本郷を歩く・本郷二丁目

連作『本郷を歩く』第二回

本郷二丁目はこの区域。

左側は一丁目、右側は三丁目。壱岐坂で南北に分断されている。



本郷二丁目で最大の名所といえば、「かねやす」のビルだろう。江戸時代、この「かねやす」までが「江戸」だったという。その名残がビル一階のシャッターに遺されているのは、まあ風情がある。

東大生的には、この「本郷三丁目交差点」は、無数に通った「通学路」である。本郷三丁目駅とキャンパスが対角にあるので、信号を二回渡る必要があることがネックではある。東西方向に関しては、赤門前の信号を渡るというライフハックもあるけど。

ちなみにこの交差点は右折禁止。たまに強引に右折しようとして顰蹙を買っている車を見ることができる。目の前に交番があるのに、ようやるわと思う。

 

(丸の内線の)本郷三丁目駅は、実は本郷二丁目にあるんです!なんて、東大生には鉄板トークだろうか。この連載を始めた当初から、このネタは絶対書こうと決めていた。

筆者は丸の内線にしこたま乗っている。丸の内線を乗りこなせたら一等の都民になれるだろう、というのが持論。

ちなみに丸の内線本三駅は乗降人員がクッソ少なく、39382/日。メトロ全130駅中77位。これで少ない方なのか……(実家の最寄駅が約2000/日並の感想)。一応大江戸線との乗換駅にもかかわらず、単独駅の西新宿や茗荷谷より少ない。しかし、丸の内線と大江戸線は直通乗換ができないことに鑑みれば、実質単独駅と言っても良いかもしらん。

余談ながら、東京メトロで一番乗降客数が少ない駅は・・・南北線・西ケ原駅(8523/日)である。どこ?

 

本郷三丁目駅について、地下鉄サリン事件の舞台の一つであることを語りたい。

1995320日、霞ヶ関駅を経由する営団地下鉄の路線にサリンが撒かれたことは、説明するまでもない。

オウム真理教の幹部・横山真人。ホーリーネームはヴァジラ・ヴァッリィヤという。横山は丸の内線の5号車に乗り、四ツ谷駅で袋に穴を開け、サリンを散布した。穴の開け方が中途半端だったため横山の車両では死者は出なかったが、しかし死刑となり、執行もされている。

列車は四ツ谷駅から終点・池袋に到着した。惜しむらくは、なぜかこの際に遺留物確認が為されなかったことである。列車はサリンを積載したまま折り返すこととなった。

 

840分頃、後楽園駅発車後に乗客から異臭の申し出があった。843分、次駅に到着後、駅係員がサリンの入った袋を「ホウキとチリ取り」で車外に取り出す。その舞台が、本郷三丁目駅であった。

幸いにも、本郷三丁目駅での被害は比較的少なく、重傷者も出なかったらしい。サリンを屋外に置き、立入禁止区域を広くとったことが幸いしたという。筆者の通学路は歴史的事件の舞台であった。

 

そんな本三駅の近くにあるのが、このイタい看板。イタすぎて涙が出てくる。ヨギボーだけ用意することが面白いという感受性を恥ずかしげもなく開陳しているのが哀愁を誘う。松丸亮吾みたい。

でも、松丸亮吾が大衆に人気があることに鑑みれば、この哀しき看板も広告効果を発揮しているのかもしれない。東大生の中にも、これに感化される人もいるのかもしれない。

 

その向かい側には、翻って上品な喫茶店がある。

「こういうのでいいんだよ。」なんて言いながら、今まで一回も入ったことがない。そもそも筆者には喫茶店に入るという習慣がない。お金が勿体無いからだ。

この考え方は人生を損している可能性があることに最近気付いてきた。しかし、自分のライフスタイルを顧みて、喫茶店に入ることで効用が得られるタイミングというものが見当たらない。世の人々はそんなに出先で時間が空くことがあるのだろうか。

不思議で仕方ないが、ともかく、こういうのは向き不向きというものだ。得られる効用が小さい喫茶店にしゃぶりつくより、限界効用が逓減しない丸亀製麺に通った方が良いことだってあるのだ。

 

