県境を特集するにあたりその根源にあるものは
『県境地帯』という言葉から感じる、特有の魅力だと思う。
県庁や都市部から離れた山間地
どこか浮世離れした、不思議な雰囲気
そうしたイメージにアプローチするために
元々の興味である『県境』を利用している......
このように考えている。
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その1では以下のように『県境』概念を整理しました。
県境:道路、航路(港)、鉄路(駅)、島
準県境:海岸線、バス停
今回は、それを今後どのように特集していくか、目次のようなものを作りたいと思います。
その上で、大分の県境は話題が多くて嬉しいという話をします。
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まず、道路県境の約100ヶ所を踏破する記事です。1県境につき1,2記事書ければと。内容は、まず写真を充実させたいですね。写真は雄弁です。遠い未来に、自分の写真が県境研究における史料になれば良いな、という気持ちです。
他に、交通量など現況や県境(峠)の歴史、雑感などをまとめられればと。「県境地帯」に着目し、県境が地域に及ぼす影響や、県境を跨いだ地域交流を描写したいです。
また「そのルートは誰(どこの人、どういう目的を持った人)にとって有用であるか?」といった話をしていきたいですね。
後述する「バス路線」についても、その路線が通過する県境道路のページで扱おうかと思います。
要するに、自分が「国道n号線 走破記録」みたいな記事を開いた時に「こんなこと書いてあってほしいなぁ」と思っていることを、自分の手で作り上げるということです。Do It Myselfの精神ですね。自給自足?
何年くらいかかりますかね。5年を見ています。といっても、他の記事も同時並行しますから、もっとかかるだろうなぁ。ライフワークですね。
次に、「その他の県境」についての記事ですね。県境駅、県境港、県境島など。道路と同様に、利用目的などの考察も挟みつつやっていけたらと。
その次には、準県境ですね。ここまでくるともう誰も着いてこないんじゃないかな。
海岸線を県境線と見立て、その前進・後退を特集してみたい。流石に氷河期に遡るのはアレですが、江戸時代の干拓や昭和中期の埋め立てなんかは良いテーマだと思います。大分県領が拡大してるわけですからね。
あと、干拓や埋め立てについて、技術的なことも少しは学んで、妄想を逞しくしたいですね。周防灘沖の海岸は干潟とかありますし、すぐに干拓できそうじゃないですか?県領土拡大という大義(大義?)のために、真玉海岸の夕焼けには犠牲になってもらうかもしれません。別府湾も埋め立てしまえば、空港遠すぎ問題も全解決です(漁協激昂不可避)。
逆に、地球温暖化の影響も調べてみたいですね。将来的には日田に遷都でしょうか......。
名作シミュレーションゲーム"Civilization"
各文明が石炭・石油火力発電を進めると、水位が上昇する仕様
土地を守るには、多量の労働力を投じて防波堤を建造するしかない。
あるいは、放棄するか......。
さて、現代のものが終わったら、今度は歴史を辿っていきたいと思います。
まずは失われた越境交通の足跡を保存することです。記憶に新しいところでは、日田彦山線が鉄道としては廃止されることが決まりました。宿毛フェリーの休止も記憶に新しいです。古いところでは、小国まで乗り入れていた国鉄宮原線なんかもあります。大在-横須賀航路なんかも。
次に、本丸である大分県境確定の歴史を辿ります。県境に「なぜそこまでは大分県なんだ」と問いかける、孤高の営みですね。明治時代から小藩分立時代を経て、最終的に古代の令制国まで遡れたらと思います。
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本筋は以上ですが、他にも様々な特集をしてみたいと思っています。
・県境未確定地域
大分県には福岡・熊本と、県境が未確定の部分があります。なぜ未確定か?確定したらどうなるか?なるべく大分県が広めにできないか?
・東九州新幹線・豊予海峡ルート
大分百万県民の悲願である東九州新幹線や豊予海峡ルートの早期開通について、ただひたすらに滔々と綴ります。
その他、県境とは話は別ですが、道州制についての議論の紹介、豊後の藩の境界、肥後街道、邪馬台国大分説などをぼちぼち特集していけたらと思います。
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このような妄想をしています。まずは、道路県境踏破・豊予海峡ルートを5年くらいかけて、途中飽きつつぼちぼちやっていけたらなと思います。
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