これが例のSLである。プレートには、『C55 53』と書かれているが、実はこの車体は『C55 46』という車体である。では、何故プレートと車体が一致していないのか。不思議だ。
推測であるが、かつて、SLの静態保存が盛んだった頃、大分市でもここ若草公園にSLを置こうという話になった。大分市は大分機関区に新製配置されたSL『C55 53』を国鉄に希望した。しかし、『C55 53』は既に解体(?)されていた。なので、まだ解体されていなかった『C55 46』の車体のプレートを『C55 53』のそれと入れ替え、『C55 53』として大分市に貸与した。あくまで推測である。
というのが顛末らしい。大分市はあくまで地元に拘ったわけだ。
というわけで、考え方としてはあくまでこの車両は『C55 53』
現役の時は『C55 46』だった、と考えるのが良いだろう。
ところで、SLって何の略だろう。分かるかな?
正解は、Steam Locomotive. 蒸気機関車のことだ。スチーム・ロコモーティブ。
Steam…煙 Locomotive…動くモノ
という意味を当て、『汽車』という言葉を作ったようだ。
つまり何が言いたいかというと、SL蒸気機関車というのは『頭痛が痛い』というのと同義である、ということだ。
サイドにあるナンバープレート。こちらもしっかりとC55 53である。また、右端にちらりと写っているモノ、製造銘板もC55 53に付け替えてある。
背後から。もちろんここもC55 53である。梯子のような部分に、厳重にフェンスが付けられている。子供の好奇心には凄まじい物があるのだなぁ。
運転台に入ることも出来る。中には、ベンチが取り付けられており子供がいじりまくりそうな物も用意されている。蒸気機関車はアナログなメージがあるが、立派なメカである、ということを思い出させられる。
しかし、やけに落書きが目立つ。残念だ…。
天井も取り付けられ、良好な保存状態である。…落書き以外は。では、この車両の歴史を振り返ってみよう。
C55 46(車体のほう)は、1937年2月に川崎重工兵庫工場で造られる。その後、2月23日に梅小路機関区で使用開始。45年に大分機関区に転属され、15年あまりを大分で過ごす。C55 46も大分で時を過ごていたのだ。 その後は若松機関区へ転属され、全検を受け休車。72年には、若草公園にC55 53 として保存されることになったのだ。
C55 53(大分で頑張ったほう)は、37年3月に三菱重工業神戸造船所で造られた後、早速九州で使われる。鳥栖で8年ほど過ごした後、45年、C55 46と同時に大分機関区へ転属。56年に追加装備をされた後、64年に宮崎に転属。若松に転属し、71年8月17日に廃車となった。市は、一歩遅かった…。
どちらも、ここ大分の地で活躍してくれたようだ。
今日も公園には多くの子供達が訪れ、楽しく遊んでいる。
公園に保存されている数多のこうした老後の列車達は、今日もそれを陰ながら、見守っている。
END
SLといえば、久大本線にSLを計画
SPA LINEとかいって活動を進めているらしいです。期待して待ちましょうか。それでは。
追記 28/07/30
非常にどうでも良いですが、ポケストップになってます。
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