坂ノ市と臼杵を分かつ山々の名前は何か

全員の意見が一致することなんて滅多にない世の中であるが、「坂ノ市と臼杵を分かつ山々の名前は何か」と疑問に思ったことがあるという点に関しては、日本国民全員の合意が得られると思う。

言うとりますけども、いやぁ、昔からかなり気になっていた。

今回暇を持て余したために満を持してまずネットで調べたところ、次の4パターンが見つかった。

・佐賀関山地

出典『土地条件調査解説書「大分地区」』国土地理院, https://www1.gsi.go.jp/geowww/landcondition/report/D001-temp-006u.pdf

国土地理院に拠ると佐賀関山地らしいです。じゃあ決まりじゃんという話だが、〇〇山地って少しダサない?そう思うでしょ?思わない?そうですか......。

・九六位連山

出典『山に癒されて 九六位連山の一つ九六位山に二度登る!』, https://tinnan1515.exblog.jp/27016940/

・樅の木山脈

出典『山に癒されて 佐賀関半島の樅の木山に登る!』, https://tinnan1515.exblog.jp/27518934/

同ブログで別の名称が使われていた。そのためこの管理者は僕が想定する山脈を2分割していると想定される。地理院地図を見る限り、2分割する要素は見当たらないが......。

樅の木山脈に関しては、ブログが出典というよりそこに掲載される木佐上の看板の写真が出典である。以下に看板の文章を引用する。

樅の木山は、佐賀関半島に伸びる樅の木山脈の最高峰で、標高484Mの1番高い山です。大分方面から観るとまるで富士山のようです。

再進峠付近の三角点が523mであるため、この看板は恐らく先のブログ主と同様に山脈を分割して考えている。

・九六位山系

出典『坂ノ市地域まちづくりビジョン』坂ノ市地域ビジョン会議, http://www.city.oita.oita.jp/o010/kurashi/volunteer/documents/10sakanoiti-honpen.pdf

反吐が出るようなpdfにまで目を通した筆者に賛辞を。ビジョン会議って何やねん。


以上の4例が見つかった。ちなみに山脈と山地の違いは山が列状に連なっているかである。(「地図編集室によくある質問に答えて」帝国書院, https://www.teikokushoin.co.jp/journals/child_map/pdf/200801/8.pdf

地形図をよく見ると、僕が想定した山脈の西側はやや連なっていないように見える。見えない?見えるということで話を進めると、恐らくは僕が想定した地域は「佐賀関山地」であり、そのうちの列状に並ぶ東部を特に樅の木山脈と呼ぶのではなかろうか。帝国書院の同文献に拠ると、山脈とは山地に含まれる概念らしく、まぁ僕の解釈はそれに矛盾していないと思う。

というわけで、結論としては、全体を「佐賀関山地」と呼び、うち東部を特に「樅の木山脈」と呼ぶ。インターネットで得た知識から判断しうることはここまで。

じゃあ図書館や市役所で話を聞けって話になりますよね?面倒くさいんでやりません、気が向いたらやるかも。誰かやってください。では、アディオス!(必修スペイン語演習②落単並みのスペイン語力)

50カブを買うまでの話

てなわけでね、買いましたよスーパーカブ50。

カッコいいね

一年ほど前から買おう買おうとは思っていたんですけど、免許を取るのが面倒くさいということで放置していました。まぁ、東京は電車あるし。

だが、このコロナ危機の時代にあっては海外旅行は絶望的ということで、ならば国内旅行だ!じゃあ原付だ!となったのが今年の4月上旬くらい。普通免許持って無いから、しっかりと原付の試験受けなきゃいけない。でも、緊急事態宣言下なので試験場が開いていない!

しめしめ。僕は思うわけです。先送りにできる、と。

緊急事態宣言が明けても、「コロナが危ない!」という理論一本で結局先送りにしていましたが、偶然友人の家でゆるキャンの漫画を読みまして、「あぁ、原付で旅がしたいな」と。即影響されたわけでして、すぐにゆるキャン既刊を全て大人買いし、アプリで免許試験の勉強を始めました。

かわいいね

オンライン授業のために生活時間が乱れるのは周知の事実のわけでありますが(要出典)、私ももちろん授業5分前に起きて授業開始5分後に入眠するような生活を送っておりましたから、免許試験で一番難しかったのは午前の試験に合わせて7時に起きることでありました。東京都の調布試験場では午後も試験はあるのですが、なにぶんご時世の関係で両方とも定員が少ないらしく、人数制限で門前払いというのを避けたかったのであります。早く行けば、せめて午後の試験は受けられるだろうと考えました。

