2022年4月30日土曜日
県境考その1
2022年4月12日火曜日
「旅は人生に似ている。」なんて
「旅は人生に似ている。以前私がそんな言葉を眼にしたら、書いた人物を軽蔑しただろう。」
小説『深夜特急』において沢木耕太郎はこう綴った。私もそう思う。あまりに安直だ。見ていられない、反吐が出る。
だが、最近人生について想いを巡らせるうちに、少なくとも、こう思うようになった。
人生は旅に似ている。過程にこそ価値があるという点で。
死ぬのが怖い。すごく怖い。死ぬなんて、どんな怖い夢のオチよりも怖い。死ぬ直前に目が覚めて「ふう、よかった」なんて、死ぬ前にはならない。なんでみんな平気そうに街を歩いているのだろう。常々そう思っていた。
人はやがて死ぬ。死ねば自我がなくなり、世界を観測できなくなる。ゴールは等しく無だ。
それでも、生きる上で築いたモノは残るように思われる。例えば、このブログが爆発的なヒットを記録したとしよう。月間PV数1兆回。世界中のあらゆる言語に私の言葉が翻訳される。私のブログを翻訳したおかげで保存された少数言語もあるらしい、そんな状況。私は死ぬが、人類は永遠に私の言葉を読み継ぐ。ある者は石碑に私の言葉を刻み、次の文明に受け継ごうとする。さて、私は永遠になれるだろうか?
否である。やがて太陽が膨張し、地球は炭化する。そして気の遠くなるくらい、仏教の単位くらいの時間が過ぎて、宇宙は熱的死を迎える。エントロピーが最大の世界。宇宙全体が均一になり、全ては無に還る。私は永遠になれない。宇宙も死ぬ。結局ゴールは等しく無。何をやっても無駄なのか?
私は幼い頃、ドラえもんを読んで感銘を受けたことがある。のび太の「孫の孫」であるセワシがのび太の結婚相手をジャイ子からしずかちゃんに変えようとする。ここでのび太はセワシに対し、あまりにも鋭い問いを投げかける。
「ぼくの運命が変わったら、きみは生まれてこないことになるぜ。」
タイム・パラドクスが生じ、セワシが消滅してしまうのではないか。この指摘に、セワシは次のように答えた。
「心配はいらない。ほかでつりあいとるから。歴史の流れが変わっても、けっきょく僕は生まれてくるよ。」
「たとえばきみが大阪へ行くとする。いろんな乗りものや道すじがある。だけど、どれを選んでも、方角さえ正しければ大阪へ着けるんだ。」
あまりに無茶な理論に思えるが、この話から幼い私が感得したことは、過程が違えど結論は同じであるということだ。ここに私は生の意味を見出すのである。
ある真夜中、私がこんな話をダラダラしていると、いつも黙って聞いている彼女が珍しく口を開いた。彼女は生命を風に喩えた。風が世界を吹き渡り、ひとところに偶然集まって生命らしき動きを形作り、また散っていくと。彼女は何の気無しに言った言葉かもしれないが、私にはその言葉がどんな詩歌よりも美しく感じられた。我々は風なのか。
宇宙が開闢し、色々あって、熱的死を迎える。我々はその過程に偶然生じた風に過ぎないのだ。冒頭で私は死が怖いと言ったが、それは私が自己を絶対視しているからではなかろうか。まるで自分が死を超克した神のように思っていて、肉体としての自分を通して世界を観測している、という錯覚をしているから、観測不能に陥ることが怖いのではないか。
しかし、それは傲慢にすぎない。我々の『意識』は偶然に脳が生じさせているものであり、肉体と不可分である。生まれてくる前に意識はなかった。脳が未発達の間、意識も未発達であった。私は風に過ぎない。
こうした考えに至り、かつての旅が思い出されるのだ。
昔から、旅において移動手段に拘ってきたように思う。大分から新函館北斗まで鉄道を乗り通し、駅員を驚かせたことがあった。夕暮れの東北を北上した。ある時は、わざわざ青函フェリーに乗って津軽海峡を渡った。フェリー代より、青森港までのタクシー代の方が高かった。
旅の過程にこそ価値はある。さて、誰の言葉だったか。
長い人生が続いていく。有形のものが消えていく一方で、無形のものこそ残り続けるという逆説がある。大切なのは、青函フェリーに乗ることだ。やがて札幌に着くのは、同じなのだけど。
2022年4月3日日曜日
ヤンヤンって映画があるんだよ
ヤンヤンって映画があるんだよ。お前は知らないかもしれないがな。
渋谷の文化村で観たんだよ。ル・シネマなんて言ったな。渋谷で映画を観る。東京人っぽいだろう。東京人なんだな、これが。