とは言いつつ、喫茶店は好きである。経営したいくらいだ。

客として行くのはどうも思わんが、経営はしたい。そういう感じの方が、案外向いているのかもしらん。

ともかく、せっかくこのブログを書いているのだから、行ってみることにした。公務員試験の勉強を頑張って良かったことに、限界効用の考え方を手に入れたことがある。高いコーヒーも、初回だったら限界効用が最大だから飲んでいられる、ということだ。

 

高いコーヒーとは書いたが、アメリカンは300円である。味の違いが分かるほどコーヒーを飲んでないのでアメリカンでもイタリアンでもいいのだが、ともかく副流煙まみれの地下喫茶店でほどよい時間を過ごした。看板に「名曲・珈琲」とある通り、クラシックが延々と流れていた。

 

肺がんのリスクを高めたところで、国道17号を南下する。写真は別の日になんとなく撮ったもの。ここのドトールは鰻の寝所で、中が非常に広い。ここの思い出といえば、そう、共通テストカンニング事件の時、オマヌケ東大生(21)として取材を受けたのがこのドトールだった。あの時は大変だった。いろんな新聞社やメディアからDMが届いたが、まあ、政治的スタンスがまともだと思っているので読売新聞の取材を受けた。箱根駅伝が好きだしね。

ドトールでは記者二人と色々話したが、その一人は昨年まで皇室担当で、小室圭のケツを追っかけ回していたと言っていた。それしか覚えていない。

 

近くにある松屋は、本郷二丁目所在にもかかわらず「本郷三丁目店」。ドトールもそう。

 

検索してみると、こんなに偽「本郷三丁目店」があった。写真右下が正式な「本郷三丁目」である。考えてみれば、「本郷三丁目交差点」だって、2・3・4丁目の境界上に位置するわけで、三丁目を名乗るのは不適当である。

なぜこんなに偽「本郷三丁目店」があるかといえば、当然ながら東京メトロの駅名がそれだからである。ではなぜそれがそうなのかといえば、都電時代にそう名乗っていたからだそうだ。「本郷駅」では少し広すぎるということか。

 

壱岐坂の交差点に、珍しい道路標識があった。青白が反転したものならよくあるけど、これは珍しい。都内にはまれにあるが、地方にはほとんど無い印象。これは『左折可』で、前方赤信号でも常時左折してよいことを示す。先般、車校(関東では「教習所」と呼ぶらしい)でペーパードライバー講習を受けた折、レア標識話に華が咲いたことを思い出す。

 

これはフクダ電子の本社。医療機器の製造販売を行う企業で、心電計とか、AEDとか。J2・ジェフユナイテッド市原・千葉の本拠地はフクダ電子アリーナである。

順天堂大学。順天堂といえば、箱根駅伝と医学部だろう。

箱根駅伝の成績は5118147。シード圏常連の強豪校と言えるだろう。2007年には往・復で優勝する完全優勝を成し遂げている。医学部の話は三丁目編で。

 

東京都水道歴史館。入場無料。そこそこ面白かったが、そこまで面白いわけではなかった。裏手には本郷給水所公苑という風光明媚な癒しスポットがある。この界隈は順天堂の医学部生が彷徨いているので、癪に障るがご愛嬌。

 

二丁目は以上。本三駅について喋りすぎたけど、まあよかろ。三丁目も踏破済みなのでお楽しみに〜

にわかファンの箱根駅伝観戦録

箱根駅伝。正月の風物詩。実家でゴロゴロしながら観るのが最高に心地良いのに、わざわざ早朝から追っかけて観戦してきた。せっかく東京に住んでいるし、何より父親がわざわざ東京に観にきたので、着いていってあげるしかなかった。

 

観戦ポイントは上記地図の5箇所。1区で2回観て、2〜4区で1回ずつ観られた。なんだかんだ、楽しんだ。

 

5:30 起床

親に叩き起こされた。箱根ファンの朝は早い。

大手町までの移動の間に、今年の箱根駅伝についての情報を仕入れる。立教が55年ぶりに出場とのこと。今年はMARCHが揃っている。駒澤は駅伝三冠が懸かっているらしい。父親は高卒のくせに駒澤のタオルを買っていた。従姉妹が青学なんだから、青学を応援すべきだった。

 

7:00 大手町到着

 

