高校2年生の夏といえば、中学の頃から思い描いていた夢の夏であった。
今思えば、『高3の夏は受験勉強一色だろう、じゃあ思いっきり遊べるのは高2までだ、じゃあ高2の夏が一番楽しいのだ』とか(よく分からない)理屈を付けて、楽しみが先にあるということを自分に期待させていたのかもしれない。
が、高2の夏は特に何の感慨もなくやってきて、いつの間にか去ろうとしている。
今思えば、『高3の夏は受験勉強一色だろう、じゃあ思いっきり遊べるのは高2までだ、じゃあ高2の夏が一番楽しいのだ』とか(よく分からない)理屈を付けて、楽しみが先にあるということを自分に期待させていたのかもしれない。
が、高2の夏は特に何の感慨もなくやってきて、いつの間にか去ろうとしている。
今回の旅は、そんな期待させておいて大したことない夏を期待しておいた大したことある夏にするための僕の努力の賜物である。
前回の記事で整理したところによると、今回が青春18きっぷ7回目の旅だ。
青春18きっぷを青春時代に使うのはこれが最後だろうか。
ともかく、7回目ともなると肝は座り、その分旅程は伸びていく。
今回は独りだ!一週間だ!
前回の記事で整理したところによると、今回が青春18きっぷ7回目の旅だ。
青春18きっぷを青春時代に使うのはこれが最後だろうか。
ともかく、7回目ともなると肝は座り、その分旅程は伸びていく。
今回は独りだ!一週間だ!
前々回、そして前回は友人と旅をした。
しかし今回は独り、というのは別に僕がセンチメンタル孤独旅行を好んだわけではなく、単に誰も付いてこなかっただけである。然るべき孤独であった。
しかし今回は独り、というのは別に僕がセンチメンタル孤独旅行を好んだわけではなく、単に誰も付いてこなかっただけである。然るべき孤独であった。
目的地は東京。東京大学オープンキャンパスに参加するためだ。
しかし本当のところ、僕は北海道に行きたかった。夏の北海道は良い。
何度東京大学が北海道にあれば良いのにと思ったことだろうか。
しかも別にさほどオープンキャンパスに参加したかったわけでも無く、そうでもしないと親はこんなデタラメな旅行はさせてくれないだろう、と踏んだだけの、建前、飾りのオープンキャンパスだったのだ。
しかし本当のところ、僕は北海道に行きたかった。夏の北海道は良い。
何度東京大学が北海道にあれば良いのにと思ったことだろうか。
しかも別にさほどオープンキャンパスに参加したかったわけでも無く、そうでもしないと親はこんなデタラメな旅行はさせてくれないだろう、と踏んだだけの、建前、飾りのオープンキャンパスだったのだ。
ともかく、夏を感じるぜ、楽しむぜ、写真を撮るぜ見るぜレンズを買うぜという単純な行動原理のもと僕は旅を計画し、7月29日に出発したのだ。
目次
旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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第1回 旅と回想
初めて船に乗ったのは確か幼稚園の頃だ。香川への家族旅行だっただろうか、おそらく『国道九四フェリー』だと思う。その日は海が荒れていて、僕は初めてのフェリーで船酔いをしてしまった。
今、フェリーの甲板には大勢の家族連れやカップルが、港に向けて出発のテープを放り投げている。
昔は家族で旅行なんかしていた僕も今や無駄に逞しくなり、一人旅も今回で何回目だろうか分からないほどになった。
