夏の道

夏の東京旅行記/第2回

目次
旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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夏の道

僕は夏の道を歩いていた。
夏の道、というのは僕が勝手に付けた名前だ。

嫌になるほど暑い日だった。昨夜は突然の孤独感に苛まれたため、眠ったのは少し遅めの23時過ぎだった。
秘境駅というのは往々にしてローカル線にあり、ローカル線というのは往々にして列車本数が少ない。だから、始発を逃せない。起きたのは朝の5時頃だ。窓を開けると既に空は明るく、薄い雲の筋が幾重にも連なっていた。
早々に身支度を整え、昨夜見かけた『朝の無料バイキング』とやらを食べに、急な階段を4階から1階まで下った。
昨夜、初日だというのに旅の資金について不安を感じた。そんな折に無料バイキングがあるという話を聞き、この田舎の駅前の、エレベーターも付いていないような小さなホテルを僕はすこぶる見直した。これで数百円が浮く。喜々として1階に降りたがフロントには人がおらず、食堂と称してある部屋にも人影が無く、電気すら点いていない。勝手に食べてほしいと言われていたので、随分開放的なバイキング形式だな、と考えながら勝手に部屋に入った。電気を点ける。正面の張り紙には
『お一人様トースト二枚まで!マーガリン、ジャムはご自由に!』

さて。六月、雨の頃、写真部の大会で沖縄に行った。泊ったのは、那覇市内のアパホテル。そこでは朝には食堂でバイキングがあり、様々なおかずを盛り付け、好き放題食べる事ができた。
僕は昨晩から今に至るまでずっとアパホテル式のバイキングを想像、想定していた。だが、その張り紙は僕のプレートに溢れんばかりにあるはずだったおかずとごはんの朝ごはんを、一瞬にしてパンとマーガリンに変えた。その事実を目の当たりにし、とりあえずはマーガリンをトーストに塗りたくってしっかりと二枚食べた。しかし、全然腹は満たされず、腹八分すらない。こちとら成長期の男子高校生なのだ。昨晩買っておいた非常用のパンが早速出動することとなってしまった。

荷物を取って来て、フロントに鍵を置く。6時前、駅に向かって歩く人影がある。社会が動き始めるこの時間が僕は好きだ。塩尻駅のホームにも、会社員や学生が列車を待っていた。
この塩尻駅はJR東日本とJR東海との境界の駅の一つであり、その駅名標は東日本のグリーンと東海のオレンジの両方が描かれている。そんなカラフルなホームで朝の光を浴びて、南へ向かう列車に乗った。
列車は早朝の町を走る。典型的な田舎路線で、片方は森、片方は田園風景。雑草に露がついていそうな朝だった。辰本駅を過ぎると、列車はいよいよ今回の秘境駅旅行のハイライト、飯田線に入った。


これまで幾度となく書いてきたことだが、僕は中学二年の夏にある旅行記を読み、旅を始めた。学校の長期休暇の度に旅に出た。しかし、中学の頃は日帰り旅行が主だったので、九州島から出ることは殆どなかった。
僕が読んだその旅行記には日本各地の様々な秘境駅や路線が登場した。いつかは行きたいと思っていた。
その一つが飯田線なのだ。路線内に96駅もある日本最大のローカル線で、険しい山間部を走るゆえにいくつも秘境駅がある。中学から僕はこの路線に憧れていて、この旅を計画したのもその憧れからだった。
ただ僕は今、不安に駆られている。昨日の定光寺駅での一件が脳裏を過る。一件といっても何も無かったのだが、その何も無かったことが問題なのだ。どうして旅をしているのだろう。きっと普段ならまだ眠っているであろう時間帯に、どうして僕は大分から遠く離れた山奥のローカル線に揺られているのだろう。
憧れは、どこへいったのだろう。


