2024年11月2日土曜日

中津巡検②中津競馬場跡

①山国川の県境

②中津競馬場跡

③薦神社

④沖代平野の条里制

⑤小祝地区

⑥御境川と吉富町


県境探訪を終え、本日のメインイベントに向かった。


いま、九州に競馬場は2カ所ある。中央競馬の小倉競馬場と、佐賀県競馬組合が運営する地方競馬・佐賀競馬場の二つである。


一昔前は他にも色々な競馬場があったというが、筆者は往時を知らない。

ただ、大分県にも、中津にひとつあったということだけは知っていた。

中津競馬場を少し調べれば「悲劇」という文字が目に付く。

20億円もの累積赤字に耐えかねた中津市長が、一方的に、突然、廃止を決めたのだった。2001年のことである。


中津競馬組合には大分県も構成団体として加入してあるが、県がなにかしたという動きは見えてこない。おそらく黙殺したのであろう。


この市長の決定につき色々意見はあろうが、中津競馬を廃止する方向性については、妥当と思われる。

(むろん、対応が拙速・粗雑であるという批判は避けられないが。)


地方競馬全体の売上は2001年当時は下落基調であったし、その後10年間も下落し続けた。

NARの売上総計が上昇に転じるのは、スマホによりネット投票が普及する2012年まで待たねばならない。


結果的に、存続しても赤字が膨らむばかりだっただろう。

そういう意味では、中津市長の損切りは好判断ではなかったか。



中津市は、競馬場や厩舎団地の広大な敷地を再開発用地と見込んだ。

実際、そうなった。


行政には、ギャンブルの乱数生成機として競馬は大掛かり過ぎるという思想があり、この強固な思想的根拠に基づく競馬場の廃止は今日も続いている。先日、シンガポール競馬が最後の日を迎えたことも、これである。


まぁ、僕が中津市長でも同じことをするし、シムシティ・中津市がリリースされたら競馬場廃止は序盤の鉄板ルートになるだろう。


だいいち、今でこそ競馬場は観光地となっている面はあるが、元来、外部不経済が勝る施設である。


また、中津競馬廃止当時は同じような「まだ廃止になっていない競馬場」が全国に他にもあったから、競馬場という施設の特殊性というか、物珍しさも相対的に少ない時代であった。


御託が長くなった。

中津競馬場が廃止されて二十余年、再開発が進み、すっかりどこにでもある(が、地元にとっては不可欠である)風景となった中津競馬場跡から、その痕跡を見出そうというのが、本稿の趣旨である。