門司港に行った時、僕は平成筑豊鉄道の短い観光路線である『門司港レトロ線』に乗った。車内はボックスシート、つまり2人掛けの席が向かい合っているタイプだった。僕は迷うこと無くその窓側の席に座ったのだが、これがいけなかった。周りは家族連ればかり、皆僕よりもよっぽどボックスシートを必要としていた。車内には立ち客もいる。結局僕の入った4人用の空間は僕だけの為に使われ、大変いたたまれない思いをした。と同時に、なんで1人で旅なんかしてるんだろうと虚しく感じた。
冬、春と5日間の旅行をしてきたが、その時は隣に友人が居た。でも今回は一人旅、しかも7日間と長い。甲板で門司港の思い出が蘇った僕は海に背を向け、独りベッドへと帰った。
今回の夏の旅行の目的地に僕が選んだのは、首都・東京だ。東大オープンキャンパスという建前で出発にこぎつけたが、東京を選んだのは街のスナップをしたかったという理由もある。ともかく遠くへ行きたい、写真を撮りたい。その一心だ。
僕が乗ったのは『さんふらわあ』というフェリーで、大分と神戸を結ぶ。冬の旅行の際には友人3人と『ツーリスト部屋』という、つまり雑魚寝部屋に泊まった。が、今回は独り、なんとも心細い。一応ブログ名からも分かる通り”ツーリスト(旅人)”を気取ってはいるものの、今回は数千円余分に払ってカプセルホテルのようなベッドにありつくことにした。
ベッドはあまり期待はしていなかったが、寝心地が良さそうだ。だが、部屋の外ではsoftbank 4Gが繋がるにも関わらず部屋の中は圏外で、Wi-Fiの具合も良くない。ネット中毒の僕にしてみれば、これではツーリスト部屋の方が良いではないか!と叫びたくなるというものだ。
ツーリストなのにツーリスト部屋から逃げ出した僕への報いだと諦めて、ベッドのカーテンを閉め、『君の名は。』を観た。
観終えた後、ロビーに行ってカップヌードルを食べる。本来定価180円の筈のカップヌードルは船内の自販機ではさも当然と言った顔で260円の札を掲げており、しまった、コンビニで買っておくんだった、と後悔する。しかしまた、どうして『260円』なのか。多分フェリー会社の会議で「じゃあ300円ということでよろしいでしょうか?」「待て、あまりに高い!ここは250円でどうだろうか。」「じゃあ、せめて10円プラスして『260円』でどうでしょうか」なんてやり取りがあったに違いない。卑しい!180円というのは『メーカー希望小売価格』だ。希望しているんだぞ!日清の希望を無視するな!
310円を投入したところ10円玉が一枚ずつ丁寧に5枚返ってきたので若干苛立ちつつ、ロビーで外を眺めながら食べる。といってももう夜は深まっていて、わずかな灯が見えるだけだ。そこでは外国人旅行客や酔っぱらい達がガヤガヤと喋っている。
不意に僕は孤独感に襲われた。それは例えるならSF世界の、恒星系間ロケットに独りで搭乗しているような類の孤独感だった。Twitterに2時間前に投稿した内容が今頃ネットワークに流れたことに、よくある『地球との連絡に往復で一年間かかってしまう……』みたいなイメージを掴んだのかもしれない。
ボイジャー1号を知っているだろうか。
1977年に打ち上げられた"彼"は本来の目的である惑星探査ミッションを終えた後、惑星探査機から星間探査機へと役割を変えて今も深宇宙を時速61,333kmで進んでいる。"彼"は地球から最も遠くにある人工物となっており、今も地球との交信を片道17時間かけて行っている。太陽圏から脱した彼の行き先は果てしなく広く暗く何もない宇宙空間であり、最も近い恒星αケンタウリに到達するのにも8万年かかるという。
