愛媛県宇和島市の日振島は藤原純友が根拠地としたと伝わり、様々な伝承が島には残されている。
そのうちのひとつが明海集落の「みなかわの井戸」である。
「みなかわの井戸」について、諸書の記述を引用する。
「日振浦」(『日本歴史地名体系』)
明海浦 赤浦とも書く。片浜集落で、家数二六軒。城が森(純友の城跡)、みなかわの井戸などがあり、純友に結びついた伝承をもつ。
松原弘宣『人物叢書213 藤原純友』(吉川弘文館、1999年)
山麓には純友が使用したと伝えられる「みなかわの井戸」が存在している。しかし、これらの山城・井戸が十世紀まで遡りうるとの証拠はなく、はやくても十七世紀後半の『宇和旧記』の編纂頃に創作されたものであろう。
寺内浩『藤原純友』(ミネルヴァ書房、2022年)
日振島の明海港西南の山上部は純友の城跡といわれ、山の麓には純友が使用したと伝えられる「みなかわの井戸」も残されている。
(中略)
ただ、それらの地誌(引用者註・『宇和旧記』『予陽塵芥集』のこと)は城跡や井戸のことには触れておらず、明治四四年(引用者註・正しくは明治四三年)の『日振島村誌』にようやく「字明海西南の山頂小字城ヶ掘に古城跡と思はしきものあり。藤原純友の築く所といふ。(中略)又其城跡の附近に純友の掘りたると言ふ井を存す」とみえるので、山上部や井戸が純友と関連づけられるのは幕末あるいは明治になってからのことかもしれない。
井戸は城跡の麓にあるので、おそらく中世の城跡を藤原純友と関連づけるに伴って井戸も関連づけられたものと見られる。
「みなかわ」の由来について、愛媛県立図書館にレファレンスを頼ませて頂いた。しかしながら、由来について記した図書は見当たらなかったという。
現地の石柱には「美なかは」とある。また、1976年の純友が登場する大河ドラマ『風と雲と虹と』の関連本『風と雲と虹と 平将門の時代』(学研、1975年)には「美な川」と記載されている。これを根拠とするわけではないが、おそらく「美な川」の意味だろう。
ちなみに『日振島村誌』は広島大学の『内海文化研究紀要』十六号に翻刻されている。
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