既に人が多い。各校がチアリーディングと応援団でパフォーマンスをしているので、しばし眺めて時間を潰す。

 

8:00 箱根駅伝発走

 

初めて生で観るので流石にドキドキする。日テレの中継車が邪魔で、1位の選手は直前まで見えないことを知った。

発走直後なので21選手が一団となっていて、当然ながら呆気なく通り過ぎる。「時間差がある分、復路の方が見応えあるのでは」と思ったが、口には出さない。

 

すぐに東京駅に移動する。同じことを考えている駅伝ファンが東京駅に向けて裏箱根駅伝を繰り広げていた。

 

8:10 東京駅出発

8:15 品川駅到着(JR東海道本線・168円)

8:20~ 選手通過

 

品川駅で京急に乗り換え、生麦を目指す、と思っていたら、駅の目の前がコースで、しかも選手がまだ来ていなかったので、慌てて観にいった。人が少なく、最前列で観れた。

学生連合の新田くんが大逃げをかけていることを知っていたので、なかなかアツくなった。1分ほどして20人の一団が通過した。新田くんのおかげで、品川で長く楽しめた。

東京→品川で選手を追い抜けるとは知らなかった。どうせ品川で京急に乗り換えるつもりだったから、余計な運賃がかからないのも良かった。

 

8:28 品川駅発車

8:52 生麦駅到着(京急本線・283円・京急川崎駅で対面乗換)

9:12~ 選手通過

 

次は花の2区。注目したのは専修大。ここを走る留学生キサイサは大分県・大分東明高校出身。

東明といえば偏差値県内2・3番手の私立高校。誇り高きトップ校・上野丘に通う筆者が病院で「(鼻水の色は)透明だよね?」と聞かれ「上野ですけど」と応えたエピソードはあまりにも有名。

ちなみにキサイサは経営学部らしい。力走するも、区間順位16位に沈んだ。まあまだ2年生!次があるさ!

ところで、専修大学ってどこにあるんだ……?

 

9:25 生麦駅発車

10:06 藤沢駅到着(京急本線・JR東海道本線・575円・横浜駅で乗換)

10:26~ 選手通過


3区。藤沢駅から1km弱歩いて、藤沢橋の近くで観戦。人が多かった。

この頃にはだいぶ馬群……もとい、人群もバラけていて、見応えがあった。この時点では中央大学がトップ通過。やや遅れて、青学と駒澤が揃って追っていた。3区は地味で、あまり印象にない。

 

10:51 藤沢駅発車

11:19 小田原駅到着(JR湘南新宿ライン特別快速・594円)

12:02~ 選手通過

 

4区。小田原駅からずいぶん歩いた。駅の西側に中継所があるが、そちらは人が多そうだったので、東側で観戦した。駅で係員が「東側に行け」と言っていたのも、ソ連のプロパガンダでなければそういうことだろう。

青学と駒澤が熾烈なデッドヒートを繰り広げ、中央が追走し、その後ろを最強留学生・ヴィンセントが爆速で追っていた。生で観れて嬉しい。

なぜか周りが立教大学の応援団だったが、駒澤大学のタオルも紫で色が似ていたので、なんとなく溶け込むことができた。

 

本当は箱根登山鉄道で芦ノ湖に行くという計画も父の頭にはあったようだが、流石に疲れたのでここで終了した。吉野家で大盛りを奢ってもらい、家まで小田急で2時間かけて帰った。小田原遠すぎ!

 

総括。

5回も観れて良かった。往路の序盤では選手が一瞬で通り過ぎるため「つまらない」人もいるかもしれないが、筆者は競馬観戦で「一瞬で通り過ぎる」ことに耐性があったので楽しめた。雰囲気を楽しむのが吉。

