2018年1月2日火曜日

第一夜

12月23日16時26分、僕は今、北海道新幹線はやぶさ23号に乗っています。夏に東京に来たのがこれまでの人生で一番北に行った経験だったので、現在絶賛最北端記録更新中です。
東北では九州と違って16時頃には日が沈むようで、車窓には青く白い世界が広がっています。山肌は雪化粧をし、薄暗い街には点々と光が灯っています。
たった今、盛岡に着きました。終着・新函館北斗までまだ2時間以上あります。

僕が漠然と北海道を志したのは中学2年生の頃でした。その頃に僕が秘境駅という概念を知り、18きっぷを使い始めたのは飯田線の項でも触れました。だから、僕がその秘境駅の宝庫である北海道に憧憬の念を抱くのは極めて単純な文脈だと思います。広大な大地、雪降り注ぐ秘境駅!僕は何度その姿を夢見たことでしょう。

高校に入ってようやく泊まり掛けの旅が許可されましたが、その北海道への憧れに反し、僕の旅のコンパスはなかなか北へ向きませんでした。大分から北海道までは、如何せん遠すぎるのです。高1の夏に地元九州を回り、冬には友人と山陰を巡り、春には友人と瀬戸内を旅しました。それぞれがとても楽しく、良い旅でした。ですが、どうにも落ち着かない。「いつかは北海道」とは思っているのだけれど、実行の手立ても無く、その思いだけが宙ぶらりんになっているようでした。

高2の夏、僕は飯田線を経由して東京に行きました。飯田線と言えば秘境駅の宝庫!ですが、あろうことか、僕は飯田線を巡りながら、秘境駅をつまらないものと感じ始めてしまいました。なぜなら『何もない』からです。
ところで、大分の南の県境に宗太郎駅という秘境駅があります。そこには守り石神というメッセージが書かれた石があって、旅人をあたたかく迎えます。その中の一つに、こうあります。
『秘境駅 何にもないが 何かある』
飯田線での思いは、そのメッセージをポリシーに様々な秘境駅を巡ってきた僕とは思えない感情でした。しかし実際に僕はそう思ってしまったのです。

もうすぐ青森県は八戸です。外はもう闇に包まれ、目を凝らさないとトンネルの中かどうかすら怪しいです。

ともかく、僕はそんな心持で飯田線に乗り、逃げるように、大都会東京に着きました。東京での4日間はとても刺激的で波乱万丈でした。新宿駅で真剣に迷い、カメラ屋を沢山巡り、歌舞伎町に迷い込みました。写真美術館に行ったり、意味もなく山手線を一周したりしました。そこには、何もかもがありました。
買い込みすぎての極貧生活、水はいろはすの2Lペットボトルを有難がって飲んで凌ぐという有様で、挙句台風でフェリーが欠航して親戚の家に転がり込みました。そんな旅行記にはうってつけのネタが豊富にあるにも関わらず未だにその記事を書いていないのは、どこかでその旅に満足していないからです。

僕は東京にとても憧れていました。世界最大の経済圏、メガロポリス・東京への憧れは、秘境駅へのそれとは対極であって、圧倒的な物質的豊かさへの憧れでした。
しかし実際の東京は、僕をすぐに裏切りました。渋谷駅のガード下に出るとホームレスが住み込んでいます。街はゴミだらけで異臭がしました。『日本一訪れたい街・渋谷』の看板がとても情けなく見えました。

都会への幻想が消えた僕のベクトルは再びその対極への冒険に向き、帰るとすぐに冬の北海道への旅を計画し始めました。
深夜ラジオを聴きながら、ネットで情報を集めました。北海道まではどうやって行こうか、どの路線に乗ろうか……。九州や中国地方の旅では秘境駅を探すのに苦労しましたが、北海道はそれが山ほどあって、今までとは「どこへ行こうか」の質が全然違います。贅沢な悩みです。広大な北海道の大地を巡るには青春18きっぷの5日間では短すぎて、計画を立てるうちにどんどん旅の期間は長くなっていきました。
僕は使用期限7日間の北海道東日本パスを使うことに決めました。しかしこれは悪手でした。東日本も僕にとっては未踏の地、色々行きたいという欲が出てきてしまったのです。12月の第2週、そろそろホテルの予約をしなければならない段階にあって、北海道の滞在はたった4日間ほどになっていました。
秘境を旅する感覚を取り戻す為の旅だった筈が、どんどんブレてしまっていました。これではマズイと今では気付いていますが、当時はその旅程に大満足していました。

ではどうやって気付いたかというと、実は兼好法師の言葉でした。

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。(188段より抜粋)

一つの事を成す為には、他のことが全て捨ててしまえ!偶然この文章に出会って、ふと自分の旅についてこのことを当てはめてみました。目標はただ一つ、北海道の秘境駅!旅も同じ、他を切り捨てろ!僕はすぐに北海道一周を決意し、以前の僕がすぐに組むのを諦めた北海道一周&宗谷本線のルートを3時間で立案し、後戻りのできないようにすぐにホテルをすべて予約しました。一夜明けてルートを改めて眺めてドン引きしたものの、腹を括って大分駅に赴き、係員のお姉さんと30分以上掛けて安い切符を取ってもらいました。旭川-新函館北斗の切符での札幌途中下車の処理について、わざわざJR北海道に電話で問い合わせまでして頂き、非常に申し訳なかったです。

そういう訳で、冬休み初日の17時53分、僕はとうに大分を発ち、東北に立ち寄るでもなく、ただひたすら北を目指して青函トンネルを通っているのです。

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