その2のつづき
第5レースの終了後、雨も止んできたので競馬場内を散策した。Pakaraという休憩スペースに赴くと、陸上自衛隊第九師団がスペースを占領していた。
無論、クーデタではない。彼らは陸上自衛隊の第九音楽隊であり、南部杯の生ファンファーレのために来て、ついでにPakaraの前で演奏会を行っていた。
吹奏楽演奏は人並に好きであるから、何となく聴いていた。その一曲、ジェームス・ブラウンのなんちゃらという曲が気に入ったため、演奏会のあと曲名を尋ねに行った。危うく自衛官として勧誘されそうになりながら尋ねたところによると、”I Feel Good”という曲らしい。
原曲を聴いたが、やっぱり吹奏楽の方を先に聴いちゃっているので、物足りない。なんとかあの演奏をもう一度聴ければなと、帰りのバスでyoutubeを探すと、まさにその動画がアップされていた。感謝しかない。
以下の動画の8分からである。楽しそうな様子にも注目して、ぜひ聴いてもらいたい。
https://youtu.be/8DnX73rEcMo?t=482
現地には子供連れも多くいた。思ったことは、楽しそうに何かに取り組む大人の姿を子供に見せることが大切なんだろうな、ということである。自分が父親になったらば、楽しそうに競馬をし、楽しそうに読書をし、楽しそうに家事をしよう、とか思った。
そののち、第4コーナー付近まで見学に行った。奥にはポケットがあり、ここが2000mのスタート地点である。直近ではダービーグランプリに使われているが、施行数は少ないようである。
余談ながら、盛岡競馬場の全周は1600mである。普通、全周1600mの競馬場では1600m戦は施行できない。ゴール地点からスタートすることになり、すぐにコーナーがあるからだ。
盛岡競馬場は2コーナーの奥に400mの引き込み線を作ることで、この問題を解決した。とんでもない山の中にあるがゆえの大胆な発想である。スタートが非常に見えにくいという問題はあるものの、この引き込み線で「マイルチャンピオンシップ」を守ったのだった。
また、第4コーナー付近には南部杯中継用の三脚が設置してあった。こんなひ弱な設備で生中継しているとは、驚愕した。
このカメラで撮られたのが、次の動画の2:25からである。
https://youtu.be/BlhnLb1_0Nw?t=146
基本的なことであるが、盛岡競馬場には芝コースがある。これは地方競馬場では唯一である。
もっとも、地方競馬ではあくまでダートが主。芝は従だ。よって、盛岡競馬場は日本の競馬場で唯一、芝の方が内側にある。脇役がいつも内側に置かれるのは、外から芝→ダート→障害の順番である中央競馬場から推して知るべし、である。
芝のレースはあって一日1レース程度であり、この日は無かった。南部杯デーなんだから色んなレースをしてくれたら良いのにと思う。しかし、芝の保守というのは大変なのだろう。
余談を重ねると、先に「地方競馬場では唯一」と述べたのは、地方競馬としての芝開催は他に例があるからである。コアな競馬ファンの諸兄にはお分かりだろうが、これは名古屋競馬のことだ。名古屋競馬は2002年まで年に1開催ほど、中京競馬場でもレースを施行していた。ターフチャンピオンシップなど、芝の重賞競走も行われていたのだ。現在でも愛知県競馬組合は中京競馬場での開催権を保持し続けているが、この辺の事情はホッカイドウ競馬と似ている。
もっとも、筆者は名古屋競馬にも中京競馬場にも行ったことはない。
さて、ウロウロしていると第6レースの出走馬が返し馬をしている。
馬の足音が大きい。ダートの不良馬場ではこんな音がするのか。地方競馬経験が浅く、中央競馬ではダートが遠いために音が聞こえていなかった。驚いた。
返し馬が続く。4コーナー付近には僕しかいないので、なんとなく気まずい。しかしジョッキーは全然意識していないようで、高橋騎手と南郷騎手なんかは、お喋りしながら返し馬をしていた。どうも南郷騎手の馬は癖馬らしく、操縦に苦労しながらのお喋りだった。蛇足ながら、結果は高橋騎手が1着、南郷騎手が最下位であった。
「返し馬」は、日本国語大辞典に出ている。「競馬で、レース前、本馬場に出てきた競走馬が、足ならしをすること。」とある。
ブルーバックスという、科学に特化したシリーズが講談社から出ている。そのひとつに日本中央競馬会競走馬総合研究所『サラブレッドの科学 競走馬の心・技・体』というのがあり、これが大学図書館にあった。試みにページを手繰ると、返し馬の項がある。
これによれば、返し馬には二つの目的があるという。ひとつはアイドリング、もうひとつはランナーズ・ハイである。
1ハロン20秒くらいで4,5ハロン走ることにより、馬の温度は約1度上昇し、血液循環が促進される。また、パドックでぎこちなくコズミ(強い運動を課せられたことで、歩行がぎこちなくなること)と思われる馬でも、適度な返し馬によってコズミが解消される。これがアイドリングの効能である。
精神面にも良い影響があると考えられている。不安が消え、気合が乗ってくる。
上手い騎手とは、返し馬が上手い騎手なのかもしれない。馬のことを知り尽くした厩務員や厩舎の人間は、本馬場に入れば見守るしかない。その際に、馬をよく観察し心を通わせ、また厩舎と円滑な情報共有を行うことで適切な返し馬を施す騎手。そういう騎手を応援したいものだが、しかしそういう騎手を見抜けないのが、一ファンに過ぎない我々の辛いところである。
レースは続いていく。しかし、盛岡競馬場は割と堪能し尽くしたので、随分暇だ。朝買った馬券は尽く当たらず、買い増す気にもなれない。
地方競馬はわからないので、番号でテキトーに6番の複勝馬券を買った。第7レースから第11レースまで5レースを勝負して、4着→11着→9着→9着→10着。まったく6番は死に枠だった。
とにかく、レース以外は暇である。そもそも、なぜこの文章は常体(である調)なのか。普段は敬体(ですます調)で書いている、気がする。
たまにこういうことはある。筆者は、これはきっとその時の気分のせいに違いないと思っていたのだが、ようやく原因が分かった。その時に読んでいる本の影響を受けているのであった。私は単純な男であった。
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