案外運賃がかかったのが想定外。JRは高い。帰りは小田急を使うが吉。

運営車が多く、選手の通過10分前にはそれをアナウンスする車も走るのが面白い。ちなみに運営車はトヨタの最新型が提供されているようなので、それを楽しむのも良かった。

沿道に住んでいる人が、テレビと見比べながら通過前にぞろぞろ出てくるのも観ていて羨ましく面白かった。ベランダから観ている家族もおり、良い正月だなあと思う。

今年は復路より往路の方が熾烈で面白かったのではないか。観戦体験のおかげで、今後箱根駅伝を観るのがますます面白くなるだろう。来年の100回大会が楽しみ。以上。

大宰府に残る「やんごとなき地名」

 『九州王朝説』という説がある。

Wikipediaによれば、

>九州王朝説は、7世紀末まで九州に日本を代表する王朝があり、太宰府がその首都であったとする説である。

邪馬台国から5世紀の「倭の五王」までを九州に比定する論者は、古くは鶴峰戊申から、太平洋戦争後では長沼賢海らがいる。古田武彦も九州の邪馬壹國(邪馬臺國)が倭国の前身であるとし、その後、九州に倭国が成立したが、天智天皇2年(663年)「白村江の戦い」の敗北により滅亡に向かったとしている。

 

もともとこの説は「九州ナショナリズム」(九州島こそ神聖な土地だ、福岡が日本の首都だ、いやいや大分が首都だ)に立脚するものではなく、「かつての日本列島には多元的に国家が存在していたかも」という話である。古田武彦氏はしっかり学術論文の形で世に問うており、『国史大辞典』の「天皇」の項にも反映されている。(下線は引用者による)

>『魏志』倭人伝にみえる「邪馬壹国」(多くの学者は「壹」を「臺」と意改している)の位置については、多年、畿内説と九州説とが対立していて、畿内説によれば、その女王卑弥呼は三世紀にすでに小政権連合の盟主となった畿内大和政権の首長とされるが、九州説によれば、まったく別の政権で、のちに大和政権に征服されたと考えるか、それが東に移って畿内政権となったと考えるか、その一分枝が東に移って畿内政権となり、本流はそのまま九州王朝としてのちのちまで存続したと考えるか、見解が多岐に分かれている。四世紀の倭の状況は中国の正史から窺えないが、『宋書』に五世紀の倭の五王、讃・珍(『晋書』では弥)・済・興・武が順次朝貢したとの記事があり、雄略までの記紀の天皇系譜と大体一致し、紀の紀年を修正すると年代もほぼ合うので、これによって仁徳以後は記紀の天皇系譜を信用するのが学界の大勢であるけれど、仁徳の父応神の実在を認めない説、応神以後は筑紫から畿内に侵入して河内王朝を建てた新しい権力者とする説などがあるほか、五王は畿内の王ではなく九州王朝の王とする説もあって、学説が多様に分かれている。

>[参考文献]

古田武彦『よみがえる九州王朝』(『角川選書』四〇)

 

しかしながら、まあこういう異端説には玉石混交に人が群がり、さらに九州ナショナリズムを刺激するということでもうめちゃくちゃになり、現在では学界からガン無視されている。

筆者も九州ナショナリズムに脳を侵されているので基本的には九州王朝説を支持したいが、しかし流石に問題点も多く見える。せっかく東大で日本史を勉強したのだから、多少は実証的な態度を持って取り組めたらと思う。

 

ところで、先述のWikipediaに次のような記述がある。

>太宰府には「紫宸殿」「内裏」「朱雀門」といった地名字(あざ)が遺存し、太宰府に「天子の居処」のあったことをうかがわせる。

 

「これ、本当?」というのが、本稿の主題である。

 

調べてみると、「大裏」という地名が出てくる。現地に行ってみた。

 

「大宰府」というと多くの人は「太宰府天満宮」の方を思い浮かべるだろうが、モノホンの大宰府は古代九州を統治した役所のことである。権限の大きさから「遠の朝廷」と呼ばれていた。

(ちなみに九州王朝説ではこの「遠の朝廷」という表現の「遠」とは距離ではなく時間であるとして、大宰府が「昔の朝廷」すなわち九州王朝の都だったとする「斬新な」主張を行なっている。こういう頭の体操、好きすぎる。)

 

その大宰府の建物が「大宰府政庁」であり、写真がその跡地である。筆者は卒業論文で藤原純友について扱ったが、その海賊・純友が焼き払ったのが大宰府政庁である。

ちなみに、古代史では宰府、普通は宰府と書く。宰府市HPによると

>一般には古代律令時代の役所、およびその遺跡に関するダザイフは「宰府」、中世以降の地名や天満宮については「宰府」と表記されるようになりました。現状では、行政的な表記もこれにならい、「宰府政庁跡」「宰府市」というように明確に使い分けています。