Voyager:航海する者。僕は喧騒のロビーを後にし、これからの途方も無く馬鹿げた旅へ思いを馳せた。東京の週間天気予報は曇りや雨だらけだ。(後に分かるが、東京では僕がまさに東京に着いた8月1日から21日間に渡って雨が毎日降り続ける。)晴れてくれよ、頼むよ。眠りに落ちていく。船の微妙な揺れに、今僕は瀬戸内海を東に突き進んでいる……言い換えれば"今僕は航海をしている"という感触を確かに掴みながら。
朝7時に目覚めてバイキングで軽い朝食を済ませ、神戸に降り立つ。連絡バスに鮨詰めにされるのは前回も同様だったのでもう諦めている。JR住吉駅で18きっぷに印を貰う。『住吉駅』の印を貰ったのも前回と同じだ。
東海道線新快速の旅は退屈だ。新幹線の旅を楽しいという者は(7日後の僕を除けば)ほとんどいないだろうが、ともかく駅を飛ばすのは良くない。じゃあ各停で行けという話だが、それもまた違う……。時間と車窓を天秤にかけた結果なのだから。
大阪駅で阪急電車に乗り換える。噂の、大阪駅とヨドバシカメラを繋ぐ新しい橋の写真を撮った。これが、今回の旅で「大分にヨドバシカメラが欲しい!」と思った1回目の体験である。中心部の病院の予定地だった場所を大分市は公園にすると発表していたが、そこはマルチメディアヨドバシカメラを誘致して欲しいところである。実際、市民はそれを望んでいるだろう。
梅田駅で乗り換えに戸惑うも、なんとか「普通列車ならどの電車に乗っても中津駅には停まる」ことを理解し、数本の電車を逃した後悔と共に中津へ移動した。旅慣れているといっても、所詮"18きっぱー"なのだ。
阪急の中津駅といえば乗換案内アプリで我が地元大分県中津市の中津駅を差し置いて最初の候補として上がるゆえに、大分県の条例で立ち入ってはならないとされている駅である。今回その一大禁忌を犯すのでもう地元には帰れない、とまぁそれは置いといて、僕がここを訪れたのは高架下のアンダーグラウンド的世界を垣間見るためだった。昼間でも薄暗い、という。手持ちのコンデジ(SONY-RX100)の絞りを開放付近に設定し、心を躍らせながら中津駅に降り立った。
プラットフォームは狭いし、外は暑い。夏に旅行をするというのはある意味で理想、ノスタルジーの追求と僕は位置付けているのだが、いくらノスタルジックな気分になったところで気温が下がるわけではない。階段を降ると早速アンダーグラウンドを彷彿とさせる、公衆トイレみたいな色の灯が照らす高架下の商店街があった。しかし営業をしている店は見受けられない。この雰囲気から察するに、寧ろ営業をしていた方が驚きだ、なんて考えながら高架下の駅舎を出た。
単純に述べて、世に聞く大阪的な治安の悪さを感じた。別に、僕の目の前で強盗があっただとか、ひったくり被害にあった、カツアゲされたなんてことはなく、ただの人生経験の少ない僕の感想である。『大阪=治安が悪い』というイメージが、僕の中で何かにすっぽり収まった気がする。
結果から言ってしまえば、残念ながら僕の望んだ高架下街はほぼ見受けられなかった。事前にリサーチをした場所には白い防音壁と『工事中!』の文字が躍る。再開発の魔の手は浪漫を簡単に打ち砕くのだ。この駅周辺で僕が見たものといえば、花火大会の広告とドライアイスか何かの白い霧が充満する謎の店くらいのものだった。
狭いホームで茶色い電車の到着を待つ。2,3本の急行列車(のようなもの)に通り過ぎられいい加減暑さに耐えきれなくなった頃、ようやく普通列車が到着した。小沢健二のフジロックの動画がTwitterに上がっていたので、しばしそれに聞き入った。
小沢健二の曲に『僕らが旅に出る理由』ってのがある。遠くまで旅する恋人に、溢れる幸せを祈るよ、なんて曲。でも、歌詞中ではタイトルの解説をしていない。ただ『ぼくらの住むこの世界には旅に出る理由があり 誰もみな手を振ってはしばし別れる』と歌うだけ。では、僕はどうして旅をするのだろう?
