2016年3月13日日曜日

【道路報告書】国道217号旧道・津井峠

☆今回の概要
 津久見市日代にあるトンネルの横に、山を這って登っていく鄙びた道がある。県道にすら指定されず世界から忘れ去られた道路・国道217号旧道津井峠には、様々な"お宝"があった。今回もあの男が登場。旧道の現実をご覧あれ。

受験生としての勉強を全うし、見事合格を勝ち取った我々は合格発表の翌日、早速電車に揺られていた。今回の目的は、津久見市と佐伯市の市境となる四浦半島を越す峠、津井峠である。ここは平成の世になるまでは国道217号線として津久見-佐伯上浦の交通を担っていたが、平成元年あたりに完成したいくつかのトンネルがそれを取って代わるとともに国道認定を解除された。そして県道に降格どころか県道にすら認定されず、今現在に至るまで廃れ続けている。

日代駅を出るとすぐに右に上り道が見える。これが件の旧道の入り口である。少し上って行くと、三叉路に出る。これは、旧道と四浦半島北側の大動脈である現道・県道611号線の合流地点である。r611道中には『つくみイルカ島』という家族連れに人気のスポットがあり、そこそこ立派な道のようだ。
迷わずに旧道を進むと、ダンプがとてつもない砂埃を我々一向に浴びせながら下りてきた。おや?工事?嫌な予感が…。



と心配していると早速津井峠の先制パンチ、40高中が現れた。状態もかなり良好で、早速大戦果を得ることが出来た。やはり世界から忘れ去られた道には旧世代の遺構が立派に残っている。
ガードレールはサビだらけ、追い越し禁止のオレンジ色も掠れている。道の縁からは緑がアスファルトを蝕んでいる。
左を見ると、海が見える。海の先には佐伯の半島や、奥にはうっすらと四国の姿も確認できる。あぁ、四国に行ったりもしたなぁ、次はいつ行くかい?などと話していると、”それ”は現れた。
路肩に、看板らしきものが放置され、時の流れに身を任せている。怪しく思い、標識上の土や草を払うと、なんと40高中の補助標識が付いた、40km/h制限標識が現れた!初めて見るこの物件に僕は激しく興奮し、若干友人に引かれてしまった…。
しかし、これはまた凄い物件である。倒れてしまっているのが残念だが、なぜ撤去しなかったのだろうか、面倒だったのだろうか。
標識の裏を見ると、この標識は昭和57年生まれのようだ。



昭和20年が終戦、1945年だから昭和57年ならばそれに37を足して…。受験戦争を戦い抜いた僕の低性能コンピュータがフル回転し、導き出した答えは西暦1982年であった。40高中廃止が1992年の出来事だから、10年間は本来の役割を全うしたわけだ。今は34歳、もっとも、もう故人なのかもしれないが、これからもこの津井峠で余生を過ごして欲しいものだ。
さて、40高中標識を後にし更に上っていくと、『工事・徐行』の看板が。40高中の舗装を剥がしているのではあるまいな、もうちょっとまともなことに税金使えよと心配していたが、どうやらそれは杞憂で済んだよ
うで、砂防ダムの建設が行われていた。うむ、それでよろしい。防災無線好きの福水君は「もっと防災無線に投資しろ!」と言っていたが、僕としては「古い道路には余計なことするな!金使うな!」と、放置プレーを要求したいところである。
前進していくと、今度ははっきりとした40高中ペイントが2連発で現れる。この辺には工事車両すら近寄らないから、余計にキレイなようで、まさに40高中の聖地といったところである。
40高中のペイントが行われたのは昭和の時代。その頃はまだコンピュータ技術も発展途上であるから、40高中のペイントは当然手作業で行われていたわけである。
その作業には一定の手引はあるにしろ、毎回毎回完全に同じ40高中が出来るわけではない。さらに、ペイントが行われたタイミングによっても40高中の姿は異なってくる。ペイントが行われすぐ廃道になり、徐々に風化していく40高中もあれば、現在も踏まれ続け削られ続けていく40高中もある。ゆえに、同じ40高中は存在しない、目の前にあるこれは、世界で1つのものなのである。そこに40高中の味わい、個性がある。


道は峠に到達した。ここまでの道のりにR217のおにぎりがあるという情報もあったのだが、残念ながら撤去済みか奈落の底に脱落したかのどちらかであろう。この点に関しては徒歩なので間違いはおそらくないが、何か情報があればコメントを残して欲しい所存。
さて、峠には九州電力の施設と『津久見市』の白看板がある。あるとはいえど、本当に”ある”だけでポールからはすでに脱落して、看板だけが斜面に立てかけられている。




峠で市境を越え、佐伯市上浦町に入る。平成の大合併において大分県下58の市町村は18市町村にまで数を減らしたが、佐伯市もその大規模合併で8つの町村を吸収し市町村の面積として九州最大になるほど大きく膨れ上がった。上浦町も佐伯市に吸収された町村の1つである。しかし、如何せん数が減りすぎたせいでよく地名がわからない。行政のスリム化は出来ただろうが僕の頭の中は全くスリム化できていないので、もう少し市町村数を増やして欲しいと思う所である。




さて、上浦町側の旧道は恐ろしいことになっていた。道に鎮座する巨大な枝、せり出す木、路盤の簡易コンクリを侵食する雑草。とてもかつての国道、交通の要衝とは思えない荒れ具合であった。時の流れとは恐ろしいと痛感する。
しばらく行くと最近はほぼ見かけない『警笛区間』の標識に出会う。しかし出会った3本のうち1本は既にぶっ倒れており、時の流れとは恐ろしいと…。






やけに立派な火葬場を左に曲がると、現道国道217号線と合流し、津井峠の旧道は終わる。
海を望む景観も抜群な津井峠には、前述した通り時代を感じさせる遺構が多く残っている。これからも津井峠は、人の手が加わること無く自然に還っていくだろう。







おまけ
40高中を持ち上げる友人

Tsukumi C.

警笛鳴らしっぱなし

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