2014年12月31日水曜日

クリスマス延岡貨物撮影(H26/12/25)

世間ではクリスマスだのなんだの。「俺クリぼっちだわ~」と言っていた某友達もなんかよくわからん友達たちと仲良く街の方に出かけていった。アーメン。僕は鉄道撮影に出掛けた。寂しくなんか無いぞッ!
場所はいつもの陸橋奥。しばらく普通列車を撮っていると、晴れ間が垣間見える。しばらくして、遠くから機関車の振動。踏切の警報音が鳴り響き、青空の中を青い貨物列車が突っ走っていった。目的地はまだ遠く…。

END

2014年12月27日土曜日

平常撮影(H26/12/21)

前日に天気予報を確認すると、晴時々曇の予報。早速近場に撮影をしに出掛けた。

 冬場の朝は遅い。僕は意識していなかったが、この日はちょうど冬至の前日だ。冬至といえば南瓜であるが、うちの食卓には出ない。当然、柚子風呂も入らない。バスロマンである。母親の頭の中では、柚子風呂より羽生結弦の方が大事なようだ。
ところで、なぜカボチャを南瓜と書くのだろう。
そもそも南瓜の語源は、今から500年弱遡る。
カボチャの由来は国名『カンボジア』に由来する。ポルトガル人がカンボジアの産物として日本に伝え、当初は『カボチャ瓜』と呼ばれた。そのうちに『瓜』が落ちて、『カボチャ』と呼ばれるようになったそうだ。
ここまで読めば容易に推測できると思うが、漢字の『南瓜』は当時の西欧の呼び名『南蛮』に由来する。南蛮渡来の瓜、ということである。
お隣中国でも『南瓜』と書かれる。読みは「ナングァ」 であるが。 今までずっと思ってきたことであるが、なぜ『カンボジア』が『カボチャ』になるのだろう。同様のものを挙げるならば『レモネード』とかだろう。なんで『ラムネ』になるねん。
とまぁ昔の人にケチを付けても仕方がないのだが…話を戻そう。
 冬至の前日ということは1年の中でも特に日が
短く、当然日の出も遅い。と言うわけで朝6時半に撮影地に入っていた僕は大きく待ちぼうけを食らわされた。ちなみに、この撮影地は前回同様久保上野踏切である。黎明の空は中々明るくならない。明け方特有の冷たさに震えていると、鹿児島方から列車が。なんと415系である。突然の事態に驚くが、なんとか収める。やはり415系は朝夕の運用が多いようである。
そう考えていると遠くから何やらこの線路では見慣れない車両がやって来る。885系ソニックである。おそらく大分以南の沿線住民の為の朝の通勤特急であろう。

にちりん号では時間が遅すぎる。そのうち883系もやってきた。
理由はどうであれ、色々な車両が地元を走ってくれるのは嬉しい事である。考えてみれば、815系をはじめ415系、220系(宗太郎越え運用)、787系に783系、そしてこの朝方夕方の885系と883系、更に貨物が往復2本と、意外とバラエティ豊富なこの大分以南地帯である。 無論、県北部には近郊型の811系などの福岡の車が多くいるのだが。
続いてやってきたのはおなじみ787系。前照灯がクールでカッコいい。流石水戸岡鋭治大先生デザインである。色がまた良い


撮影地を移動し、これまたお立ち台通信に載っていた場所へ。下からのアウトカーブを捉えることが出来る。ここで延岡貨物を撮ろうと思い、練習をしていると今まで曇っていた東の空が突然眩しくなり、太陽光が大地を包む。そして、遠くから響く列車の足音と踏切の警報音。陸橋をくぐってカーブを大きく曲がってきたのは紛れも無く415系だった。申し分の無い光線を浴びた彼は、駆け足で豊州路を下っていった。

