天塩川温泉駅(宗谷本線)

天塩川温泉探訪記
2019.12.28


高校2年の頃、年末の北海道を一人で旅した際にここを訪れた。ここに来る前は、北星駅で身も心も雪に閉じ込められそうになり、慌てて列車に乗り込んだ思い出がある。

雪が舞う夜だった。列車は遅れを取り戻そうと、僕が降りた瞬間にドアを閉め発車する。僕は夜独特の旅情を楽しみ、宿に行こうと駅を出た刹那、魅せられることになった。

踏切付属のオレンジ色のライトが闇の世界を切り取り、雪が降りしきる様子が可視化された。しんしんと雪が降る様はまるで無言のオーケストラのようで、遮断桿はさながら指揮棒か。
雪が降っていても、僕は構わず夢中でシャッターを切り続けた。
当時の僕には、その光景が何か、生の意味を知る手掛かりのように思えた。

天塩川温泉では、名の通り天高く雪が降る様を見ながら露天風呂を楽しんだ。最も良い温泉だ。



南幌延駅(宗谷本線)


2017.12.29



僕の青春のハイライト、北海道一周旅行。その終盤、宗谷本線の旅の中で南幌延駅を訪れた。安牛駅に降りた後、途中で特急列車を撮影しつつ南幌延まで歩いてきた。歩いた理由はごく単純、列車が無くて、歩けるくらいには近いからであった。
歩いてきた道には雪除けのシェルタがいくつも連なり、その壁の向こうにもこちらにも何もない世界が広がっていた。ただ貧相な鉄路があり、駅があり、僕がいるだけの世界。白い世界。そうした非日常の世界(重要なのは、その世界は誰かの日常である点だ)に身を委ね、自分を落とし込むために僕は旅をしている、と嬉しくなった。

南幌延駅周辺の散策も済ませたが、全然時間がある。駅ノートを読み、書いていよいよ万策尽きた。満を辞して、ホームやその周りで、初めての雪掻きをしてみた。ホームは誰かが事前にやってくれていたらしく比較的綺麗だったが、それでもなかなかの重労働で、仕事を終える頃には幾分疲れた。

そうしているうちに暗くなった。周囲は深い群青に染まり、踏切の灯りに雪が舞う光景のみが見える。先ほどの茫漠とした世界が一気に縮んでしまい、灯りの届く範囲だけが世界の全てのように感じられた。

もう一駅、上幌延駅に歩こうとするも、道は暗くて怖い。それは霊的な怖さでなく、後ろからやってくる車に自分が気付かれず跳ね飛ばされるやもしれぬという物理的な恐怖だった。

それでも仕方ないので歩いていたら、車が隣に止まる。何事かと思ったら、気の良いおじさんが車に乗せてくれるという。実は、前日も天塩川温泉駅から旅館まで雪の中歩いていたら通りすがりの車に助けてもらったのだ。そのおじさんの好意に感謝し乗せてもらい、ヒッチハイクは親指を立てるものではなく背中で示すものだなと考えながら、礼儀として今までの旅の話を披露した。それなりに喜んでもらえたと記憶しているが、どうだか。

上幌延駅で下ろしてもらったものの、なにせ極寒である。このまま一人で黙っていては死ぬと思い、最近よく話していた女友達にLINEで通話した。
結局、列車が40分遅れで到着する頃には僕の身体は凍えていたし、その女友達には学園祭の後に告白してフラれた。


 




下灘駅(予讃線)

下灘駅探訪記
2017.03.31



下灘駅に初めて訪れた時は、父と二人だった。テレビで見た駅に行ってみようと、大分からフェリーと電車で訪れたのだ。朝4時台のフェリーから空の朝焼く様が鮮烈に見え、父は船室で休んでいたが僕は高揚しずっと甲板にいたのを覚えている。列車に揺られ降りると、青い空に青い海が目前に広がる。父に写真を撮られながら、少年の僕は何を考えたのか、今ではもう覚えていない。帰りの船でアイスを食べ、疲れて寝たことだけが確たる記憶だ。今思えば、僕の秘境駅巡礼の根源はこの旅だったかもしれない。

それからもう一度友人と来た。防災無線の動画を撮るのが趣味の変な友人。中二の頃だ。友人は駅そのものより近くの防災無線に興味があって、二人で正午の「瀬戸の花嫁」のメロディを聴いた。