列車に揺られて一時間、最初の下車駅に着いた。高遠原駅、響きが良い。去る列車を後ろから撮ると、早速手持ち無沙汰になってしまった。
首にカメラを提げる。カメラ、写真機。何か撮らなければならない、何か、僕がここにいた証を残さなければならない。駅前には大きな木がある。木!近くを見回すと、雑草の生い茂るオレンジ色の草地に薄汚れたトラックがある!おお、ナイスノスタルジー!暫く悪戦苦闘していると、向こうの道、馬鹿らしいほど青い空と白い雲、その下には山があって、しかももう少し下には家々がある、そんな向こうの道を軽トラが走る。絶好のチャンスを得たり!素早くカメラを構えたが、構図が悪かった。失敗だ、チクショウ。どうせまたすぐに軽トラの一台や二台通るだろうと思って粘ってみるが、そういう時に限って一向に現れないものだ。やはり写真の神様はそんなに甘くない。神様との根性比べに白旗を揚げ、隣駅へ歩を進めた。


駅前通り、といっても舗装はされていないし民家も少ないが、そのなだらかな坂道を進むと国道に出た。国道と行っても繁華な国道ではなく、都市と都市とを繋ぐ、という機能に特化した方の国道。大体山道なんだけど、たまに集落を通るよ、という国道のその集落部分だったようだ。暫く歩いて横道に逸れる。踏切を渡って奥に行く。



あぁ、しかし夏は暑い。どうしてこうも暑いのか、しかも荷物も重い!しかし冬の方が荷物がかさばるな…さて、暫く歩くと、気持の良い下りの直線道路に出た。農地を貫くアスファルト、奥では農道とクロスしている。


小さな子供が虫取り網を持って走っている。なんてフォトジェニックなんだろう、声を掛けかけたが、近くにお婆ちゃんが居ることに気が付いた。腰が曲がっていて、手押し車を使ってその孫の後を追いかけている。でも、孫は待つ気もさらさら無さげに走っていく。
声を掛けるのをやめる。僕にもこんなことがあっただろうか、と思う。あった気もするし、無かった気もする。白昼夢のようにぼやけた光景が脳裏に浮かぶ。でも、掴めない。


農道を歩いて行く。太陽もだいぶ上がってきた。木々が風に踊っている様子が、木陰、じゃなくて木影から、よく分かる。


道路オタク的な考えを述べると、長野県は非常に細やかに標識を設置している。他の県では考えられないくらいたくさんの警戒標識…黄色いヤツ…がある。それが立ち並んでいる様子が大変フォトジェニックだった。少し時間に追われながら歩くと、坂があった。坂の頂上でカーブミラーが僕を見下ろした。


右に曲がると、夏が広がっていた。
かつてここまでの夏があっただろうか、自分の記憶を辿ってみる。去年の夏の向日葵畑はどうだろう?確かに夏だが、夏というより向日葵な記憶だ。うん、やっぱり初めての夏だ。
1キロも無いだろう、数百メートルの道を歩くのに僕は三十分ほど掛けた。アメリカ横断ウルトラクイズのコンボイレースで見たような、ずーっと続くかのような直線道路。脇にも道路が出ていて、全てを歩いて行きたくなる。庭では向日葵が咲いていた。通るのは僅かな軽トラだけだ。前述の通り、標識もたくさんある。僕はこの道を『夏の道』と呼ぶことにした。
夏、とはなんだろうか。僕は夏を探していた。夏を探しに行こう、いやいや近くにも夏はあるよ、なんて葛藤をしていた。今、僕は、太陽が赤く、空が青ければ夏だ、そう思う。




暫く歩いて、電車に乗った。次はどんな夏があるだろう。


夏の東京旅行記/第1回『旅と回想』



高校2年生の夏といえば、中学の頃から思い描いていた夢の夏であった。
今思えば、『高3の夏は受験勉強一色だろう、じゃあ思いっきり遊べるのは高2までだ、じゃあ高2の夏が一番楽しいのだ』とか(よく分からない)理屈を付けて、楽しみが先にあるということを自分に期待させていたのかもしれない。
が、高2の夏は特に何の感慨もなくやってきて、いつの間にか去ろうとしている。
今回の旅は、そんな期待させておいて大したことない夏を期待しておいた大したことある夏にするための僕の努力の賜物である。
前回の記事で整理したところによると、今回が青春18きっぷ7回目の旅だ。
青春18きっぷを青春時代に使うのはこれが最後だろうか。
ともかく、7回目ともなると肝は座り、その分旅程は伸びていく。
今回は独りだ!一週間だ!
前々回、そして前回は友人と旅をした。
しかし今回は独り、というのは別に僕がセンチメンタル孤独旅行を好んだわけではなく、単に誰も付いてこなかっただけである。然るべき孤独であった。
目的地は東京。東京大学オープンキャンパスに参加するためだ。
しかし本当のところ、僕は北海道に行きたかった。夏の北海道は良い。
何度東京大学が北海道にあれば良いのにと思ったことだろうか。
しかも別にさほどオープンキャンパスに参加したかったわけでも無く、そうでもしないと親はこんなデタラメな旅行はさせてくれないだろう、と踏んだだけの、建前、飾りのオープンキャンパスだったのだ。
ともかく、夏を感じるぜ、楽しむぜ、写真を撮るぜ見るぜレンズを買うぜという単純な行動原理のもと僕は旅を計画し、7月29日に出発したのだ。

