広島・呉市を舞台にした映画『この世界の片隅に』の聖地巡礼の様子はまた別の記事で書きます。
記憶
東京旅行記
第3回
目次
第3回
目次
旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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前回は確か、伊那田島駅に着いたところで終わったと思う。この後、僕はどこへ行くのだろうか。
先に結論を示そう。僕はこの後飯田線の最深部、つまり秘境駅を数駅巡った後、豊橋からムーンライトながらに乗って東京へ向かう。ムーンライトながらというのは、簡単に言うと夜行列車だ。そして東京で様々な初めてに出会い、感嘆する。そこにお金の問題がのしかかる。
何が言いたいかというと、東京での話はコメディ要素が多い。そして東京はそういう珍道中的な紀行文が似合う街だと思った。
今回は旅の行程の内、飯田線の秘境駅部分を扱うわけだが、今後のコメディ路線を見据えて、今回だけは日頃思う事を交えて書いていきたいと思う。写真についてだったり、様々だけれど。吉田兼好の『徒然草』といえば、随筆、或いはエッセイ。徒然なるままに、書いていきたいと思います。彼がそうしたように。
今日僕が見た、美しい景色の話をしよう。
この文章を書いているのは、段々と寒さが迫ってきた十月の末だ。数年前から相変わらずの遅筆なのはさておき、今朝は寒い朝だった。日が昇る前に僕は家を出る。家を飛び出した瞬間、首元、顔が冷たい。それは寝ぼけた頭には痛快で、結局電車内では眠ってしまうわけだが、思考が研ぎ澄まされる気がする。
朝とは、十二時間近く太陽のない世界の結果なのだ。昔、2ちゃんねるに書いてあった文言だ。道を右に曲がる。ちょっとした県道を駅に向かって、冷たい風を切って走っている。
地平線の空が白い。遠くの雲はピンク色に染まっていて、日の出を予感させる。聳え立つ鉄塔は哀愁を誘い、南、僕のことを幼少期から見下ろす通称”もみの木山脈”の山々、その山際、いとをかし。
少し列車は遅延していた。プラットホームで僕は、体を震わせながら空に目をやっていた。
向こうの駅に着いた。自転車を取りに、東へ歩く。僕が列車で眠っている間に太陽は顔を出していた。ビル群の隙間からオレンヂ色の光が身体を包み、目を焼く!目を下に背けると、黒い学ランも太陽色に染まっていた。
最近は台風が通り過ぎ、天気予報でよく聞く『清々しい秋晴れ』が体現されたような天気が続いていた。今日とて例外ではなく、雲の少ない、太陽が燦々と我らを照らす一日だった。授業中ふと外に目をやると、どこまでも続く空を、ぼんやりとした形の雲が浮かんでいた。強い北風が吹く日だった。北風は南に向かって吹く。あの雲はどこまで旅をするのだろうか。南下せよ、彼女はそう言った。雲のように、どこまでも行ける気がした。
そして時が経ち、夜。この文章を書く三時間前の新鮮な話。今日は北風が強く気温が低いこともあり、帰りの電車は四両編成の古い電車だったけれど、今シーズン初めて暖房がついていた。座席は二人席が向かい合わせのボックスシート。僕の向かいには、ハロウィーンの仮装だか化粧だか判定がつかないような女性が座っていた。
僕は本を読んでいた。イヤフォンをしていた。ビートルズの『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』を聴いていた。本来なら、僕は最寄り駅に着くまで本をいじるかスマホを触るかし続け、万が一にも、窓の外の流れる街を眺めて闇を感じ、さらにその窓に向かいの女性が反射して写っていることにおかしみを感じたりなどしなかっただろうし、T駅の近くの踏切で、我らの列車の通過を待つ光たちを見て撮影を決意することなどなかっただろう。