この、逆青天の霹靂…?といえる出来事にしばし感動をしていると、再び世界が陰に包まれる。そして、機関車の足音。目的の延岡貨物は惨敗に終わった。ちなみに牽引はEF81 717である。
延岡貨物は残念だったが、最高の415系を捉えることが出来、満足満足。
僕はゆっくりと、冬至に南瓜も食べず、初詣は5月ぐらいに行く我が家庭に戻った。







END

2014年12月21日日曜日

天ヶ瀬駅(久大本線)

天ヶ瀬駅探訪記
2014.08.21

 お盆も過ぎ、いよいよ夏休みも終盤に差し掛かってきた時分。24時間テレビが終わってからが宿題のシーズンだと毎年豪語して毎年泣いている僕は今年も例に漏れず宿題そっちのけで旅に出た。18きっぷ旅、今回の旅の目的地は天瀬町である。何故天ヶ瀬か、というと僕の尊敬してやまないとある旅人がこの天ヶ瀬の地に降り立っていたからである。
夏場の強い日差しを身に浴びながら僕は列車から降りたった。

 天瀬町は温泉街であり、鄙びてはいるものの今でも一定の観光客が訪れる。その為、外国人観光客を意識して駅名票にハングルが書いてあるのだ。駅自体の解説をしよう。特急停車駅であり、『ゆふいんの森』『ゆふ』が停車する。その為、業務委託駅であるが1日の乗客数は100人強に留まっている。ホームは島式ホームで駅舎とは構内踏切で連絡している。


駅の真上を国道210号線の高架が通っており、時折トラックの通過音が聴こえる。 駅につながる階段には『ようこそ湯の街あまがせへ』と書かれている通り、駅の構内にはどことなく硫黄の香りが漂っている。
硫黄の香りといえば思いうかべるのは別府である。言わずと知れた全国的温泉地であり、『大分』よりも『別府』の方が知名度がある、というのは周知の事実であろう。中には温泉水を水道に引くというなんともバス浪漫な生活をしている家庭もあるという噂の別府であるが、あの辺りを高速道路で通過すると、誠に硫黄臭い。

車の窓を閉めているなんて関係無い。別段悪い匂いという訳でもないのだが、初めて通過した時には誰かが屁をしたとそれぞれが思うのは当然なくらいの匂いである。是非お試しあれ?

ゆふいんの森が入ってきた。降りたのは数人のみ。片手で数えられる程度だ。


 18きっぷを見せて改札を通り、駅舎を出る。
天ヶ瀬駅駅舎は観光情報センタ『天の国プラザ』を併設している。センタの中には誰もおらず、職員がのんびりとくつろいでいた。
駅前に出るとそこは閑散とした温泉街。
いくつも『駅前温泉→』のような色々な温泉の案内板があるが、人影がない。そりゃ平日の昼間というのもあるだろうが…。
すると、駅前のある物に目が止まった。
 おぉ、足湯!先ほどの硫黄の匂いはどうやらこれが出どころらしい。早速浸かってみる。熱い!凄く熱い!
それでも時間とともに慣れていくもので、数分後にはのんびりと浸かることが出来た。
近年我が大分県は”おんせん県”と称して全国に積極的にPRを行っている。当初はなんだかんだ批判を受けていたが、確かに大分県の温泉の数には目を見張るものがある。別府をはじめ鉄輪、湯布院、天ヶ瀬、湯平…他にも効能が良いラムネのがある長湯温泉など数多くのバラエティ溢れる温泉たちが貴方を待っている。
一昔前は”一村一品運動”でそれなりの成功を収め地域ブランドを定着させた大分県、次は成功なるか。
実は由布院駅の構内にも足湯があるので、これは今日2回目の足湯である。なんと贅沢であろうか。

足湯から上がり人影のない温泉街の通りを歩くと、左手に川が見えてくる。橋を渡ると、そこには真夏の日本の情景があった。

天ヶ瀬駅は駅としても落ち着いた小春日和のようなのどかさがあるが、街に根ざしているという感じが強い。

2014年12月19日金曜日

闇夜の駅に、見慣れぬ訪問者【マヤ検】

・闇夜の駅に、見慣れぬ訪問者

 軌道計測用の車両、その名もマヤ。 それが日豊本線を走るというので、撮影をしにいった。時刻は23時台。夜の寒さに震えながら待機していると、ホームに響く警報音。ゆっくりと、闇夜の坂ノ市駅に迫ってくるマヤ検の姿とは…。