目次

旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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第1回 旅と回想


初めて船に乗ったのは確か幼稚園の頃だ。香川への家族旅行だっただろうか、おそらく『国道九四フェリー』だと思う。その日は海が荒れていて、僕は初めてのフェリーで船酔いをしてしまった。
今、フェリーの甲板には大勢の家族連れやカップルが、港に向けて出発のテープを放り投げている。
昔は家族で旅行なんかしていた僕も今や無駄に逞しくなり、一人旅も今回で何回目だろうか分からないほどになった。
門司港に行った時、僕は平成筑豊鉄道の短い観光路線である『門司港レトロ線』に乗った。車内はボックスシート、つまり2人掛けの席が向かい合っているタイプだった。僕は迷うこと無くその窓側の席に座ったのだが、これがいけなかった。周りは家族連ればかり、皆僕よりもよっぽどボックスシートを必要としていた。車内には立ち客もいる。結局僕の入った4人用の空間は僕だけの為に使われ、大変いたたまれない思いをした。と同時に、なんで1人で旅なんかしてるんだろうと虚しく感じた。
冬、春と5日間の旅行をしてきたが、その時は隣に友人が居た。でも今回は一人旅、しかも7日間と長い。甲板で門司港の思い出が蘇った僕は海に背を向け、独りベッドへと帰った。
今回の夏の旅行の目的地に僕が選んだのは、首都・東京だ。東大オープンキャンパスという建前で出発にこぎつけたが、東京を選んだのは街のスナップをしたかったという理由もある。ともかく遠くへ行きたい、写真を撮りたい。その一心だ。

港の作業員さんが見送っていた。

僕が乗ったのは『さんふらわあ』というフェリーで、大分と神戸を結ぶ。冬の旅行の際には友人3人と『ツーリスト部屋』という、つまり雑魚寝部屋に泊まった。が、今回は独り、なんとも心細い。一応ブログ名からも分かる通り”ツーリスト(旅人)”を気取ってはいるものの、今回は数千円余分に払ってカプセルホテルのようなベッドにありつくことにした。
ベッドはあまり期待はしていなかったが、寝心地が良さそうだ。だが、部屋の外ではsoftbank 4Gが繋がるにも関わらず部屋の中は圏外で、Wi-Fiの具合も良くない。ネット中毒の僕にしてみれば、これではツーリスト部屋の方が良いではないか!と叫びたくなるというものだ。
ツーリストなのにツーリスト部屋から逃げ出した僕への報いだと諦めて、ベッドのカーテンを閉め、『君の名は。』を観た。

船というのは"動くホテル"だ。

観終えた後、ロビーに行ってカップヌードルを食べる。本来定価180円の筈のカップヌードルは船内の自販機ではさも当然と言った顔で260円の札を掲げており、しまった、コンビニで買っておくんだった、と後悔する。しかしまた、どうして『260円』なのか。多分フェリー会社の会議で「じゃあ300円ということでよろしいでしょうか?」「待て、あまりに高い!ここは250円でどうだろうか。」「じゃあ、せめて10円プラスして『260円』でどうでしょうか」なんてやり取りがあったに違いない。卑しい!180円というのは『メーカー希望小売価格』だ。希望しているんだぞ!日清の希望を無視するな!
310円を投入したところ10円玉が一枚ずつ丁寧に5枚返ってきたので若干苛立ちつつ、ロビーで外を眺めながら食べる。といってももう夜は深まっていて、わずかな灯が見えるだけだ。そこでは外国人旅行客や酔っぱらい達がガヤガヤと喋っている。

