2022年5月20日金曜日

越境バス路線その3(熊本・宮崎方面の概要)


福岡方面の越境路線は各地に7路線と、賑やかなものであった。
翻って熊本・宮崎方面には僅かに1路線あるのみである。
その差異について考えるために、大分県境を挟んで位置する市町村について地図を作成した。
人口が多いほど赤が濃ゆく、少ないほど青が濃ゆい。色が薄いほど中位程度である、ということを意味する。また、市については市役所の所在地を◎で示した。市役所を人口集中地域と考えて差し支えない。
この図からは、次のようなことが言える。
・中津-豊前は非常に近接しており、越境バスが往来するのも納得できる。
・日田-うきは・朝倉もかなり近接しており、越境バスこそ少ないが久大本線の往来がある。越境バスが少ないのは、日田市の反対側に人口30万の久留米市がありそちらに吸引されるためであろう。
この観点からは、豊前市にとって中津市の反対側の大都市・行橋はかなり遠く中津と同規模なために、豊前市は中津市に引き寄せられることが分かる。
・熊本県小国地域は、産山村や玖珠町・九重町とともに濃青の人口希薄地帯を形成している。これでは国鉄宮原線の廃線もやむなしといったところだろう。日田市中心部とも遠い。
・竹田-阿蘇間は二桁国道たる国道57号が走っており一定の往来はありそうに思えたが、竹田市の中心は豊後大野側に寄っており、阿蘇市中心部との直線距離は25km程度ある。人口も少ないため、往来が少ない。
・宮崎県境について。県境隣接市町村の中心はいずれも県境の反対側に寄っており、県境地帯の九州山地が険しいことが分かる。延岡市の人口が12万もあることには驚いたが、佐伯市中心との直線距離は45kmもあり、往来が多いわけがない。

このような考察から、大分県境の地域別の特色が見えてくる。

唯一あるバス路線が、日田市を縦断して県境の杖立温泉まで行く日田バス杖立線である。杖立温泉にも着目した記事を書きたいと思う。

佐賀関鉄道その2(概略)

2015年、私が中学生の頃に、このブログで佐賀関鉄道について扱った。その記事がありがたいことに未だに読まれている。しかし中学生が作ったもので、全体的に雑だと感じる。そこで、改めて特集していきたいと思う。

日本鉱業佐賀関鉄道は、終戦直後の1946年から1963年まで運行していた全長9.2kmの、期間も長さも短い軽便鉄道である。

佐賀関とは、大分県東部に位置する人口2164(令和4年)の港町。関アジ・関サバが有名であると共に、旧日本鉱業佐賀関精錬所(現・JX金属)の企業城下町としても栄えた。これらは一見相反するように思える。つまり、海への環境被害などはないのだろうかという疑問である。無いから百年も続いているのだろうが。

場所から確認していく。


大分県南部はリアス海岸で、半島が多い地形である。その一番北の半島あたりが旧佐賀関町地域であり、佐賀関鉄道は北岸に沿って東西に走っていた。
国土地理院の航空写真を基に作成した概略図である。日豊本線とは幸崎駅で接続していた。
また、おおむね国道197号線と平行していた。
ちなみに、現在は大分市に合併された佐賀関町と大分市との旧市境は、日豊本線坂ノ市駅と幸崎駅の間にあった。つまり、この佐賀関鉄道は旧佐賀関町域で完結していたということである。

さて、今回は概略ということで、Wikiの記述を参照しても仕方ないので、ここではchakuwikiの記述を参照してみたいと思う。
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chakuwiki「大分の交通」(2022.5.17収録)

1.戦後生まれの軽便鉄道。

・工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。

・佐賀関の精錬所に鉱石を陸路で運ぶ(絶たれにくい)ルートを確保し銅板などを安定的に供給できるようにする意図があった。

2.全駅の名称に「日鉱」が付けられていた。

・このうち他地域に同名の駅があったのは大平駅と金山駅だけなので何を意図していたかは謎。

3.当初は貨物オンリーだったが鉄道敷設法での予定線と重なることもあり旅客輸送も始まった。

・該当区間には戦前から省営バス→国鉄バスが走っていた。 

・日鉱社員の通勤に役立っていたのは言うまでもない。

4.この路線の女性車掌の制服は鉄道員としては異例の茶色。

5.廃止直前でもかなりの盛況だったという。

・軌間が1067mmならおそらくもう少し長生きしていたはず。

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2022年5月15日日曜日

越境バス路線その2(福岡方面の概要)