旅気分でそう考えながら、大阪モノレールに乗り換えた。値段が強烈に高かった気がする。大阪の北の方の街を眺め、15分程度で万博記念公園駅に着いた。
引用が連続するが、マンガ『20世紀少年』はご存知だろうか。というか、まず大阪万博はご存知だろうか。大阪万博というのは、まぁ調べて欲しいのだけど、簡単に説明すると『人類の進歩と調和』だ!……1970年に大阪の千里丘陵で開かれた万国博覧会のことである。『20世紀少年』にはその大阪万博で岡本太郎が制作した『太陽の塔』が、昭和の思い出として、象徴として描かれている。親がこの漫画を好きだったので、僕は幼い頃にこれを読んだ。ゆえに、僕の幼少期の記憶には明確にこの昭和の象徴・太陽の塔が刻まれているのだ。
T.REXの20th Century Boyを脳内で再生しながら、駅を出て公園の方まで歩いて行く。遠くに白く赤い巨大な塔がある。入場ゲートを通過すると目の前にこいつは鎮座、というか屹立している。首から提げていた銀塩カメラのファインダーを覗き、久しぶりだな、と呟いてシャッターを切った。
曇天の下、向日葵が咲いていた。
昨年は宮崎県高鍋町の壮大な向日葵畑を巡った。今年も高鍋町と同等の向日葵を撮りに行こうとGoogleに『ひまわり畑 本州』と打ち込んだ。しかし、ひまわり畑は沢山有るもののいまいち本数が少ない。結論から言えば、高鍋町は圧倒的に広大な向日葵畑すぎたのだ。僕の中ではもうあれが、一千百万本の向日葵が向日葵畑のスタンダードになってしまい、とても数千本、数万本程度で満足できそうにない。
というわけで、今年は敢えて向日葵畑まで出向かず、万博記念公園のちょっとした向日葵でお茶を濁すことにしたわけだが、あいにくの曇天だ。とてもノスタルジックで心を擽る写真は撮れそうにない。適当に何十枚か撮って、すぐに退散した。
やはり僕の中でのホンモノは高鍋町しか無いのだろうか。またいずれ、九州一周旅行の最終日に日豊線高鍋駅を降りて、ダジャレ好きの運転手の相手をしながらタクシーで、あの壮大で壮麗な向日葵を……。
万博記念公園から一時間弱で阪急梅田駅に着き、昼飯は『横綱』とかいったラーメン屋で済ませた。新快速まで時間があったので本屋で参考書を眺めて暇を潰した。
13時ちょうどの新快速に乗る。うたた寝をし、米原・大垣で乗り換えると3時間も掛からずに名古屋に着いた。九州育ちの僕にはこの大都市間が3時間弱という距離感がよく判らないが、近いんだろうか……、いずれにせよ、新快速は便利だ。
名古屋駅のプラットフォームで『名物!きしめん』を食べる。食券を買ってから出されるまでに10分弱掛かり、そんなんでやっていけるのかなんて考えながら、淡々とすすった。おいしい。しかし、10分に見合うかといえば微妙だ。16時09分、名古屋駅発車。
16時09分の電車は確か『多治見』行きだった。多治見とは『美濃焼の産地として知られており、市内には由緒ある窯元や陶磁器が……』つまり、岐阜県の都市だ、そう岐阜県。僕は東京に向かっているのだが、少々奇天烈なルートで向かう。これこそが僕が皆に「ただの旅行じゃないか」と揶揄される所以だが、実際ただの旅行なので許して欲しい。
中央本線は木曽川に沿う。
今回の旅行初の秘境駅はその中央本線の、まさに木曽川に面する『定光寺駅』だ。空を何枚か撮って、地下道を潜って駅前に出る。当然ながら、人気なし。日本共産党のポスターを横目に歩いていくと、『東海自然歩道』の看板が。昔、どこかの役人が頑張って東海自然歩道を開通させたという話を知っていたので、僅か100mばかり歩いただけだが得した気分に。木曽川を渡る橋からは廃墟となった旅館や川にせり出した家屋を見ることが出来る。ちょうど電車が通ったので写真を撮った。
つまらない。本当につまらない。一体僕は何をしているんだ?何の因果で僕は愛知の山奥に居るんだ?
僕のブログのタイトルは『秘境の旅人』だ。じゃあ秘境ってなんだろうかと言われれば、自ずとそれは秘境駅を指す。定光寺駅はそこそこ人は住んでいるが、これまで経験してきた秘境感は確かにある。秘境感とは、何もないことだろうか。でも、つまらない。どうしてつまらない?