甘釘祭には参加せず……。

値段はアレだが、船のカップ麺はうまい。
これこそプラシーボ効果だ。

不意に僕は孤独感に襲われた。それは例えるならSF世界の、恒星系間ロケットに独りで搭乗しているような類の孤独感だった。Twitterに2時間前に投稿した内容が今頃ネットワークに流れたことに、よくある『地球との連絡に往復で一年間かかってしまう……』みたいなイメージを掴んだのかもしれない。
ボイジャー1号を知っているだろうか。
1977年に打ち上げられた"彼"は本来の目的である惑星探査ミッションを終えた後、惑星探査機から星間探査機へと役割を変えて今も深宇宙を時速61,333kmで進んでいる。"彼"は地球から最も遠くにある人工物となっており、今も地球との交信を片道17時間かけて行っている。太陽圏から脱した彼の行き先は果てしなく広く暗く何もない宇宙空間であり、最も近い恒星αケンタウリに到達するのにも8万年かかるという。
Voyager:航海する者。僕は喧騒のロビーを後にし、これからの途方も無く馬鹿げた旅へ思いを馳せた。東京の週間天気予報は曇りや雨だらけだ。(後に分かるが、東京では僕がまさに東京に着いた8月1日から21日間に渡って雨が毎日降り続ける。)晴れてくれよ、頼むよ。眠りに落ちていく。船の微妙な揺れに、今僕は瀬戸内海を東に突き進んでいる……言い換えれば"今僕は航海をしている"という感触を確かに掴みながら。

でも、後悔はしていない。
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朝7時に目覚めてバイキングで軽い朝食を済ませ、神戸に降り立つ。連絡バスに鮨詰めにされるのは前回も同様だったのでもう諦めている。JR住吉駅で18きっぷに印を貰う。『住吉駅』の印を貰ったのも前回と同じだ。
東海道線新快速の旅は退屈だ。新幹線の旅を楽しいという者は(7日後の僕を除けば)ほとんどいないだろうが、ともかく駅を飛ばすのは良くない。じゃあ各停で行けという話だが、それもまた違う……。時間と車窓を天秤にかけた結果なのだから。
大阪駅で阪急電車に乗り換える。噂の、大阪駅とヨドバシカメラを繋ぐ新しい橋の写真を撮った。これが、今回の旅で「大分にヨドバシカメラが欲しい!」と思った1回目の体験である。中心部の病院の予定地だった場所を大分市は公園にすると発表していたが、そこはマルチメディアヨドバシカメラを誘致して欲しいところである。実際、市民はそれを望んでいるだろう。
梅田駅で乗り換えに戸惑うも、なんとか「普通列車ならどの電車に乗っても中津駅には停まる」ことを理解し、数本の電車を逃した後悔と共に中津へ移動した。旅慣れているといっても、所詮"18きっぱー"なのだ。
阪急の中津駅といえば乗換案内アプリで我が地元大分県中津市の中津駅を差し置いて最初の候補として上がるゆえに、大分県の条例で立ち入ってはならないとされている駅である。今回その一大禁忌を犯すのでもう地元には帰れない、とまぁそれは置いといて、僕がここを訪れたのは高架下のアンダーグラウンド的世界を垣間見るためだった。昼間でも薄暗い、という。手持ちのコンデジ(SONY-RX100)の絞りを開放付近に設定し、心を躍らせながら中津駅に降り立った。

阪急中津駅の何が悪いって、大分の中津駅よりも上に出る癖に
各停しか停まらない所だよな。

プラットフォームは狭いし、外は暑い。夏に旅行をするというのはある意味で理想、ノスタルジーの追求と僕は位置付けているのだが、いくらノスタルジックな気分になったところで気温が下がるわけではない。階段を降ると早速アンダーグラウンドを彷彿とさせる、公衆トイレみたいな色の灯が照らす高架下の商店街があった。しかし営業をしている店は見受けられない。この雰囲気から察するに、寧ろ営業をしていた方が驚きだ、なんて考えながら高架下の駅舎を出た。
単純に述べて、世に聞く大阪的な治安の悪さを感じた。別に、僕の目の前で強盗があっただとか、ひったくり被害にあった、カツアゲされたなんてことはなく、ただの人生経験の少ない僕の感想である。『大阪=治安が悪い』というイメージが、僕の中で何かにすっぽり収まった気がする。
結果から言ってしまえば、残念ながら僕の望んだ高架下街はほぼ見受けられなかった。事前にリサーチをした場所には白い防音壁と『工事中!』の文字が躍る。再開発の魔の手は浪漫を簡単に打ち砕くのだ。この駅周辺で僕が見たものといえば、花火大会の広告とドライアイスか何かの白い霧が充満する謎の店くらいのものだった。

