・鉄道撮影in久保上野踏切
この久保上野踏切という場所では、上り下りの多くの列車を撮影できる。その事を僕がネットで知ったのはつい最近のことだ。早速行こうと思ったが天候が優れず、延ばし延ばしとなっていた。そして14日、遂に”曇時々晴”という予報が出た。これはチャンス、と思い現場へ向かった。そう、あの列車を撮るために…。
今年は、曇が多い。僕がそう思うのも当然のことだろう、と自分で思う。夏、18きっぷを使う為に晴れ予報が出るまで粘っていたら夏休みも残り3日というところまで来てしまい、夏雨に服を濡らされながら旅に出掛けた。そういうとても苦い経験がある僕にとって、14日の晴れ予報はまさに好機だった。理由は、冬の18きっぷの使用期間に突入しているからだ。
僕が意気揚々と旅支度をしていると、母親の口から衝撃的な事実が言い放たれた。「14日、あんた朝歯医者よ。」
僕がこの時ほど日頃の歯の衛生の大切さを知った時は無いだろう。仕方なく僕は旅を取りやめ、しぶしぶ歯医者に向かった。しかし、せっかくの晴天をふいにするわけにもいくまい、と考えて昼から友達との約束を取り付けた。が、思いがけず歯医者が短時間で終わってしまい、友達との約束の時間まで時間を持て余してしまった。これは、あそこに行くしかあるまい。僕は一眼をリュックサックに突っ込み、自転車に飛び乗って国道を駆け抜け、鉄道撮影に向かった。
僕が向かったのは、前々から気になっていた近場の撮影地、久保上野踏切である。『お立ち台通信』に載っていたといえば、分り易いかもしれないが、電柱が無くて架線の支柱も片側にしか無く、視界も開けていて近場の撮影地としてはもってこいの場所であった。天気は上々で、歯医者があったことが大変悔やまれるが今そう気にしても仕方ない。鉄道撮影に集中することにする。いざ着いてみると、視界がとても広く想像以上の世界がそこにあった。踏切といえど車の通りは少なく、1時間に5台程度のものである。あぁ、早く良い光線のあの列車が撮りたい。
僕がこの撮影地に来たのは単なる思いつきだけ、という理由だけでは無い。昼下がりの時間帯にこの場所を走り抜ける国鉄車、415系を撮影するためであった。先週別の場所で14時から3時間粘っても下りしか通らず、逆光で涙をのんだ415系が、12時すぎではあるものの午後に、上りで通るという。この情報をネットで嗅ぎつけた時には体の内側から湧いてくる”早く撮らねばオーラ”を押さえつけるのに必死だった、同様の経験は、貨物列車4075レが銀釜運用だということを知った時にもある。つまりは、415系が撮りたくてここに来たのである。
415系といえば、僕の中でまっ先に思いつくものは『国鉄』という二文字であり、その言葉にはとても浪漫を感じる。昭和から平成へ、時代はめまぐるしく変わっていった。それを肌で感じることが出来なかった平成生まれの自分にとって、その415系は昭和の香り、激動の時代を走ることで伝えてくれた大切な存在である…。
そんな事を考えていると、突如踏切の警報機が鳴り出した。すぐさまカメラを構え、撮影体勢をとる。これだけ415系について考えていたのだから、念が通じて415系が来てくれるはず!すると、カーブから赤い車両が2両編成で駆け抜けてきた。おや?