そういうわけで、全休である木曜日の午前7時に大量のアラームにけたたましく起こされた私は、実技講習のために長袖を羽織ってですね、朝の千川駅から通勤客と同じ顔して池袋、乗り換えて新宿、中央線で武蔵小金井まで向かったわけです。1時間弱かかりまして、全く中央線「快速」など名ばかりであるなと思います。

駅には『→試験場行バス』というご丁寧な看板がありましたから、迷うことなくその系統のバスに乗り込み、10分くらいで試験場前バス停に着きました。乗っていた客は全員ココ目当てでありまして、混んでいるのだなぁと思ったわけです。試験場前には既に長蛇の列!なかなか待たされ、検温をされ、試験の申込用紙を記入、我ながら良く撮れていると自負している顔写真を貼り、並んだのは視力検査の列であります。

先ほど起床が最大の難関だと申しましたが、あれは誤りです。最難関はこれ、視力検査でありました。というのも、私は普段裸眼で生活しておりますが、普通にかなり目が悪いのであります。よく「平気なの?」と尋ねられますが、平気ではありません。見えないものは見ない、視界を断捨離するミニマムな暮らしを送っている私でありますが、運転に関しては切り捨てるわけには参りません。人っぽいものが見える、まぁ見えないし突っ込んじゃえでは困ります。かといってメガネやコンタクトを着けるのも煩わしい。メガネは邪魔であるし、コンタクトはなにぶん粗暴な私でありますから放置して眼球を壊死させる恐れがあります。そういうわけで、まず裸眼で挑んでみて、突破できなかったら裸眼運転は不能であるという視力検査の理念通り潔く諦めメガネをかけようと思い至ったわけです。しかれども、やはり突破したいのが人情であります。少しでも視力を良くしようと、ここに至るまでの電車やバスでは遠景を眺めて参りました。

いざ試験、まずは右目、こちらは大丈夫でありますが、問題は左目、こちらが怪しい。一番大きいものを答え、さぁ二問目というところで如何せん不明瞭でありまして、ええいままよと答えると、「これですよ?」と再び同じ環を指す検査のお姉さん、まさかの「ダブルチャンス方式」でありまして、2回目でどうにか突破できた次第であります。免許を取って2000km近く走って参りましたが、未だ標識の識別などで困ったことが無いことは念のため申し添えておきます。

難関を突破し一安心、受付で受験料1500円を納入しまして、試験を受け、合格しました。これまで長尺で綴ってきましたが、全ては「ダブルチャンス」言いたさでありましたから、もう長々と書きません。途中から謎の講壇口調になってて草ですね。「しかれども」を使った今年初の文章じゃないですかね。地球上で。

受かってから講習を受けました。小雨だったので合羽を着て、エンジンをかけるところからスタート。後方確認とかはどうでもいいんですけど、実際に乗ってみると非常に楽しかったですね。試験場のコースを20km/hくらいで走ったんですけど、降りたくないとすら思いました。人って単純です。僕だけかしら。教室に戻り、安全運転のビデオをたっぷり見て、無事免許証を受け取りました。教官が、原付に乗ったことがある奴以外は原付免許を取ろうと思わないだろうと自説を述べていて、やはり人は自分の体験しか語ることができないのかと思いましたね。いや、普通にいい人でしたけども。

ピカピカの免許証にホクホクの僕はその後の塾講で早速生徒に自慢したわけですが、講習で乗ったバイクの感触が忘れられず、次の土曜日にはバイク屋に居ました。事前にインターネッツでそれなりに調べてはいたのですが、あまりよく分からず、結局値段と走行距離くらいしか勘案することなく即決しました。まぁ今になって考えればもう少し様子見すべきだったとは思うのですが、当時の僕の興奮を考えれば仕方ないと思いますし、そんなことを僕が考えると今乗っている相棒のカブちゃんが「僕じゃダメかな......。」と困惑してしまうので、そういう思考は次買う時まで捨てたいと思います。と言っても、大学の間はもう買い換えないだろうし(2,30万出すくらいなら南米に行く)、社会人になってバイクに乗るか疑問だし、カブちゃんは長持ちするだろうから、その「次」がいつかは未知数ですが。