 そもそも、マヤ検とは何だろうか。
マヤ検とは、国鉄が製造した軌道計測用の事業用客車のことである。正しくは、『国鉄マヤ34形客車』と言い、当時増備が進められていた10系客車をベースにしている。要は『はたらくくるま』だ。
製造された10両のうち現役なのはJR北海道の1両、そしてJR九州の1両、合わせて2両のみとなっている。
JR九州のマヤ検は車両番号2009で、1978年に製造された。製造から35年が過ぎたことになる。どうでもいいが、『マヤ』という名前が、女の子の名前みたいで親しみやすい。


僕はまだこの車両を実際に見たことは無かった為、真夜中ではあったが行こうと決断した。
なにより、国鉄に触れたい、という想いがかなり強かった。真夜中の駅前通りを歩いて駅に到着。誰も居なかったが一応入場券を購入し、駅構内へ。
実は、駅に照明が点いてないんじゃなかろうか、と心配していたのだが無駄な心配に終わったようだ。人っ子一人いないホームに、暖かい電燈が灯されていた。
 駅に来る前に暖をとるために買った温かい珈琲は既に冷え切っており、階段を上下することで体を温めるほか無かった。
そして寒さを凌げる待合室の存在に気付いた頃、ホームに鳴り響く警報音。列車到着の合図である。しかし、なかなか姿を表さない。十数秒後、カーブを曲がってきた機関車の鋭い光がようやく僕の視界に入ってきた。多分、軌道を計測しながら走るために速度が遅くなってるんだと思う。そうして段々近づいてくる機関車とマヤ。
ようやく駅に入ってきて、さぁ停車しろ、撮影タイムのお時間だヒャッハーと思っていると…
 なんと目の前を通りすぎてしまう。どうやら、停車する時はマヤ検は少し普通列車の停車位置より奥の方に停車するらしいのだが、そんなことなど知る由もない僕は慌てふためき、小走りで車両を追いかけた。すぐに停車し、ほっと胸をなでおろしていると、青い車体が目に飛び込んできた。マヤだ。ようやく会えた、という感じである。
青い車両赤い反射板。国鉄の香りを残す車体。どれも、感動モノである。
少し前までは「凍ったんじゃなかろうか。凍傷か。切断か。」と思っていた手の指も軽快にシャッター音を鳴らす。寒さなど、この時の僕の熱気にはかなわなかったようだ。
 限られた停車時間であるので、マヤを存分に撮った後は前の機関車にも注目してみた。黒い。機関車についてはあまり知らないが、元はオレンジだったという。その色が良いな、と抽象的に思っていたが、実際に目の当たりにしてみると黒は黒で夜に溶け込んで乙なものである、と思った。
次回は是非昼間に撮りたいものだ。
僕が機関車を撮っていると、再び警報音。行き違いの列車が到着したらしい。その直後、機関車のエンジン音が響く。僕は急いでマヤの後方に周った。
そして、闇夜の坂ノ市駅にやってきた見慣れぬ訪問者を無事に撮影することが出来た。マヤは坂ノ市駅に別れを告げ、再び計測の任務に戻る。ゆっくりとした速さで走り去っていくマヤ。
さようなら、また会う日まで。末永く活躍してほしいものだ。

END

2014年12月16日火曜日

鉄道撮影in久保上野踏切(H26.12.14)

・鉄道撮影in久保上野踏切

 この久保上野踏切という場所では、上り下りの多くの列車を撮影できる。その事を僕がネットで知ったのはつい最近のことだ。早速行こうと思ったが天候が優れず、延ばし延ばしとなっていた。そして14日、遂に”曇時々晴”という予報が出た。これはチャンス、と思い現場へ向かった。そう、あの列車を撮るために…。



