2014年11月6日木曜日

別大電車

 豊の国、大分県。
ここ大分県に、日本で5番目の電気軌道の路面電車がかつて存在していたことを知っているだろうか。

 その軌道の名前を『大分交通別大線』という。
国道10号に沿って大分駅前から亀川駅前までの18.4kmを走った。
1890年に企画され、1900年に一部開業。
その後会社関係で色々ゴタゴタがありながらも、1972年4月に廃止されるまでの72年を走りきった。
ちなみに廃止理由は『バス・乗用車の発達に伴う国道10号の渋滞緩和』の為であり、路線としては末期まで黒字であった。

その大分交通別大線、通称『別大電車』で使用されていた車両が家の近所にある大きな公園『佐野植物公園』にあると聞いたので、見学をしてきました。


林道『再進線』を巡った後、その足でその佐野植物公園へ向かった。

電車506号車
営業開始 明治33年5月10日
製造年月  昭和34年11月
自重  17.2t
乗客定員 90名(内座席38名)
最大寸法 長さ 12.920m
       幅  2.340m
       高さ 3.894m
電動機   38kw(50馬力)2台
架線電圧 直流 600V

廃止されたのは昭和47年
あながち古くもなかった様子だ。


こちらがその別大電車506号車である。
保存状態は良好。緑が映えて綺麗であった。
清掃か何かしているのかな。

正面から撮る。
路面電車らしい、こじんまりとした顔をしている。

行先幕は流石に年季が入っているだけあり、
ギリギリ『大分』と判別できる程度にボロボロだった。
ちなみに系統は3つあり、
・全線運行する大分駅前-亀川駅前
・市内系統の大分駅前-かんたん(
・ラッシュ時の東別府-亀川駅前
であった。
なお、電車の逆側の方向幕は既に無かった。

緑の地色が映える506号車
ちなみに1996年まで、この506号車は大分市内中心部の
若草公園に保存されていた。

これは全線運行のサボだろう。
新しく作ったのか。

横側から。
山の中で、存在感を放っている。

中に入ることも可能となっている。
路面電車によくある構造となっている。
最大90人が収容可能だ。

ボタンが古臭いのが好きだ。

一回土砂崩れ事故が起きたらしく、
他よりも防災意識が高いのかもしれない。

運転席近く。

この公園には多くの子供達が訪れる。
僕がのんびりしていると、子供たちが「でんしゃ!」と言いながら中に入って、
運転台に入ったりして遊んだりしていた。

良い老後を送っている。
黄金色の車内には、今日ものんびりと時間が流れている。

END


2014年11月5日水曜日

【道路】林道再進線を征く

 そうだ、林道へ行こう。
というわけで地元の山々にある林道を巡ることにしました。
是非御覧ください。

~あらすじ~
 10月某日、ふとネットを巡っているとある言葉を見つけた。
『酷道ファン』である。
『酷道ファン』というのは寂れて状態が酷い国道を『酷道』と呼び、走る人のことだそうだ。
といった具合の記事を流し読みしていると、ある単語に目が止まった。
『大分県道木田神崎線』である。
どこかで聞いたことがある単語だ。
実は家からそう遠くない場所に位置する『大分県道715号木田神崎線』は、全国の酷道ファンに知られているらしいのだ。
木田・神崎はいずれも地元の馴染みある地名である。
これを知って、僕の心はときめいた。
しかし、この時はこれで終りだった。

またとある日、林道ファンもいるらしいと聞いた。
そこで僕は地元の林道について色々調べてみた。
すると、『九六位線』や『再進線』など色々な魅力あふれる林道がヒットした。
これはいかねばなるまい。
僕の心が決まった瞬間であった。

再進線・地図
大分市東部・宮河内の近く
青線の部分である。


11月4日
だいぶ気温も低くなってきた11月上旬
数時間前にDo2のドナドナを待つ哀愁漂う姿を見て、
なんだか物悲しい気分になった。
その後一旦家に帰宅。
旅支度をして一路九六位峠を目指す。

まずは大分県道38号坂ノ市中戸次線を走る。
起伏の激しい道で、上りがなかなかキツイ。

38号線道中
(こんな場所にも林道があるとは)知らなかった。
『後ヶ迫線』。今度来ようかな。

国道197号線バイパスに侵入。

新しく造られた感じがするバイパスの直線道路は若干の下りとなっており、
爽快な気分で風を切って走った。

その後アップ・ダウンを乗り越えて、
道路下を通っている38号線に再び侵入。
臼杵方面に走る。

すぐに38号線は終点を迎え、21号線と合流。
臼杵方面へひた走る。

第一の目的地『九六位峠』の名の山

こんな場所にもバス停がある。
確認するが、きちんと運行されている様子だ。
通学需要かな、と考える。

なだらかな21号線を気分よく走っていると、
急に傾斜がキツイ山岳道路に突入。
地獄の始まりであった。

キツイ傾斜を自転車を手で押して歩いて40分
完全にこの道路を『峠道』であることを忘れていた僕にとって
この傾斜は予想外であった。
「再進線はずっと下り…ずっと下り…」
と念仏のように唱えながらここまで来た。
凄いカーブのこの場所で一旦小休止を取る。

