第三夜

 秘境の旅人の朝は早い。僕は常にそう言い続けて4時起き5時起き上等な旅を行なってきたが、今朝は例外だった。6時に優雅に起き、適当に支度をして6時半頃にホテルを出た。窓の様子からてっきり雪だろうと思ったが、今朝は雨だった。らしくないじゃないか、北海道。そう呟きながら駅へ向かった。
僕がいくら優雅な朝だと言っても世間的には早朝なわけだが、帯広駅ではもう既に駅弁が売り始められていた。名物の豚丼の駅弁を買って3番のりばの列車に乗り込む。
始めはそうでもなかったが、次第に通勤・通学の乗客が増えてきた。適当にほっつき回っている身としては、なんとも肩身が狭い。さらに、普通列車もほとんど止まらないような辺鄙な駅で降りるというのだから最悪だ。車両の乗客全員が怪訝な目で、立ち上がる僕を見つめる。
旅を始めた頃は、この視線はなんとも耐え難いものだった。悪いこともしてないのに謎の罪悪感に襲われる。しかし最早秘境の旅人たる僕はこの視線に慣れ、むしろ旅人としての誇りすら感じていた。チャオ、皆さんお元気で!なんて思いながら降りる。

降りた羽帯駅は林の中の駅だった。近くの国道を除けば、在るものは木々と雪原、鉄路のみ。惜しくも来春(2018年春)には廃止が決まっているこの駅は、やはり期待通り非常に長閑な駅だった。直近の雪が降ってから駅に降りるのは僕が初めてのようで、ホームに降り立つと新雪に足型が付く。歩けば足跡が残る。歩くのが勿体無い、なんて初めて思った。
駅ノートを書きながら1,2本の通過列車を見送った後、札幌方面新得行きの普通列車に乗り込み羽帯駅を脱出した。春にはこの駅は林に還る。今僕が居た空間はただの鉄路となり、もうそこに訪れることはできない。春は別れの季節だ。

新得で折り返し、釧路方面の列車に乗る。出発まで構内を歩いていると、作業員が二人、スコップでホーム上の除雪を行なっていた。北の大地で鉄路を維持する大変さが思われ、実状を知らず南の九州でJR北の駅廃止策に苦言を呈すだけの自分の愚かさが思い知らされたと同時に、こういう実状との出会いが旅で得られる成果だ、とも思った。若き日のチェ・ゲバラが思ったように、僕も思う。もっと旅をしなければ、世界を見なければ……。

帯広を過ぎると、列車は広大な大地を走り始める。遠くの林が地平線を隠す、そんな車窓だった。霧が立ち込め、やがて右手に海が見える。低気圧で荒れた日本海を眺めるうちに、尺別駅に着いた。
跨線橋に上ると、強風が身を打つ。どこまでも白い空と、荒涼とした大地。人が住むには険し過ぎたのだろう、駅前には骨組みだけになった民家の廃墟が数軒点在する。尺別はそんな場所だった。
特急との交換を済ませた普通列車が去ると、何者の気配も消え去る。地球に一人取り残されたような気分で周辺を散策した。
荒れた草原の中の獣道を進むと、海に出た。海風が草を薙ぎ倒し、雪を溶かす。砂浜には荒れ狂う日本海の熾烈な波が襲い、流木が打ち付けられていた。行ったことは無いが、北極海沿岸などもきっとこんな様相なのだろう。
日本の最果てに来てしまったのだな、と心から思った。