今年は、曇が多い。僕がそう思うのも当然のことだろう、と自分で思う。夏、18きっぷを使う為に晴れ予報が出るまで粘っていたら夏休みも残り3日というところまで来てしまい、夏雨に服を濡らされながら旅に出掛けた。そういうとても苦い経験がある僕にとって、14日の晴れ予報はまさに好機だった。理由は、冬の18きっぷの使用期間に突入しているからだ。
僕が意気揚々と旅支度をしていると、母親の口から衝撃的な事実が言い放たれた。「14日、あんた朝歯医者よ。」



僕がこの時ほど日頃の歯の衛生の大切さを知った時は無いだろう。仕方なく僕は旅を取りやめ、しぶしぶ歯医者に向かった。しかし、せっかくの晴天をふいにするわけにもいくまい、と考えて昼から友達との約束を取り付けた。が、思いがけず歯医者が短時間で終わってしまい、友達との約束の時間まで時間を持て余してしまった。これは、あそこに行くしかあるまい。僕は一眼をリュックサックに突っ込み、自転車に飛び乗って国道を駆け抜け、鉄道撮影に向かった。

僕が向かったのは、前々から気になっていた近場の撮影地、久保上野踏切である。『お立ち台通信』に載っていたといえば、分り易いかもしれないが、電柱が無くて架線の支柱も片側にしか無く、視界も開けていて近場の撮影地としてはもってこいの場所であった。天気は上々で、歯医者があったことが大変悔やまれるが今そう気にしても仕方ない。鉄道撮影に集中することにする。いざ着いてみると、視界がとても広く想像以上の世界がそこにあった。踏切といえど車の通りは少なく、1時間に5台程度のものである。あぁ、早く良い光線のあの列車が撮りたい。


僕がこの撮影地に来たのは単なる思いつきだけ、という理由だけでは無い。昼下がりの時間帯にこの場所を走り抜ける国鉄車、415系を撮影するためであった。先週別の場所で14時から3時間粘っても下りしか通らず、逆光で涙をのんだ415系が、12時すぎではあるものの午後に、上りで通るという。この情報をネットで嗅ぎつけた時には体の内側から湧いてくる”早く撮らねばオーラ”を押さえつけるのに必死だった、同様の経験は、貨物列車4075レが銀釜運用だということを知った時にもある。つまりは、415系が撮りたくてここに来たのである。


415系といえば、僕の中でまっ先に思いつくものは『国鉄』という二文字であり、その言葉にはとても浪漫を感じる。昭和から平成へ、時代はめまぐるしく変わっていった。それを肌で感じることが出来なかった平成生まれの自分にとって、その415系は昭和の香り、激動の時代を走ることで伝えてくれた大切な存在である…。
そんな事を考えていると、突如踏切の警報機が鳴り出した。すぐさまカメラを構え、撮影体勢をとる。これだけ415系について考えていたのだから、念が通じて415系が来てくれるはず!すると、カーブから赤い車両が2両編成で駆け抜けてきた。おや?
過ぎ去っていったのは平成の車両815系である。僕はこれにも少し思い入れがあるのだが、あまりによく見かけるのでありがたみが薄れてしまった。そうやって何回も「これは415や!来い!」と言っては815系が過ぎ去って行き、どんどんありがたみが薄れていくという体験をしていると、815系じゃない車両が現れた。といっても415系ではなく、特急車両783系であった。あまり思い入れが無い。これの車内で食った弁当がクソ不味かった、くらいである。そうこうしていると再び特急車両が。こちらは787系である。格好良くて好きだが、これまた特に思い入れが無い。
そして時間は経ち、とうとう彼が姿を表した。
カーブを曲がり、陸橋をくぐって僕の目の前に姿を見せたのは、正真正銘あの415系であった。ファインダーの視界が揺れていた。僕の左手が震えていたからである。彼は大分までもう一息、といった具合のスピードで、瞬く間に目の前に迫ってきた。僕は、シャッターを切った。