つまり僕はそうしたわけだが、僕をそうさせたのは、車内に流れた車掌の放送だった。前述の通りこの列車は古いので、機械案内が流れない。その肉声の放送は僕にイヤフォンを外させ、そうして一連の行動を取らせた。
「……なお、終点のU駅への到着予定時刻は二一時十六分となっております。」
僕は一瞬にして様々な事を想像、回想する。国鉄の頃はもっと長距離を走る普通列車があっただろうということ。この放送が旅情を誘う素晴らしい放送案内だということ。U駅から先は台風災害によって路線が断絶していること。U駅の先のT駅に、カメラを提げて、その災害の取材に行ったこと。そこで視たもの。
舞台を七月の末、飯田線に移そう。
その後、僕は飯田線を南下した。飯田線屈指の秘境駅区間に入り、為栗駅、田本駅、柿本駅、小和田駅を訪ねた。それぞれの駅に個性やエピソードがあるのだが、あえて描写を避けたいと思う。ここで強調しておきたいのは、正直な話、七月の僕はこれらの駅に殆ど魅力を感じなかったということだ。当時は前回の『夏の道』にばかり手応えを感じ、この七月のうだるように暑い時間に自分は何をしているのだろうかとすら考えた。大分に帰ってパソコンで写真を整理していても、夏の道や江ノ島(色々あって後に訪れることとなるのだ)の写真ばかり見返してしまう。
けれども、時間が経って東京旅行のフィルムを現像に出して見返した時、一番心を打ったのは田本駅付近での何気ない写真だった。そして今、十月末日、東京旅行全編を通して最も目に焼き付いた光景も同様なのだ。
写真には二つの種類、というか方式がある。フィルム(銀塩、アナログ)とデジタルである。さて諸兄、どちらが良いだろうか?
歴史を考えると、フィルムの方が先なのは言うまでも無い。言い換えれば、フィルムは古き時代の遺物である。かといって全てのフィルムがダーウィンの自然選択説的に淘汰されたわけではなく、数を減らしつつも生き延び、事実として今日現在田舎の男子高校生がハマっている。
なぜ僕は、というか人は、フィルムを使い続けるのだろうか?フィルムのメリットをあげてみると、色や質感が良いくらいしかないだろう。無論細かい話は無視する。それに対してデメリットといえば、すぐに確認できない、不便、現像代が高い。写真を撮るだけでお金がかかるのはデジタルに対して圧倒的なデメリットといえるだろう。
なぜ使う?僕は自分に問い掛け続けてきた。明確な、明瞭な答えが出ない。だが、田本駅の件を通じて、フィルムの核、意義とも言えるものを掴んだ気がする。十代の学生身分の小生意気な意見ではあるが。
思うに、フィルムというのは『記憶』の表現に適しているのではないだろうか。記憶の時間的な感覚が、現像という行為を置くことで再現されている。また、フィルムの色は僕には『記憶の色』のように思える。一般的にフィルムの色はノスタルジーと言われるが、その郷愁は各人のかつての記憶の中の色をフィルムに感じているからではないか。僕はフィルムを使うことで自分のノスタルジー、記憶を探していたのだ。
田本駅には二時間程度滞在した。田本駅は線路の両側がトンネルであり、ホームは断崖絶壁にある。逃げ道、もとい出入口は登山道的な無舗装の山道のみで、近隣に集落はない。夏のある日、そこに僕だけがいた。
僕はその時、荷物を全て駅のベンチに放置し、FM2と呼ばれるフィルムカメラだけを持ってその山道を登っていった。木々の隙間から太陽が降り注ぐ。十分ほど歩くと、突然視界が開ける。渓谷だ。天竜川の深いV字谷に、頼りない一本の吊り橋が架かっている。真ん中の方まで歩く。
川は白く澄み、多少の石が転がっている。急な傾斜に緑の木々が生い茂る。山の頂上からは白い雲が顔を出し、空は太陽光で白飛びしているように見える。