きっと、何もないからだろう。
漠然とした不安を抱えながら僅か20分ばかりの定光寺駅探訪を終えた。
途中でいくらかの駅を乗り換える頃には、もう夜は深まっていた。普通こういう時には僕はカメラを窓にくっつけて、流れていく街の光跡を撮ろうとするのだが、今回はしない。できない。だって、光がないから。
人間に光あれ。
車内には悶々とした空気が漂っていた。まさに悶々とした、旅行独特の雰囲気だ。クロスシートの前の席には男独りが眠っている。他に車内に人は無い。電車は人がいるわけもない駅に律儀に停まっては発車する。まぁ、僕みたいなのがたまにいるからな……。何も見えない窓を眺めても仕方無いため、読書感想文用に持ってきた本『深夜特急』を読み始めた。
独りの方が旅らしい、と書いてあった。
そして、彼のような旅をしたくなった。
塩尻に着くと、僕は前々からしたためておいた『東京行こうとしてたら電車間違えた!(塩尻駅の駅名標の写真)』という大爆笑ツイートをかましたが、あまりいいねが貰えずに残念だった。『いい』んだがな……。
駅前のビジネスホテルでお金を計算し、少しヤバイかもしれないと思った。今思えば、この早い時期に残金がヤバイというのは旅行計画自体が破綻しているようなものなのだが、ともかく僕はセブンイレブンでつまらない低価格!量重視!なパンを買い込んだ。
-帰って、セブンのざるそば(340円)を啜っていると、突如孤独感に襲われた。何を今更、一人旅をしているんだぞ、とは思うが、感じたものは仕方ない……。僕の心が満たされることはあるのだろうか-
メモ帳より引用。
翌日に備え、23時過ぎに就寝。
今、フェリーの甲板には大勢の家族連れやカップルが、港に向けて出発のテープを放り投げている。
昔は家族で旅行なんかしていた僕も今や無駄に逞しくなり、一人旅も今回で何回目だろうか分からないほどになった。
門司港に行った時、僕は平成筑豊鉄道の短い観光路線である『門司港レトロ線』に乗った。車内はボックスシート、つまり2人掛けの席が向かい合っているタイプだった。僕は迷うこと無くその窓側の席に座ったのだが、これがいけなかった。周りは家族連ればかり、皆僕よりもよっぽどボックスシートを必要としていた。車内には立ち客もいる。結局僕の入った4人用の空間は僕だけの為に使われ、大変いたたまれない思いをした。と同時に、なんで1人で旅なんかしてるんだろうと虚しく感じた。
冬、春と5日間の旅行をしてきたが、その時は隣に友人が居た。でも今回は一人旅、しかも7日間と長い。甲板で門司港の思い出が蘇った僕は海に背を向け、独りベッドへと帰った。
今回の夏の旅行の目的地に僕が選んだのは、首都・東京だ。東大オープンキャンパスという建前で出発にこぎつけたが、東京を選んだのは街のスナップをしたかったという理由もある。ともかく遠くへ行きたい、写真を撮りたい。その一心だ。
港の作業員さんが見送っていた。
僕が乗ったのは『さんふらわあ』というフェリーで、大分と神戸を結ぶ。冬の旅行の際には友人3人と『ツーリスト部屋』という、つまり雑魚寝部屋に泊まった。が、今回は独り、なんとも心細い。一応ブログ名からも分かる通り”ツーリスト(旅人)”を気取ってはいるものの、今回は数千円余分に払ってカプセルホテルのようなベッドにありつくことにした。
ベッドはあまり期待はしていなかったが、寝心地が良さそうだ。だが、部屋の外ではsoftbank 4Gが繋がるにも関わらず部屋の中は圏外で、Wi-Fiの具合も良くない。ネット中毒の僕にしてみれば、これではツーリスト部屋の方が良いではないか!と叫びたくなるというものだ。
ツーリストなのにツーリスト部屋から逃げ出した僕への報いだと諦めて、ベッドのカーテンを閉め、『君の名は。』を観た。
船というのは"動くホテル"だ。
観終えた後、ロビーに行ってカップヌードルを食べる。本来定価180円の筈のカップヌードルは船内の自販機ではさも当然と言った顔で260円の札を掲げており、しまった、コンビニで買っておくんだった、と後悔する。しかしまた、どうして『260円』なのか。多分フェリー会社の会議で「じゃあ300円ということでよろしいでしょうか?」「待て、あまりに高い!ここは250円でどうだろうか。」「じゃあ、せめて10円プラスして『260円』でどうでしょうか」なんてやり取りがあったに違いない。卑しい!180円というのは『メーカー希望小売価格』だ。希望しているんだぞ!日清の希望を無視するな!