後から見たら「おい、逆光じゃねぇか!」という突っ込みどころ満載な想定外な事態が起きていたこの写真であるが、その時の僕は目の前を走り去り再びカーブを曲がっていく彼の姿に目を奪われていて、逆光だったことなど気付かずに、順光な彼の後ろ姿を眺めていた。その姿はさながら人々の記憶から去っていく昭和の時代のようであった。


その後は友人宅へ行ったが、それはまた別の話で。

今回は少し編成を変えてみましたがいかがなものか。
ブログ自体のレイアウトも少し変更し、右上にTwitterを付けてみた。どうかな。
最近は、また次の話でも書きますが、大分県の交通を調べてます。乞うご期待。

END

2014年12月13日土曜日

杉河内駅(久大本線)

杉河内駅探訪記
2014.08.21


杉河内駅は、天ヶ瀬駅よりひとつ大分側にある駅である。が、周りには人家が少なく、2012年度の1日の平均乗客数は11人だという。当然、無人駅である。
駅名票で注目すべき点は、まず自治体名が平成の大合併以前のモノ、大分県天ヶ瀬町になっているということと、その下の部分の空白である。
その空白に、他の駅名票ならなんらかの名所の絵が描かれている。杉河内駅にも、後述するように周辺に有名な滝があるのだし、それを描けば良いと思うのだが…。忘れ去られているのだろうか。


ホームは単式ホーム一面一線で、斜面にへばりつくような構造となっているため、大変狭くなっている。待合室もある(屋根が出っ張ってる部分)が、汚い。僕が訪れた際、警報機が鳴り始めたと思ったら特急ゆふが駆け抜けていった。その時の風圧は忘れられない。駅が狭いため、凄い。すさまじい。

今書いたように、警報機が有り列車の通過や停車を知らせてくれる。が、それ以外の"音"といえば、小鳥の囀りと蝉の声、そして駅前を通っている国道210号のトラックの走行音くらいのものである。


駅から駅前を眺めることも容易に可能だ。駅前には立派そうなホテルと、民家が存在するが、果たしてこのホテルを使う者がいるのだろうか…。駅のそばの滝といえど、小規模だから泊まるほどのものでもない…。どうなんだろう。


杉河内駅駅舎。風化していて、中で虫を見かけることも容易に可能だ。
杉河内小学校美術館という物があるのだが、肝心の掲示が無い。調べた所、杉河内小学校は平成25年3月に休校となったそうだ。自然の中の美しい校舎に、収穫祭があるなど、とても風情あるどこかのエロゲの舞台にありそうな設定の学校だったそうなので、誠に残念だ。もう二度と、この美術館に作品が掲示されることは無いのだろう…。


これが噂の、駅から東に100m地点にある滝『慈恩の滝』である。決して、宇宙世紀の滝では無い。
写真には写っていないが2段構造となっており、多くの観光客が訪れている。
僕が実際に行った際も、観光バスが数台止まっていたりと、多くの人で賑わっていた。


これは駅につながるスロープの途中にある杉河内駅建設記念碑である。
衆議院議員によるものだ。
期待されて造られたのであろうが、今では人影もまばらである…。


国道210号から杉河内駅。急斜面にあるのがわかる。


駅から少し歩くと、こんな風景がある。是非行って、見て欲しい。

以上、杉河内駅の紹介でした。

2014年12月12日金曜日

SL『C5553』を詳しく

先日(H26/12/07)に大分市街地の若草公園に静態保存してあるSLを見学しに行ってきました。



これが例のSLである。プレートには、『C55 53』と書かれているが、実はこの車体は『C55 46』という車体である。では、何故プレートと車体が一致していないのか。不思議だ。
推測であるが、かつて、SLの静態保存が盛んだった頃、大分市でもここ若草公園にSLを置こうという話になった。大分市は大分機関区に新製配置されたSL『C55 53』を国鉄に希望した。しかし、『C55 53』は既に解体(?)されていた。なので、まだ解体されていなかった『C55 46』の車体のプレートを『C55 53』のそれと入れ替え、『C55 53』として大分市に貸与した。あくまで推測である。
というのが顛末らしい。大分市はあくまで地元に拘ったわけだ。
というわけで、考え方としてはあくまでこの車両は『C55 53』
現役の時は『C55 46』だった、と考えるのが良いだろう。
ところで、SLって何の略だろう。分かるかな?

