その3のつづき
11レースが終わった。最終12レースが本日のメインレース・南部杯である。ファンファーレや表彰式を間近に見たいので、一般席を離れ、ウィナーズサークルの前に陣取る。朝に車で埋め尽くされた駐車場を見たときは辟易したものだが、案外人は少なかった。簡単に最前列を取ることができた。
雨はあがったが、濃霧が発生していた。実際、11レースは濃霧の天候調査の為に発走が遅れ、レース映像もほとんど白一色で見えなかった。競馬オタクの友人からは1996年バイオレッドステークスじゃねえかという鋭いLINEが届いていた。なかなかの分かり手である。12レースは定刻通りらしいが、この時点ではまだ霧が湧いていた。
南部杯は正式名称を農林水産大臣賞典マイルチャンピオンシップ南部杯〔Road to JBC〕という。一時期岩手競馬で禁止薬物問題が起こった時には農林水産大臣賞典を返上していたが、現在は戻っている。
この日はJRAの3日間開催の最終日で、阪神で京都大賞典が行われていた。その様子は遥か盛岡競馬でもターフビジョンで放映され、筆者も隣の兄ちゃんと共にマイティー!!!と叫んだものであった。
ともかく、この日は二つの賞典が行われたことを言いたかったのだ。しかし、賞典とはよく分からない言葉である。日本国語大辞典には「賞典レース」という言葉が出ていて、「褒賞のかけられた競走。特に競馬でいう。」とある。
Wikipediaには「農林水産大臣賞典」という項目が立っていて、「正賞や副賞として農林水産大臣が賞を提供する競技や競走に対してつけられる」とある。どうやら、阪神大賞典の賞典も農林水産大臣賞典(農林水産省賞典)らしい。
ともかく、霧が晴れ月が出た盛岡競馬場を南部杯出走馬が走っていく。そういえば競馬場に来たというのに馬の話をほとんどしていなかった。2022年南部杯の有力馬を2頭だけ紹介しよう。
1番人気はカフェファラオ・福永。筆者が現地観戦した本年のフェブラリーS覇者だが、東京専用機との評もある。盛岡と東京のダートマイルはほとんど似たようなものなので、馬に勘違いさせて走らせようというのが陣営の魂胆である。ファラオの勘が鋭いかどうかが鍵となる。
ちなみに、中央競馬にマイル・ダートは東京にしかなく、それも芝発走である。
ダートの芝発走なんてものは、ダートを見下しすぎている。では逆に、芝が内側である盛岡競馬場ではダート発走の芝コースがあるかというと、残念ながらそれは無い。
さらに余談を言えば、南部杯に出るJRA騎手は月曜開催の中央競馬をお休みしている。これは、勝負気配アリ。そういう意味でも、JRA馬は強いのだった。
2番人気はアルクトス。馬主の山口氏はTwitterをやっている。今年は南部杯三連覇に挑む。南部杯の為に引退を遅らせた馬、勝負気配は尋常じゃない。
血統がなかなか面白い。父アドマイヤオーラ、その父はアグネスタキオンである。母父はシンボリクリスエスであり、なかなか渋い。
その他、大勢。日本の重賞はどれもそうだが、出れるなら出とけという馬が多い。もし筆者が馬主なら、出れるなら出すだろう。
が、海外のレースは少頭数が多い。向こうでは「勝負気配アリ」しか出さないのだ。その点が日本競馬の幼いところとも言え、面白いところとも言えよう。
目の前を、先ほど演奏を披露した陸上自衛隊第九師団第九音楽隊の面々が整列して歩いていく。第九師団は北東北を守備する部隊だ。音楽隊の隊員は先ほどは軽快に演奏していたが、やはり本番となると表情から何から締まっている。流石に自衛隊だ、と感じた。
スターターが上ると同時に、フライング気味でファンファーレが始まる。盛岡にはJpnⅠ用のファンファーレがあり、実質南部杯専用となっている。筆者は昨年にネットで南部杯を観戦して以来一年間、ぜひ生で聴きたいと思い続け、その一心で単身盛岡まで乗り込んで来たのだった。若干プペったが、気にしない。
