良い旅を

船旅を重ね、経験を重ねるうちに、海に対する考えが変わった、深化したように思う。


博多港、21時。ロビーにはそれなりに人が居た。老人が多い。平日の夜、何のために船に乗るのだろうか。

五島行きのフェリーもあるのか。五島列島や壱岐対馬は行政上は長崎県だが、交通面では福岡県との繋がりが深い、と聞いた通りだった。

フェリーでは1枚50円で毛布を借りた。毛布を布団のように使い、雑魚寝の二等室で寝床を確保した。2枚借りると掛け布団にも出来るのだろう。

テレビでは水曜日のダウンタウンが流れていた。内容は、芸歴が長くてもバイトをし続ける芸人の苦労を紹介するものだった。周りを見渡すと、多分似たような境遇であろうおじさん達が死んだ目でテレビを見つめていた。僕はそれを具に観察した。

23時、消灯。寝ようと努めるが、船が湾を出たらしく、波が激しくなった。時化ってるというアナウンスはあったが、ひどかった。苦しく、断片的な睡眠だった。

4時半、対馬比田勝港に着いた。今降りるか7時に降りるかを選ばねばならない。もう少し寝ていたいという思いがあるが、前夜調べたバス情報によると6時40分のバスに乗らないとどうしようもないらしい。そうは言ってもタクシーを使えば良いのだが、如何せん金がかかる。仕方なく、夜、誰もいない比田勝港に上陸した。揺れない地面に安堵した。

と言っても、とても暇だ。周りにもTwitterにも誰もいない。しばらく待合で休み、バス停まで歩いた。東の空が少し明るい時間だからか、夜空に星は少なかった。そう言えば、僕は星が見たいんだった。

群青色の空、オレンジ色の街灯。いとをかし。

バス停で、前日調達したコンビニのおにぎりを食べた。東の朝焼けが心を洗う。朝焼けはピンクで、夕焼けはオレンジな気がするが、そうかな。

バスに間違えて乗り、急いで次の停留所降りて次のバスに乗り換えようとしたところ、次のバスとは今降りたバスのことだったので、全力でバスを追いかけ飛び乗った。バカ。

訳の分からんバス停で降りた。ここから韓国展望台まで片道4.8kmの山道を2時間で往復しなければ、もう予約したジェットフォイルには乗れない。小走りでスタートしたが、すぐにバテた。

なんか、45分で着いた。人の平均速度が4km/hと聞くので、僕の6.4km/hはなかなか鍛えられているのではなかろうか。

韓国展望台では、坂道を上るにつれ水平線が見えるようになっており、エモい。ガスっていたが、対岸は見えた。

防人の時代から、ここから対岸を睨み付けた男達がいたのだろう。今、船は見当たらないが、船が来たとしたらすぐに見通せるように思える。歴史浪漫を感じつつ、来た道を戻った。

バスで2時間揺られ、対馬の南、厳原に着いた。バスでうたた寝する時間は、普通よりもむしろ長く感じる。幸せな時間だった。対州そばは、そこまでおいしくなかった。

九州郵船の滅茶苦茶な地図を参考にターミナルに辿り着き、旅客のみのジェットフォイルで本土に帰った。港から駅までは、初めて西鉄バスに乗ってみた。

博多からはいつも通り、博多-小倉-中津-大分で南下していった。もうこのルートをこの時間に通るのは何回目だろうか。小倉駅ホームでラーメンを食べた、というのも。


少年は、勉強の中で青年になるのだ、と誰かが言う。僕はまだまだ少年かもしれないが、しかしまあ好青年なので青年なのだろう。
そして思う。青年は旅の中で大人になるのだ、と。

夜行フェリーで寝る経験も、国境の海を睨み付ける経験も、うたた寝する経験も、西鉄バスに乗る経験も、きっと僕を形成する要素となる。
何より、旅をして良かった、と思った。
そういう旅をしていきたい。一生ね。

