2022年10月12日水曜日

【MCS南部杯】盛岡競馬に行ってきた・その2

その1からのつづき

この時点で940分であり、第1レースは2時間後。あまりに暇なので、ゆっくりと場内を徘徊する。トイレは少し古めかしいが、全体的にはとても綺麗。盛岡競馬探訪に当たって人のブログも読んだが、その中で概して評されている通り「中央競馬場のよう」であった。

現在の盛岡競馬場は3代目で、1996年に開設された。この年に東京競馬場と姉妹提携を結んでいる。


 

東京競馬場との姉妹提携は色んな面に活きており、洗練されたスタンドもその一つだろう。代表的な例は、交換競走だ。盛岡競馬場ではJRA交流競走の「東京カップけやき賞」が、東京競馬場ではリステッド競走の「オーロカップ」が施行されている。

このオーロとはスペイン語で黄金を意味するoroのことで、盛岡競馬場の愛称こそがオーロパークである。黄金競馬場の名は明治天皇に由来するというが、詳しくは触れない。

 

話が逸れた。姉妹提携が発揮されている他の事例としては、東京競馬場にある日本最後の鉄火場・101投票所が挙げられよう。東京競馬場の片隅にあるこの投票所は、逆J-PLACEというか、岩手競馬場の馬券しか販売していないのである。

101投票所の様子について、日刊SPA!の記事から引用したい。

 

朝の第一レースからファンファーレの時点で大歓声であった東京競馬場スタンドでの様子と違い、投票所内は歓声ひとつ上がらず、一部のコアなファンがモニタに向かって必至に「差せ!」「粘れ!」と叫ぶ本能むき出しの姿が見られた。

 

この鉄火場も、姉妹提携の賜物である。残念ながら2022年現在は新型コロナの関係で封鎖されたままである。筆者が競馬を始めたのはコロナ禍になってからであり、残念ながら訪問が叶っていない。

また、2011年には東京競馬場で本日のメインレース・MCS南部杯が開催されたこともある。この年は東日本大震災の為に東京競馬場での代替開催となった。ファンファーレに南部杯固有のものが使用された点が、流石にJRAの力量である。ちなみに、勝ち馬はトランセンドであった。

 

何の話だったか。そう、スタンドが綺麗だという話であった。スタンドを徘徊していると、1階にメイセイオペラの記念展示があった。

 

メイセイオペラの名声は若輩者の筆者にも届いている。競馬ファンに人気の高いJRACMでは、彼はこのように紹介されている。

 

99年フェブラリーステークス

英雄は東北から来た

日本競馬史上ただ一頭

地方から中央を制した馬メイセイオペラ

栗毛の来訪者

時代は外から変わってゆく

砂の王者へフェブラリーステークス

 

馬にしてみれば、自分が走っている地面が地方公共団体の運営なのか日本中央競馬会の運営なのかはどうでもいいことだろうが、人間にとってはこの快挙は重要だった。

再び、引用する。筆者が好んでソースとするニコニコ大百科の「メイセイオペラ」からである。

 

佐々木調教師は興奮のあまり丸めた新聞で前の人をぶっ叩き、馬主は夫の遺影を掲げ「あなたの馬が先頭を走ってるわよ!」と叫んだ。

 

真偽は不明だが、さもありなんである。202210月現在でも、中央G1を制した地方馬はメイセイオペラただ一頭のみである。

 

展示には、フェブラリーS優勝レイと蹄鉄があった。 蹄鉄を飾る文化は面白いと思う。ボルトが世界新を出した時に履いていた靴も、ジャマイカのどこかに飾られていることだろう。


 

以上の文章を、筆者は寒風吹き荒ぶ盛岡競馬場のエントランスでスマホにポチポチ打っていた。

というのも、今日は凱旋門賞の反省から頭を丸め、馬券は買わないつもりだったのだ。しかし「1000円以上の馬券で抽選会に参加できる」というアナウンスを聴き、ホイホイ購入してしまった。沢山のレースを楽しめるよう、レースを分散させて買った点は褒めたい。

しかし、並ぶのは苦行だった。寒すぎる。雨降ってるし。屋内にしてくれえ。そもそも、今朝は3時間程度しか眠れず始発で新幹線に乗っているのだ。そして帰りは夜行バス。明日は風邪確定な。

そこまでして当たったのは、ハズレ扱いの7等・勝負服ステッカーであった。しかしながら、筆者は勝負服オタクであった。筆者にとって勝負服ステッカーは、3等のカタログギフトには及ばずとも、4等のチタンシェラカップよりは価値がある。7等の景品に4等相当の価値を見出すことこそ、人生を楽しむコツである。世の中には自己の解釈のみが存在するのだ。


 

当たったのは木村暁(さとし)騎手の騎手服。木村騎手は結構な苦労人のようで、2005年デビューながら重賞初勝利は本年2022年であった。この写真を撮った盛岡第7レースでも1.4倍の馬を3着に飛ばしており、なんとも言い難い。弁明すると、馬が結構癖馬のようであった。とにかく、騎手服がカフェファラオの西川氏の勝負服に似ていることだけ言い添えておきたい。

 

他に勝負服といえば、陶文峰騎手の勝負服が特徴的だ。大井の某帝王に似ている、ということではない。陶騎手は名前が示す通り中国出身であり、中国出身であることは勝負服が示しているのだ。

手前味噌ながら、筆者は以前勝負服っぽい国旗ランキングという記事をしたためたことがある。本来ならばその記事で陶騎手には絶対に触れるべきであった。が、筆者の勉強不足のために、今触れることとする。


陶騎手は中国・黒竜江省出身という。黒竜江省は中国の最北部にあり、いわゆる満州の一部である。父方の祖母が残留孤児であった関係で、12歳の時に家族ごと来日した、とウィキには書いてある。

中華人民共和国は言うまでもなく共産主義国家である。競馬なんてものは共産主義にはそぐわず、全面的に禁止されてきた。

しかしながら、現在の中国はほとんど資本主義国家だから、競馬をやりたいわけだ。そのジレンマの止揚として、スポーツとしての競馬、いわゆる速度競馬が各地で整備されている。その一つ、内モンゴル自治区ウランホトの競馬場に、陶騎手は2017年に招待されて騎乗している。

陶騎手の母国愛は、騎手服に見える通り強い。ウランホトでの騎乗に際しては、「生まれ故郷の中国で騎乗するのが夢でしたから、実現できて非常にうれしい」とコメントしている。

黒竜江省に速度競馬が整備されているのかは分からない。しかし一般的に言って満州はモンゴルに似ており、ということは馬がその辺にいるのだろう。そうした環境で育ったからこそ騎手を志したのかもしれないが、これは推測である。


その1 東京〜盛岡競馬場まで

その3 競馬場探検など 

その4 南部杯、表彰式

その5 競馬場からの帰り、グルメ

0 件のコメント:

コメントを投稿