な表情を切り取れるかと思ったのに…。
という訳でこれからは携帯の写真になる。
とは言え、最近のスマホの写真を馬鹿にしてはいけない。そこそこの画質はある。というか、ブログに載せるときは容量の関係で画像を超縮小しているから一眼だろうがスマフォだろうがあんまり関係ないのである。
さて、カメラがただの重りと化したところで、いよいよ重岡宗太郎ツアーの種明かしをしよう。ズバリ、バスである!
なぜバスなの?駅なら電車で行けよ、そう思われる方も居るかもしれない。
鉄道を少し齧っている方は聞いたこともあるかもしれないが、佐伯駅以南延岡駅以北の日豊本線区間は青春18きっぷの難所と言われ、なんと1日に往復3本(2015年現在)しか普通列車が無い九州屈指の秘境路線なのである。古くから旅人を苦しめていた宗太郎峠は現在でも18きっぱーを苦しめているのである。
しかし、特急はある。1時間に1本ある。そして当然、秘境路線区間の駅にはノンストップである。その点は流石特急至上主義のJR九州と言いたいところだが、逆に需要極小の路線に1日3本も普通列車を通してくれるなんて!と感謝すべきかもしれない。
1日に3本普通列車があると言っても朝1本夜2本なので、昼には普通列車が1本も無い。よって、バスを使うしか無いのである。このバス路線については大分バスHPへ。
バスに乗る。
…誰一人乗ってない!!!!!!
誰のためにこのバス路線あるんだと言いたくなる。社会科の教科書で学んだ熟語が脳裏に浮かび上がってくる。『過疎』だ。この路線が佐伯南部住民の生命線であることは疑いようもないが、地域社会の問題点を如実に表す光景である。しかし利用しているよそ者の分際で口出しをするのは控えよう。バスは川を越え、国道10号線を快走する。
そしてバスに揺られ1時間、徐々にまどろみかけていた頃、ようやく重岡駅に到着した。
バスの運転手に奇妙な顔を向けられつつ、僕は炎天下の重岡駅に降り立った。そしてまず最初の感想は
「エロゲの舞台みたいだな」
如何せん社会通念上よろしくない感想を残した僕は駅へ歩いていった。まぁ、エロゲの舞台になるような素晴らしくのどかな風景だと言いたいわけだ。
真新しい簡易駅舎の向こう側には、のどかな、そして当然のごとく誰もいないホームがあった。
燦々と降り注ぐ太陽光に触発されるように、セミ達が鳴き叫ぶ。映画『なごり雪』に使用された待合室はJR九州によって素っ気ないモノに建て替えられていた。しかしまた、やけにホームが多いとは思わないだろうか。実は、本当に衝撃なのだが、昔はこの駅が始発の列車があったらしい。いやはや本当に、昔の鉄道事情には驚かされる。そんな時代に、あの『北斗星』が廃止される未来なんて、昔は想像できたのだろうか。いやしかし、20世紀の子どもたちは、最先端の列車に旧来の列車が淘汰されていくことを思い描いていたかもしれない。
さて、重岡駅で名物の特急の再徐行ノロノロ運転を見学した後、僕は宗太郎駅へ向かった。さて、天才である筆者は今度は一体どんな方法で重岡駅から宗太郎駅に移動するのだろうか。
徒歩である。
男は黙って歩けということである。腐っても男子中学生、日本男児たるもの炎天下で8km歩くくらいどうってことない!そう、思っていた。
高々と南中する太陽はあまり影を生み出さず、前半の1時間は特に果てしない地獄であった。国道とは言えここは屈指の難所宗太郎峠であり、現代においても通る車は少ない。(400台/日くらいらしい)そう判断した僕はなりふり構わずタオルを頭に、首に巻き灼熱地獄に対抗した。しかしそれでも通る車はいるわけで、車が来る度に僕は到底『秘境の旅人』とは名乗れないダサい格好を晒してしまうこととなった。