砂浜で写真を撮るのに夢中になり、大きな波が迫るのに気が付かなかった。ええい、ままよ、乗るしかない、このビッグウェーブに!というわけにもいかずに命からがら波から逃れるも砂浜に足を取られ、結局靴がどっぷりと浸水してしまった。ぬちゃぬちゃと駅まで歩き、必死に乾かした。そんなバカなことをしている間に、だんだんと日が差してきた。
尺別に似つかわしく無い高規格な道路をしばらく歩くと国道に出た。トラックが猛スピードで脇を通り抜け、一台通る毎に寿命が縮むような思いだった。道路脇で行くべき場所を探り、暫く彷徨った末に遂に辿り着いた。
眼下には広大な原野が広がっていた。先ほどの尺別駅も遠く見える。白い雲は東の彼方に去り、代わって青空が延々と続いていて、僕が好きなオレンジ色の午後の太陽光線が世界を温かく包んでいた。静かな世界を一瞬特急が横切り、僕のカメラが子気味良い音を数度鳴らし、そして全ては元に戻った。



尺別の隣の音別駅まで歩いて、列車に乗った。音別駅には青色のニットを忘れたので、今も忘れ物入れに飾られていることだろう。列車は相変わらず日本海沿いを走る。夕暮れの黄金色の太陽光を海が、波が跳ね返す風景。旅をしていて良かったと思える至福の時である。やがて古瀬駅に着いた。

駅に着いた頃には、気が早い北海道の太陽はもう沈みかけ、暗くなっていた。古瀬駅にあるのは保線用の小屋だけ。ホームは木造で、待合は無い。何も無いのだ。
なんてつまらないのだろう、僕はそう思ってしまった。僕が求めているのは『広大さ』なんだと知る。薄気味悪い森の中に取り残された駅と僕、それはそれで趣があるが、僕が求めているものとは少し違う気がするんだな。
なんとかせねば、そう思いがむしゃらに駅前の道を歩き進む。暫く行くと、広い場所への入口があった。一瞬躊躇われたが、広大さを巡る先程の逡巡を思い出し進むことにした。
WindowsXPの丘みたいな場所に出た。もう日は暮れたのだろうが、ピンク色の雲が空を流れる。あの丘の向こうから、雲が生まれているように思えた。丘の向こうに進みたい衝動に駆られたが、周囲が本格的に暗くなったので駅に戻った。
未知のままにしておくのも良いだろう。謎は謎のままが良い、とも言う。

釧路に着いた。秒速24mの暴風が吹き荒ぶ中チェックインし、クリスマスの夜を一人で過ごす。気掛かりは明日乗る予定の列車が強風で止まらないかどうかだけで、クリスマスに一人で過ごしている虚しさなど気付きもしなかった。


良い旅を

船旅を重ね、経験を重ねるうちに、海に対する考えが変わった、深化したように思う。


博多港、21時。ロビーにはそれなりに人が居た。老人が多い。平日の夜、何のために船に乗るのだろうか。

五島行きのフェリーもあるのか。五島列島や壱岐対馬は行政上は長崎県だが、交通面では福岡県との繋がりが深い、と聞いた通りだった。

フェリーでは1枚50円で毛布を借りた。毛布を布団のように使い、雑魚寝の二等室で寝床を確保した。2枚借りると掛け布団にも出来るのだろう。

テレビでは水曜日のダウンタウンが流れていた。内容は、芸歴が長くてもバイトをし続ける芸人の苦労を紹介するものだった。周りを見渡すと、多分似たような境遇であろうおじさん達が死んだ目でテレビを見つめていた。僕はそれを具に観察した。

23時、消灯。寝ようと努めるが、船が湾を出たらしく、波が激しくなった。時化ってるというアナウンスはあったが、ひどかった。苦しく、断片的な睡眠だった。

4時半、対馬比田勝港に着いた。今降りるか7時に降りるかを選ばねばならない。もう少し寝ていたいという思いがあるが、前夜調べたバス情報によると6時40分のバスに乗らないとどうしようもないらしい。そうは言ってもタクシーを使えば良いのだが、如何せん金がかかる。仕方なく、夜、誰もいない比田勝港に上陸した。揺れない地面に安堵した。

と言っても、とても暇だ。周りにもTwitterにも誰もいない。しばらく待合で休み、バス停まで歩いた。東の空が少し明るい時間だからか、夜空に星は少なかった。そう言えば、僕は星が見たいんだった。