愛媛単独放浪記、思索

待ち望んだ晴天のはずだった。

僕は受験勉強を一年以上やり続けたが、そのモチベーションは常に、終わったら旅に出る、に尽きていた。そして受験が終わる。合格発表までに旅に出ておきたい、発表の後、また一年旅に出れないかもしれないから。そう考えていた。
確かに天気は雨と曇が続いていて、写真には向かない。じゃあ、夜に撮影散歩でもすれば良いのではないか。というか、旅と写真は別なんだから、天気は関係ないじゃん。そもそも、曇りでも雨でも良い写真は撮れるだろ。
そういう"物語"……自分を責めるような正論、理想論……ばかり浮かんできたが、結局僕は怠惰に映画を貪る日々を過ごした。再現答案も小論文もほとんど書かずに。
だが、3月8日は遂に晴れてしまう。彼女はどこかに行き、会えない。
僕は独り、旅に出るしかなかった。


朝、わざわざ紙の切符を買って、いつもと逆の列車に乗る。通学の高校生に囲まれ、居心地が悪い。本を読みながら、車窓を見た。朝の日に燃える山。燃えると萌えるが同じ発音なのは必然なのだろうか。そう思ううちに臼杵駅に着いた。
港にはいつも車で送られていたので場所がイマイチ掴めなかったが、駅から歩いて15分ほどで着いた。ターミナルで宇和島運輸の券を買う。オレンジフェリーの方が安かった。ふと外を見やると、いつもと違う稜線が見えた。そうか、これが旅なのか。

フェリーの二等室はやはり雑魚寝スタイルだった。ひとしきり船内を見て回った後、暫く寝た。やがて船は動き出した。
浅い眠りを経て、10時頃起きた。到着は11時過ぎなので、まだ時間は沢山ある。船の売店でコスパの悪い弁当を買って、近くの窓際の席に座った。

僕は光り輝く海を見た。太陽光が乱反射して、僕に届く。それはとても美しい風景であると同時に、僕はこの先の人生で、幾度と無く同じかそれ以上の美と出逢えるということを僕に知らしめさせた。旅がしたい、いや、しなければ……。
心を震わせながら冷たい弁当を食べた。


軽快な音楽が鳴り、やがて接岸した。青い国・四国に降り立つと、僕はすぐに別の船に乗る。

離島に行きたかった。多分、自分があまり経験しない環境に身を置きたい、という想いがあったのだと思う。どの島に行くか。姫島、保戸島は行ったことがある。じゃあ、県南の深島とか屋形島とか。でも、バスの都合で日帰り出来ない。合格発表もまだなのに、泊まりはちょっと金がかかりすぎる。じゃあどこか……Googleマップを手繰り、八幡浜大島なる島を発見した。
そういう訳で、僕はすぐに大島行き定期船に乗り込んだ。

船内は地元の老人でいっぱいだった。僕はもっと閑散とした感じを想定していたが、まぁ考えてみれば当然である。少し肩身が狭い。20分ほど隅っこでひっそり過ごし、大島に上陸した。


大勢と、僅かな大学生らしき観光客は右に進んで行った。ならば僕は左に行こう。僕はなぜだかそう思った。海沿いのコンクリートの道を進む。

八幡浜大島には2つほど無人島がくっついている。僕はてっきりそこには行けないと思っていたが、橋で繋がっていた。橋のひとつはコンクリートの地面だけで手すりがない、沈下橋ってやつだった。
海沿いは良い。夏に来たらもっと良いかもしれない。信号機はおろか道路標識も無い島だ。長閑な風景は確かに心に染みる。

でも、それだけなんだ。魂を揺さぶるような写真は撮れない。何度ファインダーを覗いても心打たれない。投げやりに道を歩いた。僕は何をしてんだ。
無人のその島から帰る途中、向こうで原付のおばちゃんが海に入って何かを取っていた。いやぁ、話しかけるべきだった、と今思う。何かあったかもしれない。僕は会釈だけで通り過ぎた。

僕は旅が好きなのか?じゃあなんで僕は今、この何も無い島で退屈なんだ?僕が退屈なのか?……高二の夏、秘境駅で思ったことが蘇る。でも、その悩みは北海道で吹っ切れたはずだ。北海道にあって、ここに無いものはなんだ?

