【道路報告書】国道217号旧道・津井峠

☆今回の概要
 津久見市日代にあるトンネルの横に、山を這って登っていく鄙びた道がある。県道にすら指定されず世界から忘れ去られた道路・国道217号旧道津井峠には、様々な"お宝"があった。今回もあの男が登場。旧道の現実をご覧あれ。

受験生としての勉強を全うし、見事合格を勝ち取った我々は合格発表の翌日、早速電車に揺られていた。今回の目的は、津久見市と佐伯市の市境となる四浦半島を越す峠、津井峠である。ここは平成の世になるまでは国道217号線として津久見-佐伯上浦の交通を担っていたが、平成元年あたりに完成したいくつかのトンネルがそれを取って代わるとともに国道認定を解除された。そして県道に降格どころか県道にすら認定されず、今現在に至るまで廃れ続けている。

日代駅を出るとすぐに右に上り道が見える。これが件の旧道の入り口である。少し上って行くと、三叉路に出る。これは、旧道と四浦半島北側の大動脈である現道・県道611号線の合流地点である。r611道中には『つくみイルカ島』という家族連れに人気のスポットがあり、そこそこ立派な道のようだ。
迷わずに旧道を進むと、ダンプがとてつもない砂埃を我々一向に浴びせながら下りてきた。おや?工事?嫌な予感が…。



と心配していると早速津井峠の先制パンチ、40高中が現れた。状態もかなり良好で、早速大戦果を得ることが出来た。やはり世界から忘れ去られた道には旧世代の遺構が立派に残っている。
ガードレールはサビだらけ、追い越し禁止のオレンジ色も掠れている。道の縁からは緑がアスファルトを蝕んでいる。
左を見ると、海が見える。海の先には佐伯の半島や、奥にはうっすらと四国の姿も確認できる。あぁ、四国に行ったりもしたなぁ、次はいつ行くかい?などと話していると、”それ”は現れた。
路肩に、看板らしきものが放置され、時の流れに身を任せている。怪しく思い、標識上の土や草を払うと、なんと40高中の補助標識が付いた、40km/h制限標識が現れた!初めて見るこの物件に僕は激しく興奮し、若干友人に引かれてしまった…。
しかし、これはまた凄い物件である。倒れてしまっているのが残念だが、なぜ撤去しなかったのだろうか、面倒だったのだろうか。
標識の裏を見ると、この標識は昭和57年生まれのようだ。



昭和20年が終戦、1945年だから昭和57年ならばそれに37を足して…。受験戦争を戦い抜いた僕の低性能コンピュータがフル回転し、導き出した答えは西暦1982年であった。40高中廃止が1992年の出来事だから、10年間は本来の役割を全うしたわけだ。今は34歳、もっとも、もう故人なのかもしれないが、これからもこの津井峠で余生を過ごして欲しいものだ。
さて、40高中標識を後にし更に上っていくと、『工事・徐行』の看板が。40高中の舗装を剥がしているのではあるまいな、もうちょっとまともなことに税金使えよと心配していたが、どうやらそれは杞憂で済んだよ
うで、砂防ダムの建設が行われていた。うむ、それでよろしい。防災無線好きの福水君は「もっと防災無線に投資しろ!」と言っていたが、僕としては「古い道路には余計なことするな!金使うな!」と、放置プレーを要求したいところである。
前進していくと、今度ははっきりとした40高中ペイントが2連発で現れる。この辺には工事車両すら近寄らないから、余計にキレイなようで、まさに40高中の聖地といったところである。
40高中のペイントが行われたのは昭和の時代。その頃はまだコンピュータ技術も発展途上であるから、40高中のペイントは当然手作業で行われていたわけである。
その作業には一定の手引はあるにしろ、毎回毎回完全に同じ40高中が出来るわけではない。さらに、ペイントが行われたタイミングによっても40高中の姿は異なってくる。ペイントが行われすぐ廃道になり、徐々に風化していく40高中もあれば、現在も踏まれ続け削られ続けていく40高中もある。ゆえに、同じ40高中は存在しない、目の前にあるこれは、世界で1つのものなのである。そこに40高中の味わい、個性がある。