とか言って2か月後くらいに買ってそうなのが僕なんですけどね。

納車まで一週間から10日と言われ、焦らす~~~~~~~~~~~!!!!!と思いきや、3日程度で納車され、一人で狂喜乱舞しました。翌日、ヘルメットをリュックにぶち込み、区役所にナンバープレートを取りに行き、再びバイク屋に赴いてカブちゃんを手に入れました。近くの住宅街で練習していたらスリップして転倒し、ビビッて2時間くらい住宅街から動けずにいましたが、勇気を出して環七をキープレフトで突っ走り何とか無事に帰りつきました。いやぁ、転倒はマジで怖かったです。少し速度を保ったまま住宅街の道を曲がったら自転車が車道中央を走っており、焦ってハンドルを切ったらコケましたね。車だったら轢かれてたかもしれませんし、本当に危なかった。当時は住宅街の経験しかありませんでしたから、相応にスピード出してたんですね。今だったら大きい道路とのメリハリがつくんで一時停止じゃなくともかなりスピード緩めるんですけどね。まぁ初めての事故がしょうもない内容で良かったです。

さて、相棒カブちゃんを家に連れてきたわけですが、僕が住む豊島区某所のウサギ小屋にはなんとチャリ置き場がありませ~〜〜〜~ん。保管場所なんて考えていなかったんですね。馬鹿です。暫くは路駐して、駅の駐輪場に放り込みました。50㏄なので駐輪場に停められたけれど、もっと排気量大きいのだったら大変だなぁ、次引っ越すときはそこも留意せねば、なんて思いましたね。引っ越したいな~~~~〜〜〜〜。次回、原付で九州。

穏やかかつ豊かなテッサロニキ

 深夜にも関わらず、駅に止まる度に爆音の放送で起こされる。ギリシャ国鉄の夜行列車運賃に安眠は含まれていないらしい。起こされ眠ってを繰り返し、時間感覚が掴めなくなる独特の浮遊感にまみれ、ようやく終点テッサロニキに着いたのは7時前だった。
 早朝の街に、ギリシャ正教の教会から鐘の音が響く。行く当てがないことはないが、今日は1日をこの街......エーゲ海に面した、ギリシャ北部最大の街テッサロニキで過ごすのだ。急いでも仕方がない。差し当たり、目的を定めず駅前の大通りを歩くことにした。
 見かけたパン屋で手頃なものを買い、店前の椅子で食べながら目の前の交差点を見つめる。外国の生活には漠然としたイメージしかなく、日本がキッチリしているとの先入観からかえって外国はルーズだと考えがちだったが、車が忙しなく走り勤め人が足早に歩くのを見ると、どこでも皆真剣に働いているんだという当たり前の感慨を抱くことになった。
 歩いていくと、石の遺跡のような場所に出た。これがローマン・アゴラというものだろう。金を払えば中に入れるようだが外からでも俯瞰できたため、例によってケチり、ある程度眺めたところで去った。
 その足で海に向かった。海に行き着くと、海沿いに柵も何も無いプロムナードが遠くまで続いていた。当然、テッサロニキの人々はそれを危険だと思うこともなく、犬の散歩やランニングを楽しんでいる。やはり日本に住んでいると、平和ボケならぬ安全ボケが過ぎてしまう。エーゲ海を望むベンチに腰掛け、しばし民主主義を生んだ海を眺めた。遠くに何隻もの貨物船が見える。ガスっていなければオリンポス山も望めたのだろうか。僕は何度も往復しているにも関わらず、富士山を見たことが無い。つくづく名峰と縁が薄いのだな、なんて考える。
 プロムナードを歩くのは、海を眺めるのと同様に爽快だった。暖かい陽に照らされながら、海沿いに軒を連ねる家々を眺め、海を眺め、釣りのおじさんを眺める。街に没入し、人の営みを観察するのはなんと楽しいものだろうか。あっという間に終点に行き着いてしまった。
 そこには巨大な像があった。馬に跨った男の像。感心して眺めていると、若人に声をかけられた。
「どこから?」
「日本だよ」
「そうかい!僕は***から来たんだよ。すまないが、像と僕の写真を撮ってくれないか?」
(***は忘れた)
 そういうわけで、僕はその気の良い青年の写真を撮り、ついでに僕も撮ってもらった。彼によると、これはAlexandrosの像らしい。それならば、像の巨大さも合点がいく。若くして世界を駆けた、この地出身の英雄だ。全く、世界史ロマンが止まらない。
 その後、近くの市場や古代の城壁を見に行った。市場はバザールよりかは生活に根ざしており、八百屋さんや魚屋さんが多かった。日本とはやはり品揃えが違うため見ていて面白かったが、偏食のために食欲は刺激されなかった。城壁の周りはのどかで、犬の散歩をしている人がちらほらいる程度だった。我々が日本の城址にあまり感慨を抱かないようなものなのだろう。
 道を登ると、坂の上に教会があった。歩き方で調べると、世界遺産のハギア・デメトリオス教会という正教の教会らしい。あまり観光地化されていないようで、中に入るのは無料で、こじんまりとした土産物屋があるだけだった。
 イスタンブルのブルーモスクもそうだったが、入場無料の宗教施設ほどボーッと過ごせる場所はない。幾許かでも金を払うと、何か急かされるような気持ちになる。そういうわけで、僕は長い時間を、たまに現れる敬虔な信者さんを眺めつつ、ボーッと過ごした。
 ブルーモスクでは出口に寄付のお願いがあったので、感謝の印に100円程度を渡した。ここには土産物屋があるので、長い時間を過ごせたお礼に何かを買って還元しようと思ったが、あまりにも要らないものばかりだったので買うのを断念した。或いはそれでも何かを買っておくべきだったかもしれないが......。

