『大分県道路管内図』

 神保町に秦川堂書店という、古地図を専門とする古書店があります。地図が好きなので、色々漁ってきました。例えば、

1971年の『国鉄諮問委員会意見書(昭和45年12月)による線区区分図』

1925年(大正十四年)の東宮御成婚を記念した『日本全国分県地図其二十大分県』

などを入手したわけです。

『国鉄諮問委員会意見書(昭和45年12月)による線区区分図』より抜粋
我らが宮原線もバッチリ現役
高森線と日ノ影線の、お互い接続したさそうな感じも伝わってくる

そして、最もテンションが上がったのはこれでした。
1971年(昭和46年)大分県道路管内図(大分県土木部道路課)

「戦後の大分県の道路地図ないかな〜」と思いながら漁ってたらそのものがあったのでびっくりしました。
ネット上にはこの地図はないようです。
良い資料を手に入れました。今後ちょくちょく登場すると思います。

豊予海峡ルートその2(2022年東京シンポジウム)

令和4年5月30日に、大分市主催の豊予海峡シンポが東京で開催され、私も現地で参加させていただきました。話の要点や印象的だったことなどを、書いていきたいと思います。 

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会場は国会議事堂に近い永田町の「ザ・キャピトルホテル東急」大宴会場

・国会議員が多数参加したのは良いことだが、費用673万円は大きい。

 

主催は大分市。大分県、愛媛県、日本青年会議所、豊予海峡ルート推進協議会が後援。

・松山市の不参加が残念。豊予海峡ルートの現状の課題は、愛媛の東予・中予地方での認知度が低いこと。南予地方の20万人に膾炙しても意味が無い。(もちろん必須条件ではある。)地理的・人口的に、松山市での機運情勢が肝心。四国新幹線の機運が高まっている今、それと関連付け、あるいは道後と別府の交流を促すなどあの手この手を使い、松山で豊予海峡ルートの機運を醸成して欲しい。次回に期待。

 

開会挨拶

大分市長 佐藤樹一郎

 

来賓挨拶

衛藤征士郎先生(衆議院議員・大分2区)

・81歳とは思えぬ熱気。

・第二国土軸議員連盟?の会長らしいが、不詳。


衛藤晟一先生(参議院議員・全国比例)


安達澄先生(参議院議員・大分)


長谷川淳二先生(衆議院議員・愛媛4区)

・愛媛4区は南予地方。


山﨑正恭先生(衆議院議員・比例四国)

・選挙演説くらい熱を帯びた演説。

・国交大臣を輩出する公明党の議員として参加、とのこと。

・「衆議院議員465名のうち、四国選出の議員は17名しかいない!」

・割合は3.7%.一方四国の日本全体に占める人口の割合は2.9%であり、むしろ少し優遇されていると言えなくもない。

・ちなみに九州は51名(小選挙区31+比例20)いる。

・一年生議員らしく熱血で好感。

・不登校問題とインフラを関連付けており、面白かった。不登校問題の解決策としてそういった生徒を集めて適切な教育を施す学校を作ることが効果的であり、それは充分なインフラがあって実現するとのこと。特別支援教育などで既に言われていそうな議論ではある。


吉良州司先生(衆議院議員・大分1区)

・急遽参加し、挨拶だけして帰っていった。ゴリゴリ地元なのだから、しっかり参加して欲しかった。衛藤征士郎先生と選挙区入れ替えたら?


さらに、祝電を送ってきた議員も一人いた。

 

来賓紹介ののち、衛藤征士郎先生が発言。日本青年会議所に対して「年度テーマに豊予を入れろ」と陳情。大分市長にもなんか言ってた。

 

基調講演

『レジリエントな国土の創造を目指して』

講師:奥野信宏 名古屋都市センター長(前国土交通省国土審議会会長)

・レジリエントresilientは「弾力性のある」「柔軟な」といった意味で、豊予海峡ルートのキーワードである。が、僕が知らなかったくらいだから、誰も意味が分からないだろう。一般市民向けの講演・文書で使うべき言葉ではない。