https://twitter.com/tumu66/status/1579427699252424704?s=20&t=ATpShjS_nI9FfgJY-zGrLQ
盛大な拍手に包まれ、馬券をほとんど購入していない筆者はもう既に満身創痍であったが、しかし、なんかレースが始まった。
私はテキトーにカフェファラオとアルクトスの複勝をいくらか買っていた。四角手前でアルクトスは手応え怪しく、場内には声にならない声が響く。私は一の矢を捨て、全身全霊で二の矢・カフェファラオを応援した。目の前に任務を終えた第九音楽隊の面々が気をつけしていることなど構わず、彼らの頭上を飛び越える声で福永ァァ!!!!と叫んでしまった。大声はダメなのに。ごめんなさい。
たかだか200円とかの馬券でここまで熱くなれるのだから、筆者は実に燃費が良い。結局ハナ差で武豊のヘリオスを福永ファラオが差し切り、カフェファラオはGⅠ級2連勝となった。複勝はカフェファラオのみ的中し、1番人気ゆえに当然トリガミであった。
勝利騎手インタビューに続き、表彰式がある。インタビューにおいては福永騎手が軽妙なトークで観客と筆者を湧かせていた。
表彰式に移る。先述の通り、南部杯の名は南部氏による。家紋をレーシングプログラムにまで載せているのだから当然であるが、ちゃんと南部家に許可を貰っている。
南部氏は明治維新まで盛岡藩主であり続けたのち、華族となったが、戦後は資産の多くを手放すこととなった。また子供に恵まれなかったりもしたが、婿嗣子をとることで家を存続させた。
第43代の利淳には一男一女がいたが、その長男利貞が早世した。そのため長女の瑞子に迎えた婿が利英であった。利英は元の名前を一條實英といい、当然ながら名家一条家の出身である。戦国時代末期の天皇・後陽成天皇の男系九世子孫だというから、当然血統も抜群であった。
競馬に喩えるのはどうかと思うが、血統は男系(父系)で続くことに意義がある。
言ってしまえば、日本人なら恐らくほとんどの人間が、何某かの天皇の血が一滴くらいは入っているものだ。そのように私は邪推している。奈良・平安時代に臣籍降下した皇族の多さに鑑みれば、1000年のうちに日本全国に血が広まっても不思議ではない、ということである。
しかしながら、それが男系直系であることはまあなく、普通は女系を介してのものである。また、我々にはそれを示す”血統書”も残っていない。
一方で、一條實英である。彼は男系であるし、歴史にも刻印されている。その点で、我々とは一線を画すやんごとなきお方なのだった。
名家に婿入りする名家とはどのような気持ちなのか、我々には想像もつかない。ともかく實英は婿入りに当たって苗字と共に改名も行い、南部利英を名乗った。「利」の文字は南部家当主が代々継ぐ通字であった。
利英には三男おり、その末っ子が家を継いだ。第45代当主・南部利昭である。この利昭に、岩手県競馬組合が話をつけに行った。役員一同が雁首揃えて行ったのだろうか。どんな話をしたかは不明だが、ともかく南部の名前を使う許可が下りた。
それどころか、南部家当主がレース当日の表彰式に赴き、直々に南部杯を授与することになった。利昭氏、なかなかノリノリである。
利昭氏は靖国神社の宮司を務めたが、その執務中に倒れ、2009年に亡くなった。
跡取りは利昭の甥が務めることとなった。その第46代当主・南部利文氏が、筆者の目の前にいる。場内に一礼をしてから、丁寧に南部杯を手渡していた。
馬主の西川氏は来場していなかったようで、南部杯など馬主が受け取るべきものは全て堀調教師が代理で受け取っていた。自分の馬が1番人気なのに競馬場に来ないでなんで馬主をやっているのだろう、なんかヤな感じである。
まあ、仕事が忙しかったのだろう。馬主をやるなんて人は、本業も忙しいのが常である。始発の新幹線で臨場する筆者みたいな人は、馬主に向いていないということだろう。悔しいことに。
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