でも、たまらない。

狭いホームで茶色い電車の到着を待つ。2,3本の急行列車(のようなもの)に通り過ぎられいい加減暑さに耐えきれなくなった頃、ようやく普通列車が到着した。小沢健二のフジロックの動画がTwitterに上がっていたので、しばしそれに聞き入った。
小沢健二の曲に『僕らが旅に出る理由』ってのがある。遠くまで旅する恋人に、溢れる幸せを祈るよ、なんて曲。でも、歌詞中ではタイトルの解説をしていない。ただ『ぼくらの住むこの世界には旅に出る理由があり 誰もみな手を振ってはしばし別れる』と歌うだけ。では、僕はどうして旅をするのだろう


旅気分でそう考えながら、大阪モノレールに乗り換えた。値段が強烈に高かった気がする。大阪の北の方の街を眺め、15分程度で万博記念公園駅に着いた。
引用が連続するが、マンガ『20世紀少年』はご存知だろうか。というか、まず大阪万博はご存知だろうか。大阪万博というのは、まぁ調べて欲しいのだけど、簡単に説明すると『人類の進歩と調和』だ!……1970年に大阪の千里丘陵で開かれた万国博覧会のことである。『20世紀少年』にはその大阪万博で岡本太郎が制作した『太陽の塔』が、昭和の思い出として、象徴として描かれている。親がこの漫画を好きだったので、僕は幼い頃にこれを読んだ。ゆえに、僕の幼少期の記憶には明確にこの昭和の象徴・太陽の塔が刻まれているのだ。
T.REXの20th Century Boyを脳内で再生しながら、駅を出て公園の方まで歩いて行く。遠くに白く赤い巨大な塔がある。入場ゲートを通過すると目の前にこいつは鎮座、というか屹立している。首から提げていた銀塩カメラのファインダーを覗き、久しぶりだな、と呟いてシャッターを切った。

良い顔してる。

曇天の下、向日葵が咲いていた。
昨年は宮崎県高鍋町の壮大な向日葵畑を巡った。今年も高鍋町と同等の向日葵を撮りに行こうとGoogleに『ひまわり畑 本州』と打ち込んだ。しかし、ひまわり畑は沢山有るもののいまいち本数が少ない。結論から言えば、高鍋町は圧倒的に広大な向日葵畑すぎたのだ。僕の中ではもうあれが、一千百万本の向日葵が向日葵畑のスタンダードになってしまい、とても数千本、数万本程度で満足できそうにない。
というわけで、今年は敢えて向日葵畑まで出向かず、万博記念公園のちょっとした向日葵でお茶を濁すことにしたわけだが、あいにくの曇天だ。とてもノスタルジックで心を擽る写真は撮れそうにない。適当に何十枚か撮って、すぐに退散した。
やはり僕の中でのホンモノは高鍋町しか無いのだろうか。またいずれ、九州一周旅行の最終日に日豊線高鍋駅を降りて、ダジャレ好きの運転手の相手をしながらタクシーで、あの壮大で壮麗な向日葵を……。

露出バッチリ

もうちょい

万博記念公園から一時間弱で阪急梅田駅に着き、昼飯は『横綱』とかいったラーメン屋で済ませた。新快速まで時間があったので本屋で参考書を眺めて暇を潰した。
13時ちょうどの新快速に乗る。うたた寝をし、米原・大垣で乗り換えると3時間も掛からずに名古屋に着いた。九州育ちの僕にはこの大都市間が3時間弱という距離感がよく判らないが、近いんだろうか……、いずれにせよ、新快速は便利だ。

 人多し

やっぱ日本か

名古屋駅のプラットフォームで『名物!きしめん』を食べる。食券を買ってから出されるまでに10分弱掛かり、そんなんでやっていけるのかなんて考えながら、淡々とすすった。おいしい。しかし、10分に見合うかといえば微妙だ。16時09分、名古屋駅発車。