・同様に、リダンダンシーredundancy「冗長性」も難しい。「あそび」とでも言えばよかろう。

・国土計画の一貫した基本理念「交流連携が新たな価値を生む」

・「豊予メガリージョン」という言葉は初めて聞いた。人口47万の大分市、50万の松山市に周辺自治体を加え、約100万の全く新たな経済圏ができることが魅力であるということだ。

・「豊予海峡を挟む両地域の古くからの関係」について深く研究すべきだと感じた。そもそも「豊予海峡を挟む両地域」に該当する名前がないのが問題だ。おそらく正確には「豊後水道を挟む両地域」について言っていると思う。「豊予地方」だと厳密には大分県・愛媛県全体を指すように思うが、これまで散々豊予海峡と言ってきたことだし、いっそ「豊予地方」で「豊後水道を挟む両地域」を指すようにゴリ押ししていく方が得策だと思う。

当ブログでは「豊予沿岸地方」という言葉を使っていく。そして、佐賀関・佐田岬半島を特に「海峡地域」と呼称する。


・面白かったのは、電話で喩えた情報通信技術の発達の話。

情報通信技術の進歩は、かえってヒト・モノの移動を促すという逆説があるらしい。

自分でこれを簡単に咀嚼しようと思う。今後テレワークが進み、東京人が大分に移住した場合を考えてみよう。テレワークだから、東京での通勤の移動はなくなる。が、月に一度の本社への出社で、大分-東京間の航空移動が往復一人分増える。妻や子供を連れて行けばもっと増える。また、その人がAmazonで注文すれば、東京では千葉の倉庫からすぐ着いたが、大分では福岡の倉庫から、あるいは千葉の倉庫からといったように、荷物の移動距離が延びる。また、ネットを通じて知り合いになった人と実際に会うことで、新しい移動が生まれる。こういったことを指摘したのではなかろうかと思う。

 

パネルディスカッション

「豊予海峡ルートが持つ意義」


大石久和 全日本建設技術協会会長/元国土交通省技監/第105代土木学会会長

・吠えまくっていた。

・とにかくインフラ整備をしないと国が亡ぶということでした。

 

金山洋一 富山大学都市デザイン学部都市政策支援ユニット長/都市・交通デザイン学科教授

・北陸新幹線との比較を通して、豊予ルートの効果を解説

・「関西の奥座敷」と呼ばれた北陸が、新幹線を通してむしろ関東と交流するようになった。

・移住者増加、出生率上昇、活気の向上

・ルート開通による金沢-東京の時間短縮と大分-大阪の時間短縮はほぼ同一、同様の効果が期待できる。

・大分-松山間の現行4時間から30分台への短縮は「まるでSF」

 

矢田部龍一 愛媛大学名誉教授/愛媛大学防災情報研究センター特命教授

・一番吠えていた

・四国での豪雨災害の例から、災害時リダンダンシーの確保としての豊予ルートを推進

・四国と東九州の利用価値の飛躍的な向上。私見だが、豊予海峡ルートにより、四国は本州にとっての「どん詰まりの半島」という立場から脱却できるということか。

・防災教育と絡めて「明治維新の志士」のような若者を作り上げ、20年後の世論を変える

 

橋本均 大分商工会議所/大分経済同友会/株式会社マリーンパレス代表取締役社長

・九州765万人の外国人観光客を、94万人しか外国人観光客の来ていない四国に送り込むことができる。関西に多い欧米系旅客が四国九州に行きやすくなる。

・道後別府湯布院という温泉のゴールデンルート

・豊予が実現する20〜30年後を想定し、新世代交通システムなど先のことも視野に入れた議論を進めるべき。←難しいことを言う

 

高門清彦 伊方町長

・佐田岬半島の付け根に伊方原発が位置する。万が一の事故の際、船やヘリコプターでの避難には限界がある。豊予ルートは「命の道」なのだ。

・但し、30年後にも原発が稼働しているかは分からないという留保付きではある。

・約40kmに亘って豊後水道に突き出した伊方町の大地は神の賜物である。残りの14kmは人間がなんとかしろと神は仰る。豊予ルートは使命なのだ!