正解は、Steam Locomotive. 蒸気機関車のことだ。スチーム・ロコモーティブ。
Steam…煙 Locomotive…動くモノ
という意味を当て、『汽車』という言葉を作ったようだ。
つまり何が言いたいかというと、SL蒸気機関車というのは『頭痛が痛い』というのと同義である、ということだ。


顔を撮る。子供が上へ上がるのを防止するフェンスが物々しく、幼いころの僕は「このゴツイのもSLの一部なんだ」と勘違いして学習したので、未だにフェンスのない普通のSLにどこか物足りなさを覚えてしまう…。


サイドにあるナンバープレート。こちらもしっかりとC55 53である。また、右端にちらりと写っているモノ、製造銘板もC55 53に付け替えてある。

側面には武者返しの如きフェンスがついている。邪魔だな、と思うこともあるが、周りに子供がたくさんいる公園なので、やむを得ない感が否めない。



背後から。もちろんここもC55 53である。梯子のような部分に、厳重にフェンスが付けられている。子供の好奇心には凄まじい物があるのだなぁ。



運転台に入ることも出来る。中には、ベンチが取り付けられており子供がいじりまくりそうな物も用意されている。蒸気機関車はアナログなメージがあるが、立派なメカである、ということを思い出させられる。
しかし、やけに落書きが目立つ。残念だ…。


天井も取り付けられ、良好な保存状態である。…落書き以外は。では、この車両の歴史を振り返ってみよう。

C55 46(車体のほう)は、1937年2月に川崎重工兵庫工場で造られる。その後、2月23日に梅小路機関区で使用開始。45年に大分機関区に転属され、15年あまりを大分で過ごす。C55 46も大分で時を過ごていたのだ。 その後は若松機関区へ転属され、全検を受け休車。72年には、若草公園にC55 53 として保存されることになったのだ。

C55 53(大分で頑張ったほう)は、37年3月に三菱重工業神戸造船所で造られた後、早速九州で使われる。鳥栖で8年ほど過ごした後、45年、C55 46と同時に大分機関区へ転属。56年に追加装備をされた後、64年に宮崎に転属。若松に転属し、71年8月17日に廃車となった。市は、一歩遅かった…。
どちらも、ここ大分の地で活躍してくれたようだ。


今日も公園には多くの子供達が訪れ、楽しく遊んでいる。
公園に保存されている数多のこうした老後の列車達は、今日もそれを陰ながら、見守っている。

                             END

SLといえば、久大本線にSLを計画
SPA LINEとかいって活動を進めているらしいです。期待して待ちましょうか。それでは。

追記 28/07/30
非常にどうでも良いですが、ポケストップになってます。

2014年12月9日火曜日

宗太郎駅(日豊本線)

令和4年追記
この記事は私が中学2年生の頃、2014年に書いたものです。現在とは異なる記述もありますから、ご了承ください。
それにしても、中学2年で一人宗太郎に向かう過去の自分は、なかなか見上げたものだなと思います。



宗太郎駅探訪記
平成26年8月30日

※27年度探訪はこちら

8月30日、僕は夏休みの宿題に追われながらも、それを振りきって旅に出た。
夏休みギリギリになってしまったが、憧れの地、大分県最南端の秘境駅・宗太郎駅に降り立つ為だ。