山の中腹あたりにいくつか民家が見えた。もしかしたら、この集落の為に田本駅は存続しているのかもしれない。どうしてあの場所にあるのだろう、どのような暮らしなのだろう。夏の疑問は空のように、すぐに白く飛んでしまう。
でもその情景が僕の記憶から消えることは無い。フィルムのように色褪せて、ずっと心のなかに残っていくだろう。同じように、僕がT市の災害で視たものも、今日僕が朝から晩まで視た様々な景色も、記憶に留まり続けることだろう。ビートルズのように、永遠に。
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記憶
前回は確か、伊那田島駅に着いたところで終わったと思う。この後、僕はどこへ行くのだろうか。
先に結論を示そう。僕はこの後飯田線の最深部、つまり秘境駅を数駅巡った後、豊橋からムーンライトながらに乗って東京へ向かう。ムーンライトながらというのは、簡単に言うと夜行列車だ。そして東京で様々な初めてに出会い、感嘆する。そこにお金の問題がのしかかる。
何が言いたいかというと、東京での話はコメディ要素が多い。そして東京はそういう珍道中的な紀行文が似合う街だと思った。
今回は旅の行程の内、飯田線の秘境駅部分を扱うわけだが、今後のコメディ路線を見据えて、今回だけは日頃思う事を交えて書いていきたいと思う。写真についてだったり、様々だけれど。吉田兼好の『徒然草』といえば、随筆、或いはエッセイ。徒然なるままに、書いていきたいと思います。彼がそうしたように。
今日僕が見た、美しい景色の話をしよう。
この文章を書いているのは、段々と寒さが迫ってきた十月の末だ。数年前から相変わらずの遅筆なのはさておき、今朝は寒い朝だった。日が昇る前に僕は家を出る。家を飛び出した瞬間、首元、顔が冷たい。それは寝ぼけた頭には痛快で、結局電車内では眠ってしまうわけだが、思考が研ぎ澄まされる気がする。
朝とは、十二時間近く太陽のない世界の結果なのだ。昔、2ちゃんねるに書いてあった文言だ。道を右に曲がる。ちょっとした県道を駅に向かって、冷たい風を切って走っている。
地平線の空が白い。遠くの雲はピンク色に染まっていて、日の出を予感させる。聳え立つ鉄塔は哀愁を誘い、南、僕のことを幼少期から見下ろす通称”もみの木山脈”の山々、その山際、いとをかし。
少し列車は遅延していた。プラットホームで僕は、体を震わせながら空に目をやっていた。
向こうの駅に着いた。自転車を取りに、東へ歩く。僕が列車で眠っている間に太陽は顔を出していた。ビル群の隙間からオレンヂ色の光が身体を包み、目を焼く!目を下に背けると、黒い学ランも太陽色に染まっていた。
最近は台風が通り過ぎ、天気予報でよく聞く『清々しい秋晴れ』が体現されたような天気が続いていた。今日とて例外ではなく、雲の少ない、太陽が燦々と我らを照らす一日だった。授業中ふと外に目をやると、どこまでも続く空を、ぼんやりとした形の雲が浮かんでいた。強い北風が吹く日だった。北風は南に向かって吹く。あの雲はどこまで旅をするのだろうか。南下せよ、彼女はそう言った。雲のように、どこまでも行ける気がした。
そして時が経ち、夜。この文章を書く三時間前の新鮮な話。今日は北風が強く気温が低いこともあり、帰りの電車は四両編成の古い電車だったけれど、今シーズン初めて暖房がついていた。座席は二人席が向かい合わせのボックスシート。僕の向かいには、ハロウィーンの仮装だか化粧だか判定がつかないような女性が座っていた。