 一昨日は飛行機で寝て、昨日は夜行列車で寝た。気持ちとしてはそういう限界旅行が好きなのだが、僕の身体は相当に脆いので労わる必要がある。今回の旅ではホテルを一切予約していないストロングスタイルだったので、早速沢木耕太郎イズムでホテルに飛び込み空室を尋ねた。だが、入った三軒全て
‘Full, no room.’
 四軒目を断られ、ようやくエクスペディアなりを使用すれば良いことに気付いた。鈍過ぎる。安ホテルを探している途中、先ほど断られたホテルに空室があることを発見し一瞬コロナでの人種差別かと頭によぎったものの、まぁ色々事情があるのだろうと思い直した。
 15時きっかりに、大通りに面するホテルエル・グレコにチェックインした。凄い名前だ、日本に『ジャパニーズ』というホテルがあるようなものだ。想像の通りスペイン人が接客をしており、一瞬駒場で鍛えられたスペイン語を披露しようかと考えたが、低空飛行する成績を思い出しすぐに英語を選んだ。
 部屋はなかなかの高層階で、嬉しいことにバルコニーが付いていた。早速近くの商店でコーラとハイネケンのビールを買って、いそいそと机と椅子をバルコニーに動かす。まだ15時、陽が暖かい。コップに注いで太陽に乾杯なんてしながら、苦手なビールを背伸びして味わった。街を眺め、街の音を聴き、ビールを嗅ぎ味わい、ギリシャの陽気な太陽を身に浴びる。五感が満たされた至福の時間だった。

 気持ち良く微睡んでいたが、夕方に冷たい風が吹くようになったので部屋に戻り、ヨーロッパ鉄道時刻表を友に今後の計画を練る。この旅は元々1週間ペロポネソス半島をのんびり周遊しようという趣旨であったのだが、移動欲が収まらない僕の頭では既にその線は棄却され、セルビアに行くかルーマニアに行くかの2択になっていた。結局観光できる時間などを勘案してルーマニア行きが決定したわけだが、旅先のホテルで明日どこに行くかを決める、というのは非常に高揚する営為だった。
 とにかくソフィアまで一気に鉄道で行くことが固まったため、コートを羽織って切符を調達しに駅まで歩いた。だが、窓口でソフィアに行きたい旨を告げてもなぜか追い返される。ノートレイン!らしい。だがよく聞くと、エブリ・モルニング!と訛りの強い英語が聞こえた。しばらく駅前をブラブラしながら考え、駅員は僕に「今日はもうノー・トレインだ、列車は毎朝だけだ。」と伝えていたのだと気付くのにかなりの時間を要した。酒が回っているのかもしれなかった。
 一応、インフォメーションで情報を仕入れ、再度同じ駅員と対峙する。
「ブルガリアのソフィアまで、明日の朝列車でいけるのか?」
「あぁ、但し今日はもう無い。」
「じゃあ、それに乗りたいんだ。」
 それからは円滑で、20歳未満であることを確認され割安になって16.8ユーロ、およそ2000円で国際列車の切符を購入できた。国際列車と言うからにはもう少し高いかと身構えていたので、なかなか嬉しい。割引の分、帰りにもう一本ビールを買おうかと思ったが、列車が早朝であることを考えてやめた。
 久しぶりにシャワーを浴び、旅の計画を練り、久しぶりにベッドで眠る。穏やかで、豊かな一日だった。全く、普段が忙し過ぎるんだ、日常も、旅も。