・佐田岬半島がなければ、九州-四国ルートは約50kmのトンネルを掘らねばならず、実現がより遠のいていたであろう。また、神は14kmを人間に託したが、もし14kmも神が繋げていたとしたら、豊後水道の海上交通路としての価値は消え去り、豊予沿岸地方は寂れていたことだろう。そういう意味で、40km造って14kmを残した神様はかなりナイスであると言える。

 

佐藤樹一郎 大分市長

・特に何も言っていなかった。

 

最後に、衛藤征士郎先生再び乱入。国の予算に関わってきた立場から、豊予海峡ルートの実現には消費増税が不可欠であると、元も子もないことを言って終了。


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以下は感想。


・今回は「九州・四国全体」「日本全体」という単位での議論が多かった。逆に、「大分県・愛媛県」「大分市・松山市」「佐賀関・伊方町」といったローカルな単位でのメリットについて議論することで、地元での機運醸成につながると思うし、興味もある。地元での認知度9割を目指し、地元国会議員などの選挙の争点になるくらいの状況が欲しい。


・先述したが「豊予沿岸地方」の交流史に興味が湧いた。


・とにかく大分の人に「愛媛・四国に行きたい」、逆も然りと思ってもらうことが重要だ。


・現状では大分市の享受するメリットが強調されており、県全体の議論に繋がっていない。大分市の後背地として県内各地や南九州各県が受けるメリットを算定して議論を喚起すべき。



豊予海峡ルートその1(概要)

 

「今、この海を越えて潮騒に会いたい」
豊予海峡ルートの早期実現を!
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「豊予海峡ルート」は、大分県と愛媛県を隔てる約14キロメートルの豊予海峡に、道路や鉄道を、トンネルや橋梁で結ぶ計画である。

「日本のいわゆる「主要4島」のうち、近接していながらトンネルや橋が無いのは九州・四国間のみである。豊予地域を橋梁やトンネルで接続することは、新たな交流を生み、地域経済の活性化に繋がる。こうしたインフラ投資を加速させることが衰退する日本の未来を切り拓き、豊予海峡ルートがその象徴たるべきである。」
以上がこのブログの見解であり、豊予海峡ルートが繋がるその日まで更新し続けたい。

今回は概要ということで、周辺の地理やルートの経緯、参考文献など基本情報を示す。
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◯豊予海峡ルートのメリット
・大分47万と松山50万が繋がり、100万人規模の全く新たな経済圏ができる。
・大分が関西や関東と短距離で繋がり、経済発展に資する。
・四国が「行き止まり」ではなくなり、物流や周遊観光など新たな経済活動が生じる。
・大災害発生時において、関門海峡等の代替交通路としての機能を発揮できる。
・広域移動が可能な「住みやすい地方」が実現する。移住が促進される。
・新たな大規模土木事業を行うことで、日本の技術力の維持・向上が達成される。
・伊方原発災害時の佐田岬半島住民の避難経路が確保できる。
・新幹線の場合、大分から松山への移動が現在の238分から38分へと大幅に短縮される。
・新幹線の場合、厄介な並行在来線問題がほとんど存在しない。

◯読み方
豊予海峡:ほうよかいきょう
佐賀関:さがのせき
関崎:せきざき
佐田岬:さだみさき
伊予灘:いよなだ
伊方町:いかたちょう

◯地理

周辺の海はこのような名前となっている。
豊予海峡と豊後水道について、日本大百科全書を引用する。太字は筆者による。

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豊予海峡

瀬戸内海の南西部、愛媛県佐田岬と大分県佐賀関半島関崎との間の海峡。海峡間は約16キロメートル。速吸瀬戸ともいう。北の伊予灘と南の豊後水道の境界にあたるため豊予海峡という。関崎寄りに高島、牛島があり、この両島と佐田岬間の水深は最大地点で140メートルであるが、海峡の南北にはそれぞれ深度300~400メートルの二つの海釜がある。この海釜は付近の激しい潮流による侵食で形成されたものと考えられる。潮流の速さは漲潮時最大6ノット、逆潮時5ノットである。海峡は瀬戸内海と外洋を結ぶ主要航路にあたり、タンカー、フェリーなどの大型船舶の航行が多い。海峡一帯は穏顕岩礁や海食崖の景観に優れ、瀬戸内海国立公園域になっている。[深石一夫]