名古屋駅の片隅に

16時09分の電車は確か『多治見』行きだった。多治見とは『美濃焼の産地として知られており、市内には由緒ある窯元や陶磁器が……』つまり、岐阜県の都市だ、そう岐阜県。僕は東京に向かっているのだが、少々奇天烈なルートで向かう。これこそが僕が皆に「ただの旅行じゃないか」と揶揄される所以だが、実際ただの旅行なので許して欲しい。

中央本線は木曽川に沿う。
今回の旅行初の秘境駅はその中央本線の、まさに木曽川に面する『定光寺駅』だ。空を何枚か撮って、地下道を潜って駅前に出る。当然ながら、人気なし。日本共産党のポスターを横目に歩いていくと、『東海自然歩道』の看板が。昔、どこかの役人が頑張って東海自然歩道を開通させたという話を知っていたので、僅か100mばかり歩いただけだが得した気分に。木曽川を渡る橋からは廃墟となった旅館や川にせり出した家屋を見ることが出来る。ちょうど電車が通ったので写真を撮った。
つまらない。本当につまらない。一体僕は何をしているんだ?何の因果で僕は愛知の山奥に居るんだ?
僕のブログのタイトルは『秘境の旅人』だ。じゃあ秘境ってなんだろうかと言われれば、自ずとそれは秘境駅を指す。定光寺駅はそこそこ人は住んでいるが、これまで経験してきた秘境感は確かにある。秘境感とは、何もないことだろうか。でも、つまらない。どうしてつまらない?
きっと、何もないからだろう。

漠然とした不安を抱えながら僅か20分ばかりの定光寺駅探訪を終えた。

 地下通路

定光寺のホテル廃墟
廃墟マニアには有名らしい

途中でいくらかの駅を乗り換える頃には、もう夜は深まっていた。普通こういう時には僕はカメラを窓にくっつけて、流れていく街の光跡を撮ろうとするのだが、今回はしない。できない。だって、光がないから。
人間に光あれ。

車内には悶々とした空気が漂っていた。まさに悶々とした、旅行独特の雰囲気だ。クロスシートの前の席には男独りが眠っている。他に車内に人は無い。電車は人がいるわけもない駅に律儀に停まっては発車する。まぁ、僕みたいなのがたまにいるからな……。何も見えない窓を眺めても仕方無いため、読書感想文用に持ってきた本『深夜特急』を読み始めた。
独りの方が旅らしい、と書いてあった。
そして、彼のような旅をしたくなった。

塩尻に着くと、僕は前々からしたためておいた『東京行こうとしてたら電車間違えた!(塩尻駅の駅名標の写真)』という大爆笑ツイートをかましたが、あまりいいねが貰えずに残念だった。『いい』んだがな……。
駅前のビジネスホテルでお金を計算し、少しヤバイかもしれないと思った。今思えば、この早い時期に残金がヤバイというのは旅行計画自体が破綻しているようなものなのだが、ともかく僕はセブンイレブンでつまらない低価格!量重視!なパンを買い込んだ。

-帰って、セブンのざるそば(340円)を啜っていると、突如孤独感に襲われた。何を今更、一人旅をしているんだぞ、とは思うが、感じたものは仕方ない……。僕の心が満たされることはあるのだろうか-
メモ帳より引用。
翌日に備え、23時過ぎに就寝。

『二階堂』的写真

次は国道217号探索の記事かもしれません

これまでの旅行記録整理

中2の夏、あるお方の記事『正々堂々と秘境駅に行ってきた』に感化されて旅を始め、3年が経ちました。
そろそろ自分がどこに行ってきたか忘れたので、整理しておきたいと思います。

2014年 夏(青春18) 大分県内各所日帰り
初めての一人旅。色々な場所に行きました。竹田、天ケ瀬、宗太郎、北九州、そして日田。その僕が憧れた旅人が九州編で訪れていたこともあって天ケ瀬に行きました。ゆふいんの森とか撮ったっけな。宗太郎駅は忘れられない思い出です。
竹田
天ケ瀬
宗太郎駅
北九州
日田由布院
また、雑記『夜の宗太郎駅』も。この記事、なぜかめっちゃ伸びてます。