 

【ブカレスト】アンリ・コアンダ空港泊の方法/How to sleep in Henri Coandă International Airport, Bucharest

結論から言えば、アンリ・コアンダ空港で空港泊は快適にできる。
もちろん24時間空いているし、充分なスペースに24時間営業のスーパーもある。安心してもらいたい。
私の報告が読者の旅の一助となることを願う。

Speaking from conclusion, you can sleep in Henri Coanda International Airport safely.
It is 24hrs airport, and there is a 24hrs supermarket, so you can enjoy comfortable night.
I will report my stay from now on. I hope my report helps your stay there.


・市内からのアクセス/Access from Bucharest to the airport
私はバスを使った。中央駅を出て右手にバス停と切符売り場がある。
無愛想なおばさんに7レイを手渡すと、往復用のカードが貰える。片道のみは売っていない。
780番系統783番系統で行けるらしい。私は概ね30分間隔で運行する780番系統のバスに乗った。
バスに乗ったら、ポールに付いている機械に音がするまでカードを当てる
これで片道分を使ったことになる。たまに検札があり、見つかると厄介らしい。
空港までは30分程度車窓から、群青色の空に6つもの飛行機雲が見え美しかった。

I took the bus. There is a bus stop and a ticket office on your right as you leave the central station. If you hand a 7 lei to an unsympathetic lady, she will give you a return ticket card. One-way tickets are not available.
I heard that you can take the 780 and 783 buses. I took the 780 bus, which runs about every 30 minutes.
When you get on the bus, you need to put your card on the machine attached to the pole until you hear a sound. Now you've used your card for one way. They say there is an occasional ticket check, and it is a nuisance to be found.
It takes about 30 minutes to get to the airport. It was beautiful to see six airplane clouds in the azure sky from the car window.


・空港の概略/Overview
バスは空港の正面に着く。向かって右側が到着ロビー、左側が出発ロビーである。
宿泊にオススメなのは、その二つのロビーの間の連絡通路だ。その辺りにはエクスチェンジなどがあるのだが、寝られるベンチがいくつかある。夜は人通りは少ない。また、いくつかのベンチの近くには電源がある。ただ、その辺りはWiFiが入りづらかった。
肘掛けが付いていて寝られないベンチもままある。その代わりに、ガラス張りの壁のガラスと地面の間に余白があり、そこがちょうど寝られるようになっている。(行けば分かる)
夜に誰かが言い争いをしていたが、警備員がたしなめていたので、まぁ治安は大丈夫でしょう。相応の注意を払ってください。

The bus arrives at the front of the airport. The arrival lobby is on the right, and the departure lobby is on the left.
It is recommended to stay in the connecting corridor between the two lobbies. There is an exchange and other facilities around there, and there are some benches to sleep on. There is not much traffic at night. There is also a power supply near some of the benches. However, it was hard to get WiFi in that area.
Some benches still have armrests that make it impossible to sleep on the floor. Instead, there is a blank space between the glass of the glass wall and the ground where you can just sleep. in. (You'll find out when you get there.)
Someone was arguing at night, but the security guard was chiding him, so, well, I guess security is okay. Please pay attention.

スーパーは到着ロビー側の地下一階の奥にある
相応の品揃えで、パンが美味しかった。
インフォメーションは各ロビーにある。
また、僕はライアンエアーを使ったのだが、非EU市民は搭乗券を印刷する必要があり、無い場合5000円弱の課徴金を取られる。
それを深夜に知って青ざめ、慌ててインフォメーションにプリンターの所在を確かめたのだが、プリンターは無いらしい。注意してください。
(僕は近くのホテルに頭を下げて印刷してもらいました。)

The supermarket is located at the back of the basement level on the arrivals side of the building. It has a good range of products and the breads are good.
Information is available in each lobby.
Also, I took Ryanair, but non-EU citizens need to print out a boarding pass, so there is no In the case of the printer, I was charged a fine of less than 5,000 yen. I found out about it in the middle of the night and got pale, so I hurriedly asked the information desk where the printer was. They don't have a printer. Be careful. (I had to ask a nearby hotel to get it printed.)

以上。良い旅を!

Have a nice trip!



