2019年10月18日金曜日

豊清水駅(宗谷本線)

2017/12/29


宗谷本線の旅を計画する時は、天塩川温泉での一泊を目安に二日間で縦断する日程を計画することが多かった。本当は音威子府が丁度良いのだがあいにく泊まるところがありそうにないし、名寄では南過ぎる。そういうわけで宗谷本線1日目は天塩川温泉に泊まり、2日目の朝一番の列車で一旦南に下り、豊清水駅に降りた。
勿論僕がその日最初の客で、昨夜から降り積もった新雪を踏みしめた。周りを見渡して受けた印象は、山間の峠の駅、という感じだった。雪原の中に駅だけがぽつんと存在するケースは北海道に多々あるが、見通しが悪いパターンは少ない。旅の中で慣れた孤独感とはまた一味違う、世界との隔絶を感じた。
保線の方が二人ほど駅舎の詰所に居た。そういえば、釧路本線の新得駅で保線員が少ない人数で必死に雪かきをする姿を思い出す。今まで僕は北海道の冬が厳しいという事実やラッセル車が走ることまで知っていたが、それでも、雪が鉄路を阻むという単純な事実を意識してこなかったことに気付く。雪が鉄路を阻むなら除雪が必要で、除雪には保線員なりラッセル車なりで費用がかさむ。JR北海道の苦境の一端を実感として気付いた瞬間だった。
やや遅れてやってきた単行に乗り、さらに南に下った。



東六線駅(宗谷本線)

2017/12/27



網走地方の北浜駅で、茫漠そのもののオホーツク海を見ていた。荒涼とした大地を走る列車を見た時、もうこのくらいでいいかな、と思った。
次に降りるはずだった鱒浦駅を飛ばし、一気に旭川まで入ることにした。北見峠を越える列車は朝を逃すと次は夕方で、今判断するしかなかった。特別快速「きたみ」に乗り込み運行情報を確認すると、夕方の普通列車は荒天のため運休になっていた。まさに綱渡りの旅といったところか。
廃止で失われてしまった所謂「白滝シリーズ」を通過し、昼頃に石北本線を制覇して旭川に着いた。一息付く間も無く宗谷南線に乗り換える。列車は意外と混んでおり、宗谷南線の安泰を感じつつ前面展望が見える場所に立った。
予定を急遽変更したため、宿をとった旭川に19時頃には帰り着けるような駅を探した結果、東六線駅が手頃だということとなった。旭川からある程度近く、何と言っても名前が良い。これは開拓の歴史がある北海道独特の地名で、バス停にはこの種の名前は多くあるが駅名となるとここがほぼ唯一ではなかろうか。

14時頃駅に着いた。当然ながら僕しか降りず、新雪を踏みしめる。駅舎はオンボロだが趣があり、中は暖かかった。周辺に人家は無く、遠くに集落が見えるのみ。
駅周辺の鉄路には鉄道林が卓越しており、盆地の強風の激しさが想像できる。近くの鉄道林に沿った道はかつて飯田線で歩いた道に似ており、季節は違えど感傷的な気分になった。
散策していると、急に小を催した。普通なら適当な草むらに立ちションをするところだが、如何せん積雪があり、九州育ちの人間にはどこですべきか分からない。色々考えた結果、雪を一部掘って小便器と見なすのが良かろうという考えに至った。早速実践、東六線駅は黄に染まった。
問題はここからである。図ったかのようなタイミングで、JR北の除雪隊が駅にやってきた。総勢20名は居ただろうか。即席トイレは隠してはあるが、掘り起こされてしまったら困る!僕は慌てて近くの集落の方まで逃げ出した。

愚行のうちに日は沈んだ。いくらかの通過列車の写真を撮っていると、雪が降り出した。駅舎に避難して暖を取りながら闇夜を舞う雪を見て、北海道を旅しているなぁ、と思った。

2019年10月17日木曜日

天塩川温泉駅(宗谷本線)

天塩川温泉探訪記
2019.12.28


高校2年の頃、年末の北海道を一人で旅した際にここを訪れた。ここに来る前は、北星駅で身も心も雪に閉じ込められそうになり、慌てて列車に乗り込んだ思い出がある。

雪が舞う夜だった。列車は遅れを取り戻そうと、僕が降りた瞬間にドアを閉め発車する。僕は夜独特の旅情を楽しみ、宿に行こうと駅を出た刹那、魅せられることになった。

踏切付属のオレンジ色のライトが闇の世界を切り取り、雪が降りしきる様子が可視化された。しんしんと雪が降る様はまるで無言のオーケストラのようで、遮断桿はさながら指揮棒か。
雪が降っていても、僕は構わず夢中でシャッターを切り続けた。
当時の僕には、その光景が何か、生の意味を知る手掛かりのように思えた。