道は峠に到達した。ここまでの道のりにR217のおにぎりがあるという情報もあったのだが、残念ながら撤去済みか奈落の底に脱落したかのどちらかであろう。この点に関しては徒歩なので間違いはおそらくないが、何か情報があればコメントを残して欲しい所存。
さて、峠には九州電力の施設と『津久見市』の白看板がある。あるとはいえど、本当に”ある”だけでポールからはすでに脱落して、看板だけが斜面に立てかけられている。




峠で市境を越え、佐伯市上浦町に入る。平成の大合併において大分県下58の市町村は18市町村にまで数を減らしたが、佐伯市もその大規模合併で8つの町村を吸収し市町村の面積として九州最大になるほど大きく膨れ上がった。上浦町も佐伯市に吸収された町村の1つである。しかし、如何せん数が減りすぎたせいでよく地名がわからない。行政のスリム化は出来ただろうが僕の頭の中は全くスリム化できていないので、もう少し市町村数を増やして欲しいと思う所である。




さて、上浦町側の旧道は恐ろしいことになっていた。道に鎮座する巨大な枝、せり出す木、路盤の簡易コンクリを侵食する雑草。とてもかつての国道、交通の要衝とは思えない荒れ具合であった。時の流れとは恐ろしいと痛感する。
しばらく行くと最近はほぼ見かけない『警笛区間』の標識に出会う。しかし出会った3本のうち1本は既にぶっ倒れており、時の流れとは恐ろしいと…。






やけに立派な火葬場を左に曲がると、現道国道217号線と合流し、津井峠の旧道は終わる。
海を望む景観も抜群な津井峠には、前述した通り時代を感じさせる遺構が多く残っている。これからも津井峠は、人の手が加わること無く自然に還っていくだろう。







おまけ
40高中を持ち上げる友人

Tsukumi C.

警笛鳴らしっぱなし

夢の跡地

・入試勉強期間書く暇無かった記事シリーズ第3弾

宮崎リニア実験線

☆今回の概要
 九州の宮崎県、日向市から都農町にかけて、ある太陽光発電所がある。その発電所は世界でも稀な細長いメガソーラーであるが、もともとこの長さ7kmの発電所は、あるモノの実験用に造られた施設であった。宮崎の片田舎に、夢の跡がある。

 リニアモーターカーと言うと、未来の夢のエネルギーを用いた流線型の列車が思い浮かぶ。21世紀、都会で人はチューブの中を通って建物と建物とを移動し、その建物も全て超高層ビル。遠距離移動にはリニアモーターカーや音速旅客機。昔の少年誌に少なからずあったであろうこうした夢の未来予想を実現するため、1974年、田中角栄の列島改造論の下ある計画が開始された。






それはリニアモーターカーの開発である。未来のリニアを夢見て、宮崎リニア実験線は造られたのである。
リニアの開発は順調に進み、1979年には無人運転で517km/hを記録し、この記録は宮崎実験線での最高速度となった。










しかし、リニアの性能の向上と共にこの実験線の問題点が浮き彫りになってきた。まず、全長が7kmと短く、時速500kmを超えたリニアでは充分なデータを得る前に実験線が終ってしまう。勾配や曲線、トンネルも存在しないのでそれらのデータも取れない。徐々に宮崎実験線は無用の長物と化し、山梨実験線の建設決定と共に実験線としての役割を失った。1996年のことであった。






その後、2011年にこの実験線の跡地に、太陽光パネル12000枚以上を並べたメガソーラー施設『都農第2発電所』が設置された。山梨実験線で着実に開発が進む一方で、こちらは第2の人生で陰ながら活躍している。だが、この建物がかつて夢の未来を切り拓く為に、期待の中で造られたモノであることを忘れてはならない。夢の跡地、宮崎実験線。

重岡宗太郎の夏

☆今回の概要

 8月23日、僕は遂に念願の「重岡宗太郎グランド・ツアー」を行った。道中、まさかの大トラブルに涙を呑みながらも、しっかりと2つの駅を訪れることができた。あれ?この区間は昼には列車が無かったんじゃなかったっけ?一体どうやって2つの駅を…?