宗太郎駅がある日豊本線の佐伯-延岡間は、輸送人員が少なく、1日に普通列車は3往復しか無いのは鉄道ファンの間では知られた話だろう。更に、今では2両編成ではコストパフォーマンスが悪すぎるとして、わざわざ大分の車両センタから気動車220系を持ってきて、1両編成でこの区間を走らせている。気動車が電化区間を通るというのは、初めて知った時はいささか驚いた。
また、その3往復がある時間帯も、通勤需要に合わせた朝1本夜2本といった感じで、朝の1本を逃すとそのまま10時間待つことになる。

そんなわけで大分市郊外に住む僕はその朝の列車に間に合う筈もなく(仮に間に合ったとして10時間そこで何をするかという話だが)日豊本線をのんびりと南下し、16時に佐伯駅に到着した。
17時14分にここから発車する宗太郎峠越え運用の南延岡行きに乗るために。
ふと視線を奥のホームに移すと、奴はそこに居た。

例の220系である。真っ赤なボディを輝かせながら、出発の時を待っている。
220系は1両で、前後に運転台が付いていることからこの峠越え運用に適している、と判断されたのであろう。大分車両センタからこんなところまで、毎日ご苦労様だ。

さて、佐伯駅でのんびりしていると、ハイパーサルーン783系が鹿児島方面に発車していった。実は峠越えの列車は、普通列車こそ3往復であるが、特急列車でなら1時間に1本『にちりん』が運行している。流石特急至上主義のJR九州…とか言いたいところだが需要もクソも無い昼の運行をするのは古今東西どこの鉄道会社を探しても見つからないだろう。

その時、奥で発車を今か今かと待つ220系のドアーが開いた。全面のLEDの運行表示を見ると、きちんと『南延岡行き』と表示されている。この時僕はさっきの文句を綺麗に忘れ、こんな需要のない区間にわざわざ気動車引っ張ってきて運行してくれてありがとう、JR九州様、などと考えていた。

17時14分、定時発車。佐伯駅に別れを告げる。
上岡駅を出るとすぐに田園風景が広がってくる。生憎の曇り空である。到着が雨は嫌だな、と思う。
その後更に車窓は山奥へと変化していき、直見、直川駅を通過し、重岡駅へ向かう。
すると突然列車が停車。動揺して車窓を見るが、駅ではない。ドアーも開かない。そう、これは信号停車だ。川原木信号場というらしい。元は駅だったのか?と思わせる構造で、あるいは本当にそうなのかもしれない。
佐伯行き普通列車とすれ違い、発車。その後も険しい山の鉄路が続く。暫くすると、重岡駅の姿が見えてくる。

重岡駅は映画「なごり雪」のロケも行われた駅である。もっとも、それに使われた趣ある駅舎は2006年に解体されたが。それでも宗太郎駅の隣駅であることから分かるようにかなりの山中の駅である。当初はこの駅始発の駅などもあったと散見されるが、現在では宗太郎駅同様3往復のみの運用となっている。駅舎が解体されたとはいえ、駅の趣はまだ健在である。今度本腰を入れて訪れたいところだ。

後から考えると重岡駅は宗太郎駅より、駅自体は若干広くて周りも開けている。あくまで宗太郎駅と比べた場合であるが…。
さて、列車…といっても列に連なっていないディーゼル単行だが、重岡駅を発車。ここから少し線路も険しくなり、無理して作られた感がある。
車両前方でかぶりつきで今か今かと到着を待っていると、同業者らしき人を数名車内に発見。まさか、降りるつもりじゃないだろうな…と不穏に思う。やはり、1人でのんびり楽しみたいものだから。


いよいよ宗太郎駅が見えてきた。そして、到着。駅に降り立つと数名もぞろぞろと降りてきた。驚いたが、すぐに真相が判明する。どうやら、特急行き違いで10分程度宗太郎駅に停車するらしいのだ。そして、彼等はその隙に降りただけのようだった。ならば、と思い僕は陰でおとなしくすることにした。どうせこの人達は10分で去る。だが、僕は今からこの山奥に2時間いるから、いいかな、と思ったからである。
783系にちりんが大分方面に走り去ると、彼等はぞろぞろ列車に戻っていき、列車が発車。僕は彼等を歩道橋の上で見送った後、駅の探索を始めた。