一部の世界では日進月歩に進化し続け、同時にそれらの恩恵に授かることなく、
これまでと然程変わらぬ既存の生活を続けるその他大勢の人々。
今我々は混沌とした世界、いわゆるカオスの状態に身を置いている。
未来なのに寂れた鉄工所、
宮崎作品に登場するシーンは決して空想だけの世界ではないのかも知れない。
それに近い世界がこの県道にはある。
( ORRの道路調査報告書『大分県道715号木田神崎線(1)』)

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一般に県境を跨ぐバス路線の数は少ないが、大分-福岡県境を越える路線は合計7路線もある。

さらにそれは以下の3方面に分類できる。

①豊前方面5路線

②彦山方面1路線

③浮羽方面1路線

順に概要を見ていきましょう。

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①豊前方面5路線

コミュニティバス豊前・中津線(豊前市役所-中津市民病院)

西友枝線・東上線(大平支所-イオンモール三光)上毛町コミュニティバス

唐原線(イオンモール三光経由)上毛町コミュニティバス

新吉富線(上毛町役場-イオンモール三光)上毛町コミュニティバス

築上東部乗合タクシー(大平支所-中津駅)



上図は私が簡単に作った地図。

5路線のうちの3路線は上毛町コミュニティバスであって、県境を越えるといっても、僅かに越えて『イオンモール三光』にお邪魔しているという程度のものだ。この地域におけるイオンモールの存在感や様態、他路線への接続などについては、各路線の記事で詳述するつもりだ。
コミュニティバスだからといって必ずしも市町村域を出られないわけではない、というのは妥当性があろう。ただそういう場合、上毛町は中津市にどのような話を通すことになるのだろうか。ちょっとだけ気になる。

他の2路線は、本格的な越境路線とみて良いだろう。
まずのコミュニティバス豊前・中津線は、豊前市・吉富町・中津市が共同運行する、かなり気合の入ったコミュニティバスだ。目的はもちろん、終着点から察する通り中津市民病院へのアクセスにある。周防灘に面する当地域は中津市を中心とする「定住自立圏」を構築しており、その事業の一環ということだ。一つ気になる点は、この路線バスに中津市がお金を出すメリットが見当たらない点である。新聞記事によれば約1000万円の事業費は通過する路線距離ごとに分担するようで、中津市も約400万円を負担しているようだ。中津市民の血税を使うわけだが、どんなメリットがあるのだろうか?定住自立圏がポイントだろうか。そういったことを、各路線記事で邪推していく。
もう一つはの筑上東部乗合タクシーだ。タクシーという名称だが、定時運行する形態のようで、対象とした。調べが済んでいないので何も言えないが、県境地域の福岡県側人口集中地域を貫いて、結局特急停車駅たる中津駅まで行くルートである。ところで、中津駅の一般的な『正面玄関』は南口のような印象がある。わざわざ北口まで行くのは吉富町地域を通過するためであり、こうした点に民間の『吉富タクシー』が運行するゆえの柔軟性を感じる。情報が少ないから、しっかり調べたいと思う。

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②彦山方面1路線

日田彦山線BRT
(西日本新聞2020年7月16日配信記事『JR日田彦山線、BRT延伸を決定 被災から3年、23年までに復旧』より転載)

2017年の九州北部豪雨で添田駅以南が被災し、添田-夜明間で全面運休が続いている。復旧の莫大な費用から、完全民営化したばかりのJR九州側はBRTでの復旧を打診、東峰村がゴネまくったが結局BRTを受け入れることとなった。2023年の開通が予定されている。
BRTを「越境バス路線」に含めるかどうかは迷うところだ。だが、以下3つの理由からバスとみなすこととした。
1 BRTはバス・ラピッド・トランジットの略であり、本来的にバスである。
2 JR九州が譲歩したBRT専用道案も宝珠山駅までであり、おそらく県境は国道212号線を越えるのではなかろうか。
3 別にバスとみなそうがそうでなかろうが結局特集することになるので、どちらでも良い。