僕は本を読んでいた。イヤフォンをしていた。ビートルズの『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』を聴いていた。本来なら、僕は最寄り駅に着くまで本をいじるかスマホを触るかし続け、万が一にも、窓の外の流れる街を眺めて闇を感じ、さらにその窓に向かいの女性が反射して写っていることにおかしみを感じたりなどしなかっただろうし、T駅の近くの踏切で、我らの列車の通過を待つ光たちを見て撮影を決意することなどなかっただろう。
つまり僕はそうしたわけだが、僕をそうさせたのは、車内に流れた車掌の放送だった。前述の通りこの列車は古いので、機械案内が流れない。その肉声の放送は僕にイヤフォンを外させ、そうして一連の行動を取らせた。
「……なお、終点のU駅への到着予定時刻は二一時十六分となっております。」
僕は一瞬にして様々な事を想像、回想する。国鉄の頃はもっと長距離を走る普通列車があっただろうということ。この放送が旅情を誘う素晴らしい放送案内だということ。U駅から先は台風災害によって路線が断絶していること。U駅の先のT駅に、カメラを提げて、その災害の取材に行ったこと。そこで視たもの。
舞台を七月の末、飯田線に移そう。
その後、僕は飯田線を南下した。飯田線屈指の秘境駅区間に入り、為栗駅、田本駅、柿本駅、小和田駅を訪ねた。それぞれの駅に個性やエピソードがあるのだが、あえて描写を避けたいと思う。ここで強調しておきたいのは、正直な話、七月の僕はこれらの駅に殆ど魅力を感じなかったということだ。当時は前回の『夏の道』にばかり手応えを感じ、この七月のうだるように暑い時間に自分は何をしているのだろうかとすら考えた。大分に帰ってパソコンで写真を整理していても、夏の道や江ノ島(色々あって後に訪れることとなるのだ)の写真ばかり見返してしまう。
けれども、時間が経って東京旅行のフィルムを現像に出して見返した時、一番心を打ったのは田本駅付近での何気ない写真だった。そして今、十月末日、東京旅行全編を通して最も目に焼き付いた光景も同様なのだ。
写真には二つの種類、というか方式がある。フィルム(銀塩、アナログ)とデジタルである。さて諸兄、どちらが良いだろうか?
歴史を考えると、フィルムの方が先なのは言うまでも無い。言い換えれば、フィルムは古き時代の遺物である。かといって全てのフィルムがダーウィンの自然選択説的に淘汰されたわけではなく、数を減らしつつも生き延び、事実として今日現在田舎の男子高校生がハマっている。
なぜ僕は、というか人は、フィルムを使い続けるのだろうか?フィルムのメリットをあげてみると、色や質感が良いくらいしかないだろう。無論細かい話は無視する。それに対してデメリットといえば、すぐに確認できない、不便、現像代が高い。写真を撮るだけでお金がかかるのはデジタルに対して圧倒的なデメリットといえるだろう。
なぜ使う?僕は自分に問い掛け続けてきた。明確な、明瞭な答えが出ない。だが、田本駅の件を通じて、フィルムの核、意義とも言えるものを掴んだ気がする。十代の学生身分の小生意気な意見ではあるが。
思うに、フィルムというのは『記憶』の表現に適しているのではないだろうか。記憶の時間的な感覚が、現像という行為を置くことで再現されている。また、フィルムの色は僕には『記憶の色』のように思える。一般的にフィルムの色はノスタルジーと言われるが、その郷愁は各人のかつての記憶の中の色をフィルムに感じているからではないか。僕はフィルムを使うことで自分のノスタルジー、記憶を探していたのだ。
田本駅には二時間程度滞在した。田本駅は線路の両側がトンネルであり、ホームは断崖絶壁にある。逃げ道、もとい出入口は登山道的な無舗装の山道のみで、近隣に集落はない。夏のある日、そこに僕だけがいた。