きっと、旅情なんだろうな。僕は大学で世界一周したりするつもりだが、そうする上で、なぜ自分が旅が好きなのかを考えたことがある。結論は、僕は旅でなく旅情が好きなんだ、というものだった。島には、思ったほどの旅情がなかった。それだけだった。帰りの定期船に早めに乗り込み、寝た。

八幡浜の街を歩く。3年かそれ以上ぶりだ。しかし、鄙びた商店街も街並みもあまり変わってはいなかった。駅でJR四国のトクトクきっぷの案内を見ながら時間を潰し、15時発の八幡浜駅発、三崎行きのバスに乗った。

大分の東部、佐賀関の近くに住む僕にとって、佐田岬半島とは地理的にとても近い土地だった。Googleマップを開くと初期画面に入るほどの。それでも、僕は行ったことが無かった。通ったことはあるのかもしれない。でも、行ったことは無かった。

佐田岬半島先端の町・三崎行きのバスも同様に利用者は意外に居た。バスは大分に船で繋がる国道197号を西へ走る。凄まじい悪路だった。197はいくな、とは本当で、久大線を彷彿とさせる車両の揺れだった。伊方原発が近づくと原発反対のキャンペーンポスターが並び、左手には青い午後の海が見えた。バスは時折後続車に道を譲りながら進み、定刻8分遅れで終点三崎に到着した。

駆け込みで16:30発の国道九四フェリーに乗り込んだ。意外にも、利用者は沢山いた。シャトル運航は伊達じゃない。1時間ほどの優雅な航海、左手に佐賀関の煙突が見えた情景が印象的だった。

九州に上陸、バス停で少し待つと大分方面の大分バスが来た。旅行客と共に乗り込む。

僕は、どうして旅に出たのだろう。色々なことを考えた。事実として、色々な意外なことがあった。これは確実に実地的体験に基づく学びである。でも、是非はさておき、別にそんなことしたいわけでもない。じゃあなぜ?

西へ向うバスは、海沿いを走る。時刻は18時前、西の空は暖かい。左へカーブを曲がると、夕陽が車内に射し込んだ。


夕陽を見るため、とか言いたいわけじゃない。ただ夕陽を見ていると、また旅をしたい、と無性に思った。多分、夕陽を見てなくても、空が曇っても僕はそう思っただろう。思えば昔からそうだった。やってる最中は何が楽しいのか分からない。でも、やり終えたらまたやりたくなる。中毒みたいなものなのか。

旅は強いて言えば旅情を楽しむもので、楽しくない旅があっても、それはたまたまそれが僕に向いていなかった、と考えれば良く、旅全体が楽しくないと一般化する必要は無いのだろう。このセンテンスが、僕の現時点での旅論だ。そしてきっと、旅の中でこれは更新されていくだろう。その更新こそ旅なのかもしれない。
バスを降りると群青色の空が出迎えた。

眠れない夜に、昔の話でも。

2017年、年末。僕は北海道のさらに北の方にいた。
街をカラスが飛び立つと、雪がドサッと落ちる。


名寄駅で列車に乗り込む。これから暫くコンビニの無い場所にいることになるので、大量に食料を買い込んだ。特急サロベツが遅れる影響で稚内行き普通列車も19分遅れるという。僕としては動いて貰えるだけ有難い。