結局8kmを2時間30分かけて踏破し、宗太郎駅が近づいてきた。こういう道中では「二度とこんなバカな真似はしないぞ」と思うのだが、ゴールした途端に「またやりたいなぁ」と、僕はいつも思う。自転車で大分県道21号線を登った時も、また別の時も同じである。文字に起こしながら自分はつくづく愚かだな、と思うところであるが、共感できる読者諸兄もいるのではないだろうか。いてほしいものである。
何はともあれ1年ぶりに宗太郎駅に帰ってきた。
宗太郎の集落は過ッ疎過疎であり、毎度だが、なぜ駅が未だ設置されているのかと大いに疑問に思うところである。
さて、僕がまず向かったのは名物の『イモリ駅長』のいる池である。イモリは両生類だったかななどと受験生らしく考えながら池を覗き込むと、お、いたいた。
去年はいらっしゃらなかったですね、すまんな去年の今頃は風邪気味だったんじゃ、とイモリ駅長との下らない空想会話を済ませる。
さて、周りには誰もいない。僕はのんびりと、ヒグラシが鳴き出す頃まで、心ある方に管理されている駅ノートを読んだ。
貨物を撮りに来た者、名前が『宗太郎』の者、全国を旅している者…多くの者が、宗太郎駅に魅了されていた。
さて、ヒグラシが美しい音色を奏ではじめた。ヒグラシの音色を聞くと、僕はとても癒やされる。それはなぜなのだろうか。α波やβ波が脳に作用して…とか言われるとなんとも味気ないが、なぜか楽しかった少年時代が浮かび上がってくる。それは、空想と言ってもいいだろう。森の小川で秘密基地を作ったりしたことなど一度も無いし、向日葵畑を友達と虫取り網を持って麦わら帽を被って駆け回ったことも無い。田舎のお爺ちゃんの家で、風鈴の音色を聴きながら、スイカを齧りながら花火を眺めたことも無いし、幼なじみの女の子と肩を並べて海に没む夕陽を眺めたことも無いのだが、無性に昔が恋しくなる。
『あの夏の思い出』という空想を、日本人は皆持っているのかもしれない。そしてそれが皆を癒やすのだろうか。
そんなことを考えていると、佐伯行きの普通列車がやってきた。『列車』と言っても列にはなっておらず、1両編成の単行列車である。それを言うなら、『単行列車』というのも可笑しな言葉だ、と考えていると、、なんと!人が降りてきた!3人も!
聞けば、なにやらその3人は毎月1回宗太郎駅を訪ねているらしい。彼らも宗太郎駅に魅了された人間だったわけだ。その後は、お互いに下らない話をし合った。僕の今日の『徒歩である。』あたりの話が非常にウケた。というか驚かれた。
しばらくすると、彼らは延岡行きの列車で帰っていった。僕が終電まで宗太郎駅に留まり続けることにまた驚かれた。
ヒグラシが鳴き止むと、空はすっかり群青色であった。
待合には白熱電灯が灯る。
やがて漆黒に染まった大空には、無数の星が浮かんでいた。
辺りは静寂に包まれている。
さっきの話では無いが、本当に「また来たいなぁ」と思う。
帰りの列車が眩い光を放ちながらやって来る。
運転士の「あぁ、鉄ヲタか」みたいな目が毎度忘れられない。
列車は北上する。やがて僕の最寄りの駅に着く。
あぁ、楽しかった。
おまけ
遠い!
初めまして。アークビートルDと申します。私、実は本日、宗太郎駅を訪問しました(車で)。で、感想ですが・・・・なるほど、ここに留まりたくなる何かがあるなあと思いました。守り石神も拝見出来ました。で、その守り石神なんですが・・・・なんといくつかがホームではなく、ホーム下の線路内に放置されていたのです(その中には「秘境駅なんにもないがなんかある」も・・・・)。かわいそうになり、(本当は危ないのですが)線路に下り、拾い上げてホームのベンチへ置いてあげました。そしてしばらく過ごして、駅を後にしました。機会があったら、もう一度来てみたいですね。
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