 今年の夏は冷夏だ、エルニーニョだと春にテレビが甲高く叫んでいたが、今では毎日のように記録的猛暑と報じている。ここ数年、何回「記録的」「十年に一度」「今世紀最強」と聞いただろうか。まるでボジョレー・ヌーボーのようだと思うが、本当に異常気象なのかもしれない。
 そんな"記録的な"猛暑に見舞われた夏もまもなく終わろうとし今度はテレビが残暑残暑と叫ぶのかと思われる8月下旬の朝、僕は南へ下っていた。別に受験勉強から逃避するためでは無いが、深層心理ではそう思っていたかもしれない。僕が下っているのは、念願の重岡宗太郎グランド・ツアーを敢行するためだ。

重岡宗太郎といって決して人名では無く、日豊本線の大分県極南部に位置する2つの駅『重岡駅』『宗太郎駅』をセットで呼ぶ通称である。重岡性の方はぜひ息子の名前にご検討頂きたいところだが、まぁそんなことはどうでも良い。ともかく、その地に行くために僕は青春18きっぷで佐伯駅まで到達したわけだ。重岡宗太郎の前に、前菜としてまず佐伯の街を少し探索したいと思う。




まず見に行くのは大手前交差点の白看板だ。白看板とは昭和25年、戦後5年から昭和46年まで使用されていた看板のことである。昭和46年からは新たに読者諸兄が普段目にする、青地に白の通称「青看」が使用されている。
つまり白看板は旧世代の遺構となり、本来は行政が率先して撤去したいものだろうが、別に看板としての能力を失ったわけでは無いので、撤去する必要が薄く、今でもそこそこの数は残っている。
とは言え今は平成の世、しかも27年ときたら撤去開始から早44年経っているわけである。故にそう多く残っている訳ではない。つまり、僕は旧世代の遺構を探しだして訪れて写真撮って、愛でているわけである。
 次に見るのは『指定方向外進行禁止』である。しかしまぁこの物件はそこまで珍妙でなくあくまでついでに訪れただけなので、詳しい解説は控える。
 次は、40高中である。この3つの中で最もレア度は高いと言える。日本列島にほとんど現存はしていないが、こと大分県に関しては結構な数残っている。
 この40高中というのは…まぁ昔の表示で、珍しいのである。詳しくは調べて欲しい。きっと興味が湧くはずだ。
 場所に関してはマイマップ『趣味の世界』に載せているので参照いただきたい。


さて、佐伯市街探険を終え、いよいよ本編『重岡宗太郎グランド・ツアー』に入ろうと佐伯駅へ向かった矢先!!!矢先!!!カメラがぶっ壊れた!!!
 非常に残念なことが起こった。宗太郎駅の様々な表情を切り取れるかと思ったのに…。
という訳でこれからは携帯の写真になる。
とは言え、最近のスマホの写真を馬鹿にしてはいけない。そこそこの画質はある。というか、ブログに載せるときは容量の関係で画像を超縮小しているから一眼だろうがスマフォだろうがあんまり関係ないのである。

さて、カメラがただの重りと化したところで、いよいよ重岡宗太郎ツアーの種明かしをしよう。ズバリ、バスである!
 なぜバスなの?駅なら電車で行けよ、そう思われる方も居るかもしれない。
 鉄道を少し齧っている方は聞いたこともあるかもしれないが、佐伯駅以南延岡駅以北の日豊本線区間は青春18きっぷの難所と言われ、なんと1日に往復3本(2015年現在)しか普通列車が無い九州屈指の秘境路線なのである。古くから旅人を苦しめていた宗太郎峠は現在でも18きっぱーを苦しめているのである。
 しかし、特急はある1時間に1本ある。そして当然、秘境路線区間の駅にはノンストップである。その点は流石特急至上主義のJR九州と言いたいところだが、逆に需要極小の路線に1日3本も普通列車を通してくれるなんて!と感謝すべきかもしれない。
 1日に3本普通列車があると言っても朝1本夜2本なので、昼には普通列車が1本も無い。よって、バスを使うしか無いのである。このバス路線については大分バスHPへ。