やっと列車が動き出した。宗谷北線を久々に走る普通列車はすぐに北星駅に到着する。
北星駅、なんと良い名前だろうか。北の大地北海道に燦然と輝く無数の星……それをイメージして、あわよくば星空を眺めてやろうとわざわざ夕方から夜にかけての時間を選んで来たのだが、生憎の曇り空……どころではなく、激しく雪が降っていた。列車は天塩川に沿って去っていく。北星駅の周囲は雪に閉ざされた集落が僅かにあるのみで、聞こえてくるのは雪が身体に当たる音と天塩川の流れだけだった。
僕はここで4時間過ごすと決めていた。そう、昨日のまさに雪辱、ラッセル車をみすみす逃してしまった雪辱を果たす為だ。『毛織の☆北紡』という強烈な看板がある待合室に荷物を置いて、周辺を散策した。
特急サロベツは遅れていた。駅近くで身を雪に晒して長い間待ち、漸く駅近くの踏切が鳴った。カーブから光が見える。来た!シャッターを切る。そして悟る、やばい!五両編成分の雪が宙を舞い、僕を襲う。警笛が聞こえた時にはもうどうしようも無く、ただ顔を背けることしか出来なかった。
暫く呼吸ができず、やっと息を吹き返した?頃には全身雪だらけで、ポケットの中にさえ雪が混じっていた。酷い目にあったと嘆きながら待合に戻った。
16時51分発の音威子府行き普通列車をどう撮るかを、暗い待合で考えていた。外はもう真っ暗で、周囲に明かりはほとんど無い。サブのiPhoneのライトを付けて窓に置き、明るさを確保していた。
待合の中から窓越しに列車を撮ろうと考えて三脚をセットしていると、明かりが消えた。どうやらiPhoneの電池が切れたらしい。仕方なく、メインのiPhoneのライトを点けた。外はもう完全な闇、明かりが無くてはどうしようもない。
ふと、不安に駆られた。集落のように、僕もここで雪に閉ざされてしまうのではないか。雪は無音で、しかし激しく周りに積もっている。寂しく、孤独で、怖かった。メインのiPhoneを取り出して、友達にLINEを送ろうとした刹那、メインのiPhoneが電池切れで切れた。
僕はモバイルバッテリーを持っている。焦らない、焦らない。そう呟き、充電する。相当焦っていた。しかし、一向に再起動しない。かれこれ15分経っても、だ。いよいよ本格的に不安になってくる。親に連絡していないし、旅館にも遅れるという連絡をしていなかった。雪は無言で僕をこの待合に閉じ込めようとしていた。16時51分を見送ったら次は19時45分。到底、あと3時間も待っていられないだろう。
僕はラッセルの為にここにいた。いなくてはならなかった。悔恨の念に駆られる。だが、ここを早く出なくては……。荷物を整え、駅ノートを開く。外からの僅かな光を頼りに、汚い字でこう書き付けた。『必ず帰って来る』
まるでダグラス・マッカーサーのフィリピン脱出のようなセリフを吐きながら、かくして僕は北星駅から逃げ出すことに決めた。

待合から出て、ホームで雪を浴びながら脱出列車を待っていた。ダイヤは大幅に乱れていて、16時51分の普通列車も相当遅れてくるだろうと思われた。ところが、不意に踏切が鳴った。昨日の17時10分のあの踏切の音がフラッシュバックする。まさか、ラッセル、お前なのか?遠くの光に問いかけた。ラッセル車が14時頃旭川を出たとすれば、今この辺りを通るのに丁度良い頃合だ。段々光が近付いてきた。良く見えない。僕は、震えながら連続シャッターを切り始めた。段々、光が近付いてくる。

嘆息すると同時に、清々しい気持ちにもなった。ラッセルよ、いつか必ず会おうじゃないか。そう思いながら、僕はやってきたディーゼル単行に乗り込んだ。列車の中で、北星駅で食べようと思っていたコンビニ弁当を食べた。冷えきっていたが、もはや気にならなかった。


天塩川温泉駅に着いた。列車は遅れを取り戻そうと急いでいて、僕が降りるとすぐにドアーが閉まった。暗闇の中を、踏切が照らす。雪は天高く降っていて、踏切のオレンジ色の明かりに、華やかに光っていた。
そういえば、この後旭川方面の列車があったような……僕は旅館に少し遅れる旨を伝える電話をし、カメラを構えた。





第二夜 長万部→帯広

帯広の窓の外には雪が舞っています。雪はこの先激しさを増し、朝には暴風雪となるようです。
雪雲が覆うクリスマス・イブの空はなぜか、マゼンタの強い赤色に染まっています。僕はこの色を子供の頃『北極号』という絵本で見たことがあります。それは、クリスマス・イブの夜に、少年がSLに乗ってサンタの国に向かう、というお話でした。

前夜は遥々大分から新函館北斗までを新幹線で移動して、さらに特急北斗号で長万部まで移動し、長万部温泉と銘打つ旅館に泊まりました。小さな旅館ですから、早朝にチェックアウトの人は勝手に出ていってくれ、という感じです。24日の朝5時前、闇に包まれた長い廊下を背に、まだ誰も起きていない旅館を出ました。自動ドアを手動でこじ開けると、マイナス1度の空気が肌を鋭く刺しました。