同年 冬(青春18) 九州各所日帰り
2回目は日帰り圏内を色々と巡る旅。本当は南九州にも行きたかったが、例の宗太郎越のせいで無理だった、という。
2回目で一番キテたのが写真の千綿駅への旅。往復16時間で、千綿駅の滞在時間は僅か1時間。なかなか狂ってる旅でした。
北九州周辺 part1 part2
博多周辺 part1 part2
三角線
千綿駅

2015年 夏(青春18) 宗太郎駅等
この年は受験勉強。ゆえに、旅行はほぼできず。ただこの年は、なんといっても重岡宗太郎である。
重岡駅までバスでアプローチし、重岡宗太郎間は灼熱炎天下地獄の下2時間強の徒歩。最悪で最高な思い出だ。

重岡宗太郎の夏

独特の文体に顔が赤く感じるのは気のせいか。

2016年 夏(青春18) 九州一周
高校生になったので、いよいよ一人旅での外泊を開始。4連泊。
前述『正々堂々』シリーズの九州編に憧れ、それを追った旅。
他にも様々な場所を巡った。
この頃から写真に凝り始めたかな。
一番心に残った景色は、上の写真。ずっと続く大地と遠くの海、朝の光。
指宿枕崎線の車窓です。

1日目

…なんと!1日目しか書いてない!!!信じられんな……。

同年 冬(青春18) 山陰
冬は、高校の友人と山陰を2人旅。フィルムカメラを堪能した旅だ。
三江線が懐かしい。

山陰旅行

2017年 春(青春18) 瀬戸内
春は中学の頃からの友人と、瀬戸内を巡った。うさぎ島が特に印象に残っている

瀬戸内スナップ前半戦

後半戦早く書きます。あ、九州一周の記事はもう諦めてください。


以上、意外と色々行っている事とあんまり記事を書いていないことが分かった。
この夏は史上最長の旅行を決行予定!

雷撮影

7月5日、福岡・大分県に『大雨特別警報』が出された。
これを書いている今も日田や朝倉といった地域では豪雨が降っている。

大分市の方は雨はそこまででも無かったが、雷が凄かった。
なので撮った。

Naha City

6月15日から17日にかけて沖縄で行われた、九州総合文化祭の写真部門に参加した。
審査員に写真家、そして冒険家として有名な石川直樹氏がいらっしゃった。
自分の提出作品を講評して頂き、その後サインを貰うこともでき、良い思い出になった。


国際通りと商店街
沖縄には3日間滞在したわけだが、僕はその大半を国際通り周辺で過ごした。国際通りというのは那覇市中心部、約1マイルの繁華街。そしてその付近には数本のアーケード商店街がある。

とにかく人が多く、観光客と観光客狙いの店の、お互いの熱気が凄い。店の看板には『〇〇さんご来店!』といって、安倍首相やら某AV女優やらの名前が躍っている。占い系のお店に特にそれが顕著だったが、お土産屋も何軒もあって、『空港にはない』だとか『最安値』だとかの謳い文句が飛んでいた。当然、お店の前には客引き的におばさんだったり兄ちゃんだったりが立っていて、時折話しかけてくる。

普段だったら、そういう対応には困る。やんわりと笑顔を作りながら、ササーッと通り過ぎる。しかし不思議と、沖縄ではそれに対する不快感は無かった。客引きの人たちが慣れているからだろうか、沖縄の風土がそうさせるのか、僕が沖縄旅行で浮かれているだけなのか。





路上のアート達
そんな那覇の街だが、僕の那覇の、沖縄の第一印象はこれに尽きる。
『治安が悪そう』。
なぜかって、そりゃ周りを見渡せば必ずどこかに『アート』があるからだ。

ゆいレールというモノレールに乗って、空港から市街地へ移動した。QRコード式の切符に戸惑いながら高架駅を下ると、そこには標識がある。標識に造詣が深いので、すぐに『横断禁止』だと分かる。しかし、どこか様子がおかしい。

全く、行政は何をやっているんだ!と思ったが、このアートの量だ、消しても消しても到底追いつかないのだろう。以前、フランスだかの芸術家が東京の道路標識にアートを仕掛けて叩かれるという騒ぎがあったが、ここはもっと酷いじゃないか。

しかし慣れてくると、これらのアーティスト達は何を考え、これを描いたのか、という気分になってくる。最初から冗談半分でアートだとか書いてきたが、本当に『那覇現代美術館』のような気がしてくる。