年末年始旅の写真

 日本海を駆け上る早朝便

 青森の街は何もなかった

 小幌駅を駆ける北斗

 ジオラマ感





アテネを歩くならこんな風に。



 深夜に羽田を出て、ドバイでトランジット。丸一日をかけてようやっとアテネに着いたのは14時過ぎだった。時間はかかったもののエミレーツ航空での道中は非常に快適で、機内映画や予めダウンロードしていた映画、ギリシャ、中欧の『地球の歩き方』を読んで夢想する楽しい時間を過ごせた。
 飛行機を降りると、日本人の団体がいるのが見えた。異国で日本人に会うと、一匹狼で旅をする自分が誇らしく思える。この時も同様で、孤独な旅人を気取ってスタスタ先に歩いて行った。こなれた顔をしてパスポートコントロールで待っていると、後ろから日本語で一声。「お兄さん、あそこの窓口空いてますよ」
 あぁ、恥ずかしい。沢山の視線を背中に受けながら入国審査官に対峙した。Covid-19流行のために、万が一にでも検疫で引っかかるとマズいと思い、事前にトイレで水を浴び気持ち程度でも体温を低下させておいた。しかし、入国審査官は元より検疫官も雑な仕事をしていたため、あっさり入国できた。拍子抜けである。
 さて、歩き方を片手に市内へ赴こうとする。地下鉄が一番安いらしいので案内表示に従い長い廊下を歩いて駅に行くと、なぜだか改札のシャッターが閉まっている。おや、これはJR北海道のように改札がなかなか開かないパターンか、と初めは思ったが様子がおかしい。人っ子一人いない駅に少し佇み、どうやら今日は運行していないらしいことを悟ったので来た道を戻る。ならばバスだ、バス乗り場はどこだろうか......。人が集まっている所を発見し、タイムテーブルを見ると
「15:00 strike」
「15:30 strike」
......
 確かに歩き方にはストライキが稀にあると書いてあったが、まさか自分が影響を受けるとは...... 。「まさか自分が」を初めて味わうのが犯罪被害などでなく軽微なもので良かった、と現実逃避しつつも、残された交通機関は高額なタクシーしかないという事実が僕の首根っこを掴んで現実に引き戻した。タクシーで市内へは固定料金で38ユーロ:約4500円。こりゃ破産だと思ったが、まさか空港で一週間、帰りの飛行機を待つ訳にもいかない。何か救いがあるはずだと信じてインフォメーションに訊ねた。
「タクシー以外で市内に向かう方法は無いのか。」
"except by taxi"を強調して訊ねたが、はたして係員は首を振り、全便ストライキなんだ、と言う。
だが、救いはあった。丁度その時に同じようなことを質問していた爺さんが、僕に話しかけてくれたのだ。
「どうだい、一緒のタクシーで行かないかい。」
その発想はなかった。早速その話に乗り、爺さんの大荷物を手伝ってあげ、二人でタクシーに乗り込んだ。

 大荷物の爺さんはイタリアから来たらしい。僕の軽装備に驚き、ギリシャは寒いぞと言ってよこした。或いはそうなのかもしれないが、その時は服を買えばいいだろう。そう思ったが、何も言わずに曖昧に受け流した。
 というのも、言えなかったのである。
 その少し前に、運転手にギリシャ国鉄はストをやってるのかどうかを訊ねたが、どうも要領を得ない。「鉄道」にあたる部分が聞き取れないらしい。全く、ギリシャ人の英語力はどうなってるんだ、なぁイタリア爺さんよ、と振り向くと爺さんも要領を得ていない。僕が何度もrailwayだのtrainだの言っても両者共に解してくれない。この期に及んで、初めて僕は自分の英語発音が悪いことを知り、故に、口数が減ったのだった。
 運転手にどこで降りるか問われ、特に具体的な目的地もなかったので市街の中心、有名なモナスティラキ広場で降ろすように言った。先に爺さんが降りるホテルに着き、清算の段になると、爺さんは多めに払ってくれた。トランクから荷物を取り出し、車内の僕に対して片手を上げて別れを告げた。全く、本場のCiao!は美しいじゃないか。僕にはそのチャオは言えないなと感じ、片手を上げてGood luck!と言った。発音がマズくなければいいけれど。
 