セブン・イレブンで朝食を調達し、滑る路面を注意して歩いて長万部駅に行きました。3番ホームに降りると、人呼んでミスター北海道、我らがキハ40系単行列車がちょうど入線してきました。前日の新幹線の旅は便利・快適ですが、やはり僕の旅はディーゼル単行に乗らないと始まらないように思います。
さて、旅を始めるべく列車に乗り込み荷物をおいて一息ついていると、どうにも対面の4番線が慌ただしい。注視していると、なんとラッセル車が入線してきました。ラッセル車とは、線路の除雪用のかっこいい列車のことです。僕は慌てて、三脚にセットした一眼を担いで列車を出ました。停車時間はわずかでしたが、僕の旅の一枚目はしっかりと闇夜のラッセル車が飾るところとなりました。
今回の旅では、僕はフィルムを一本しか持ってきませんでした。フジのVelvia100、36枚だけの旅です。



うみねこの鳴く駅

キハ40は長万部を発ち、日本最強の秘境駅・小幌駅を通過、ラッセル車が除雪した鉄路を北上していきました。しかしどうも貨物列車が遅れているらしく、この旅最初の訪問駅である北舟岡駅に着いたのは4分遅れの6時46分でした。北舟岡は目の前が宅地で、あまり秘境らしい雰囲気ではありません。ではなぜ降りたかと申すと、その逆方向の景色、一面の海を見に来たのです。そう、ここは海が見える駅、うみねこの鳴く駅なのです。生憎の曇り空ですが、太陽が出ていたとしてもこの駅は西の海に面していて日の出は望めませんので、曇りでも良かったかなと思います。むしろ、どんよりとした曇り空が冬の海のもの寂しい雰囲気を醸し出しています。跨線橋に高い柵があって駅全体の俯瞰写真が撮れなかったのが残念でしたが……。
次の列車はなかなか来ませんでした。どうやら遅れが広がっているようで、ホームにも数人の乗客が待ち始めました。よそ者である僕はホームの端っこで列車を待ちました。その時、不意に列車の接近音がしました。普通列車が来るべき方向から列車が来ていない事を確認した僕はすぐに跨線橋を駆け上がり、反対方面、室蘭方面に一眼を構えました。遅れていた貨物列車が今まさに北舟岡駅を通過しようとしていました。海沿いを走る長大な貨物列車、その雄姿は壮観でした。
鳥が群れて飛ぶ東の空、その雲の隙間から日が差し込み、うみねこが鳴きます。そうして、ようやく10分遅れの列車が来ました。



列車の遅延と今後の乗継を考慮して訪れる予定だった黄金駅を通過し、東室蘭、苫小牧で乗り換え、千歳まで行きました。千歳駅前を少し散策していると、ゲオの前で呼び込みをしている仮装のサンタがいました。そうか、今日はクリスマス・イブ。来年のクリスマスまでには絶対に彼女を作ってやるぞと涙目で誓った昨年の僕の思いが偲ばれます。


千歳駅で石勝線に乗り換えです。またもやキハ40に揺られていると、Twitterにリプライが来ていました。なんと、僕のフォロワーが昨日長万部で同じ宿に泊まっていたようなのです。タオルを適当に置いてしまい「どっちのタオルが僕のですかね?」というしょうもないやり取りを脱衣所で行った彼こそがフォロワーだったのです。偶然の出会いに嬉しく感じました。タイムラインを眺めると、僕達以外の人が北海道に訪れている写真が沢山流れて来ます。皆、冬は北に行きたがるのだなと感じました。

石勝線は追分と新得を結ぶ幹線で、夕張への支線を持っています。かつては夕張と追分までの路線であり、夕張で産出される石炭を輸送していました。日本で最後まで蒸気機関車が走っていたのもこの路線だそうです。しかし夕張支線は利用客の減少で'19年3月に廃線だと報道されています。路線が廃線になる時は、鉄オタが湧きます。今日、'17年の年末でも、もう沢山の鉄オタが乗っていました。自分のその一人であることは自覚しているのですが、どうにも彼らの行動が見苦しい。ペチャクチャ喋り、たまに叫び、5分くらいの運転停車ですぐ外に出て駅名標の写真をわざわざ一眼で撮るように。自分を俯瞰して、そうならないように気をつけようと思うわけです。