①第一コーナー


競馬場の施設として最も華やかでフォトジェニックなものはなにか。それは、本馬場である。

筆者は、自ら「本馬場入場」したいがために非開催日の浦和競馬場に足を運んだこともある。


その本馬場、走路の遺構が中津競馬場跡にはある。


これは航空写真でも確認できる。当時の写真と見比べると、北側にやや不自然なカーブを描いた土地があるのが見て取れる。

これが、中津競馬場最大の遺構・第一コーナー跡である。



現地に行く。問題の土地は公民館として活用されており、外側にフェンスが設置されている。

このフェンスが、おおよそ競馬場の第一コーナー・第二コーナーの外壁に当たる。


つまり、公民館の土地はおおむね走路であったことになる。



フェンスは当然新しいものだが、土地の形状が歴史を語りかける。

かつてはまさにこの辺りで、行った行ったの先行争いが繰り広げられていたはずだ。


尤も、客観的には、公民館の周囲を闊歩し、フェンスと一緒に写真を撮る成人男性2名である。怪しまれないか不安だった。怪しかったであろう。


②第三コーナー



たとえば、不自然にカーブしている道を航空写真で見つけ、古い写真で調べてみると、実はそれは鉄道の廃線の跡だった、ということがある。

道を曲げるからには何かしらの理由が必要なのであり、廃線ではなくとも、一曲がりごとに歴史がある。



中津競馬にもそれがある、と言いたいのだ。

ホームセンターの東側の道がカーブしている。これが、おおむね、第三コーナーの外側に沿っている。

ただ、面白くないことに、走路があったのはグッデイの土地であり、道路はその外縁をなぞるに過ぎない。が、それは仕方ないであろう。


③スタンドと直線


中津競馬は右回りで、西側が最後の直線である。よって、コースの西側にスタンドがある。スタンドの跡地には新しい建物が立っている。

特筆すべきは、建物の東側の縁が綺麗にスタンドの縁と重なっていることである。

つまり、今の建物は、ほとんど完璧に当時のスタンドと同じ座標にあるということである。


その今の建物とは、ドラッグストア・コスモス大貞店である。

コスモスは、九州を制覇するローカルチェーンである。余談ながら、コスモスの創業者は2940億円もの資産を持ち、日本の長者番付で第16位にランクインしている。

我が家はよくコスモスに行く。安いからである。

同じチョコが、コスモスでは218円のところ、イオンでは350円くらいする。


なぜ安いのかについて、会社側は、現金主義を理由に挙げている。

コスモスの特徴として、電子決済に一切対応しないことがある。

電子決済派の筆者としては閉口するところだが、まぁ安いので、小銭の処分がてら通っている。


そういうわけで、無理矢理当時のスタンドと今のコスモスの共通点を挙げるならば、現金が飛び交っている点のみが挙げられるだろう。


蛇足として、コスモスは店内に信じられないほど大量の監視カメラが設置してあり、絶対に笑うと思うので、調べてみてほしい。むろん、本文とは何の関係もない。

コスモスと新鮮市場の間に、何の利用もされていない残余地がある。航空写真で比べると、スタンドとコースの間の観客スペースに見える。

競馬場跡地だから当然市有地だと思って、平気で入ってみたりした。


が、調べてみると、近隣の「薦神社」の境内地であった。

司法書士受験生なので、土地を見たら、当然、登記をとる。まずは公図をとって地番を調べ、その地番の登記をとって、びっくりした。甲区1番に「合併による所有権登記」とあり、それだけであった。こんなもの、初めて見た。


「合併による所有権登記」というのは、土地同士を合筆したことを示す登記で、土地家屋調査士が行う。つまり、司法書士の領分の外であり、ましてその受験生に過ぎない自分が詳らかに語ることはできようがない。


