令和4年追記
この記事は私が中学2年生の頃、2014年に書いたものです。現在とは異なる記述もありますから、ご了承ください。
それにしても、中学2年で一人宗太郎に向かう過去の自分は、なかなか見上げたものだなと思います。
宗太郎駅探訪記
平成26年8月30日
※27年度探訪はこちら
8月30日、僕は夏休みの宿題に追われながらも、それを振りきって旅に出た。
夏休みギリギリになってしまったが、憧れの地、大分県最南端の秘境駅・宗太郎駅に降り立つ為だ。
宗太郎駅がある日豊本線の佐伯-延岡間は、輸送人員が少なく、1日に普通列車は3往復しか無いのは鉄道ファンの間では知られた話だろう。更に、今では2両編成ではコストパフォーマンスが悪すぎるとして、わざわざ大分の車両センタから気動車220系を持ってきて、1両編成でこの区間を走らせている。気動車が電化区間を通るというのは、初めて知った時はいささか驚いた。
また、その3往復がある時間帯も、通勤需要に合わせた朝1本夜2本といった感じで、朝の1本を逃すとそのまま10時間待つことになる。
そんなわけで大分市郊外に住む僕はその朝の列車に間に合う筈もなく(仮に間に合ったとして10時間そこで何をするかという話だが)日豊本線をのんびりと南下し、16時に佐伯駅に到着した。
17時14分にここから発車する宗太郎峠越え運用の南延岡行きに乗るために。
ふと視線を奥のホームに移すと、奴はそこに居た。
例の220系である。真っ赤なボディを輝かせながら、出発の時を待っている。
220系は1両で、前後に運転台が付いていることからこの峠越え運用に適している、と判断されたのであろう。大分車両センタからこんなところまで、毎日ご苦労様だ。
さて、佐伯駅でのんびりしていると、ハイパーサルーン783系が鹿児島方面に発車していった。実は峠越えの列車は、普通列車こそ3往復であるが、特急列車でなら1時間に1本『にちりん』が運行している。流石特急至上主義のJR九州…とか言いたいところだが需要もクソも無い昼の運行をするのは古今東西どこの鉄道会社を探しても見つからないだろう。
その時、奥で発車を今か今かと待つ220系のドアーが開いた。全面のLEDの運行表示を見ると、きちんと『南延岡行き』と表示されている。この時僕はさっきの文句を綺麗に忘れ、こんな需要のない区間にわざわざ気動車引っ張ってきて運行してくれてありがとう、JR九州様、などと考えていた。
17時14分、定時発車。佐伯駅に別れを告げる。
上岡駅を出るとすぐに田園風景が広がってくる。生憎の曇り空である。到着が雨は嫌だな、と思う。
その後更に車窓は山奥へと変化していき、直見、直川駅を通過し、重岡駅へ向かう。
すると突然列車が停車。動揺して車窓を見るが、駅ではない。ドアーも開かない。そう、これは信号停車だ。川原木信号場というらしい。元は駅だったのか?と思わせる構造で、あるいは本当にそうなのかもしれない。
佐伯行き普通列車とすれ違い、発車。その後も険しい山の鉄路が続く。暫くすると、重岡駅の姿が見えてくる。
重岡駅は映画「なごり雪」のロケも行われた駅である。もっとも、それに使われた趣ある駅舎は2006年に解体されたが。それでも宗太郎駅の隣駅であることから分かるようにかなりの山中の駅である。当初はこの駅始発の駅などもあったと散見されるが、現在では宗太郎駅同様3往復のみの運用となっている。駅舎が解体されたとはいえ、駅の趣はまだ健在である。今度本腰を入れて訪れたいところだ。
後から考えると重岡駅は宗太郎駅より、駅自体は若干広くて周りも開けている。あくまで宗太郎駅と比べた場合であるが…。
さて、列車…といっても列に連なっていないディーゼル単行だが、重岡駅を発車。ここから少し線路も険しくなり、無理して作られた感がある。
車両前方でかぶりつきで今か今かと到着を待っていると、同業者らしき人を数名車内に発見。まさか、降りるつもりじゃないだろうな…と不穏に思う。やはり、1人でのんびり楽しみたいものだから。
いよいよ宗太郎駅が見えてきた。そして、到着。駅に降り立つと数名もぞろぞろと降りてきた。驚いたが、すぐに真相が判明する。どうやら、特急行き違いで10分程度宗太郎駅に停車するらしいのだ。そして、彼等はその隙に降りただけのようだった。ならば、と思い僕は陰でおとなしくすることにした。どうせこの人達は10分で去る。だが、僕は今からこの山奥に2時間いるから、いいかな、と思ったからである。
783系にちりんが大分方面に走り去ると、彼等はぞろぞろ列車に戻っていき、列車が発車。僕は彼等を歩道橋の上で見送った後、駅の探索を始めた。
人の気配がしない。人家はいくつかあるのだが、気配をまったく感じない。駅にも電気設備の倉庫らしきものがある程度で、あとは圧倒的な静けさ…ひぐらしの鳴き声だけが響き渡る幻想的な空間がある。
駅の時刻表を確認すると、朝6時の始発を逃すと次の電車は17、18時であり、他の欄は空白だった。
驚きの白さだ。
幸いにも天気は持ち、まだ雨は降っていなかったため、少し駅前を見学する。すると、宗太郎駅のコミュニティバス・バス停なるものを発見。え、バスあるの?と思ってよく見ると、なんと事前予約が必要。
駅前を少し行くと国道10号が走っており、時たまトラックや乗用車が宗太郎駅に目もくれず走り抜ける。
駅の待合に戻っていると、池を発見。何やら、イモリ駅長なるものが生息しているらしい。是非ご挨拶を、と思ったが今は不在だったようだ。実に残念だ。
待合に座り、ゆっくりと駅ノートを記述し、読む。多くの旅人が訪れ、感激している様子がよくわかる。自分がその多くの中の一員に慣れたことに妙な満足感を覚える。
そうこうして駅ノートを2冊読み終える頃には、雨が降り出しており、周りも真っ暗であった。見えるものは、彼方に光る赤の信号機と、山奥を照らす灯、そして唯一のライフライン?である公衆電話のみ。後は、圧倒的な"闇"である。ひぐらしも鳴き止み、雨音のみが聞こえた。
ところで、宗太郎駅には構内にいくつも、絵や文章が書かれた”石”が置いてある。守り石神というらしい。そこには、イモリ駅長(と思われる)顔が書いてあり、そこに心が和む台詞が書いてある。
「全国の宗太郎さんようこそ」「あわてるな列車はそのうちやってくる」等など...。
また、駅ノートの裏表紙には宗太郎駅の楽しみ方が書いてある。ダイナミックな列車の通過を楽しむ、など。是非見て欲しい。
そろそろ、大分方面への終電が出る。1番ホームに行くと、そこにも守り石神が置いてある。『まだかな…』と不安そうな表情を浮かべる石神さん、可愛い。そうして不安になってきた頃、列車がやってくる。闇に佇む宗太郎駅に別れを告げる。
最後に宗太郎駅の守り石神の中で、一番気に入ったモノを紹介して終わろう。
「秘境駅なんにもないがなんかある」