そうは言いつつも、鉄オタらしく時刻表を眺めていると、ふと視線を感じました。前を見ると、幼い子供が座席の上から目だけを出してこちらを覗いています。僕が見返すと彼は頭を引っ込め、少し時間が経つとまた目だけを出すのでした。僕もその度ににらめっこのように見返していると、その子の母親が気付いて謝ってきました。周りの鉄オタのせいで荒んだ心が洗われるようでした。列車は丘陵地帯の広大な荒野を走ります。

北海道の中心に美瑛町という町があります。そこは様々な美しい景色で有名で、写真を撮る者としてはぜひ訪れたい場所でした。その中でも一番僕が撮りたいと思ったのは『マイルドセブンの丘』という場所です。かつてタバコのマイルドセブンのCMで使われたというその場所には、広大な平野の中に並木が佇む光景が広がっています。
当初は美瑛町も旅程に組み込んでいたのですが、冬場はレンタサイクルを使えないこともあり、今回は見送っていました。マイルドセブンの丘を撮れない事に少し寂しさを覚えていました。
しかし、石勝線の車窓には無数のマイルドセブンの丘がありました。起伏の激しい雪原に並木が立っています。なんだ、わざわざ美瑛町まで行くまでもないじゃないか。北海道、試される大地の真骨頂を見たように思います。


死んだ町

夕張支線に入り暫くすると終着・夕張駅に着き、同業者……鉄オタ達……がゾロゾロと降りていきました。皆駅に併設された観光案内所でグダグダやってましたが、僕はいち早く駅を出て駅前のセイコーマートに急ぎました。同業者達に昼飯を取られてはかなわないからです。ですが、その心配も杞憂に終わりました。ある者は折り返しの電車で、またある者は並行するバスで、夕張支線への分岐点である新夕張まで下るようでした。即ち、そのまま夕張に残る者はごく僅かでした。
観光案内所でセコマのカツ丼を食べていると、案内所のお婆さんに話しかけられました。「石炭の歴史村を見に行くと良い」とお婆さんは言いました。荷物を預かってもらい本町を通って2キロほど歩き、そこへ向かいました。僕は夕張市の市街地を通ったと思うのですが、そこはどこも廃墟だらけで、町が死んでいるようでした。

終点・夕張駅

夕張市は死んだ町です。石炭産業で興った夕張市はエネルギー革命の後も石炭の夢を引っ張り続け、国から引っ張った金でハコモノを作り続けました。2007年、遂に夕張市は353億円の巨額赤字を抱えて"破産"しました。おかげで夕張市は半ば廃墟と化しているのです。観光振興の一環として、昔の映画の看板を町の至る所に配置する夕張キネマロードという通りがありますが、その古い看板が演出なのか本気で放置されてるのか分からないくらいには、町が廃れてます。

九州人にしてみれば、雪道を歩くだけで一苦労

共産主義圏風の建物

さて、そんな夕張の歴史を伝える石炭の歴史村ですが、簡潔に申せば、入れませんでした。冬季休業中ではあると聞いていたのですが、周りの坑道には入れるとお婆さんは申しておりました。しかし入れませんでした。なんという無駄足!また2キロ歩いて観光案内所に戻りお婆さんを問いただそうとするも、既にお婆さんの姿はありませんでした。最早どうでもよくなり、荷物を受け取って案内所を出ました。

粉雪が舞う寂れた町を歩きます。車を除いて、人を見かける事はついぞありませんでした。灰色の街に『夕張メロン』の文字だけが明るく踊っています。死んだ夕張市ですが、夕張メロンのブランド力は世界に飛躍できる水準だそうです。

夕張駅の1つ南、鹿ノ谷駅に着いたのは日も暮れかかる16時頃でした。立派な駅舎に入って身体に付いた雪を落として中を物色すると、駅ノートがありました。なるほど、駅の周りには少しの集落があるのみ。確かにここも秘境駅と言えるかもしれません。駅ノートに一筆認めました。