僕はその時、荷物を全て駅のベンチに放置し、FM2と呼ばれるフィルムカメラだけを持ってその山道を登っていった。木々の隙間から太陽が降り注ぐ。十分ほど歩くと、突然視界が開ける。渓谷だ。天竜川の深いV字谷に、頼りない一本の吊り橋が架かっている。真ん中の方まで歩く。
川は白く澄み、多少の石が転がっている。急な傾斜に緑の木々が生い茂る。山の頂上からは白い雲が顔を出し、空は太陽光で白飛びしているように見える。
山の中腹あたりにいくつか民家が見えた。もしかしたら、この集落の為に田本駅は存続しているのかもしれない。どうしてあの場所にあるのだろう、どのような暮らしなのだろう。夏の疑問は空のように、すぐに白く飛んでしまう。
でもその情景が僕の記憶から消えることは無い。フィルムのように色褪せて、ずっと心のなかに残っていくだろう。同じように、僕がT市の災害で視たものも、今日僕が朝から晩まで視た様々な景色も、記憶に留まり続けることだろう。ビートルズのように、永遠に。
夏の道
夏の東京旅行記/第2回
目次
目次
旅と回想/大分~塩尻
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
夏の道/飯田線①
記憶/飯田線②
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夏の道
僕は夏の道を歩いていた。
夏の道、というのは僕が勝手に付けた名前だ。
嫌になるほど暑い日だった。昨夜は突然の孤独感に苛まれたため、眠ったのは少し遅めの23時過ぎだった。
秘境駅というのは往々にしてローカル線にあり、ローカル線というのは往々にして列車本数が少ない。だから、始発を逃せない。起きたのは朝の5時頃だ。窓を開けると既に空は明るく、薄い雲の筋が幾重にも連なっていた。
早々に身支度を整え、昨夜見かけた『朝の無料バイキング』とやらを食べに、急な階段を4階から1階まで下った。
昨夜、初日だというのに旅の資金について不安を感じた。そんな折に無料バイキングがあるという話を聞き、この田舎の駅前の、エレベーターも付いていないような小さなホテルを僕はすこぶる見直した。これで数百円が浮く。喜々として1階に降りたがフロントには人がおらず、食堂と称してある部屋にも人影が無く、電気すら点いていない。勝手に食べてほしいと言われていたので、随分開放的なバイキング形式だな、と考えながら勝手に部屋に入った。電気を点ける。正面の張り紙には
『お一人様トースト二枚まで!マーガリン、ジャムはご自由に!』
さて。六月、雨の頃、写真部の大会で沖縄に行った。泊ったのは、那覇市内のアパホテル。そこでは朝には食堂でバイキングがあり、様々なおかずを盛り付け、好き放題食べる事ができた。
僕は昨晩から今に至るまでずっとアパホテル式のバイキングを想像、想定していた。だが、その張り紙は僕のプレートに溢れんばかりにあるはずだったおかずとごはんの朝ごはんを、一瞬にしてパンとマーガリンに変えた。その事実を目の当たりにし、とりあえずはマーガリンをトーストに塗りたくってしっかりと二枚食べた。しかし、全然腹は満たされず、腹八分すらない。こちとら成長期の男子高校生なのだ。昨晩買っておいた非常用のパンが早速出動することとなってしまった。
荷物を取って来て、フロントに鍵を置く。6時前、駅に向かって歩く人影がある。社会が動き始めるこの時間が僕は好きだ。塩尻駅のホームにも、会社員や学生が列車を待っていた。
この塩尻駅はJR東日本とJR東海との境界の駅の一つであり、その駅名標は東日本のグリーンと東海のオレンジの両方が描かれている。そんなカラフルなホームで朝の光を浴びて、南へ向かう列車に乗った。
列車は早朝の町を走る。典型的な田舎路線で、片方は森、片方は田園風景。雑草に露がついていそうな朝だった。辰本駅を過ぎると、列車はいよいよ今回の秘境駅旅行のハイライト、飯田線に入った。
