2019年3月17日日曜日

良い旅を

船旅を重ね、経験を重ねるうちに、海に対する考えが変わった、深化したように思う。


博多港、21時。ロビーにはそれなりに人が居た。老人が多い。平日の夜、何のために船に乗るのだろうか。

五島行きのフェリーもあるのか。五島列島や壱岐対馬は行政上は長崎県だが、交通面では福岡県との繋がりが深い、と聞いた通りだった。

フェリーでは1枚50円で毛布を借りた。毛布を布団のように使い、雑魚寝の二等室で寝床を確保した。2枚借りると掛け布団にも出来るのだろう。

テレビでは水曜日のダウンタウンが流れていた。内容は、芸歴が長くてもバイトをし続ける芸人の苦労を紹介するものだった。周りを見渡すと、多分似たような境遇であろうおじさん達が死んだ目でテレビを見つめていた。僕はそれを具に観察した。

23時、消灯。寝ようと努めるが、船が湾を出たらしく、波が激しくなった。時化ってるというアナウンスはあったが、ひどかった。苦しく、断片的な睡眠だった。

4時半、対馬比田勝港に着いた。今降りるか7時に降りるかを選ばねばならない。もう少し寝ていたいという思いがあるが、前夜調べたバス情報によると6時40分のバスに乗らないとどうしようもないらしい。そうは言ってもタクシーを使えば良いのだが、如何せん金がかかる。仕方なく、夜、誰もいない比田勝港に上陸した。揺れない地面に安堵した。

と言っても、とても暇だ。周りにもTwitterにも誰もいない。しばらく待合で休み、バス停まで歩いた。東の空が少し明るい時間だからか、夜空に星は少なかった。そう言えば、僕は星が見たいんだった。

群青色の空、オレンジ色の街灯。いとをかし。

バス停で、前日調達したコンビニのおにぎりを食べた。東の朝焼けが心を洗う。朝焼けはピンクで、夕焼けはオレンジな気がするが、そうかな。

バスに間違えて乗り、急いで次の停留所降りて次のバスに乗り換えようとしたところ、次のバスとは今降りたバスのことだったので、全力でバスを追いかけ飛び乗った。バカ。

訳の分からんバス停で降りた。ここから韓国展望台まで片道4.8kmの山道を2時間で往復しなければ、もう予約したジェットフォイルには乗れない。小走りでスタートしたが、すぐにバテた。

なんか、45分で着いた。人の平均速度が4km/hと聞くので、僕の6.4km/hはなかなか鍛えられているのではなかろうか。

韓国展望台では、坂道を上るにつれ水平線が見えるようになっており、エモい。ガスっていたが、対岸は見えた。

防人の時代から、ここから対岸を睨み付けた男達がいたのだろう。今、船は見当たらないが、船が来たとしたらすぐに見通せるように思える。歴史浪漫を感じつつ、来た道を戻った。

バスで2時間揺られ、対馬の南、厳原に着いた。バスでうたた寝する時間は、普通よりもむしろ長く感じる。幸せな時間だった。対州そばは、そこまでおいしくなかった。

九州郵船の滅茶苦茶な地図を参考にターミナルに辿り着き、旅客のみのジェットフォイルで本土に帰った。港から駅までは、初めて西鉄バスに乗ってみた。

博多からはいつも通り、博多-小倉-中津-大分で南下していった。もうこのルートをこの時間に通るのは何回目だろうか。小倉駅ホームでラーメンを食べた、というのも。


少年は、勉強の中で青年になるのだ、と誰かが言う。僕はまだまだ少年かもしれないが、しかしまあ好青年なので青年なのだろう。
そして思う。青年は旅の中で大人になるのだ、と。

夜行フェリーで寝る経験も、国境の海を睨み付ける経験も、うたた寝する経験も、西鉄バスに乗る経験も、きっと僕を形成する要素となる。
何より、旅をして良かった、と思った。
そういう旅をしていきたい。一生ね。

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