夏の東京旅行記/第2回
目次
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旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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夏の道
僕は夏の道を歩いていた。
夏の道、というのは僕が勝手に付けた名前だ。
嫌になるほど暑い日だった。昨夜は突然の孤独感に苛まれたため、眠ったのは少し遅めの23時過ぎだった。
秘境駅というのは往々にしてローカル線にあり、ローカル線というのは往々にして列車本数が少ない。だから、始発を逃せない。起きたのは朝の5時頃だ。窓を開けると既に空は明るく、薄い雲の筋が幾重にも連なっていた。
早々に身支度を整え、昨夜見かけた『朝の無料バイキング』とやらを食べに、急な階段を4階から1階まで下った。
昨夜、初日だというのに旅の資金について不安を感じた。そんな折に無料バイキングがあるという話を聞き、この田舎の駅前の、エレベーターも付いていないような小さなホテルを僕はすこぶる見直した。これで数百円が浮く。喜々として1階に降りたがフロントには人がおらず、食堂と称してある部屋にも人影が無く、電気すら点いていない。勝手に食べてほしいと言われていたので、随分開放的なバイキング形式だな、と考えながら勝手に部屋に入った。電気を点ける。正面の張り紙には
『お一人様トースト二枚まで!マーガリン、ジャムはご自由に!』
さて。六月、雨の頃、写真部の大会で沖縄に行った。泊ったのは、那覇市内のアパホテル。そこでは朝には食堂でバイキングがあり、様々なおかずを盛り付け、好き放題食べる事ができた。
僕は昨晩から今に至るまでずっとアパホテル式のバイキングを想像、想定していた。だが、その張り紙は僕のプレートに溢れんばかりにあるはずだったおかずとごはんの朝ごはんを、一瞬にしてパンとマーガリンに変えた。その事実を目の当たりにし、とりあえずはマーガリンをトーストに塗りたくってしっかりと二枚食べた。しかし、全然腹は満たされず、腹八分すらない。こちとら成長期の男子高校生なのだ。昨晩買っておいた非常用のパンが早速出動することとなってしまった。
荷物を取って来て、フロントに鍵を置く。6時前、駅に向かって歩く人影がある。社会が動き始めるこの時間が僕は好きだ。塩尻駅のホームにも、会社員や学生が列車を待っていた。
この塩尻駅はJR東日本とJR東海との境界の駅の一つであり、その駅名標は東日本のグリーンと東海のオレンジの両方が描かれている。そんなカラフルなホームで朝の光を浴びて、南へ向かう列車に乗った。
列車は早朝の町を走る。典型的な田舎路線で、片方は森、片方は田園風景。雑草に露がついていそうな朝だった。辰本駅を過ぎると、列車はいよいよ今回の秘境駅旅行のハイライト、飯田線に入った。
これまで幾度となく書いてきたことだが、僕は中学二年の夏にある旅行記を読み、旅を始めた。学校の長期休暇の度に旅に出た。しかし、中学の頃は日帰り旅行が主だったので、九州島から出ることは殆どなかった。
僕が読んだその旅行記には日本各地の様々な秘境駅や路線が登場した。いつかは行きたいと思っていた。
その一つが飯田線なのだ。路線内に96駅もある日本最大のローカル線で、険しい山間部を走るゆえにいくつも秘境駅がある。中学から僕はこの路線に憧れていて、この旅を計画したのもその憧れからだった。
ただ僕は今、不安に駆られている。昨日の定光寺駅での一件が脳裏を過る。一件といっても何も無かったのだが、その何も無かったことが問題なのだ。どうして旅をしているのだろう。きっと普段ならまだ眠っているであろう時間帯に、どうして僕は大分から遠く離れた山奥のローカル線に揺られているのだろう。
憧れは、どこへいったのだろう。
列車に揺られて一時間、最初の下車駅に着いた。高遠原駅、響きが良い。去る列車を後ろから撮ると、早速手持ち無沙汰になってしまった。
首にカメラを提げる。カメラ、写真機。何か撮らなければならない、何か、僕がここにいた証を残さなければならない。駅前には大きな木がある。木!近くを見回すと、雑草の生い茂るオレンジ色の草地に薄汚れたトラックがある!おお、ナイスノスタルジー!暫く悪戦苦闘していると、向こうの道、馬鹿らしいほど青い空と白い雲、その下には山があって、しかももう少し下には家々がある、そんな向こうの道を軽トラが走る。絶好のチャンスを得たり!素早くカメラを構えたが、構図が悪かった。失敗だ、チクショウ。どうせまたすぐに軽トラの一台や二台通るだろうと思って粘ってみるが、そういう時に限って一向に現れないものだ。やはり写真の神様はそんなに甘くない。神様との根性比べに白旗を揚げ、隣駅へ歩を進めた。