16時20分頃夕張方面へ向かう列車をどこで撮ろうかと道中考えていましたが、折角の立派な駅舎があることなので、この駅を使って撮ることにしました。近くに跨線橋があり、そこから駅舎と線路が見渡せます。三脚を担いで雪の積もった階段を踏みしめ、良い位置を探しました。

空には雪とカラスが舞い、雲がだんだんと暗く黒くなっていきます。三脚の上の一眼を雪から守るべくビニール袋で悪戦苦闘しているうちに列車が入ってきました。デジカメも使ってバシャバシャ撮りました。ちょうど人が一人降りたようで、いい感じのアクセントになりました。




満足して駅舎に戻り、折り返しの列車に乗って夕張を去りました。また来ることはあるのでしょうか。いずれにせよ、列車で来ることは叶わないでしょう。さっき撮った写真が、僕の夕張線となりそうです。

新夕張で下車し、新得方面の特急列車に乗り換えます。新夕張-新得間は長大な距離に僅かな駅しかなく、普通列車が運行されていません。よって、普通列車専用のフリーきっぷでも特例で乗ることができるのです。

雪はしんしんと降ると言いますが、この『しんしん』は擬音語で、『無音』を表現しています。しーんとする、の『しん』。あぁ日本語は美しや、新夕張の夜空に雪がしんしんと降っていました。今日はクリスマス・イブだから、サンタが飛んでいるやもしれません。あぁ、クリスマス・イブに僕は独り北の大地で何をしているのだろうかと、まさに深深と後悔するのであります。そうくだらないことを考えていると後ろから声が掛かりました。「もしかしてつむさんですか?」

運命の人がようやく現れた!などと思う間もなくそれは男性で、朝Twitterでリプライを送ってきたO氏でした。まさか出会えるとは思いませんでしたが、思えば特例で乗れる特急は一日に数が限られており、東に向かう者が同じ特急に乗り合わせるのはそう不思議な事ではありません。一人旅同士で話も弾み、それから帯広まで一緒に行動しました。とりあえず『クリぼっち』は回避できたかと思います。

帯広で彼も夕飯を食べると言うので、旅であまり食に拘らない僕ですが付いて行くことにしました。本当は名物の豚丼を食べたかったのですがその店が閉まっており、途方に暮れておりました。すると近くからクリスマスらしくサンタクロースとトナカイの仮装をした陽気な居酒屋の客引きが2人現れました。これは面倒くさいぞ、と思いきやすぐに彼らは引き下がり、逆にオススメのラーメン屋を教えてくれました。親切な人達で良かったです。

帯広ラーメンはO氏に奢って頂きました。付いていって奢らせてしまって申し訳なかったです。そうして別れ、僕は帯広のホテルに入りました。部屋に入ると、窓にはクリスマス・イブ色の空が……。


第三夜に続く

第一夜

12月23日16時26分、僕は今、北海道新幹線はやぶさ23号に乗っています。夏に東京に来たのがこれまでの人生で一番北に行った経験だったので、現在絶賛最北端記録更新中です。
東北では九州と違って16時頃には日が沈むようで、車窓には青く白い世界が広がっています。山肌は雪化粧をし、薄暗い街には点々と光が灯っています。
たった今、盛岡に着きました。終着・新函館北斗までまだ2時間以上あります。

僕が漠然と北海道を志したのは中学2年生の頃でした。その頃に僕が秘境駅という概念を知り、18きっぷを使い始めたのは飯田線の項でも触れました。だから、僕がその秘境駅の宝庫である北海道に憧憬の念を抱くのは極めて単純な文脈だと思います。広大な大地、雪降り注ぐ秘境駅!僕は何度その姿を夢見たことでしょう。

高校に入ってようやく泊まり掛けの旅が許可されましたが、その北海道への憧れに反し、僕の旅のコンパスはなかなか北へ向きませんでした。大分から北海道までは、如何せん遠すぎるのです。高1の夏に地元九州を回り、冬には友人と山陰を巡り、春には友人と瀬戸内を旅しました。それぞれがとても楽しく、良い旅でした。ですが、どうにも落ち着かない。「いつかは北海道」とは思っているのだけれど、実行の手立ても無く、その思いだけが宙ぶらりんになっているようでした。