 

豊後水道

九州の豊後と四国の伊予を分かつ海域。北口は愛媛県佐田岬と大分県関崎の間の速吸瀬戸(豊予海峡)、南口は愛媛県高茂岬と大分県鶴御崎の間で、東西約50キロメートル、南北約40キロメートル。一般に深く、中央部で80~90メートル、速吸瀬戸南東方の海釜(深い窪地)は300メートルを超える。両岸は四国山地と九州山地が終わる所で、典型的なリアス式海岸をなし、岬と入り江が交互するなかに、東側に日振島、戸島、西側に高島、無垢島、保戸島、大入島、大島などの島々がある。入り江の奥には、東側に八幡浜、宇和島、西側に臼杵、津久見、佐伯などの都市が発達している。マグロ、カジキ、カツオ、イワシ、アジ、サバなどの外海性魚類、タイ、カレイ、ヒラメ、イカ、エビなどの内海性魚類、その他の水産動物が豊富で、水産業が盛んである。入り江では真珠、真珠母貝、ブリの養殖も盛ん。農業は、米作のほか、柑橘類栽培、牛・豚飼育が主である。[兼子俊一]


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なお、豊予海峡の距離について媒体ごとにブレがある。とりあえずGoogleマップの「距離測定」機能で測ってみたところ、以下のように、約13.5kmという数字を得た。約14kmという数字が妥当か。


◯ルートの経緯

1965年
ワイズマン報告で「第二東西道路構想」提案
1969年
新全国総合開発計画(九州四国連絡新幹線鉄道および九州四国連絡自動車道の建設構想が明記)
1973年
四国新幹線・東九州新幹線等が基本計画線に決定
1993年
県や経済団体なのでつくる豊予海峡ルート推進協議会が設立
1998年
21世紀の国土のグランドデザイン閣議決定/多軸型国土形成を提唱


〜2002年

6期24年に亘る平松県政において、豊予海峡ルートは大いに推進されていた。

平松氏は豊予海峡ルートの早期実現を再重点要望に掲げており、県は1995年度から2002年度までの間に調査費約2億7千万円・啓発費約1億2千万円をつぎ込んできた。

2003年

広瀬勝貞氏が大分県知事に初当選

就任会見で豊予海峡ルート構想の断念を表明

2008年

豊予海峡ルートを含む全国6つの「海峡横断プロジェクト」が凍結

2009年

民主党政権発足。「コンクリートから人へ」のもと公共事業削減

2012年

自民党が国土強靭化を訴え政権復帰

2013年

豊予海峡ルートを推進する「新国土軸九州・四国トンネル建設議員連盟」結成

2014年

広瀬知事が県議会で豊予海峡ルートの再検討を示唆

2015年

豊予海峡ルートを推進する佐藤樹一郎氏が大分市長に初当選

大分市が初めて豊予海峡ルートに予算計上

2016年

大分市が海底新幹線で約6800億円かかる試算を発表

2017年

国が2008年に凍結された「海峡横断プロジェクト」の調査を補助

2018年

大分市が豊予新幹線の黒字試算を発表

2022年

大分市が豊予海峡ルート費用について3900億円で可能と発表


2022年現在は、00年代に消えかけた火が勢いを取り戻している状況にある。
詳細な時系列は今後順次追加予定。

◯参考文献
大分市ホームページ「豊予海峡ルートに関する情報」
・「子どもたちに残す、強く新しい日本のために。豊予海峡ルート推進に関する論集」を作成しました。
・「大分市豊予海峡ルート調査業務【2016〜2020年度調査】」の結果についてお知らせします。

大分市以外はネット上に碌な情報が無い。
順次追加予定。

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このブログでは、豊予海峡ルートに関する新着情報・豊予地方の歴史・他地域との比較・現状などについて扱っていくつもりです。

越境バス路線その3(熊本・宮崎方面の概要)