とのこと。

 

その宰府政庁跡の裏手に、小さな石碑がある。

 

これは、旧小字の地名が住居表示を行う際に失われるため、太宰府市が石標に刻んで建立したものだという。全国の市町村に見習って欲しい。

太宰府市の文化財情報にはこの石標について、次のようにある。

>住居表示により古い地名が失われるため、平成5(1993)8月に太宰府市が旧小字名を石標に刻して建立したもの。地名「大裏」は内裏、紫宸殿ともいわれ、天智天皇の内裏跡や安徳帝の行宮があった場所だという謂われが残っている。大宰府政庁の政庁域全体がこの地名である。

下線部は、「「大裏」は内裏や紫宸殿を意味するかもしれないぜ」くらいの意味であると、太宰府市文化財課に確かめた。つまり、Wikipediaがいう小字「紫宸殿」「内裏」が存在するという説は、「大裏」の解釈そのものを地名と誤解したものかもしれない。あるいは、太宰府市の書き方が悪いかも。

「大裏」はダイリと読む、と後述の「明治前期 全国村名小字調査書」にはある。北九州市門司区にも「大裏」という地名があり、それは目前の壇ノ浦に沈んだ安徳天皇の伝説に由来するという。「大裏」は確かに「内裏」に通ずる地名なのだ。

 

次に、「朱雀門」はどうだろうか。

 

「朱雀門」はないが、「朱雀」は政庁付近の大字名であり、今も住居表示に使われている。『角川日本地名大辞典』にも「朱雀」という項が当然あり、次のようにある。

>平成7年~現在の太宰府市の町名。1~6丁目がある。もとは太宰府市通古賀・南・太宰府の各一部。

 

御笠川を跨ぐ橋は「朱雀大橋」という。

 

さらに、政庁南側の道路は「朱雀大通り」という。

朱雀大路というのは律令制において、宮殿から南方に向かう道のこと。朱雀というのは南方の守護神。名探偵コナンにそういう話あったよね。

筑紫野市HPに大宰府版・朱雀大路について解説があったので引用。

筑紫野市「大宰府朱雀大路と湯大道[二日市西]

>大宰府政庁跡からまっすぐに南へのびる中央大路(朱雀大路)は、古代の都市計画の骨格ともいえるものですが、これまでの発掘調査で、その幅は35メートルから36メートル(平城京朱雀大路の約半分)であったことが判明しています。

筑紫野市役所の南に「湯大道」という南北に細長い小字名が残っていますが、これは朱雀大路から都城の南郭外へとつづく古代官道のなごりと考えられます。

平成22(2010)年に筑紫野市教育委員会が作成した『筑紫野市古地形図』によると、北流する鷺田川の河道が直線的にのびる場所が数ヶ所あり、朱雀大路の南延長線上に当たっています。現在は市街化してわかりにくくなりましたが、筑紫野市役所の西方を二日市温泉の方向へまっすぐにのびた道があった可能性があります。

 

他に、大宰府政庁周辺に「それっぽい」地名はなかろうか。これを探すべく、筆者は「明治前期 全国村名小字調査書」を大学図書館から拝借してきた。これは明治時代に各村に小字地名をまとめて提出させたもので、関東大震災で大部分が丸焼けになったが、九州など一部は災禍を免れて今に伝わっている。借りたのはそれを写したもの。東大の史料編纂所には原本が保存されているらしいが、流石に閲覧できないだろう。そもそも、史料編纂所図書館はクソ使い勝手が悪いから近寄りたくない。

 

ともかく、この本の福岡県・観世音寺村のものを書き写したのが以下になる。

 

朝日

御所ノ内ゴショウノウチ

露切ツユキリ

今道

堂?