群青色の空、オレンジ色の街灯。いとをかし。

バス停で、前日調達したコンビニのおにぎりを食べた。東の朝焼けが心を洗う。朝焼けはピンクで、夕焼けはオレンジな気がするが、そうかな。

バスに間違えて乗り、急いで次の停留所降りて次のバスに乗り換えようとしたところ、次のバスとは今降りたバスのことだったので、全力でバスを追いかけ飛び乗った。バカ。

訳の分からんバス停で降りた。ここから韓国展望台まで片道4.8kmの山道を2時間で往復しなければ、もう予約したジェットフォイルには乗れない。小走りでスタートしたが、すぐにバテた。

なんか、45分で着いた。人の平均速度が4km/hと聞くので、僕の6.4km/hはなかなか鍛えられているのではなかろうか。

韓国展望台では、坂道を上るにつれ水平線が見えるようになっており、エモい。ガスっていたが、対岸は見えた。

防人の時代から、ここから対岸を睨み付けた男達がいたのだろう。今、船は見当たらないが、船が来たとしたらすぐに見通せるように思える。歴史浪漫を感じつつ、来た道を戻った。

バスで2時間揺られ、対馬の南、厳原に着いた。バスでうたた寝する時間は、普通よりもむしろ長く感じる。幸せな時間だった。対州そばは、そこまでおいしくなかった。

九州郵船の滅茶苦茶な地図を参考にターミナルに辿り着き、旅客のみのジェットフォイルで本土に帰った。港から駅までは、初めて西鉄バスに乗ってみた。

博多からはいつも通り、博多-小倉-中津-大分で南下していった。もうこのルートをこの時間に通るのは何回目だろうか。小倉駅ホームでラーメンを食べた、というのも。


少年は、勉強の中で青年になるのだ、と誰かが言う。僕はまだまだ少年かもしれないが、しかしまあ好青年なので青年なのだろう。
そして思う。青年は旅の中で大人になるのだ、と。

夜行フェリーで寝る経験も、国境の海を睨み付ける経験も、うたた寝する経験も、西鉄バスに乗る経験も、きっと僕を形成する要素となる。
何より、旅をして良かった、と思った。
そういう旅をしていきたい。一生ね。

愛媛単独放浪記、思索

待ち望んだ晴天のはずだった。

僕は受験勉強を一年以上やり続けたが、そのモチベーションは常に、終わったら旅に出る、に尽きていた。そして受験が終わる。合格発表までに旅に出ておきたい、発表の後、また一年旅に出れないかもしれないから。そう考えていた。
確かに天気は雨と曇が続いていて、写真には向かない。じゃあ、夜に撮影散歩でもすれば良いのではないか。というか、旅と写真は別なんだから、天気は関係ないじゃん。そもそも、曇りでも雨でも良い写真は撮れるだろ。
そういう"物語"……自分を責めるような正論、理想論……ばかり浮かんできたが、結局僕は怠惰に映画を貪る日々を過ごした。再現答案も小論文もほとんど書かずに。
だが、3月8日は遂に晴れてしまう。彼女はどこかに行き、会えない。
僕は独り、旅に出るしかなかった。


朝、わざわざ紙の切符を買って、いつもと逆の列車に乗る。通学の高校生に囲まれ、居心地が悪い。本を読みながら、車窓を見た。朝の日に燃える山。燃えると萌えるが同じ発音なのは必然なのだろうか。そう思ううちに臼杵駅に着いた。
港にはいつも車で送られていたので場所がイマイチ掴めなかったが、駅から歩いて15分ほどで着いた。ターミナルで宇和島運輸の券を買う。オレンジフェリーの方が安かった。ふと外を見やると、いつもと違う稜線が見えた。そうか、これが旅なのか。