310円を投入したところ10円玉が一枚ずつ丁寧に5枚返ってきたので若干苛立ちつつ、ロビーで外を眺めながら食べる。といってももう夜は深まっていて、わずかな灯が見えるだけだ。そこでは外国人旅行客や酔っぱらい達がガヤガヤと喋っている。
甘釘祭には参加せず……。
値段はアレだが、船のカップ麺はうまい。
これこそプラシーボ効果だ。
不意に僕は孤独感に襲われた。それは例えるならSF世界の、恒星系間ロケットに独りで搭乗しているような類の孤独感だった。Twitterに2時間前に投稿した内容が今頃ネットワークに流れたことに、よくある『地球との連絡に往復で一年間かかってしまう……』みたいなイメージを掴んだのかもしれない。
ボイジャー1号を知っているだろうか。
1977年に打ち上げられた"彼"は本来の目的である惑星探査ミッションを終えた後、惑星探査機から星間探査機へと役割を変えて今も深宇宙を時速61,333kmで進んでいる。"彼"は地球から最も遠くにある人工物となっており、今も地球との交信を片道17時間かけて行っている。太陽圏から脱した彼の行き先は果てしなく広く暗く何もない宇宙空間であり、最も近い恒星αケンタウリに到達するのにも8万年かかるという。
Voyager:航海する者。僕は喧騒のロビーを後にし、これからの途方も無く馬鹿げた旅へ思いを馳せた。東京の週間天気予報は曇りや雨だらけだ。(後に分かるが、東京では僕がまさに東京に着いた8月1日から21日間に渡って雨が毎日降り続ける。)晴れてくれよ、頼むよ。眠りに落ちていく。船の微妙な揺れに、今僕は瀬戸内海を東に突き進んでいる……言い換えれば"今僕は航海をしている"という感触を確かに掴みながら。
でも、後悔はしていない。
---朝7時に目覚めてバイキングで軽い朝食を済ませ、神戸に降り立つ。連絡バスに鮨詰めにされるのは前回も同様だったのでもう諦めている。JR住吉駅で18きっぷに印を貰う。『住吉駅』の印を貰ったのも前回と同じだ。
東海道線新快速の旅は退屈だ。新幹線の旅を楽しいという者は(7日後の僕を除けば)ほとんどいないだろうが、ともかく駅を飛ばすのは良くない。じゃあ各停で行けという話だが、それもまた違う……。時間と車窓を天秤にかけた結果なのだから。
大阪駅で阪急電車に乗り換える。噂の、大阪駅とヨドバシカメラを繋ぐ新しい橋の写真を撮った。これが、今回の旅で「大分にヨドバシカメラが欲しい!」と思った1回目の体験である。中心部の病院の予定地だった場所を大分市は公園にすると発表していたが、そこはマルチメディアヨドバシカメラを誘致して欲しいところである。実際、市民はそれを望んでいるだろう。
梅田駅で乗り換えに戸惑うも、なんとか「普通列車ならどの電車に乗っても中津駅には停まる」ことを理解し、数本の電車を逃した後悔と共に中津へ移動した。旅慣れているといっても、所詮"18きっぱー"なのだ。
阪急の中津駅といえば乗換案内アプリで我が地元大分県中津市の中津駅を差し置いて最初の候補として上がるゆえに、大分県の条例で立ち入ってはならないとされている駅である。今回その一大禁忌を犯すのでもう地元には帰れない、とまぁそれは置いといて、僕がここを訪れたのは高架下のアンダーグラウンド的世界を垣間見るためだった。昼間でも薄暗い、という。手持ちのコンデジ(SONY-RX100)の絞りを開放付近に設定し、心を躍らせながら中津駅に降り立った。
阪急中津駅の何が悪いって、大分の中津駅よりも上に出る癖に
各停しか停まらない所だよな。
プラットフォームは狭いし、外は暑い。夏に旅行をするというのはある意味で理想、ノスタルジーの追求と僕は位置付けているのだが、いくらノスタルジックな気分になったところで気温が下がるわけではない。階段を降ると早速アンダーグラウンドを彷彿とさせる、公衆トイレみたいな色の灯が照らす高架下の商店街があった。しかし営業をしている店は見受けられない。この雰囲気から察するに、寧ろ営業をしていた方が驚きだ、なんて考えながら高架下の駅舎を出た。