 モナスティラキ広場で降りると、広場の奥にアクロポリス、その上にはかの有名なパルテノン神殿らしきものが見えた。広場を見て回った後、差し当たり旧市街を見て回ろうと思い路地に入ると、直後にパルテノン神殿のような建造物が放擲されている。歩き方を参照すると、ハドリアヌスの図書館、の外壁らしい。入場料を払えば中に入れるようだが、外からでも十分立派に見える。フェンス越しに外壁を様々な角度から眺めるうちに、高校で叩き込まれた言葉が蘇る。イオニア式、ドーリア式、コリント式。アテネはイオニア人だが、そのパルテノン神殿の様式はドーリア式。この外壁は見たところコリント式だろうか。しげしげと柱を眺め同時に思ったのは、もうパルテノン神殿には行くまでもないか、ということだった。地球の歩き方で入場に30€取られることを知っていた僕は、こうして30€を節約する論理を手にしたことで少し嬉しくなった。
 だが、同時に困ってしまった。何となくアクロポリスの方に歩いていけば良いかと思っていたが、そのアクロポリスにはもはや用はない。どこかに行こうにも、地下鉄は動いていない。当てもなく徘徊することは、格好はいいが、性に合わない。僕は「当て」が必要なのだ。全く、僕は沢木耕太郎ではないのだ。
 仕方なく旧市街のプラカ地区をひたすら歩き回る。途中にローマ時代のアゴラなどいくつかの、いかにも遺跡らしいクリーム色の建造物も例の如く外から見て回ったが、どこか僕には響かなかった。人が使っていないのだからもはや死んでいる建物であるのは当然のことであるが、それ以上に、打ち棄てられているような感じがしたのだ。
 ギリシャは遺跡の保護を重視し、人を強制的に退去させるのも稀では無いらしい。今を生きる人々の生活、社会の一部を破壊して守られたのが、この放擲された遺跡だと思うと、この遺跡とそこに直近に生きていた人々の暮らしのどちらが尊いのだろうか。
 遺跡よりもむしろ僕の目を引いたのは、旧市街のありとあらゆる壁に書きつけられたグラフィティ、即ちスプレーなどを用いた絵である。遺跡には絶対にグラフィティは描けないだろうから、その分を他の壁に描きつけている、というパワーを感じたのが面白かった。何より、彼らは今を生きている。うーん、僕は今が好きなのかな、でも歴史も好きなんだよなぁ......。
 プラカ地区を抜け、交通量の多い幹線を渡ると遠くに仰々しい建物が見える。ゼウスの門、と言うらしい。我々が想像するいわゆる神殿で、格好はいいが、それだけ、という感じだ。しかも入場時間は終わっていた。もともと金を落とす気はさらさら無いが、いざ入場できないとなると、どこか拒絶されたような、寂しい感じがした。
 大通りに沿って歩くと、広い公園があった。国際展示場らしい。もう見飽きた、それでいて感慨のある神殿風の建物の正面にあったベンチに腰掛け、さぁこれからどうしようかなと考え、ふと思い出した。これは、イスタンブルに着いた日と同じではないか。
 初めて一人で海外に行ったのは、去年の夏のイスタンブルだった。早朝に空港に着き、初めての一人海外でまず僕が為したのは、市街を2時間ばっかし彷徨って、事前に予約したホテルを探し当てることだった。やっと見つけ、荷物を預けてアヤソフィア前のベンチに座った頃にはもうクタクタだった。アヤソフィアやブルーモスクが開くまでにはまだ時間がある、それまで何をしようか、いや、開いたとして、僕は3日もイスタンブルで何をすれば良いのか。そんなことを考えているうちに、今にして思えば非常に胡散臭い客引きに話しかけられ、色々な事に巻き込まれ、次第にそんな悩みを忘れていった。
 だが、今回は多分話しかけてくるような人はいないだろう。では、そうした悩みに正面から対峙しなければならない。
 
 そうして、僕は僕で良いじゃないか。旅をしたいという訳の分からない本能、感覚に従えば良いじゃないか、という結論に至った頃には、既に陽が沈みかけていた。そこからは、バネのように反発的に、様々な場所を歩き回った。シンタグマ広場でペロポネソス半島の方に沈む夕陽を拝み、夕焼けの方に歩いた。モナスティラキ広場に舞い戻ると、ケバブ屋でビーフを注文。3.9€で大ボリューム、到底食べきれない。物乞いのマリア様を無視してトマトを食べ、コーラを飲む。うむ、最高の夕食だ。いざ一眼レフを取り出して広場周辺を散策すると、撮影が楽しくて仕方がない。
 一通り広場の撮影を終えると、19時頃だった。ライトアップされたアクロポリスを見ながら、もうこれでアテネに思い残すことは無いと思い、カメラを仕舞って僕は広場を後にした。
 