土井ノ内

五反田

日吉

不丁ウチョウ

油田

大楠ヲヲクス

広丸

来木

蔵司

大裏ダイリ

筑山ツキヤマ

学業ガクコヲ

安?寺アンヲヲジ

住ヶ元

松ヶ浦

大浦谷

千代岳

今光寺

山ノ井

鼓石

丸石

東連寺

 

ぱっと見、「大裏」「蔵司」「御所ノ内」がいい感じ。朱雀がないのは、大字だからだろうと思う。

「大裏」は上で見た。

 

「蔵司」はくらづかさ=内蔵寮。太宰府政庁の西の丘陵で、ここにも小字の石碑が残っているが、気付いたのが現地巡検の後だった。

皇室関係の出納事務を担当する役所のこと。ただ、大宰府においても「蔵司」は皇室と関係なく存在していたようで、この地名は九州王朝説でキャッキャするよりもむしろ、大宰府蔵司のあった場所だと真面目に考えた方が良さそうである。

特別史跡『大宰府跡』・   地区の調査成果 ~大宰府史跡第236・245・246次調査~



「御所ノ内」はそのまんま。小字の地名なんて調べても分からないだろうとスルーして巡検を終えたが、この記事を書くに当たって一応ググってみると、なんとこの物件がヒットした。

 

「シャーメゾン御所ノ内」。そんなのもう皇居じゃん……住みたい……。シャーもペルシア語で「王」を意味することだし……。

 

そういうわけで、このシャーメゾン御所ノ内の周辺一帯が「御所ノ内」で、多分探せば石碑があるだろう。探したかったな〜。縁起が良い地名だと住宅メーカーが採用することで後世に残ることがある、という貴重な事例だとおもいました。

 

まとめ

「明治前期 全国村名小字調査書」にも無かったことから、Wikipediaの「太宰府には「紫宸殿」「内裏」「朱雀門」といった地名字(あざ)が遺存」するという表現は誤っている。「大裏」「朱雀」、「蔵司」「御所ノ内」で勝負しようぜ!

 

おまけ:水城



大井競馬に行ってきた【東京2歳優駿牝馬】

 全場制覇チャレンジ22.12.31

【中央】札幌/函館/福島/新潟/東京/中山/中京/京都/阪神/小倉7/10

【地方】帯広/門別/盛岡/水沢/浦和/船橋/大井←NEW/川崎/金沢/笠松/名古屋/園田/姫路/高知/佐賀(7/15

 

「東京にいるうちに、東京でしかできないことをしなさい。」

恩師の言葉を噛み締め、大晦日に大井競馬場に行ってきました。こういうことですよね?

 

大井競馬場。「TCK」なんて愛称で頑張っているが、全く浸透していないことでお馴染みの大井に、ようやく行く気になったのは年の瀬のこと。

本当は東京大賞典に行くはずだったのだが、その前日にホープフルステークスでタコ負けしたので、行く気をなくして引きこもった。本来的に、ギャンブル向いてない、ケチ。

競馬に向いていないくせに、競馬場全場制覇なんてやっているものだから困ったもの。ともかく、全場制覇に当たって、東京に住むうちに南関競馬は全部行っておきたい。そして、この宿題を2023年に残したくない。それに、大晦日に競馬場なんて「乙」じゃん?ということで行った。

 

浦和、船橋、川崎と3場は行ったが、なかなか大井には行く気になれない。筆者は池袋に住んでいるので、同じ東京のくせに遠い。なに?池袋は埼玉だ?はいはい

池袋から丸の内線で東京駅、そこからJRで大井町駅へ、そして無料バスに乗るというのが最安ルートだったので、これに乗った。昔はちょっとした電車賃なんて気にしたこともなかったが、彼女が倹約家・節約家・吝嗇家・ドケチなので、一緒にいるうちにケチになった。今ではyahoo乗換アプリの初期画面も「早」じゃなくて「安」。なおさら、競馬行くなよという感じ。

 

競馬場に着く。友人はテーマパークみたいだと言っていたが、あんまりそういう印象は受けない。入場料100円。

門の前にはハイセイコーの像がある。「東京都 ハイセイコー様」で郵便が届いたという、第一次競馬ブームの立役者。競馬界の立役者ではあるが、大井時代はあまりに強過ぎて馬券妙味がなく、大井競馬場の客自体は減らしたとの噂。右目でコースを見つめている。

 

この日はよく晴れていて、絶好の競馬日和であった。この日のメインはS1・東京2歳優駿牝馬。それゆえ、大晦日にもかかわらず沢山人がいた。が、人がいるのはゴール板の前だけ……と言いたいところだが、実は大井にはゴール板が2つある。