フェリーの二等室はやはり雑魚寝スタイルだった。ひとしきり船内を見て回った後、暫く寝た。やがて船は動き出した。
浅い眠りを経て、10時頃起きた。到着は11時過ぎなので、まだ時間は沢山ある。船の売店でコスパの悪い弁当を買って、近くの窓際の席に座った。

僕は光り輝く海を見た。太陽光が乱反射して、僕に届く。それはとても美しい風景であると同時に、僕はこの先の人生で、幾度と無く同じかそれ以上の美と出逢えるということを僕に知らしめさせた。旅がしたい、いや、しなければ……。
心を震わせながら冷たい弁当を食べた。


軽快な音楽が鳴り、やがて接岸した。青い国・四国に降り立つと、僕はすぐに別の船に乗る。

離島に行きたかった。多分、自分があまり経験しない環境に身を置きたい、という想いがあったのだと思う。どの島に行くか。姫島、保戸島は行ったことがある。じゃあ、県南の深島とか屋形島とか。でも、バスの都合で日帰り出来ない。合格発表もまだなのに、泊まりはちょっと金がかかりすぎる。じゃあどこか……Googleマップを手繰り、八幡浜大島なる島を発見した。
そういう訳で、僕はすぐに大島行き定期船に乗り込んだ。

船内は地元の老人でいっぱいだった。僕はもっと閑散とした感じを想定していたが、まぁ考えてみれば当然である。少し肩身が狭い。20分ほど隅っこでひっそり過ごし、大島に上陸した。


大勢と、僅かな大学生らしき観光客は右に進んで行った。ならば僕は左に行こう。僕はなぜだかそう思った。海沿いのコンクリートの道を進む。

八幡浜大島には2つほど無人島がくっついている。僕はてっきりそこには行けないと思っていたが、橋で繋がっていた。橋のひとつはコンクリートの地面だけで手すりがない、沈下橋ってやつだった。
海沿いは良い。夏に来たらもっと良いかもしれない。信号機はおろか道路標識も無い島だ。長閑な風景は確かに心に染みる。

でも、それだけなんだ。魂を揺さぶるような写真は撮れない。何度ファインダーを覗いても心打たれない。投げやりに道を歩いた。僕は何をしてんだ。
無人のその島から帰る途中、向こうで原付のおばちゃんが海に入って何かを取っていた。いやぁ、話しかけるべきだった、と今思う。何かあったかもしれない。僕は会釈だけで通り過ぎた。

僕は旅が好きなのか?じゃあなんで僕は今、この何も無い島で退屈なんだ?僕が退屈なのか?……高二の夏、秘境駅で思ったことが蘇る。でも、その悩みは北海道で吹っ切れたはずだ。北海道にあって、ここに無いものはなんだ?

きっと、旅情なんだろうな。僕は大学で世界一周したりするつもりだが、そうする上で、なぜ自分が旅が好きなのかを考えたことがある。結論は、僕は旅でなく旅情が好きなんだ、というものだった。島には、思ったほどの旅情がなかった。それだけだった。帰りの定期船に早めに乗り込み、寝た。

八幡浜の街を歩く。3年かそれ以上ぶりだ。しかし、鄙びた商店街も街並みもあまり変わってはいなかった。駅でJR四国のトクトクきっぷの案内を見ながら時間を潰し、15時発の八幡浜駅発、三崎行きのバスに乗った。

大分の東部、佐賀関の近くに住む僕にとって、佐田岬半島とは地理的にとても近い土地だった。Googleマップを開くと初期画面に入るほどの。それでも、僕は行ったことが無かった。通ったことはあるのかもしれない。でも、行ったことは無かった。

佐田岬半島先端の町・三崎行きのバスも同様に利用者は意外に居た。バスは大分に船で繋がる国道197号を西へ走る。凄まじい悪路だった。197はいくな、とは本当で、久大線を彷彿とさせる車両の揺れだった。伊方原発が近づくと原発反対のキャンペーンポスターが並び、左手には青い午後の海が見えた。バスは時折後続車に道を譲りながら進み、定刻8分遅れで終点三崎に到着した。