これまで幾度となく書いてきたことだが、僕は中学二年の夏にある旅行記を読み、旅を始めた。学校の長期休暇の度に旅に出た。しかし、中学の頃は日帰り旅行が主だったので、九州島から出ることは殆どなかった。
僕が読んだその旅行記には日本各地の様々な秘境駅や路線が登場した。いつかは行きたいと思っていた。
その一つが飯田線なのだ。路線内に96駅もある日本最大のローカル線で、険しい山間部を走るゆえにいくつも秘境駅がある。中学から僕はこの路線に憧れていて、この旅を計画したのもその憧れからだった。
ただ僕は今、不安に駆られている。昨日の定光寺駅での一件が脳裏を過る。一件といっても何も無かったのだが、その何も無かったことが問題なのだ。どうして旅をしているのだろう。きっと普段ならまだ眠っているであろう時間帯に、どうして僕は大分から遠く離れた山奥のローカル線に揺られているのだろう。
憧れは、どこへいったのだろう。
列車に揺られて一時間、最初の下車駅に着いた。高遠原駅、響きが良い。去る列車を後ろから撮ると、早速手持ち無沙汰になってしまった。
首にカメラを提げる。カメラ、写真機。何か撮らなければならない、何か、僕がここにいた証を残さなければならない。駅前には大きな木がある。木!近くを見回すと、雑草の生い茂るオレンジ色の草地に薄汚れたトラックがある!おお、ナイスノスタルジー!暫く悪戦苦闘していると、向こうの道、馬鹿らしいほど青い空と白い雲、その下には山があって、しかももう少し下には家々がある、そんな向こうの道を軽トラが走る。絶好のチャンスを得たり!素早くカメラを構えたが、構図が悪かった。失敗だ、チクショウ。どうせまたすぐに軽トラの一台や二台通るだろうと思って粘ってみるが、そういう時に限って一向に現れないものだ。やはり写真の神様はそんなに甘くない。神様との根性比べに白旗を揚げ、隣駅へ歩を進めた。
駅前通り、といっても舗装はされていないし民家も少ないが、そのなだらかな坂道を進むと国道に出た。国道と行っても繁華な国道ではなく、都市と都市とを繋ぐ、という機能に特化した方の国道。大体山道なんだけど、たまに集落を通るよ、という国道のその集落部分だったようだ。暫く歩いて横道に逸れる。踏切を渡って奥に行く。
あぁ、しかし夏は暑い。どうしてこうも暑いのか、しかも荷物も重い!しかし冬の方が荷物がかさばるな…さて、暫く歩くと、気持の良い下りの直線道路に出た。農地を貫くアスファルト、奥では農道とクロスしている。
小さな子供が虫取り網を持って走っている。なんてフォトジェニックなんだろう、声を掛けかけたが、近くにお婆ちゃんが居ることに気が付いた。腰が曲がっていて、手押し車を使ってその孫の後を追いかけている。でも、孫は待つ気もさらさら無さげに走っていく。
声を掛けるのをやめる。僕にもこんなことがあっただろうか、と思う。あった気もするし、無かった気もする。白昼夢のようにぼやけた光景が脳裏に浮かぶ。でも、掴めない。
農道を歩いて行く。太陽もだいぶ上がってきた。木々が風に踊っている様子が、木陰、じゃなくて木影から、よく分かる。
道路オタク的な考えを述べると、長野県は非常に細やかに標識を設置している。他の県では考えられないくらいたくさんの警戒標識…黄色いヤツ…がある。それが立ち並んでいる様子が大変フォトジェニックだった。少し時間に追われながら歩くと、坂があった。坂の頂上でカーブミラーが僕を見下ろした。
右に曲がると、夏が広がっていた。
かつてここまでの夏があっただろうか、自分の記憶を辿ってみる。去年の夏の向日葵畑はどうだろう?確かに夏だが、夏というより向日葵な記憶だ。うん、やっぱり初めての夏だ。