人の気配がしない。人家はいくつかあるのだが、気配をまったく感じない。駅にも電気設備の倉庫らしきものがある程度で、あとは圧倒的な静けさ…ひぐらしの鳴き声だけが響き渡る幻想的な空間がある。
駅の時刻表を確認すると、朝6時の始発を逃すと次の電車は17、18時であり、他の欄は空白だった。
驚きの白さだ。

幸いにも天気は持ち、まだ雨は降っていなかったため、少し駅前を見学する。すると、宗太郎駅のコミュニティバス・バス停なるものを発見。え、バスあるの?と思ってよく見ると、なんと事前予約が必要。
駅前を少し行くと国道10号が走っており、時たまトラックや乗用車が宗太郎駅に目もくれず走り抜ける。

駅の待合に戻っていると、池を発見。何やら、イモリ駅長なるものが生息しているらしい。是非ご挨拶を、と思ったが今は不在だったようだ。実に残念だ。

待合に座り、ゆっくりと駅ノートを記述し、読む。多くの旅人が訪れ、感激している様子がよくわかる。自分がその多くの中の一員に慣れたことに妙な満足感を覚える。

そうこうして駅ノートを2冊読み終える頃には、雨が降り出しており、周りも真っ暗であった。見えるものは、彼方に光る赤の信号機と、山奥を照らす灯、そして唯一のライフライン?である公衆電話のみ。後は、圧倒的な"闇"である。ひぐらしも鳴き止み、雨音のみが聞こえた。

ところで、宗太郎駅には構内にいくつも、絵や文章が書かれた”石”が置いてある。守り石神というらしい。そこには、イモリ駅長(と思われる)顔が書いてあり、そこに心が和む台詞が書いてある。
「全国の宗太郎さんようこそ」「あわてるな列車はそのうちやってくる」等など...。
また、駅ノートの裏表紙には宗太郎駅の楽しみ方が書いてある。ダイナミックな列車の通過を楽しむ、など。是非見て欲しい。


そろそろ、大分方面への終電が出る。1番ホームに行くと、そこにも守り石神が置いてある。『まだかな…』と不安そうな表情を浮かべる石神さん、可愛い。そうして不安になってきた頃、列車がやってくる。闇に佇む宗太郎駅に別れを告げる。


最後に宗太郎駅の守り石神の中で、一番気に入ったモノを紹介して終わろう。


「秘境駅なんにもないがなんかある」

2014年12月8日月曜日

鉄道撮影 26年12月7日

買ったばかりの一眼掛けて、行ってきました鉄道撮影。
今回は練習がてらなので、まぁ。

坂ノ市駅に入線する815系

着実に完成していく大分駅

市街中心部の若草公園に保存してあるSL
詳しくはまた後日

見かけたエアライナー

大分駅3番線にて
回送の415系Fo507編成

生涯現役

スナップ風
ゆふいんの森

特急ゆふの185系

かもめ

ここから坂ノ市駅
ハイパーサルーン

再び815系
良い色合いだー

亀川行き815系普通
4646M
東高校踏切にて
東高校とはとても離れている気がするが…

大分行き787系にちりん14号
5014M
東高校踏切付近
良い光線

臼杵行き下りを、後追いだけど撮影
結局日が沈むまで上りの415系運用は無かった…

大分行き787系にちりん16号
5016M
山本踏切付近
暗かったので明るさを加工しました。
あえて、枠をくぐってる感を出したかったのだけど
津波の看板が邪魔だな…。

佐伯行き815系普通
1637M
東高校踏切付近
曇で日没前だったので、またまた明るさ加工
晴れてたらそれなりに良い写真かな?


以上です。
18きっぷ、第1回は13日土曜日を予定してます。
14日に天気が良ければ撮影に行けるかも。

                              END