駆け込みで16:30発の国道九四フェリーに乗り込んだ。意外にも、利用者は沢山いた。シャトル運航は伊達じゃない。1時間ほどの優雅な航海、左手に佐賀関の煙突が見えた情景が印象的だった。

九州に上陸、バス停で少し待つと大分方面の大分バスが来た。旅行客と共に乗り込む。

僕は、どうして旅に出たのだろう。色々なことを考えた。事実として、色々な意外なことがあった。これは確実に実地的体験に基づく学びである。でも、是非はさておき、別にそんなことしたいわけでもない。じゃあなぜ?

西へ向うバスは、海沿いを走る。時刻は18時前、西の空は暖かい。左へカーブを曲がると、夕陽が車内に射し込んだ。


夕陽を見るため、とか言いたいわけじゃない。ただ夕陽を見ていると、また旅をしたい、と無性に思った。多分、夕陽を見てなくても、空が曇っても僕はそう思っただろう。思えば昔からそうだった。やってる最中は何が楽しいのか分からない。でも、やり終えたらまたやりたくなる。中毒みたいなものなのか。

旅は強いて言えば旅情を楽しむもので、楽しくない旅があっても、それはたまたまそれが僕に向いていなかった、と考えれば良く、旅全体が楽しくないと一般化する必要は無いのだろう。このセンテンスが、僕の現時点での旅論だ。そしてきっと、旅の中でこれは更新されていくだろう。その更新こそ旅なのかもしれない。
バスを降りると群青色の空が出迎えた。

眠れない夜に、昔の話でも。

2017年、年末。僕は北海道のさらに北の方にいた。
街をカラスが飛び立つと、雪がドサッと落ちる。


名寄駅で列車に乗り込む。これから暫くコンビニの無い場所にいることになるので、大量に食料を買い込んだ。特急サロベツが遅れる影響で稚内行き普通列車も19分遅れるという。僕としては動いて貰えるだけ有難い。

やっと列車が動き出した。宗谷北線を久々に走る普通列車はすぐに北星駅に到着する。
北星駅、なんと良い名前だろうか。北の大地北海道に燦然と輝く無数の星……それをイメージして、あわよくば星空を眺めてやろうとわざわざ夕方から夜にかけての時間を選んで来たのだが、生憎の曇り空……どころではなく、激しく雪が降っていた。列車は天塩川に沿って去っていく。北星駅の周囲は雪に閉ざされた集落が僅かにあるのみで、聞こえてくるのは雪が身体に当たる音と天塩川の流れだけだった。
僕はここで4時間過ごすと決めていた。そう、昨日のまさに雪辱、ラッセル車をみすみす逃してしまった雪辱を果たす為だ。『毛織の☆北紡』という強烈な看板がある待合室に荷物を置いて、周辺を散策した。
特急サロベツは遅れていた。駅近くで身を雪に晒して長い間待ち、漸く駅近くの踏切が鳴った。カーブから光が見える。来た!シャッターを切る。そして悟る、やばい!五両編成分の雪が宙を舞い、僕を襲う。警笛が聞こえた時にはもうどうしようも無く、ただ顔を背けることしか出来なかった。
暫く呼吸ができず、やっと息を吹き返した?頃には全身雪だらけで、ポケットの中にさえ雪が混じっていた。酷い目にあったと嘆きながら待合に戻った。
16時51分発の音威子府行き普通列車をどう撮るかを、暗い待合で考えていた。外はもう真っ暗で、周囲に明かりはほとんど無い。サブのiPhoneのライトを付けて窓に置き、明るさを確保していた。
待合の中から窓越しに列車を撮ろうと考えて三脚をセットしていると、明かりが消えた。どうやらiPhoneの電池が切れたらしい。仕方なく、メインのiPhoneのライトを点けた。外はもう完全な闇、明かりが無くてはどうしようもない。
ふと、不安に駆られた。集落のように、僕もここで雪に閉ざされてしまうのではないか。雪は無音で、しかし激しく周りに積もっている。寂しく、孤独で、怖かった。メインのiPhoneを取り出して、友達にLINEを送ろうとした刹那、メインのiPhoneが電池切れで切れた。
僕はモバイルバッテリーを持っている。焦らない、焦らない。そう呟き、充電する。相当焦っていた。しかし、一向に再起動しない。かれこれ15分経っても、だ。いよいよ本格的に不安になってくる。親に連絡していないし、旅館にも遅れるという連絡をしていなかった。雪は無言で僕をこの待合に閉じ込めようとしていた。16時51分を見送ったら次は19時45分。到底、あと3時間も待っていられないだろう。
僕はラッセルの為にここにいた。いなくてはならなかった。悔恨の念に駆られる。だが、ここを早く出なくては……。荷物を整え、駅ノートを開く。外からの僅かな光を頼りに、汚い字でこう書き付けた。『必ず帰って来る』
まるでダグラス・マッカーサーのフィリピン脱出のようなセリフを吐きながら、かくして僕は北星駅から逃げ出すことに決めた。