駅前通り、といっても舗装はされていないし民家も少ないが、そのなだらかな坂道を進むと国道に出た。国道と行っても繁華な国道ではなく、都市と都市とを繋ぐ、という機能に特化した方の国道。大体山道なんだけど、たまに集落を通るよ、という国道のその集落部分だったようだ。暫く歩いて横道に逸れる。踏切を渡って奥に行く。
あぁ、しかし夏は暑い。どうしてこうも暑いのか、しかも荷物も重い!しかし冬の方が荷物がかさばるな…さて、暫く歩くと、気持の良い下りの直線道路に出た。農地を貫くアスファルト、奥では農道とクロスしている。
小さな子供が虫取り網を持って走っている。なんてフォトジェニックなんだろう、声を掛けかけたが、近くにお婆ちゃんが居ることに気が付いた。腰が曲がっていて、手押し車を使ってその孫の後を追いかけている。でも、孫は待つ気もさらさら無さげに走っていく。
声を掛けるのをやめる。僕にもこんなことがあっただろうか、と思う。あった気もするし、無かった気もする。白昼夢のようにぼやけた光景が脳裏に浮かぶ。でも、掴めない。
農道を歩いて行く。太陽もだいぶ上がってきた。木々が風に踊っている様子が、木陰、じゃなくて木影から、よく分かる。
道路オタク的な考えを述べると、長野県は非常に細やかに標識を設置している。他の県では考えられないくらいたくさんの警戒標識…黄色いヤツ…がある。それが立ち並んでいる様子が大変フォトジェニックだった。少し時間に追われながら歩くと、坂があった。坂の頂上でカーブミラーが僕を見下ろした。
右に曲がると、夏が広がっていた。
かつてここまでの夏があっただろうか、自分の記憶を辿ってみる。去年の夏の向日葵畑はどうだろう?確かに夏だが、夏というより向日葵な記憶だ。うん、やっぱり初めての夏だ。
1キロも無いだろう、数百メートルの道を歩くのに僕は三十分ほど掛けた。アメリカ横断ウルトラクイズのコンボイレースで見たような、ずーっと続くかのような直線道路。脇にも道路が出ていて、全てを歩いて行きたくなる。庭では向日葵が咲いていた。通るのは僅かな軽トラだけだ。前述の通り、標識もたくさんある。僕はこの道を『夏の道』と呼ぶことにした。
夏、とはなんだろうか。僕は夏を探していた。夏を探しに行こう、いやいや近くにも夏はあるよ、なんて葛藤をしていた。今、僕は、太陽が赤く、空が青ければ夏だ、そう思う。
暫く歩いて、電車に乗った。次はどんな夏があるだろう。
夏の道、というのは僕が勝手に付けた名前だ。
嫌になるほど暑い日だった。昨夜は突然の孤独感に苛まれたため、眠ったのは少し遅めの23時過ぎだった。
秘境駅というのは往々にしてローカル線にあり、ローカル線というのは往々にして列車本数が少ない。だから、始発を逃せない。起きたのは朝の5時頃だ。窓を開けると既に空は明るく、薄い雲の筋が幾重にも連なっていた。
早々に身支度を整え、昨夜見かけた『朝の無料バイキング』とやらを食べに、急な階段を4階から1階まで下った。
昨夜、初日だというのに旅の資金について不安を感じた。そんな折に無料バイキングがあるという話を聞き、この田舎の駅前の、エレベーターも付いていないような小さなホテルを僕はすこぶる見直した。これで数百円が浮く。喜々として1階に降りたがフロントには人がおらず、食堂と称してある部屋にも人影が無く、電気すら点いていない。勝手に食べてほしいと言われていたので、随分開放的なバイキング形式だな、と考えながら勝手に部屋に入った。電気を点ける。正面の張り紙には
『お一人様トースト二枚まで!マーガリン、ジャムはご自由に!』
さて。六月、雨の頃、写真部の大会で沖縄に行った。泊ったのは、那覇市内のアパホテル。そこでは朝には食堂でバイキングがあり、様々なおかずを盛り付け、好き放題食べる事ができた。
僕は昨晩から今に至るまでずっとアパホテル式のバイキングを想像、想定していた。だが、その張り紙は僕のプレートに溢れんばかりにあるはずだったおかずとごはんの朝ごはんを、一瞬にしてパンとマーガリンに変えた。その事実を目の当たりにし、とりあえずはマーガリンをトーストに塗りたくってしっかりと二枚食べた。しかし、全然腹は満たされず、腹八分すらない。こちとら成長期の男子高校生なのだ。昨晩買っておいた非常用のパンが早速出動することとなってしまった。
荷物を取って来て、フロントに鍵を置く。6時前、駅に向かって歩く人影がある。社会が動き始めるこの時間が僕は好きだ。塩尻駅のホームにも、会社員や学生が列車を待っていた。
この塩尻駅はJR東日本とJR東海との境界の駅の一つであり、その駅名標は東日本のグリーンと東海のオレンジの両方が描かれている。そんなカラフルなホームで朝の光を浴びて、南へ向かう列車に乗った。