単純に述べて、世に聞く大阪的な治安の悪さを感じた。別に、僕の目の前で強盗があっただとか、ひったくり被害にあった、カツアゲされたなんてことはなく、ただの人生経験の少ない僕の感想である。『大阪=治安が悪い』というイメージが、僕の中で何かにすっぽり収まった気がする。
結果から言ってしまえば、残念ながら僕の望んだ高架下街はほぼ見受けられなかった。事前にリサーチをした場所には白い防音壁と『工事中!』の文字が躍る。再開発の魔の手は浪漫を簡単に打ち砕くのだ。この駅周辺で僕が見たものといえば、花火大会の広告とドライアイスか何かの白い霧が充満する謎の店くらいのものだった。
でも、たまらない。
狭いホームで茶色い電車の到着を待つ。2,3本の急行列車(のようなもの)に通り過ぎられいい加減暑さに耐えきれなくなった頃、ようやく普通列車が到着した。小沢健二のフジロックの動画がTwitterに上がっていたので、しばしそれに聞き入った。
小沢健二の曲に『僕らが旅に出る理由』ってのがある。遠くまで旅する恋人に、溢れる幸せを祈るよ、なんて曲。でも、歌詞中ではタイトルの解説をしていない。ただ『ぼくらの住むこの世界には旅に出る理由があり 誰もみな手を振ってはしばし別れる』と歌うだけ。では、僕はどうして旅をするのだろう?
旅気分でそう考えながら、大阪モノレールに乗り換えた。値段が強烈に高かった気がする。大阪の北の方の街を眺め、15分程度で万博記念公園駅に着いた。
引用が連続するが、マンガ『20世紀少年』はご存知だろうか。というか、まず大阪万博はご存知だろうか。大阪万博というのは、まぁ調べて欲しいのだけど、簡単に説明すると『人類の進歩と調和』だ!……1970年に大阪の千里丘陵で開かれた万国博覧会のことである。『20世紀少年』にはその大阪万博で岡本太郎が制作した『太陽の塔』が、昭和の思い出として、象徴として描かれている。親がこの漫画を好きだったので、僕は幼い頃にこれを読んだ。ゆえに、僕の幼少期の記憶には明確にこの昭和の象徴・太陽の塔が刻まれているのだ。
T.REXの20th Century Boyを脳内で再生しながら、駅を出て公園の方まで歩いて行く。遠くに白く赤い巨大な塔がある。入場ゲートを通過すると目の前にこいつは鎮座、というか屹立している。首から提げていた銀塩カメラのファインダーを覗き、久しぶりだな、と呟いてシャッターを切った。
良い顔してる。
曇天の下、向日葵が咲いていた。
昨年は宮崎県高鍋町の壮大な向日葵畑を巡った。今年も高鍋町と同等の向日葵を撮りに行こうとGoogleに『ひまわり畑 本州』と打ち込んだ。しかし、ひまわり畑は沢山有るもののいまいち本数が少ない。結論から言えば、高鍋町は圧倒的に広大な向日葵畑すぎたのだ。僕の中ではもうあれが、一千百万本の向日葵が向日葵畑のスタンダードになってしまい、とても数千本、数万本程度で満足できそうにない。
というわけで、今年は敢えて向日葵畑まで出向かず、万博記念公園のちょっとした向日葵でお茶を濁すことにしたわけだが、あいにくの曇天だ。とてもノスタルジックで心を擽る写真は撮れそうにない。適当に何十枚か撮って、すぐに退散した。
やはり僕の中でのホンモノは高鍋町しか無いのだろうか。またいずれ、九州一周旅行の最終日に日豊線高鍋駅を降りて、ダジャレ好きの運転手の相手をしながらタクシーで、あの壮大で壮麗な向日葵を……。
露出バッチリ
もうちょい
万博記念公園から一時間弱で阪急梅田駅に着き、昼飯は『横綱』とかいったラーメン屋で済ませた。新快速まで時間があったので本屋で参考書を眺めて暇を潰した。
13時ちょうどの新快速に乗る。うたた寝をし、米原・大垣で乗り換えると3時間も掛からずに名古屋に着いた。九州育ちの僕にはこの大都市間が3時間弱という距離感がよく判らないが、近いんだろうか……、いずれにせよ、新快速は便利だ。