待合から出て、ホームで雪を浴びながら脱出列車を待っていた。ダイヤは大幅に乱れていて、16時51分の普通列車も相当遅れてくるだろうと思われた。ところが、不意に踏切が鳴った。昨日の17時10分のあの踏切の音がフラッシュバックする。まさか、ラッセル、お前なのか?遠くの光に問いかけた。ラッセル車が14時頃旭川を出たとすれば、今この辺りを通るのに丁度良い頃合だ。段々光が近付いてきた。良く見えない。僕は、震えながら連続シャッターを切り始めた。段々、光が近付いてくる。

嘆息すると同時に、清々しい気持ちにもなった。ラッセルよ、いつか必ず会おうじゃないか。そう思いながら、僕はやってきたディーゼル単行に乗り込んだ。列車の中で、北星駅で食べようと思っていたコンビニ弁当を食べた。冷えきっていたが、もはや気にならなかった。


天塩川温泉駅に着いた。列車は遅れを取り戻そうと急いでいて、僕が降りるとすぐにドアーが閉まった。暗闇の中を、踏切が照らす。雪は天高く降っていて、踏切のオレンジ色の明かりに、華やかに光っていた。
そういえば、この後旭川方面の列車があったような……僕は旅館に少し遅れる旨を伝える電話をし、カメラを構えた。





第二夜 長万部→帯広

帯広の窓の外には雪が舞っています。雪はこの先激しさを増し、朝には暴風雪となるようです。
雪雲が覆うクリスマス・イブの空はなぜか、マゼンタの強い赤色に染まっています。僕はこの色を子供の頃『北極号』という絵本で見たことがあります。それは、クリスマス・イブの夜に、少年がSLに乗ってサンタの国に向かう、というお話でした。

前夜は遥々大分から新函館北斗までを新幹線で移動して、さらに特急北斗号で長万部まで移動し、長万部温泉と銘打つ旅館に泊まりました。小さな旅館ですから、早朝にチェックアウトの人は勝手に出ていってくれ、という感じです。24日の朝5時前、闇に包まれた長い廊下を背に、まだ誰も起きていない旅館を出ました。自動ドアを手動でこじ開けると、マイナス1度の空気が肌を鋭く刺しました。

セブン・イレブンで朝食を調達し、滑る路面を注意して歩いて長万部駅に行きました。3番ホームに降りると、人呼んでミスター北海道、我らがキハ40系単行列車がちょうど入線してきました。前日の新幹線の旅は便利・快適ですが、やはり僕の旅はディーゼル単行に乗らないと始まらないように思います。
さて、旅を始めるべく列車に乗り込み荷物をおいて一息ついていると、どうにも対面の4番線が慌ただしい。注視していると、なんとラッセル車が入線してきました。ラッセル車とは、線路の除雪用のかっこいい列車のことです。僕は慌てて、三脚にセットした一眼を担いで列車を出ました。停車時間はわずかでしたが、僕の旅の一枚目はしっかりと闇夜のラッセル車が飾るところとなりました。
今回の旅では、僕はフィルムを一本しか持ってきませんでした。フジのVelvia100、36枚だけの旅です。