1キロも無いだろう、数百メートルの道を歩くのに僕は三十分ほど掛けた。アメリカ横断ウルトラクイズのコンボイレースで見たような、ずーっと続くかのような直線道路。脇にも道路が出ていて、全てを歩いて行きたくなる。庭では向日葵が咲いていた。通るのは僅かな軽トラだけだ。前述の通り、標識もたくさんある。僕はこの道を『夏の道』と呼ぶことにした。
夏、とはなんだろうか。僕は夏を探していた。夏を探しに行こう、いやいや近くにも夏はあるよ、なんて葛藤をしていた。今、僕は、太陽が赤く、空が青ければ夏だ、そう思う。
暫く歩いて、電車に乗った。次はどんな夏があるだろう。
夏の道、というのは僕が勝手に付けた名前だ。
嫌になるほど暑い日だった。昨夜は突然の孤独感に苛まれたため、眠ったのは少し遅めの23時過ぎだった。
秘境駅というのは往々にしてローカル線にあり、ローカル線というのは往々にして列車本数が少ない。だから、始発を逃せない。起きたのは朝の5時頃だ。窓を開けると既に空は明るく、薄い雲の筋が幾重にも連なっていた。
早々に身支度を整え、昨夜見かけた『朝の無料バイキング』とやらを食べに、急な階段を4階から1階まで下った。
昨夜、初日だというのに旅の資金について不安を感じた。そんな折に無料バイキングがあるという話を聞き、この田舎の駅前の、エレベーターも付いていないような小さなホテルを僕はすこぶる見直した。これで数百円が浮く。喜々として1階に降りたがフロントには人がおらず、食堂と称してある部屋にも人影が無く、電気すら点いていない。勝手に食べてほしいと言われていたので、随分開放的なバイキング形式だな、と考えながら勝手に部屋に入った。電気を点ける。正面の張り紙には
『お一人様トースト二枚まで!マーガリン、ジャムはご自由に!』
さて。六月、雨の頃、写真部の大会で沖縄に行った。泊ったのは、那覇市内のアパホテル。そこでは朝には食堂でバイキングがあり、様々なおかずを盛り付け、好き放題食べる事ができた。
僕は昨晩から今に至るまでずっとアパホテル式のバイキングを想像、想定していた。だが、その張り紙は僕のプレートに溢れんばかりにあるはずだったおかずとごはんの朝ごはんを、一瞬にしてパンとマーガリンに変えた。その事実を目の当たりにし、とりあえずはマーガリンをトーストに塗りたくってしっかりと二枚食べた。しかし、全然腹は満たされず、腹八分すらない。こちとら成長期の男子高校生なのだ。昨晩買っておいた非常用のパンが早速出動することとなってしまった。
荷物を取って来て、フロントに鍵を置く。6時前、駅に向かって歩く人影がある。社会が動き始めるこの時間が僕は好きだ。塩尻駅のホームにも、会社員や学生が列車を待っていた。
この塩尻駅はJR東日本とJR東海との境界の駅の一つであり、その駅名標は東日本のグリーンと東海のオレンジの両方が描かれている。そんなカラフルなホームで朝の光を浴びて、南へ向かう列車に乗った。
列車は早朝の町を走る。典型的な田舎路線で、片方は森、片方は田園風景。雑草に露がついていそうな朝だった。辰本駅を過ぎると、列車はいよいよ今回の秘境駅旅行のハイライト、飯田線に入った。
これまで幾度となく書いてきたことだが、僕は中学二年の夏にある旅行記を読み、旅を始めた。学校の長期休暇の度に旅に出た。しかし、中学の頃は日帰り旅行が主だったので、九州島から出ることは殆どなかった。
僕が読んだその旅行記には日本各地の様々な秘境駅や路線が登場した。いつかは行きたいと思っていた。
その一つが飯田線なのだ。路線内に96駅もある日本最大のローカル線で、険しい山間部を走るゆえにいくつも秘境駅がある。中学から僕はこの路線に憧れていて、この旅を計画したのもその憧れからだった。