エロス
撮り鉄界隈の言葉で『エロ光』というのがある。意味は『夕方のオレンヂ光線に赤みを帯びている様子』。魅力的な鉄道写真に仕上がることもあれば、車両本来の色を損ねるのでネガティブなイメージもあるようだ。

何がエロいんだろう。fascinating『魅惑的な』みたく、性的魅惑をその魅力に投影しているのだろうか。広辞苑で『エロス』と引くと、性的な愛欲の他に『プラトン哲学で、イデア(その理想形)に対する憧れの愛のこと』とある。うーん、何か違う。

僕は沖縄で2つの『エロス』を感じた。まず1つ目は『性的な愛欲』の方のエロスだ。
商店街を歩くと、土産物屋の最前列に『ご当地コンドーム!!!500円!!!』とある。友人に買って帰ったわけだが、かくも開放的で良いのかと思うわけだ。それに前述の治安のイメージがつきまとい、エロスとなる。

2つ目は、エロ光とイメージが近い『ゾクゾクするような感覚』だ。
僕が沖縄へ行った3日間、沖縄は大雨だった。沖縄といえば夏、青い海、赤いハイビスカスというまさに『イデア』を空想しながら沖縄に降り立った僕にとって、どんより曇り空時々大雨というのは非常にある意味エロスを感じずにはいられなかったけど、今回のエロスはそっちではない。

傘で写真が撮り辛いな、と思いながら昼を過ごし、夜飯は先生にアグー豚しゃぶしゃぶを奢ってもらい、外に出た。20時を過ぎ、もう空は黒い。僕はとてつもないエロスを感じた。

大雨で路面は濡れ、それが夜の国際通りの光を反射しているのだ。そして、国際通りやその周辺は車通りも多い。テールランプがエロスを撒き散らしていく。そして一番エロかったのは、そのエロい夜景を『白黒』で撮った時だ。実際、腕が未熟なのでその写真は大したことなかった。でも、コンデジだから画面で大きく『白黒の国際通り』を見ながら僕は歩いたわけだ。世界はこんなにも華やいでいるのに、それを白黒だなんて、なんてエロいんだ!




本土
沖縄県は地理的だけでなく、歴史的にもユニークな特色がある。その象徴が『本土』という言葉だ。

かつて琉球王国として栄えた沖縄は、江戸時代には薩摩藩の侵攻を受け、明治には大日本帝國に組み込まれた。そして第2次大戦で、その後の沖縄と日本の関係を決定付ける出来事が起こった。当時の政府は沖縄を捨て駒とみなし、『本土』の防衛準備の時間稼ぎを沖縄守備の部隊に命じたのだ。その後の、民間人を巻き込んだ凄惨な沖縄戦については筆舌に尽くし難い。

戦後、沖縄は25年以上アメリカ領として管理された。その間にアメリカ文化を吸収し、また、復興を遂げたわけだが、彼らは自分達を見捨てた本土の日本国を祖国と考え、祖国復帰運動を50年代に開始。1972年に日本に返還され、現在に至る。

沖縄の政治活動が激しいことは語るまでも無いだろう。奇しくも僕が沖縄を訪れた頃はちょうどテロ等準備罪、所謂『共謀罪』が参院本会議で可決され成立した頃だった。街なかでは左派系政党の選挙カーが叫び、国際通りにはデモ隊が練り歩いていた。地元紙『琉球新報』の当日の朝刊には号外が如き大きさの見出しがついていた。『「共謀罪」法成立』と。

沖縄には未だ多くの問題が残されている。本土と沖縄の食い違いは米軍基地の問題で顕著だが、今回僕が沖縄で出会った光景の全ての背景にはその関係性があるのだろう。



国際通りを一本入ると、お土産物屋や飲食店、そして『現代アート』がひしめく商店街がある。さらにその裏路地を少し進むと、屋根からは雨漏りが滴る、というか降る。アパートだろうか、その壁にはこう書かれていた。『オキナワクルテル オマエノセイダ オマエダヨ』
誰が書いたのだろう。誰に向けて書いたのだろう。



おまけ
『列車待ち』
大分の審査で優秀賞を取って、沖縄行きが決定した写真。

『首里への大三角形』
石川直樹氏に講評を受けた作品。