だから今回で訪れるのは3回目、同じ友人との瀬戸内海一周旅の初日だった。今日は初めて晴天ではなく、雨に降られた。初めのうちは下灘駅サイドも観光客に良いカッコを見せようと晴れさせてくれたが、3回目ともなるともはや気を遣われないようだ。雨は残念ではあったが、身内になれたような気がして悪い気はしない。

駅を一通り見物すると、僕は友人と別れて近くを散策に出た。(友人は防災無線を探していた。)西に暫く歩くと鉄道沿いに集落があって、もう暫く歩くと橋の下に船とレールが敷いてある基地があった。海へ続くレールを見て千と千尋的だなと思った。これが鉄道なら、さぞ楽しかろうと考えた。

その後友人と合流し、松山に出発した。
僕の生涯に渡る旅の起点で、節目ごとに訪れてきた下灘駅。最早、僕の成長アルバムのようだ。今後も定期的に訪れ、駅と共にこれまでの僕の人生を見てみたい。
旅の中で少年は青年になり、大人になる。

Have a nice day

 観光都市の側面を持つイスタンブルを歩くと、例えばこんなことがある。
 朝方、まだ人通りも少なく施設も空いていないので、ブルーモスクのベンチで本を読んでいると、男が隣に座る。
「日本人?元気?」
マティオと名乗るその男は、僕をガイドしようと提案した。その刹那、僕は高校の恩師の忠告を思い出す。
「ブルーモスク周辺には日本人目当ての客引きが多いから気を付けろ。」
だが、異国で本を読むくらいには暇もしていたし、何より先ほどアフガニスタン人に間違われ日本人としての自信を失っていた僕に日本人?と声を掛けてくれたのが嬉しく、気を付けながらも着いていくことにした。
 広場を連れ回され、展望の良いテラスからモスクの写真を撮らせてくれ、喫茶店でチャイも奢られた。そして遂に謎の絨毯屋に連れ込まれた。
 万事休すかと思いきや、絨毯屋の兄ちゃんは日本語ペラペラで、特に購入の無理強いもしてこなかった。彼は大河ドラマ『おしん』に感動して日本に渡ったという。トルコでおしんが人気なのは承知していたが、しかし僕はおしんについて無知なので対応に困った。朝食にパンも分けてもらい、客引きのガイドも合わせて気分が良くなった僕は多少のお土産を買って店を出た。
 また別の日、公園で涼んでいると客引きが現れる。ひまわりの種のお菓子を分けてくれ、食べ方も教えてくれる。彼はデザイナーで、お土産を売っているらしいが流石にノーセンキューだ。そう伝えるとすぐに彼は引き下がり、
"Have a nice day!"
と言って去っていった。その清々しい去り際は、人がある街に親しみを感じるのには充分過ぎるほどだった。

迷子の夜明け/イスタンブル小噺

 イスタンブル新空港は成田空港のように都市から離れていて、僕が着いた朝4時頃でも高速バスが走っていた。1時間弱で市街に到着、イスタンブルの大地を踏みしめたはいいが、周囲には人影がない。東京だったら、いくらかの賑わいがあると思うが、人っ子一人いない。
 寂しい街を一人歩く。ホテルに行ってwi-fiを使おうと思うのだが、全然ホテルの場所が分からない。初めのうち、これも経験だ、自動的に街歩きができるぞガハハ、とアホを言って地図を見なかったのが祟り、もはや地図を見ても己の場所が分からない。標識はケマルパシャのおかげでローマ字表記ではあるのだが、如何せんトルコ語なので解せない。同じような道を徘徊し、モスクを見つけてはブルーモスクなどの観光地ではないのかと調べて現在地の特定を試みた。疲れた僕は、親切な通行人の”Can I help you?”を「ちょっと助けてくれない?」という真逆の意に解釈していまい”Soryy, I also have trouble.”と言って足早に去る、などをやらかしもした。
 もはや現在地の特定を諦め、昼にはバザールで賑わうだろう小径を一人で下った。そして、この状況を疲れつつ楽しむ僕を発見した。インターネットが使える日本では、もはや迷うことはない。迷ったのは何年振りだろうか。これこそ非日常、海外旅行の醍醐味ではないか。
 旅の幸先は最悪かと思われたが、むしろ最高じゃないか。東の空は紅く染まり、屋台ではパンが焼かれ始めた。