過ぎ去っていったのは平成の車両815系である。僕はこれにも少し思い入れがあるのだが、あまりによく見かけるのでありがたみが薄れてしまった。そうやって何回も「これは415や!来い!」と言っては815系が過ぎ去って行き、どんどんありがたみが薄れていくという体験をしていると、815系じゃない車両が現れた。といっても415系ではなく、特急車両783系であった。あまり思い入れが無い。これの車内で食った弁当がクソ不味かった、くらいである。そうこうしていると再び特急車両が。こちらは787系である。格好良くて好きだが、これまた特に思い入れが無い。
そして時間は経ち、とうとう彼が姿を表した。
僕がこの時ほど日頃の歯の衛生の大切さを知った時は無いだろう。仕方なく僕は旅を取りやめ、しぶしぶ歯医者に向かった。しかし、せっかくの晴天をふいにするわけにもいくまい、と考えて昼から友達との約束を取り付けた。が、思いがけず歯医者が短時間で終わってしまい、友達との約束の時間まで時間を持て余してしまった。これは、あそこに行くしかあるまい。僕は一眼をリュックサックに突っ込み、自転車に飛び乗って国道を駆け抜け、鉄道撮影に向かった。
僕が向かったのは、前々から気になっていた近場の撮影地、久保上野踏切である。『お立ち台通信』に載っていたといえば、分り易いかもしれないが、電柱が無くて架線の支柱も片側にしか無く、視界も開けていて近場の撮影地としてはもってこいの場所であった。天気は上々で、歯医者があったことが大変悔やまれるが今そう気にしても仕方ない。鉄道撮影に集中することにする。いざ着いてみると、視界がとても広く想像以上の世界がそこにあった。踏切といえど車の通りは少なく、1時間に5台程度のものである。あぁ、早く良い光線のあの列車が撮りたい。
僕がこの撮影地に来たのは単なる思いつきだけ、という理由だけでは無い。昼下がりの時間帯にこの場所を走り抜ける国鉄車、415系を撮影するためであった。先週別の場所で14時から3時間粘っても下りしか通らず、逆光で涙をのんだ415系が、12時すぎではあるものの午後に、上りで通るという。この情報をネットで嗅ぎつけた時には体の内側から湧いてくる”早く撮らねばオーラ”を押さえつけるのに必死だった、同様の経験は、貨物列車4075レが銀釜運用だということを知った時にもある。つまりは、415系が撮りたくてここに来たのである。
415系といえば、僕の中でまっ先に思いつくものは『国鉄』という二文字であり、その言葉にはとても浪漫を感じる。昭和から平成へ、時代はめまぐるしく変わっていった。それを肌で感じることが出来なかった平成生まれの自分にとって、その415系は昭和の香り、激動の時代を走ることで伝えてくれた大切な存在である…。
そんな事を考えていると、突如踏切の警報機が鳴り出した。すぐさまカメラを構え、撮影体勢をとる。これだけ415系について考えていたのだから、念が通じて415系が来てくれるはず!すると、カーブから赤い車両が2両編成で駆け抜けてきた。おや?
過ぎ去っていったのは平成の車両815系である。僕はこれにも少し思い入れがあるのだが、あまりによく見かけるのでありがたみが薄れてしまった。そうやって何回も「これは415や!来い!」と言っては815系が過ぎ去って行き、どんどんありがたみが薄れていくという体験をしていると、815系じゃない車両が現れた。といっても415系ではなく、特急車両783系であった。あまり思い入れが無い。これの車内で食った弁当がクソ不味かった、くらいである。そうこうしていると再び特急車両が。こちらは787系である。格好良くて好きだが、これまた特に思い入れが無い。
そして時間は経ち、とうとう彼が姿を表した。
カーブを曲がり、陸橋をくぐって僕の目の前に姿を見せたのは、正真正銘あの415系であった。ファインダーの視界が揺れていた。僕の左手が震えていたからである。彼は大分までもう一息、といった具合のスピードで、瞬く間に目の前に迫ってきた。僕は、シャッターを切った。
後から見たら「おい、逆光じゃねぇか!」という突っ込みどころ満載な想定外な事態が起きていたこの写真であるが、その時の僕は目の前を走り去り再びカーブを曲がっていく彼の姿に目を奪われていて、逆光だったことなど気付かずに、順光な彼の後ろ姿を眺めていた。その姿はさながら人々の記憶から去っていく昭和の時代のようであった。
その後は友人宅へ行ったが、それはまた別の話で。
今回は少し編成を変えてみましたがいかがなものか。
ブログ自体のレイアウトも少し変更し、右上にTwitterを付けてみた。どうかな。
最近は、また次の話でも書きますが、大分県の交通を調べてます。乞うご期待。
END
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