高2の夏、僕は飯田線を経由して東京に行きました。飯田線と言えば秘境駅の宝庫!ですが、あろうことか、僕は飯田線を巡りながら、秘境駅をつまらないものと感じ始めてしまいました。なぜなら『何もない』からです。
ところで、大分の南の県境に宗太郎駅という秘境駅があります。そこには守り石神というメッセージが書かれた石があって、旅人をあたたかく迎えます。その中の一つに、こうあります。
『秘境駅 何にもないが 何かある』
飯田線での思いは、そのメッセージをポリシーに様々な秘境駅を巡ってきた僕とは思えない感情でした。しかし実際に僕はそう思ってしまったのです。

もうすぐ青森県は八戸です。外はもう闇に包まれ、目を凝らさないとトンネルの中かどうかすら怪しいです。

ともかく、僕はそんな心持で飯田線に乗り、逃げるように、大都会東京に着きました。東京での4日間はとても刺激的で波乱万丈でした。新宿駅で真剣に迷い、カメラ屋を沢山巡り、歌舞伎町に迷い込みました。写真美術館に行ったり、意味もなく山手線を一周したりしました。そこには、何もかもがありました。
買い込みすぎての極貧生活、水はいろはすの2Lペットボトルを有難がって飲んで凌ぐという有様で、挙句台風でフェリーが欠航して親戚の家に転がり込みました。そんな旅行記にはうってつけのネタが豊富にあるにも関わらず未だにその記事を書いていないのは、どこかでその旅に満足していないからです。

僕は東京にとても憧れていました。世界最大の経済圏、メガロポリス・東京への憧れは、秘境駅へのそれとは対極であって、圧倒的な物質的豊かさへの憧れでした。
しかし実際の東京は、僕をすぐに裏切りました。渋谷駅のガード下に出るとホームレスが住み込んでいます。街はゴミだらけで異臭がしました。『日本一訪れたい街・渋谷』の看板がとても情けなく見えました。

都会への幻想が消えた僕のベクトルは再びその対極への冒険に向き、帰るとすぐに冬の北海道への旅を計画し始めました。
深夜ラジオを聴きながら、ネットで情報を集めました。北海道まではどうやって行こうか、どの路線に乗ろうか……。九州や中国地方の旅では秘境駅を探すのに苦労しましたが、北海道はそれが山ほどあって、今までとは「どこへ行こうか」の質が全然違います。贅沢な悩みです。広大な北海道の大地を巡るには青春18きっぷの5日間では短すぎて、計画を立てるうちにどんどん旅の期間は長くなっていきました。
僕は使用期限7日間の北海道東日本パスを使うことに決めました。しかしこれは悪手でした。東日本も僕にとっては未踏の地、色々行きたいという欲が出てきてしまったのです。12月の第2週、そろそろホテルの予約をしなければならない段階にあって、北海道の滞在はたった4日間ほどになっていました。
秘境を旅する感覚を取り戻す為の旅だった筈が、どんどんブレてしまっていました。これではマズイと今では気付いていますが、当時はその旅程に大満足していました。

ではどうやって気付いたかというと、実は兼好法師の言葉でした。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。(188段より抜粋)

一つの事を成す為には、他のことが全て捨ててしまえ!偶然この文章に出会って、ふと自分の旅についてこのことを当てはめてみました。目標はただ一つ、北海道の秘境駅!旅も同じ、他を切り捨てろ!僕はすぐに北海道一周を決意し、以前の僕がすぐに組むのを諦めた北海道一周&宗谷本線のルートを3時間で立案し、後戻りのできないようにすぐにホテルをすべて予約しました。一夜明けてルートを改めて眺めてドン引きしたものの、腹を括って大分駅に赴き、係員のお姉さんと30分以上掛けて安い切符を取ってもらいました。旭川-新函館北斗の切符での札幌途中下車の処理について、わざわざJR北海道に電話で問い合わせまでして頂き、非常に申し訳なかったです。

そういう訳で、冬休み初日の17時53分、僕はとうに大分を発ち、東北に立ち寄るでもなく、ただひたすら北を目指して青函トンネルを通っているのです。