「探求をやめるなかれ。すべての探求の最後に我らは初源の場所に戻り、
そこがどこかを初めて知るだろう。」
T・S・エリオット
キュラソーは、17世紀から2023年現在に至るまで存続している、オランダの植民地・構成国である。
キュラソーの現在の法的な立場は、ヨーロッパに領土を持つ「オランダ」と対等な立場で「オランダ王国」を構成する国(地域)である。脱植民地主義的妥協の産物、といったところである。
地理的には、南米大陸・ベネズエラの北部、カリブ海に位置する。
周辺に同じくオランダ王国を構成するアルバ島・ボネール島があり、その頭文字をとってABC諸島と総称されている。
上記の地図のように、カリブ海地域のオランダ植民地は、ベネズエラ沖のABC諸島の他に、小アンティル諸島北部のSSS諸島がある。
これら6島は1954年から「オランダ領アンティル」として編成されており、キュラソーはその主都であった。
最も興味をそそる点は、なぜキュラソーは未だにオランダに留まっているのか?という点である。
キュラソーに限らず、カリブ海や太平洋の島々を中心に、現在でも、ヨーロッパ諸国の事実上の植民地としてその主権が制限された地域(居残り組)は、そこそこの数がある。
これら地域に対する画一的な理解は、独立に耐えうる経済的基盤がなく、本国の援助に依存しているというものである。
さらに言えば、経済的な現実がそのナショナリズムを上回っているから、と説明されよう。
確かに、キュラソーも他の「居残り組」と同様、主要な産業を持たない。かつては石油産業が栄えたがそれも終焉し、かろうじてその名を冠する「キュラソー」というリキュールの酒造が知られているのみである。
しかし、植民地を愛好する者としては、このような画一的かつ消極的な理解のみならず、各植民地に特有の「居残る」事情を見出したい。
ここで、1975年の脱植民地主義的な意味を概観する。
1960年が「アフリカの年」であることは、ちょっと社会が得意な中学生でも知っていることである。
しかし、1975年もまた植民地の歴史にとっては重要なターニング・ポイントであった。
この年に起きた出来事といえば、なんといっても、ポルトガル「海外県」の独立である。前年のポルトガル本国におけるカーネーション革命を受け、アンゴラ・モザンビーク・カーボヴェルデ・サントメプリンシペなど長くポルトガル支配に服した地域が一斉に独立した。
そのまさに華々しい独立の裏で、オランダでも、植民地が独立した。
旧オランダ領ギアナ・現在のスリナムである。
オランダ領ギアナは、南米大陸にあり、キュラソーなどABC諸島・SSS諸島と地理的に近接している。19世紀の一時期は「オランダ領西インド」としてひとくくりに統治された歴史もある。
世界史の授業で、日露戦争の勝利がトルコなど有色人種国家を奮い立たせたと習うことがある。
これと同様に、スリナムの独立は、大いに他のオランダ領アンティル諸島を奮い立たせた。
アルバ島では1977年に早速住民投票がなされ、82%が自治・独立を支持した。
そして1986年にはアルバは単独でオランダ領アンティルを離脱した。アルバの将来的な独立指向は強く、早速アルバ独自の通貨を発行している。
しかし、キュラソーでは独立の機運は盛り上がらなかった。これはなぜか?
その一つの理由は、キュラソーはオランダ領アンティルの首都として特権的な地位を与えられており、その地位を手放したくなかったことに見出せる。
つまり、キュラソーはオランダ領アンティルという枠の中で、ミニ宗主国のように振る舞えていた。だから、もし独立するならば、ABC諸島・SSS諸島というオランダ量アンティルのひとくくりで独立し、首都としての地位を維持したい。
しかし、アルバのオランダ領アンティル離脱により、その「夢」は難しくなった。また、そもそもABC諸島とSSS諸島は言語的・文化的に異なっており、ひとくくりの独立は現実的ではない。
このような複雑な構造が、キュラソーの独立を阻んだといえる。
「夢」が叶わないならば、現状維持でも特に困らない、というのがキュラソー島民の現在の見解であろう。以下、引用する。
つまり、オランダ王国が、カリブ諸島に対する植民地主義的姿勢を改め、それぞれの島を尊重し、島の自治に過度な介入をしないのであれば、敢えて独立を叫ぶ必要もなく、ヨーロッパのパスポートという便利な道具が利用できるに越したことはない、という感覚なのである。
キュラソーの豆知識を付すと、ヤクルトで活躍したバレンティンの出身地である。オランダはヨーロッパにしては珍しく野球が盛んな国だが、これは野球大国アメリカに近いカリブ海に領土を持つことに由来する。
第二次世界大戦でオランダ本国がドイツに侵攻されると、オランダ・ギルダーとオランダ植民地ギルダーの関係が切れた。その代わりに、アメリカドルとのリンクが設けられた。
このような通貨の事情から、今でもキュラソーなどカリブ・オランダ地域はEUに含まれていない。
ちなみに、キュラソーの中央銀行は、1828年に設立された。アメリカ大陸で最も古い中央銀行である。
この銀貨からは、キュラソーの「ミニ宗主国」としての繁栄が伺える。
参考文献:兒島 峰(2021)「旧オランダ領アンティル諸島の選択から考えるナショナルアイデンティティ」Project Paper (52), pp7-44
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