人多し
やっぱ日本か
名古屋駅のプラットフォームで『名物!きしめん』を食べる。食券を買ってから出されるまでに10分弱掛かり、そんなんでやっていけるのかなんて考えながら、淡々とすすった。おいしい。しかし、10分に見合うかといえば微妙だ。16時09分、名古屋駅発車。
名古屋駅の片隅に
16時09分の電車は確か『多治見』行きだった。多治見とは『美濃焼の産地として知られており、市内には由緒ある窯元や陶磁器が……』つまり、岐阜県の都市だ、そう岐阜県。僕は東京に向かっているのだが、少々奇天烈なルートで向かう。これこそが僕が皆に「ただの旅行じゃないか」と揶揄される所以だが、実際ただの旅行なので許して欲しい。
中央本線は木曽川に沿う。
今回の旅行初の秘境駅はその中央本線の、まさに木曽川に面する『定光寺駅』だ。空を何枚か撮って、地下道を潜って駅前に出る。当然ながら、人気なし。日本共産党のポスターを横目に歩いていくと、『東海自然歩道』の看板が。昔、どこかの役人が頑張って東海自然歩道を開通させたという話を知っていたので、僅か100mばかり歩いただけだが得した気分に。木曽川を渡る橋からは廃墟となった旅館や川にせり出した家屋を見ることが出来る。ちょうど電車が通ったので写真を撮った。
つまらない。本当につまらない。一体僕は何をしているんだ?何の因果で僕は愛知の山奥に居るんだ?
僕のブログのタイトルは『秘境の旅人』だ。じゃあ秘境ってなんだろうかと言われれば、自ずとそれは秘境駅を指す。定光寺駅はそこそこ人は住んでいるが、これまで経験してきた秘境感は確かにある。秘境感とは、何もないことだろうか。でも、つまらない。どうしてつまらない?
きっと、何もないからだろう。
漠然とした不安を抱えながら僅か20分ばかりの定光寺駅探訪を終えた。
地下通路
定光寺のホテル廃墟
廃墟マニアには有名らしい
途中でいくらかの駅を乗り換える頃には、もう夜は深まっていた。普通こういう時には僕はカメラを窓にくっつけて、流れていく街の光跡を撮ろうとするのだが、今回はしない。できない。だって、光がないから。
人間に光あれ。
車内には悶々とした空気が漂っていた。まさに悶々とした、旅行独特の雰囲気だ。クロスシートの前の席には男独りが眠っている。他に車内に人は無い。電車は人がいるわけもない駅に律儀に停まっては発車する。まぁ、僕みたいなのがたまにいるからな……。何も見えない窓を眺めても仕方無いため、読書感想文用に持ってきた本『深夜特急』を読み始めた。
独りの方が旅らしい、と書いてあった。
そして、彼のような旅をしたくなった。
塩尻に着くと、僕は前々からしたためておいた『東京行こうとしてたら電車間違えた!(塩尻駅の駅名標の写真)』という大爆笑ツイートをかましたが、あまりいいねが貰えずに残念だった。『いい』んだがな……。
駅前のビジネスホテルでお金を計算し、少しヤバイかもしれないと思った。今思えば、この早い時期に残金がヤバイというのは旅行計画自体が破綻しているようなものなのだが、ともかく僕はセブンイレブンでつまらない低価格!量重視!なパンを買い込んだ。
-帰って、セブンのざるそば(340円)を啜っていると、突如孤独感に襲われた。何を今更、一人旅をしているんだぞ、とは思うが、感じたものは仕方ない……。僕の心が満たされることはあるのだろうか-
メモ帳より引用。
翌日に備え、23時過ぎに就寝。
『二階堂』的写真
次は国道217号探索の記事かもしれません
とても楽しく読ませてもらってます。その先にある旅に対する高揚感や焦燥がリアリティを持って伝わってきて楽しい文章だと思います。豊かな語彙や経験、知識などから繰り出される表現によって引き込まれる紀行文をこれからも楽しみにしてます!
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