木々の間から下を見下ろす。
自分が今、山道に居ることを実感
しかし、今回のメインはあくまで林道であり
こんな県道で手こずっている場合ではない。
先を急ぐ。

そこから20分強
ようやく九六位峠に到着。

山岳道路の交通の要所であるこの九六位峠。
県道21号大分臼杵線に
『九六位線』と『再進線』の2本の林道が接続している様子がよくわかる。

市境であるこの峠から21号線は臼杵市へ入っていく。

そして今回の目玉『再進線』の入口である。
再進線は大分市東部の山岳地帯から
大分市東部坂ノ市地域まで駆け下りる林道であり、
延長6617mである。

倒れている杭。
実は九六位峠側は終点であるらしいのであるが、
起点から行かなくてはならない、という決まりがあるわけでもなかろう。
気にしないで行く。

という訳で再進線巡り、開始である。

まさかの上り坂である。
裏切られた感がある。
キツイが頑張る。

延々上り…
たまに下りも交じる。起伏が激しい。


そんなこんなで上りをたっぷり30分
三叉路に着いた。

再進線に白山若山線が合流する。山中の交差点。

佐野方面に下っていく。

ここからは一気に下り坂となる。

しかしいくらアスファルト舗装されているといえど
所詮林道であるから、若干の凹凸や落石がある。
ハンドルからの振動で物凄く手が痛い。
途中、水が流れているのを発見。
地理的に考えるとこの水はやがて丹生川に流れこむのだろう。
いつか源流調査もやってみたい。
ふと木々の間を見ると、大分市街の街並みが広がっていた。
こんなに遠くまで見えることに驚いた。
ずっと下り道。
物凄く手を痛めながらもようやく終点(林道的には『起点』であるが)に到達。

起点の道標

昼下がりの小集落に到達する再進線

林道探検の楽しみや深さがよく理解できた、濃密な数時間であった。

ありがとう、再進線
僕の記憶にずっと刻まれることだろう。

という訳で『道路調査・再進線』を終ります。
この後は佐野植物公園に行って別大電車の静態保存車を見学しました。
それはまた別の話で。
最後までお読み下さりありがとうございました。

-おまけ-

その日の夕焼け

END

2014年11月4日火曜日

485系Do2編成

 
 11月3日、僕が大分市街へ出かける際、ふと車窓から眼に飛び込んでくるものがあった。
 牧駅の車両センタの端っこに留置されている485系Do2編成に、廃車回送で見る赤色反射板が付けられていたのだ。
これはアカン、見ておかなければ!と思ったので4日に見てきました。

真昼の牧駅

やはり赤色反射板が取り付けられている。
残念ながら見間違いでは無かったようだ…。
しかし、まだ回送されていないことにとりあえず安堵。

『にちりん』幕。
汚れが目立ち、顔の補修も痛々しい。

側面の汚れが特に酷い。

国鉄車として誇り高きJNRマークも汚れている。

反対側の陸橋から撮影。
こちら側は『ホームライナー』幕だ。

牧駅ホームから全体を撮影。



Do32がリバイバル運転をしょっちゅう行っているのに対し、
Do2は3年ほど前に運用を離脱した後長らく車両センタに保留車として留置されていた。
その為車体は汚れ、今回廃車となる訳ではあるが、
『にちりん』や『きりしま』『ひゅうが』として活躍した栄光の時代があることを忘れてはならない。


個人的には『九州鉄道記念館に行く』という噂を信じたいんですが…!!!!!
貴重な国鉄色塗装であったし今回の廃車は残念だ。
しかもこれでJR九州所属485系はDo32編成を残すのみとなった。
全国的にも485系はどんどん淘汰され、第一線を退いている状況の中ではあるが、
Do32はまだまだ臨時でバンバン運転してるので、そのまま末永く活躍して貰いたいものだ。

                              END



追記 11/06
 Do2が小倉へと廃車回送されました。
一応僕は学生なので授業に出ていたのですが、休日であれば見送りに行っていたのに…
と、残念な限りです。しかし、直前にお別れの挨拶が出来たので良しかな?
ありがとう、Do2