記事の内容としては、日田彦山線の歴史(特に災害復旧の歴史)、BRTをめぐる交渉の記録、利用様態などだろうか。

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③浮羽方面1路線

神杉野線(コミュニティセンター-杷木)西鉄バス久留米
一番面白そうなのはこれだ。




福岡県朝倉市の杷木からうきは駅を経由し、福岡・大分県道106号でコミュニティセンター(前津江柚木)まで向かうバス路線。うきは市の後背地域を貫く。
『神杉野』は県境を越えて初めての大分県側バス停の名称だが、軽く調べた限り、バス停名称以外に神杉野という地名が見当たらなかった。
終点である柚木地域は日田市の中でも周囲から孤立した地域であり、県道の開通状況やこのバス路線に鑑みるに、ほとんど福岡県といってよいかもしれない。
路線の記事では、路線の歴史や利用状況、柚木地域の特色や県道の開通状況にも注目しておきたい。


参考:福岡大分r106の未開通区間

2022年5月5日木曜日

越境バス路線その1(概要)


当時は府県境をまたぐ路線も結構走っていたし、またいで走っていなくても、両側から来た路線同士が府県境付近でつながっていたということだ。ところが今、あらためて路線図などを眺めてみると、県境をまたぐ路線バスがかなりなくなっていることに気づく。1990年ごろにつながっていたのに今は途切れている県境は、たとえば福島県と栃木県の間、新潟県と富山県の間などである。

(東洋経済オンライン『路線バスの旅が、ほぼ流行らない根本原因』(2015))


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 高速バスは県境を軽く越え、大都市間を直結する。しかしながら、都道府県境を越える路線バスは少ない。つまり、県境地域におけるローカルな交通が、ハッキリとした境界に分断されているということだ。
まして、県境に限らず路線バスの利用者は減少し、廃止が相次ぐ時代だ。民間路線を代替するのは市町村の仕事となる。市町村の仕事になると、どうしても市町村境・県境でバスがくるっと回れ右をすることになる。本来は、越境の需要が相応にあるにも関わらず、である。

大分県においてもその事情は例外ではない。とはいえ、僅かではあるが県境を越えるバス路線はある。中には、県境を挟んだ市町村の共同による越境コミュニティバスもある。
この『越境バス路線』の記事では、そうしたバス路線に着目し、多少なりとも路線や地域の事情を考察していければと思う。
地域の事情については当該地域の県境道路を特集する際に大きく扱うので、今回は手薄になるかもしれない。ご容赦いただきたい。

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越境バス路線一覧

【福岡方面】

コミュニティバス豊前・中津線(豊前市役所-中津市民病院)

新吉富線(上毛町役場-イオンモール三光)上毛町コミュニティバス

西友枝線・東上線(大平支所-イオンモール三光)上毛町コミュニティバス

唐原線(イオンモール三光経由)上毛町コミュニティバス

築上東部乗合タクシー(大平支所-中津駅)

日田彦山線BRT

神杉野線(コミュニティセンター-杷木)西鉄バス久留米

(通過のみ)浮羽線 うきは市コミュニティバス

【熊本方面】

杖立線(日田バスターミナル-杖立)日田バス



2022年5月1日日曜日

県境考その2


県境を特集するにあたりその根源にあるものは
『県境地帯』という言葉から感じる、特有の魅力だと思う。
県庁や都市部から離れた山間地
どこか浮世離れした、不思議な雰囲気
そうしたイメージにアプローチするために
元々の興味である『県境』を利用している......
このように考えている。