バスに乗る。
…誰一人乗ってない!!!!!!
誰のためにこのバス路線あるんだと言いたくなる。社会科の教科書で学んだ熟語が脳裏に浮かび上がってくる。『過疎』だ。この路線が佐伯南部住民の生命線であることは疑いようもないが、地域社会の問題点を如実に表す光景である。しかし利用しているよそ者の分際で口出しをするのは控えよう。バスは川を越え、国道10号線を快走する。
 そしてバスに揺られ1時間、徐々にまどろみかけていた頃、ようやく重岡駅に到着した。




 バスの運転手に奇妙な顔を向けられつつ、僕は炎天下の重岡駅に降り立った。そしてまず最初の感想は



「エロゲの舞台みたいだな」









如何せん社会通念上よろしくない感想を残した僕は駅へ歩いていった。まぁ、エロゲの舞台になるような素晴らしくのどかな風景だと言いたいわけだ。
真新しい簡易駅舎の向こう側には、のどかな、そして当然のごとく誰もいないホームがあった。








燦々と降り注ぐ太陽光に触発されるように、セミ達が鳴き叫ぶ。映画『なごり雪』に使用された待合室はJR九州によって素っ気ないモノに建て替えられていた。しかしまた、やけにホームが多いとは思わないだろうか。実は、本当に衝撃なのだが、昔はこの駅が始発の列車があったらしい。いやはや本当に、昔の鉄道事情には驚かされる。そんな時代に、あの『北斗星』が廃止される未来なんて、昔は想像できたのだろうか。いやしかし、20世紀の子どもたちは、最先端の列車に旧来の列車が淘汰されていくことを思い描いていたかもしれない。



さて、重岡駅で名物の特急の再徐行ノロノロ運転を見学した後、僕は宗太郎駅へ向かった。さて、天才である筆者は今度は一体どんな方法で重岡駅から宗太郎駅に移動するのだろうか。


徒歩である。







男は黙って歩けということである。腐っても男子中学生、日本男児たるもの炎天下で8km歩くくらいどうってことない!そう、思っていた。
高々と南中する太陽はあまり影を生み出さず、前半の1時間は特に果てしない地獄であった。国道とは言えここは屈指の難所宗太郎峠であり、現代においても通る車は少ない。(400台/日くらいらしい)そう判断した僕はなりふり構わずタオルを頭に、首に巻き灼熱地獄に対抗した。しかしそれでも通る車はいるわけで、車が来る度に僕は到底『秘境の旅人』とは名乗れないダサい格好を晒してしまうこととなった。
結局8kmを2時間30分かけて踏破し、宗太郎駅が近づいてきた。こういう道中では「二度とこんなバカな真似はしないぞ」と思うのだが、ゴールした途端に「またやりたいなぁ」と、僕はいつも思う。自転車で大分県道21号線を登った時も、また別の時も同じである。文字に起こしながら自分はつくづく愚かだな、と思うところであるが、共感できる読者諸兄もいるのではないだろうか。いてほしいものである。


何はともあれ1年ぶりに宗太郎駅に帰ってきた。
宗太郎の集落は過ッ疎過疎であり、毎度だが、なぜ駅が未だ設置されているのかと大いに疑問に思うところである。
さて、僕がまず向かったのは名物の『イモリ駅長』のいる池である。イモリは両生類だったかななどと受験生らしく考えながら池を覗き込むと、お、いたいた。







去年はいらっしゃらなかったですね、すまんな去年の今頃は風邪気味だったんじゃ、とイモリ駅長との下らない空想会話を済ませる。
さて、周りには誰もいない。僕はのんびりと、ヒグラシが鳴き出す頃まで、心ある方に管理されている駅ノートを読んだ。
貨物を撮りに来た者、名前が『宗太郎』の者、全国を旅している者…多くの者が、宗太郎駅に魅了されていた。