 

というのも、大井競馬は世界唯一の「両回り」コースなのだ。東京・中京・新潟は左で、他は右回り、なんてのは競馬ファンなら誰でも誦じられることだが、大井は両回り。中央のダートG1がどちらも左回りの東京・中京で施行されることから、左回りにしたいらしい。ただ、同じゴール板を二つ置くと騎手が混乱し、なんなら馬も混乱するため、左回り用のゴール板は奥に押し込まれ、200mのハロンポールにGと併記してある。そもそも「1」ハロンのハロン棒に「2」って書いてあるのおかしいだろ。メートル棒に改名しろ。

 

この日はデジイチを背負ってきた。大井競馬場は案外最前列が深く、最前列では外ラチが邪魔になって上手く撮れない。多分そんな苦情がたっぷり寄せられたのだろう、ゴールから300m地点ほどに文字通りの「お立ち台」が整備されていた。ここならよく撮れる。

 

さて。馬券は何を買おうか、なるべく安く済ませたいと思っていたところ、このようなマークシートを見つけた。TCKはイルミネーションなどでなんとかライト層を掴みたいと必死のようで、その施策の一環か。今の筆者はさしずめ競馬ライト層、ありがたく利用することにした。もちろん、使うのは運試し三連単。年末ジャンボを外した今、これに賭ける。

 

こんな馬券が出てきた。「崖っぷち 一点入魂 運試し」じゃあないんだよ。かわいい馬券だ。しかし、万が一当たったとして、この馬券じゃ馬券力自慢はできないな、とも思う。

 

第9レースを「お立ち台」で撮った。レースは6→9→4で決まり、運試し馬券の「9→6→5」は微妙に惜しい。確かに、「惜しい!」という盛り上がりがあるので、ライト層にもウケそう。そして馬券沼へ、という算段だろうか。

 

10レースがメイン・東京2歳優駿牝馬。「優駿」という言葉が入る重賞レース名はかっこいい。筆者はオークスをいちいち優駿牝馬と呼ぶオタクです。

 

今日大井に何を観にきたかというと、生きる伝説・的場文男である。20221230日時点で7395勝。川崎の鉄人・佐々木竹見の7153勝を塗り替え、しかも66歳で未だ現役。その姿を一目見ようと10Rのパドックに行ったところ、いつもの「赤・胴白星散らし」の姿がない。あれ!?

実は、10Rの重賞は騎手服でなく馬主勝負服着用のレースであった。そして、的場のこの日の騎乗はこれがラスト。白い星を纏う的場の姿を見ることは叶わなかった。また観に来たい。

 

10レースの発走を待つ。余談だが、的場文男とJRAの的場勇人騎手・その父の的場均調教師は同姓だが血縁関係はないらしい。さらに余談だが、的場均調教師の2022年成績は1-3-2-183である。

 

10レースは的場文男の複勝と、運試し三連単で勝負。9レースでは「当たりうる」馬券だったが、今回の三連単は17500倍くらいの馬券。一応、当たったらどうしようか、税金は払うか、などと思索を巡らすのが楽しい時間である。

 

東京2歳優駿牝馬は結局2番人気メイドイットマムが突き抜けて勝利。筆者の納税の必要は無くなったが、「的場ダンス」を観れて満足。本橋孝太騎手はこのレース二連覇らしい。本橋孝太騎手。胴は金子真人HD、袖が黒に黄一本輪。

 

メインも終わったし、場内をぶらついて帰ることにした。ひとまず腹ごしらえ、大晦日なので年越しそばを食べる。570円だが、570円以上の美味しさだった。そこまで期待していなかったので驚く。新スタンド2階。

 

東京都馬主会の建物、馬主会館。馬主会に入っている馬主はここで受付をして、馬主席が用意される。いつかは筆者も……とは思うが、南関競馬はレベル高いし、難しかろうなぁ……。

 

近くにはGALLERY OF OWNERという建物があり、競馬グッズが色々展示されている。ここで図らずも的場の勝負服をカメラに収めることができた。

 

ダイアモンドターンというレストランがあって、レースを観ながら美味しい料理を食べられるらしい。いずれ彼女と来てみたい。以上。