所有者が薦神社なのも解せない。

コスモスが建っている389-5の登記簿もとったが、ここも同じように薦神社の境内地となっており、コスモス薬品の権利がみえない。

コスモスほどの企業が登記をしないことは考え難いので、筆者が何か重大な勘違いをしていると思われるが、よく分からない。

コスモスの所在地389-5を頼りに公図をとったが、もしかしたら地番が異なるのかもしれない。



せっかく一通三百余円の登記簿を三通もとったのに、分からないことが増えただけだった。

コスモスの向かい側は太陽光発電基地となっている。

筆者は土地活用について太陽光発電信者で、世界の端までソーラーパネルを敷き詰めたいと考えている。が、いざ古跡がそうなっているのを見ると、思うところはあるものだ。


④厩舎団地の壁


競馬は、競馬場だけでは成立しないのが、厄介なのだ。近くに馬房を備えた厩舎団地を備える必要があり、その分、占有面積も膨大になる。

中津市は競馬場をぶっ壊し、厩舎団地の跡地に野球場を建てた。野球場の駐車場辺りが、およそ厩舎団地の跡地である。

この日は大学野球の試合が行われており、ちょっと信じられないほど人がいた。広大な駐車場が満杯であった。

中津競馬が存続していたとして、これだけ車を集めただろうかと思う。

厩舎団地の唯一の痕跡が、この外壁である。

多少馬が蹴っても大丈夫そうな立派な壁である。


地元のテレビ大分が2022年に中津競馬を特集しており、その際にはこの壁が中津競馬の唯一の面影とされていた。


実際には、前述のように他にも面影は見て取れるのだが、工作物として残っているのはここだけである。


続いて、スタンドの土地所有者として本稿でも登場した「薦神社」に向かった。

【SOMPO美術館】カナレットとヴェネツィアの輝き、ひまわり

ゴッホの『ひまわり』(アルルのひまわり)は世界に6枚現存し、そのうち1枚が日本にあります。

アジアで唯一、東京のSOMPO美術館に所蔵されています。


筆者は、ロンドンのナショナルギャラリーですっかり『ひまわり』に魅了され、「残り5枚」を死ぬまでになんとしても拝もうと決意しました。

そこで、早速「2枚目」を観に行く運びとなりました。

芸術の光が届かない田舎で育ったので、美術館というものは必ず常設展と特別展のふたつがあるものだと思っていました。

しかし、都会の私立美術館は特別展のみのところも多いようです。

SOMPO美術館も原則的には特別展のみであり、唯一『ひまわり』だけが恒久展示されています。


『ひまわり』を観るには特別展を観る必要があるので、今回、開催中の『カナレットとヴェネツィアの輝き』も観ました。

たぶん『ひまわり』がなければカナレットを知ることはなかったと思うので、いい機会になったと思います。

カナレットは、ヴェネツィアの尖塔建築を写実的に描いています。

「尖塔」「カナレット」というキーワードから、てっきりイスラーム建築の塔「ミナレット」がテーマの展覧会かと誤解したまま入場したので、動揺しました。

カナレットは人名です。


カナレットが生きた18世紀はヴェネツィア共和国はもはや衰退しており、かつて有していた海外領土もすべて喪失していました。

しかし、平和がありました。

観光地として栄えたため、今日我々が旅先で絵葉書を買うような感覚で写実絵画が買われました。

それが、ヴェネツィアの美術史上の「輝き」となった、ということかなと思います。知らんけど。

印象的だったのはウィリアム・ジェイムズ・ミュラーという人の絵です。

リフレクションがすごい!

それ以上の感想はないのですが、「海と結婚する」儀式を行うほどの大海洋国家を描く絵ですから、海の美しさに目がいきます。

あとは、こんなに写実的な絵に囲まれながら、モネの絵が平然と飾ってあり、面白かったです。

面白かっただけで、特に魅力は感じませんでしたが。ちょっと毒々しい色で苦手です。全部を混ぜたドリンクバーみたい。


さて、『ひまわり』です。

特別展の出口に、専用の部屋が用意されています。

ロンドンよりかなり人が少なく、ゆっくり楽しむことができました。こっちは有料だし、リピーターも多いからでしょうか。

この『ひまわり』は、1987年に安田火災海上保険(当時)が約58億円で落札したものです。

日本のバブル景気・元気だった時代の象徴という感じがします。

建物のところどころに「ひまわりを観ていってくれ」という旨の案内があり、その感じがギリ押しつけがましくないラインで、好ましいです。

筆者が所有者だったら、もっと押し付けているだろうなぁと妄想します。

【参考】ロンドンの『ひまわり』

この『ひまわり』は、歴史的に7枚あるうち5枚目に描かれたものです。

ロンドンで観たのは4枚目で、この5枚目は4枚目を参考に描かれています。

ですから、花弁の位置などもほぼ同じです。

初めて見たとき、あれ?ロンドンと同じ?と一瞬思いました。

しかし、明確に異なる点があります。それは、花の中央に赤い丸があるところです。

むろん、本物の花にこのような赤丸はありません。

「ゴッホが色彩を実験して描いたのだ」という説明がされがちです。

が、個人的には、ないほうがいいかな~……


似つかわしくないし、邪魔だと思います。

まあ、初見のインパクトが大きかったので気にかかっていただけで、すぐに観慣れましたが、まだ「ないほうがいいなぁ」と思っています。

いつか「この赤がいいんだよ!」と思える日が来ると嬉しいです。

ともかく、人が少ないです。

さらに、特筆すべき素晴らしい点として、絵の目の前に長いベンチが用意されているのです。


どっしりと座って、ボケ~~っと一人で『ひまわり』を眺める。

たまに近くまで歩いて観て、また戻って座って観る。


これを超える幸福がどこにあるのだろうかと思いました。

心から幸せでした。

僕、58億円払ってないけどいいのかな?と思いました。

離れがたかったです。


リピーターの人には、ず~っと『ひまわり』を必死に見つめている筆者は初々しく思えたかもしれませんが、まぁ好きなんだから仕方ないですね。


ちなみに、写真撮影は可ですが、自撮りなどの「記念写真」は不可とのことでした。ナショナルギャラリーで恥をかき捨てて撮っておいてよかったと思いました。

ミュージアムショップで『ひまわり』のA4クリアファイルを買いました。

美術に疎い筆者でも、『ひまわり』がゴーギャンの寝室用に描かれたものだということくらいは知っています。

早速、額装して寝室に飾り、ゴーギャン気分で暮らしています。

ふだん、数万円するコインを後生大事に飾って得ている効用と同等の幸福が440円のクリアファイルから摂取できてしまい、複雑な思いです。


次の日は、国立西洋美術館のモネ展に行きました。