福岡方面の越境路線は各地に7路線と、賑やかなものであった。
翻って熊本・宮崎方面には僅かに1路線あるのみである。
その差異について考えるために、大分県境を挟んで位置する市町村について地図を作成した。
人口が多いほど赤が濃ゆく、少ないほど青が濃ゆい。色が薄いほど中位程度である、ということを意味する。また、市については市役所の所在地を◎で示した。市役所を人口集中地域と考えて差し支えない。
この図からは、次のようなことが言える。
・中津-豊前は非常に近接しており、越境バスが往来するのも納得できる。
・日田-うきは・朝倉もかなり近接しており、越境バスこそ少ないが久大本線の往来がある。越境バスが少ないのは、日田市の反対側に人口30万の久留米市がありそちらに吸引されるためであろう。
この観点からは、豊前市にとって中津市の反対側の大都市・行橋はかなり遠く中津と同規模なために、豊前市は中津市に引き寄せられることが分かる。
・熊本県小国地域は、産山村や玖珠町・九重町とともに濃青の人口希薄地帯を形成している。これでは国鉄宮原線の廃線もやむなしといったところだろう。日田市中心部とも遠い。
・竹田-阿蘇間は二桁国道たる国道57号が走っており一定の往来はありそうに思えたが、竹田市の中心は豊後大野側に寄っており、阿蘇市中心部との直線距離は25km程度ある。人口も少ないため、往来が少ない。
・宮崎県境について。県境隣接市町村の中心はいずれも県境の反対側に寄っており、県境地帯の九州山地が険しいことが分かる。延岡市の人口が12万もあることには驚いたが、佐伯市中心との直線距離は45kmもあり、往来が多いわけがない。

このような考察から、大分県境の地域別の特色が見えてくる。

唯一あるバス路線が、日田市を縦断して県境の杖立温泉まで行く日田バス杖立線である。杖立温泉にも着目した記事を書きたいと思う。

佐賀関鉄道その2(概略)

2015年、私が中学生の頃に、このブログで佐賀関鉄道について扱った。その記事がありがたいことに未だに読まれている。しかし中学生が作ったもので、全体的に雑だと感じる。そこで、改めて特集していきたいと思う。

日本鉱業佐賀関鉄道は、終戦直後の1946年から1963年まで運行していた全長9.2kmの、期間も長さも短い軽便鉄道である。

佐賀関とは、大分県東部に位置する人口2164(令和4年)の港町。関アジ・関サバが有名であると共に、旧日本鉱業佐賀関精錬所(現・JX金属)の企業城下町としても栄えた。これらは一見相反するように思える。つまり、海への環境被害などはないのだろうかという疑問である。無いから百年も続いているのだろうが。

場所から確認していく。


大分県南部はリアス海岸で、半島が多い地形である。その一番北の半島あたりが旧佐賀関町地域であり、佐賀関鉄道は北岸に沿って東西に走っていた。
国土地理院の航空写真を基に作成した概略図である。日豊本線とは幸崎駅で接続していた。
また、おおむね国道197号線と平行していた。
ちなみに、現在は大分市に合併された佐賀関町と大分市との旧市境は、日豊本線坂ノ市駅と幸崎駅の間にあった。つまり、この佐賀関鉄道は旧佐賀関町域で完結していたということである。

さて、今回は概略ということで、Wikiの記述を参照しても仕方ないので、ここではchakuwikiの記述を参照してみたいと思う。
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chakuwiki「大分の交通」(2022.5.17収録)

1.戦後生まれの軽便鉄道。

・工事が始まったのは戦時中だが工事が終戦に間に合わなかった。

・佐賀関の精錬所に鉱石を陸路で運ぶ(絶たれにくい)ルートを確保し銅板などを安定的に供給できるようにする意図があった。

2.全駅の名称に「日鉱」が付けられていた。

・このうち他地域に同名の駅があったのは大平駅と金山駅だけなので何を意図していたかは謎。

3.当初は貨物オンリーだったが鉄道敷設法での予定線と重なることもあり旅客輸送も始まった。

・該当区間には戦前から省営バス→国鉄バスが走っていた。 

・日鉱社員の通勤に役立っていたのは言うまでもない。

4.この路線の女性車掌の制服は鉄道員としては異例の茶色。

5.廃止直前でもかなりの盛況だったという。

・軌間が1067mmならおそらくもう少し長生きしていたはず。

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