さて、ヒグラシが美しい音色を奏ではじめた。ヒグラシの音色を聞くと、僕はとても癒やされる。それはなぜなのだろうか。α波やβ波が脳に作用して…とか言われるとなんとも味気ないが、なぜか楽しかった少年時代が浮かび上がってくる。それは、空想と言ってもいいだろう。森の小川で秘密基地を作ったりしたことなど一度も無いし、向日葵畑を友達と虫取り網を持って麦わら帽を被って駆け回ったことも無い。田舎のお爺ちゃんの家で、風鈴の音色を聴きながら、スイカを齧りながら花火を眺めたことも無いし、幼なじみの女の子と肩を並べて海に没む夕陽を眺めたことも無いのだが、無性に昔が恋しくなる。
『あの夏の思い出』という空想を、日本人は皆持っているのかもしれない。そしてそれが皆を癒やすのだろうか。




そんなことを考えていると、佐伯行きの普通列車がやってきた。『列車』と言っても列にはなっておらず、1両編成の単行列車である。それを言うなら、『単行列車』というのも可笑しな言葉だ、と考えていると、、なんと!人が降りてきた!3人も!
聞けば、なにやらその3人は毎月1回宗太郎駅を訪ねているらしい。彼らも宗太郎駅に魅了された人間だったわけだ。その後は、お互いに下らない話をし合った。僕の今日の『徒歩である。』あたりの話が非常にウケた。というか驚かれた。
しばらくすると、彼らは延岡行きの列車で帰っていった。僕が終電まで宗太郎駅に留まり続けることにまた驚かれた。






ヒグラシが鳴き止むと、空はすっかり群青色であった。
待合には白熱電灯が灯る。
やがて漆黒に染まった大空には、無数の星が浮かんでいた。
辺りは静寂に包まれている。
さっきの話では無いが、本当に「また来たいなぁ」と思う。

帰りの列車が眩い光を放ちながらやって来る。
運転士の「あぁ、鉄ヲタか」みたいな目が毎度忘れられない。
列車は北上する。やがて僕の最寄りの駅に着く。
あぁ、楽しかった。




おまけ
遠い!

佐賀関遠征(標識・信号・50高)

①警戒標識編
『右背向屈曲あり』(204)
国道197号線の、坂ノ市小学校近辺です。
わざわざ注意すべきほどの背向屈曲は無いと思いますが…。この先750mは完全な直線なんですが…なぜでしょう。

『T形道路交差点あり』(201-C)
日豊本線坂ノ市-幸崎間、東高校踏切です。

 『Y形道路交差点あり』(201-D)
佐賀関・国道217号線小島トンネル北側入り口前です。
このY字を直進すると小島トンネル、左に曲がると旧小島トンネル(県道635号線)に入ります。

 『左方屈曲あり』(202)
国道217号線小島トンネル手前。

 『右方屈曲あり』(202)
国道217号線小島トンネル手前、1つ上の左方屈曲ありと対称のもの。

 形道路交差点あり(201-B)
国道217号線小島トンネル南側入り口から南に100m強

 『左方屈曲あり』(202)
上の┣形から更に南に50m程度。写真に┣形が写りこんでます。

 『右つづら折りあり』(206)
国道217号線

 『左方屈曲あり』(202)
佐賀関R197旧道

╋形道路交差点あり(201-A)
国道217号線・金山停留所付近。

②信号機編

佐賀関の町中にある点滅式の信号。
1年弱前まではもっと古いものだったのだが、2014年10月に更新されたようだ。
メーカーはコイト電工株式会社。










③50高編
場所:国道197号線・細の日豊本線を越える陸橋上・東側の方
撮影:2015年5月30日
掠れているが、かすかに50高と判別出来る……?
交通量が多いので流石にかき消されてしまっているが、現役国道の50高である。

④珍品編
近所の歩行車道路のその他の注意パート2

大分県独特の言い回し『二輪の類』
千切れた止まれ。
トラックだろうか?


自転車も止まれ

END