僕は田舎から東京に出てきた。それはもうハングリー精神マシマシよ。ニンニクアブラよ。そんで初めに入ったのが三鷹寮、なんて話は何回もしたな。三鷹寮の周りはもう地元と変わらねえ。三鷹寮周辺の四天王は釣具屋・タイヤ屋・ゴルフ屋・かっぱ寿司よ。落ち着くったらありゃしないね。
そんで、駅まで四十分歩いて、井の頭線に乗るわけだ。久我山までの道は未だに鮮明に覚えてるな。授業受けて疲れて徒歩四十分。夜中までバイトして徒歩四十分。思い出にならなきゃ嘘だね。ずーっとオードリーのオールナイトニッポン聴いて歩いてたよ。今思えば、何が面白かったのか分かんないけどな。
まぁ、三鷹寮は悪くはなかったよ。久我山までの道にはスーパーとブックオフがあった。こりゃ便利だったね。僕と僕の母はブックオフ・マニアなんだ。両親は一年間だけ岩手に住んでたんだけど、その一年で母親は東北全県のブックオフを制覇してたね。いわゆるみちのくブックオフ行脚ってやつだ。青森にも行ってるから、松尾芭蕉超えだ。まぁ、買ってる本は全部BL漫画なんだけどな。
本題に戻ろう。三鷹寮は悪くはなかったんだ。家賃一万円だし。ただ、この家賃一万円ってのが曲者なんだ。例えば、家賃五万円を親に負担してもらい、五万円の仕送りを貰ったとしよう。自分の手元には五万円残るよな。じゃあ、家賃一万円だったら自分の手元にはいくら残る?これが、五万円のままなんだな。残りの四万円は220円のBL漫画200冊になるんだ。これ、結構キツイぜ。貰えるだけ充分?人間、そんなふうに考えられるほど慈しみ深くできてねえんだよ。ムカつくかもしれないけどさ。
だから、自分単位では三鷹寮に住むことは何のメリットもないんだよ。そりゃ24時間365日いつでもゴミを捨て放題なのは便利だった。でも、四十分歩けるほどじゃないんだよな。
だから豊島区に引っ越した。親に泣きつき、家賃五万よ。その分多少は仕送りを減らされたが、まぁ生活は豊かになったね。なにせ、徒歩五分だ。まぁ程なくオンライン授業になったから、三鷹寮にいても徒歩四十分はあまり関係なかったかもしれねえ。ただ、あの13平米の部屋に毎日閉じこもってたら、自殺したっておかしくないね。自殺しやすい雰囲気なんだな、三鷹寮ってのは。
そんでめでたく豊島区民になったわけだ。華の二十三区民よ。多摩とは違うんだよ、多摩とは。
原付を取ると、豊島区ナンバーになるわけだよ。豊島区ナンバーで全国を駆け巡ったんだ。地元の人に「トヨシマ?」って言われながらな。一応大分出身と言うのは欠かさない。だけど、心の中ではちょっと思ってんだな。東京人だぞって。浅はかな春の日だったね。
鹿児島の甑島に行ってたんだ。船で二時間くらいだっけな。いい島だった。地元の子供は大きな声で挨拶するし、魚は美味い。甑島をツーリングしてたら、いつものように地元に人に声をかけられるわけだ。「トシマクのどの辺ですか」ってね。おお、読めるじゃん。豊島区について尋ねられたら、僕はいつもこう言うようにしてたんだ。「池袋です。」ってね。まぁ地下鉄で数駅だし、池袋は僕の庭と言っても過言ではない。乗り換えで未だに迷うがな。そしたら地元の夫婦が言うんだよ。「私たちも昔、豊島区に住んでたんですよ」ってな。
こりゃ恥ずかしかったね。そんなトラップがあるかい。やむなく正直に駅名を言ってな。そしたら夫婦が言うんだ。「私たちは池袋本町のあたりでした。」僕の負けだよ。池袋本町がどこにあるのかは知らねえ。けど、僕よりも池袋なことだけは分かる。逃げるように、逃げたね。原付だから大したスピードは出ねぇけど。池袋ジャンケンで負けることがあるとは思わなかったよ。
それでも、僕は池袋に住んでんだよ。当然都心が近い。文化が近い。ここで、かつての恩師の言葉が思い出されるんだな。「東京にいるうちに、東京でしかできないことをやりなさい。」全くだよ。十個しか歳が違わねえ恩師だけど、説得力がある。なんせ、僕らが卒業した後すぐ、先生はクソ田舎に飛ばされたんだ。クソ田舎に文化なんて無え。説得力の塊だよ。呪詛かと思ったね。
だから、ヤンヤンを観たんだよ。渋谷の文化村ル・シネマでな。いい映画だった。いっぱい映画を観たけど、屈指の作品だな。お前が何の映画を好きなのかは知らねえけど、人に勧められる映画ができるといいな。
2022年4月2日土曜日
大阪杯予想
土曜夜時点では、雨は降らなそうですね。
ガッツリ予想しましたが、競馬予想ってやはり難しいですね。穴馬後出し考察の方では偉そうに後出し解説をするんですけど、やっぱり後出し考察に過ぎないです。修練が足りません。
先週はナランフレグにやられました。今週こそ!