ただ僕は今、不安に駆られている。昨日の定光寺駅での一件が脳裏を過る。一件といっても何も無かったのだが、その何も無かったことが問題なのだ。どうして旅をしているのだろう。きっと普段ならまだ眠っているであろう時間帯に、どうして僕は大分から遠く離れた山奥のローカル線に揺られているのだろう。
憧れは、どこへいったのだろう。
列車に揺られて一時間、最初の下車駅に着いた。高遠原駅、響きが良い。去る列車を後ろから撮ると、早速手持ち無沙汰になってしまった。
首にカメラを提げる。カメラ、写真機。何か撮らなければならない、何か、僕がここにいた証を残さなければならない。駅前には大きな木がある。木!近くを見回すと、雑草の生い茂るオレンジ色の草地に薄汚れたトラックがある!おお、ナイスノスタルジー!暫く悪戦苦闘していると、向こうの道、馬鹿らしいほど青い空と白い雲、その下には山があって、しかももう少し下には家々がある、そんな向こうの道を軽トラが走る。絶好のチャンスを得たり!素早くカメラを構えたが、構図が悪かった。失敗だ、チクショウ。どうせまたすぐに軽トラの一台や二台通るだろうと思って粘ってみるが、そういう時に限って一向に現れないものだ。やはり写真の神様はそんなに甘くない。神様との根性比べに白旗を揚げ、隣駅へ歩を進めた。
駅前通り、といっても舗装はされていないし民家も少ないが、そのなだらかな坂道を進むと国道に出た。国道と行っても繁華な国道ではなく、都市と都市とを繋ぐ、という機能に特化した方の国道。大体山道なんだけど、たまに集落を通るよ、という国道のその集落部分だったようだ。暫く歩いて横道に逸れる。踏切を渡って奥に行く。
あぁ、しかし夏は暑い。どうしてこうも暑いのか、しかも荷物も重い!しかし冬の方が荷物がかさばるな…さて、暫く歩くと、気持の良い下りの直線道路に出た。農地を貫くアスファルト、奥では農道とクロスしている。
小さな子供が虫取り網を持って走っている。なんてフォトジェニックなんだろう、声を掛けかけたが、近くにお婆ちゃんが居ることに気が付いた。腰が曲がっていて、手押し車を使ってその孫の後を追いかけている。でも、孫は待つ気もさらさら無さげに走っていく。
声を掛けるのをやめる。僕にもこんなことがあっただろうか、と思う。あった気もするし、無かった気もする。白昼夢のようにぼやけた光景が脳裏に浮かぶ。でも、掴めない。
農道を歩いて行く。太陽もだいぶ上がってきた。木々が風に踊っている様子が、木陰、じゃなくて木影から、よく分かる。
道路オタク的な考えを述べると、長野県は非常に細やかに標識を設置している。他の県では考えられないくらいたくさんの警戒標識…黄色いヤツ…がある。それが立ち並んでいる様子が大変フォトジェニックだった。少し時間に追われながら歩くと、坂があった。坂の頂上でカーブミラーが僕を見下ろした。
右に曲がると、夏が広がっていた。
かつてここまでの夏があっただろうか、自分の記憶を辿ってみる。去年の夏の向日葵畑はどうだろう?確かに夏だが、夏というより向日葵な記憶だ。うん、やっぱり初めての夏だ。
1キロも無いだろう、数百メートルの道を歩くのに僕は三十分ほど掛けた。アメリカ横断ウルトラクイズのコンボイレースで見たような、ずーっと続くかのような直線道路。脇にも道路が出ていて、全てを歩いて行きたくなる。庭では向日葵が咲いていた。通るのは僅かな軽トラだけだ。前述の通り、標識もたくさんある。僕はこの道を『夏の道』と呼ぶことにした。
夏、とはなんだろうか。僕は夏を探していた。夏を探しに行こう、いやいや近くにも夏はあるよ、なんて葛藤をしていた。今、僕は、太陽が赤く、空が青ければ夏だ、そう思う。
暫く歩いて、電車に乗った。次はどんな夏があるだろう。
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