 夜のアテネ新市街を歩く。ストライキの為に、鉄道駅まで歩く必要があったのだ。もっとも、ストライキがなかったとて僕はケチって歩くだろう。なるべく大通りを通るも、自分が道に迷ったと気付いた頃には現在地を把握できなくなってしまっていた。これは困った。交差点の隅で焦る僕は、そこは流石はデジタルの申し子、すかさずGoogle mapを起動。だが、GPSが狂って現在地が分からない。急に周囲の闇が恐ろしく感じられ、慌てて近くの由緒ありげな教会をヒントに現在地を見出そうとしていた際に
「Hey! CORONA!」
とバイクの二人組が走りながら言ってきやがった。コロナウイルス絶好調の時期に旅をしていたため多少の東洋人差別は覚悟していたが、やはりあるか......。こっちは異国で焦っているというのに!やや憤りながら、それにしても、逆にこれまで出会ったイタリアの爺さんや気前の良いケバブ屋のおじちゃんらは普通に接してくれて、嬉しいなとも思った。彼らとて、本心では東洋人をコロナウイルスと結びつけているに違いない。僕だって、日本の電車で中国人を見かけたらそう思う。大切なのは、それを態度に出さないことだ。相手を思いやること以上の、道徳。そんなことを考えながら駅を目指すも、駅だと思った場所にはレンガの壁しかなく更に焦る。一人で闇夜の道を歩くと、後ろから来る人、前からすれ違う人がいちいち怖い。女性のバックパッカーはさぞ苦労していることだろう。
 そうしてようやく駅に着いたのは20時半頃だった。1,2kmの距離に1時間半かけたことになる。ギリシャ国鉄の看板に心底安堵し、一応インフォメーションでおじさんの駅員に聞いてみた。日本で印刷してきたチケットを渡し、
「この列車はこの駅で合っているか?」
おじさんはチケットをじっくり読み、やがて力強く親指を立て、四番ホームに23時に入線してくることまで教えてくれた。親切な限りだ。

 おじさんの笑顔に安堵し、待合室に座った後、列車の入線まですらあと2時間半あることを思い出して絶望的な気分になった。この頃には、アテネ-テッサロニキくらいの短距離の夜行列車はその短さゆえに深夜の出発なので、こういった無駄な夜の待機時間を強いられることを学び、使うのは長距離夜行に限ろうと心に決めていた。
 やや暗い待合には大荷物の家族や僕と同じような旅の青年が、皆2時間半後の列車到着を待っていた。気怠い雰囲気が立ち込める。全く皆暇そうで、僕も大変に暇だった。SNSをしようにも日本時間は深夜、起きている奴が殆どいない。テッサロニキのホテル事情を調べ、観光地を調べ、今後の旅程を考え、アテネを振り返り......。旧市街を歩いていた時は二度と海外旅行なんかするか、なんて思ったものだけど、振り返れば結局刺激的で楽しかったと思う。こういう経験を僕は何度も積み重ねてきた。中毒と言って良い。こうして、夜の待合を遅く時間が過ぎていった。
 23時前になり、ようやくホームに向かう。無風だがやや冷たい空気の中、夜行に乗る同志達と列車の到着を待つ。23時を過ぎても列車は来ないが、まぁそんなに時間通りというわけでもなかろう。落ち着いて待っていたが、ついに列車の出発時間を過ぎても列車は来なかった。この場合、遅れているのならまだ良いが、運休だったら困る。そして一番困ったのは、何の情報をないということだ。近くのおじさんと一体どうなってんだという会話をし、待てども列車は来ない。堪りかねて駅の受付に行くも、大勢の客の相手で忙しそうだ。交わされる言葉は当然ギリシャ語で全く解せない。
 大人しくホームで待つことにしたが、無風とはいえ寒い。誰も分からないのをいいことに、日本語で「しばれるなぁ」なんて独りごち、身を縮めタオルを膝に乗せ寒さを耐え忍ぶ。結局列車は到着したのは26時前だった。3時間待たされたことになる。全く、宗谷本線じゃないのだから......。

 列車は客車列車で、我らが一等車は6席のコンパートメントに4人だった。一等車なのだからもっと快適かと思ったが、ホームで騒いでいた連中と同じコンパートメントにされないことにお金を払った、と考えることにする。寝支度をして、目を閉じればすぐに眠ってしまった。



モナスティラキ広場、遠くにアクロポリスを望む。 

 26時のアテネ中央駅