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その1では以下のように『県境』概念を整理しました。

県境:道路、航路(港)、鉄路(駅)、島
準県境:海岸線、バス停

今回は、それを今後どのように特集していくか、目次のようなものを作りたいと思います。
その上で、大分の県境は話題が多くて嬉しいという話をします。

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まず、道路県境の約100ヶ所を踏破する記事です。1県境につき1,2記事書ければと。内容は、まず写真を充実させたいですね。写真は雄弁です。遠い未来に、自分の写真が県境研究における史料になれば良いな、という気持ちです。
他に、交通量など現況や県境(峠)の歴史、雑感などをまとめられればと。「県境地帯」に着目し、県境が地域に及ぼす影響や、県境を跨いだ地域交流を描写したいです。
また「そのルートは誰(どこの人、どういう目的を持った人)にとって有用であるか?」といった話をしていきたいですね。
後述する「バス路線」についても、その路線が通過する県境道路のページで扱おうかと思います。
要するに、自分が「国道n号線 走破記録」みたいな記事を開いた時に「こんなこと書いてあってほしいなぁ」と思っていることを、自分の手で作り上げるということです。Do It Myselfの精神ですね。自給自足?
何年くらいかかりますかね。5年を見ています。といっても、他の記事も同時並行しますから、もっとかかるだろうなぁ。ライフワークですね。

次に、「その他の県境」についての記事ですね。県境駅、県境港、県境島など。道路と同様に、利用目的などの考察も挟みつつやっていけたらと。

その次には、準県境ですね。ここまでくるともう誰も着いてこないんじゃないかな。
海岸線を県境線と見立て、その前進・後退を特集してみたい。流石に氷河期に遡るのはアレですが、江戸時代の干拓や昭和中期の埋め立てなんかは良いテーマだと思います。大分県領が拡大してるわけですからね。
あと、干拓や埋め立てについて、技術的なことも少しは学んで、妄想を逞しくしたいですね。周防灘沖の海岸は干潟とかありますし、すぐに干拓できそうじゃないですか?県領土拡大という大義(大義?)のために、真玉海岸の夕焼けには犠牲になってもらうかもしれません。別府湾も埋め立てしまえば、空港遠すぎ問題も全解決です(漁協激昂不可避)。
逆に、地球温暖化の影響も調べてみたいですね。将来的には日田に遷都でしょうか......。


名作シミュレーションゲーム"Civilization"
各文明が石炭・石油火力発電を進めると、水位が上昇する仕様
土地を守るには、多量の労働力を投じて防波堤を建造するしかない。
あるいは、放棄するか......。


バス路線は、県境を跨ぐ手段としては「道路」と同じなので準県境としています。しかし、「県境停留所」は面白い概念ですね。西鉄王国の植民地・日田市や熊本県小国町周辺はそれなりに越境路線がありそうです。中津方面も、後述する「未回収の大分」との間にバスがあるようです。県南はないですね。越境どころか、重岡止まりだったはずです。

さて、現代のものが終わったら、今度は歴史を辿っていきたいと思います。
まずは失われた越境交通の足跡を保存することです。記憶に新しいところでは、日田彦山線が鉄道としては廃止されることが決まりました。宿毛フェリーの休止も記憶に新しいです。古いところでは、小国まで乗り入れていた国鉄宮原線なんかもあります。大在-横須賀航路なんかも。
次に、本丸である大分県境確定の歴史を辿ります。県境に「なぜそこまでは大分県なんだ」と問いかける、孤高の営みですね。明治時代から小藩分立時代を経て、最終的に古代の令制国まで遡れたらと思います。

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本筋は以上ですが、他にも様々な特集をしてみたいと思っています。

・県境未確定地域
大分県には福岡・熊本と、県境が未確定の部分があります。なぜ未確定か?確定したらどうなるか?なるべく大分県が広めにできないか?

・東九州新幹線・豊予海峡ルート
大分百万県民の悲願である東九州新幹線や豊予海峡ルートの早期開通について、ただひたすらに滔々と綴ります。

その他、県境とは話は別ですが、道州制についての議論の紹介、豊後の藩の境界、肥後街道、邪馬台国大分説などをぼちぼち特集していけたらと思います。
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このような妄想をしています。まずは、道路県境踏破・豊予海峡ルートを5年くらいかけて、途中飽きつつぼちぼちやっていけたらなと思います。