天塩川温泉では、名の通り天高く雪が降る様を見ながら露天風呂を楽しんだ。最も良い温泉だ。



2019年10月15日火曜日

南幌延駅(宗谷本線)


2017.12.29



僕の青春のハイライト、北海道一周旅行。その終盤、宗谷本線の旅の中で南幌延駅を訪れた。安牛駅に降りた後、途中で特急列車を撮影しつつ南幌延まで歩いてきた。歩いた理由はごく単純、列車が無くて、歩けるくらいには近いからであった。
歩いてきた道には雪除けのシェルタがいくつも連なり、その壁の向こうにもこちらにも何もない世界が広がっていた。ただ貧相な鉄路があり、駅があり、僕がいるだけの世界。白い世界。そうした非日常の世界(重要なのは、その世界は誰かの日常である点だ)に身を委ね、自分を落とし込むために僕は旅をしている、と嬉しくなった。

南幌延駅周辺の散策も済ませたが、全然時間がある。駅ノートを読み、書いていよいよ万策尽きた。満を辞して、ホームやその周りで、初めての雪掻きをしてみた。ホームは誰かが事前にやってくれていたらしく比較的綺麗だったが、それでもなかなかの重労働で、仕事を終える頃には幾分疲れた。

そうしているうちに暗くなった。周囲は深い群青に染まり、踏切の灯りに雪が舞う光景のみが見える。先ほどの茫漠とした世界が一気に縮んでしまい、灯りの届く範囲だけが世界の全てのように感じられた。

もう一駅、上幌延駅に歩こうとするも、道は暗くて怖い。それは霊的な怖さでなく、後ろからやってくる車に自分が気付かれず跳ね飛ばされるやもしれぬという物理的な恐怖だった。

それでも仕方ないので歩いていたら、車が隣に止まる。何事かと思ったら、気の良いおじさんが車に乗せてくれるという。実は、前日も天塩川温泉駅から旅館まで雪の中歩いていたら通りすがりの車に助けてもらったのだ。そのおじさんの好意に感謝し乗せてもらい、ヒッチハイクは親指を立てるものではなく背中で示すものだなと考えながら、礼儀として今までの旅の話を披露した。それなりに喜んでもらえたと記憶しているが、どうだか。

上幌延駅で下ろしてもらったものの、なにせ極寒である。このまま一人で黙っていては死ぬと思い、最近よく話していた女友達にLINEで通話した。
結局、列車が40分遅れで到着する頃には僕の身体は凍えていたし、その女友達には学園祭の後に告白してフラれた。


 




下灘駅(予讃線)

下灘駅探訪記
2017.03.31



下灘駅に初めて訪れた時は、父と二人だった。テレビで見た駅に行ってみようと、大分からフェリーと電車で訪れたのだ。朝4時台のフェリーから空の朝焼く様が鮮烈に見え、父は船室で休んでいたが僕は高揚しずっと甲板にいたのを覚えている。列車に揺られ降りると、青い空に青い海が目前に広がる。父に写真を撮られながら、少年の僕は何を考えたのか、今ではもう覚えていない。帰りの船でアイスを食べ、疲れて寝たことだけが確たる記憶だ。今思えば、僕の秘境駅巡礼の根源はこの旅だったかもしれない。

それからもう一度友人と来た。防災無線の動画を撮るのが趣味の変な友人。中二の頃だ。友人は駅そのものより近くの防災無線に興味があって、二人で正午の「瀬戸の花嫁」のメロディを聴いた。

だから今回で訪れるのは3回目、同じ友人との瀬戸内海一周旅の初日だった。今日は初めて晴天ではなく、雨に降られた。初めのうちは下灘駅サイドも観光客に良いカッコを見せようと晴れさせてくれたが、3回目ともなるともはや気を遣われないようだ。雨は残念ではあったが、身内になれたような気がして悪い気はしない。

駅を一通り見物すると、僕は友人と別れて近くを散策に出た。(友人は防災無線を探していた。)西に暫く歩くと鉄道沿いに集落があって、もう暫く歩くと橋の下に船とレールが敷いてある基地があった。海へ続くレールを見て千と千尋的だなと思った。これが鉄道なら、さぞ楽しかろうと考えた。

その後友人と合流し、松山に出発した。
僕の生涯に渡る旅の起点で、節目ごとに訪れてきた下灘駅。最早、僕の成長アルバムのようだ。今後も定期的に訪れ、駅と共にこれまでの僕の人生を見てみたい。
旅の中で少年は青年になり、大人になる。