列車は早朝の町を走る。典型的な田舎路線で、片方は森、片方は田園風景。雑草に露がついていそうな朝だった。辰本駅を過ぎると、列車はいよいよ今回の秘境駅旅行のハイライト、飯田線に入った。
これまで幾度となく書いてきたことだが、僕は中学二年の夏にある旅行記を読み、旅を始めた。学校の長期休暇の度に旅に出た。しかし、中学の頃は日帰り旅行が主だったので、九州島から出ることは殆どなかった。
僕が読んだその旅行記には日本各地の様々な秘境駅や路線が登場した。いつかは行きたいと思っていた。
その一つが飯田線なのだ。路線内に96駅もある日本最大のローカル線で、険しい山間部を走るゆえにいくつも秘境駅がある。中学から僕はこの路線に憧れていて、この旅を計画したのもその憧れからだった。
ただ僕は今、不安に駆られている。昨日の定光寺駅での一件が脳裏を過る。一件といっても何も無かったのだが、その何も無かったことが問題なのだ。どうして旅をしているのだろう。きっと普段ならまだ眠っているであろう時間帯に、どうして僕は大分から遠く離れた山奥のローカル線に揺られているのだろう。
憧れは、どこへいったのだろう。
列車に揺られて一時間、最初の下車駅に着いた。高遠原駅、響きが良い。去る列車を後ろから撮ると、早速手持ち無沙汰になってしまった。
首にカメラを提げる。カメラ、写真機。何か撮らなければならない、何か、僕がここにいた証を残さなければならない。駅前には大きな木がある。木!近くを見回すと、雑草の生い茂るオレンジ色の草地に薄汚れたトラックがある!おお、ナイスノスタルジー!暫く悪戦苦闘していると、向こうの道、馬鹿らしいほど青い空と白い雲、その下には山があって、しかももう少し下には家々がある、そんな向こうの道を軽トラが走る。絶好のチャンスを得たり!素早くカメラを構えたが、構図が悪かった。失敗だ、チクショウ。どうせまたすぐに軽トラの一台や二台通るだろうと思って粘ってみるが、そういう時に限って一向に現れないものだ。やはり写真の神様はそんなに甘くない。神様との根性比べに白旗を揚げ、隣駅へ歩を進めた。
駅前通り、といっても舗装はされていないし民家も少ないが、そのなだらかな坂道を進むと国道に出た。国道と行っても繁華な国道ではなく、都市と都市とを繋ぐ、という機能に特化した方の国道。大体山道なんだけど、たまに集落を通るよ、という国道のその集落部分だったようだ。暫く歩いて横道に逸れる。踏切を渡って奥に行く。
あぁ、しかし夏は暑い。どうしてこうも暑いのか、しかも荷物も重い!しかし冬の方が荷物がかさばるな…さて、暫く歩くと、気持の良い下りの直線道路に出た。農地を貫くアスファルト、奥では農道とクロスしている。
小さな子供が虫取り網を持って走っている。なんてフォトジェニックなんだろう、声を掛けかけたが、近くにお婆ちゃんが居ることに気が付いた。腰が曲がっていて、手押し車を使ってその孫の後を追いかけている。でも、孫は待つ気もさらさら無さげに走っていく。
声を掛けるのをやめる。僕にもこんなことがあっただろうか、と思う。あった気もするし、無かった気もする。白昼夢のようにぼやけた光景が脳裏に浮かぶ。でも、掴めない。
農道を歩いて行く。太陽もだいぶ上がってきた。木々が風に踊っている様子が、木陰、じゃなくて木影から、よく分かる。
道路オタク的な考えを述べると、長野県は非常に細やかに標識を設置している。他の県では考えられないくらいたくさんの警戒標識…黄色いヤツ…がある。それが立ち並んでいる様子が大変フォトジェニックだった。少し時間に追われながら歩くと、坂があった。坂の頂上でカーブミラーが僕を見下ろした。
右に曲がると、夏が広がっていた。
かつてここまでの夏があっただろうか、自分の記憶を辿ってみる。去年の夏の向日葵畑はどうだろう?確かに夏だが、夏というより向日葵な記憶だ。うん、やっぱり初めての夏だ。
1キロも無いだろう、数百メートルの道を歩くのに僕は三十分ほど掛けた。アメリカ横断ウルトラクイズのコンボイレースで見たような、ずーっと続くかのような直線道路。脇にも道路が出ていて、全てを歩いて行きたくなる。庭では向日葵が咲いていた。通るのは僅かな軽トラだけだ。前述の通り、標識もたくさんある。僕はこの道を『夏の道』と呼ぶことにした。
夏、とはなんだろうか。僕は夏を探していた。夏を探しに行こう、いやいや近くにも夏はあるよ、なんて葛藤をしていた。今、僕は、太陽が赤く、空が青ければ夏だ、そう思う。
暫く歩いて、電車に乗った。次はどんな夏があるだろう。
個人的な話ではありますが、目前に控えている修学旅行と何か重なるようなものを感じ、こころを踊らされるものと感じました。その土地でしか味わえない一瞬をとらえていく秘境の旅人さんのブログをこれからも楽しみにしてます。
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