◎エフフォーリア 1人気
初の関西競馬が不安材料。横山武も関東騎手ですからね。しかし、まぁ有馬記念みたいな競馬をするでしょうし、有馬記念みたいな競馬できれば勝てるでしょう。
稍重と予想していたのでエフフォーリア有利と見て本命にしましたが、馬場と馬体重次第ではジャックドールが本命ですかね。
◯ジャックドール 2人気
展開は決して向いていないんですけど、これまで圧勝してます。パンサラッサタイプで、後方勢の立場が無いですね。とはいえ、今までは中京と東京といった左回りの緩い坂ばかり。連戦も祟り、阪神右回りの急坂で止まる......なんてシーンは想像できます。藤岡佑介ジョッキーも不安材料ではありますが、これまでの騎乗を見る限り大丈夫でしょう。そもそも2枠4番から逃げるなんて誰でも一緒、それでオッズが下がるならむしろ買いです。
▲ヒシイグアス 5人気
この馬強いですよ。香港カップでラブズオンリーユーの2着なんて、実質G1馬みたいなもんです。天皇賞も不利な大外枠から5着ですから。コントレイルとグランアレグリアがいない今、実質3着馬です。それは違うか。
香港で結果出せるなら輸送も大丈夫でしょう。調教は悪いみたいですけど。
△ポタジェ 9人気
とうとう単勝オッズ62.2倍まで下がってしまいました。買い時でしょう。馬主孝行の善戦マンですが、そろそろ順番でしょう。
☆ウインマリリン 8人気
エリ女は事故、参考外。大穴なら、コイツだ!
と思いましたが、案外人気してますね。金曜深夜時点で12人気だったんですけど。8人気じゃ流石に買えないかなぁ......。
☆アカイイト 4人気
逆に、アカイイトは案外人気していない印象。前回は前目につける競馬で3着ですが、この馬出遅れしがちなんですよね。後方競馬から幸は大外回しするでしょうが、流石にエリ女のような展開にはならないと思う。単勝20倍ついたら抑えます。
「夜空に浮かぶ星さえも併合したい。」僕も!
「神は世界地図がより多くイギリス領に塗られることを望んでおられる。できることなら私は、夜空に浮かぶ星さえも併合したい。」
藤原道長が満月を我が世に喩えておよそ900年、大英帝国ケープ植民地首相のセシル・ローズは夜空に帝国主義を見た。「この世をば我が世とぞ思う」のは当然で、月さえも、星さえも併合したい。「強く求める」時代、世界分割の時代に生まれた彼の生き様を表している。
そんなセシル・ローズの死から98年後、遠く日本にその思想を受け継ぐ赤子が生まれた。僕である。
僕は幼い頃から植民地が好きだった。きっかけはもちろん、東アジアが真っ赤に塗られた大日本帝国の地図を見たことだろう。当たり前の地図と違う地図。日本はこんなにも広く「偉大」だったのか!おかげさまで、小学生にして極右思想に著しく傾倒した。"ネトウヨ"は卒業したつもりでいるものの、未だに民主党アレルギーがあるのは、あるいはそのせいかもしれない。
植民地という概念を獲得した僕は、Minecraftでも村を支配し、植民地と称していた。宗主国と植民地というシステムが好きだったのだろう。同じことを大学生になってからもCivilizationでやっていた。余談だが、macbookでプレイしていたためにmacbookがすぐ壊れた。世は無常だ。
そして最近、散歩の最中に、自分が太陽光発電が好きであることと植民地が好きであることの本質が同じであることに気付いた。要するに、他の土地に自分の色を塗り、その土地を使用収益するということだ。太陽光発電は簡単な例で、不動産経営でもなんでもいい。不動産経営の方が「植民地経営」っぽくていいかもしれない。
ただ残念なことに、僕は大地主の息子ではない。我が家には田舎の田んぼと山しかない。それでも、地理院地図と登記簿を参照して土地に色を塗れば、かなり「植民地」欲求は満たされるだろうなと想像する。将来、やたら山を買う人になろうかな。
今日は、セシル・ローズの生涯について多数の文献を読んで叙述しようかと思っていた。この記事の第二段落までは、伝記の書き出しとして非常に優れた文章だと思う。ただ、途中で自分語りをしたくなってしまい、そして語り出すと意外と分量が書けてしまった。今日はここまで。セシル・ローズの洞察はまた今度。