うみねこの鳴く駅

キハ40は長万部を発ち、日本最強の秘境駅・小幌駅を通過、ラッセル車が除雪した鉄路を北上していきました。しかしどうも貨物列車が遅れているらしく、この旅最初の訪問駅である北舟岡駅に着いたのは4分遅れの6時46分でした。北舟岡は目の前が宅地で、あまり秘境らしい雰囲気ではありません。ではなぜ降りたかと申すと、その逆方向の景色、一面の海を見に来たのです。そう、ここは海が見える駅、うみねこの鳴く駅なのです。生憎の曇り空ですが、太陽が出ていたとしてもこの駅は西の海に面していて日の出は望めませんので、曇りでも良かったかなと思います。むしろ、どんよりとした曇り空が冬の海のもの寂しい雰囲気を醸し出しています。跨線橋に高い柵があって駅全体の俯瞰写真が撮れなかったのが残念でしたが……。
次の列車はなかなか来ませんでした。どうやら遅れが広がっているようで、ホームにも数人の乗客が待ち始めました。よそ者である僕はホームの端っこで列車を待ちました。その時、不意に列車の接近音がしました。普通列車が来るべき方向から列車が来ていない事を確認した僕はすぐに跨線橋を駆け上がり、反対方面、室蘭方面に一眼を構えました。遅れていた貨物列車が今まさに北舟岡駅を通過しようとしていました。海沿いを走る長大な貨物列車、その雄姿は壮観でした。
鳥が群れて飛ぶ東の空、その雲の隙間から日が差し込み、うみねこが鳴きます。そうして、ようやく10分遅れの列車が来ました。



列車の遅延と今後の乗継を考慮して訪れる予定だった黄金駅を通過し、東室蘭、苫小牧で乗り換え、千歳まで行きました。千歳駅前を少し散策していると、ゲオの前で呼び込みをしている仮装のサンタがいました。そうか、今日はクリスマス・イブ。来年のクリスマスまでには絶対に彼女を作ってやるぞと涙目で誓った昨年の僕の思いが偲ばれます。


千歳駅で石勝線に乗り換えです。またもやキハ40に揺られていると、Twitterにリプライが来ていました。なんと、僕のフォロワーが昨日長万部で同じ宿に泊まっていたようなのです。タオルを適当に置いてしまい「どっちのタオルが僕のですかね?」というしょうもないやり取りを脱衣所で行った彼こそがフォロワーだったのです。偶然の出会いに嬉しく感じました。タイムラインを眺めると、僕達以外の人が北海道に訪れている写真が沢山流れて来ます。皆、冬は北に行きたがるのだなと感じました。

石勝線は追分と新得を結ぶ幹線で、夕張への支線を持っています。かつては夕張と追分までの路線であり、夕張で産出される石炭を輸送していました。日本で最後まで蒸気機関車が走っていたのもこの路線だそうです。しかし夕張支線は利用客の減少で'19年3月に廃線だと報道されています。路線が廃線になる時は、鉄オタが湧きます。今日、'17年の年末でも、もう沢山の鉄オタが乗っていました。自分のその一人であることは自覚しているのですが、どうにも彼らの行動が見苦しい。ペチャクチャ喋り、たまに叫び、5分くらいの運転停車ですぐ外に出て駅名標の写真をわざわざ一眼で撮るように。自分を俯瞰して、そうならないように気をつけようと思うわけです。

そうは言いつつも、鉄オタらしく時刻表を眺めていると、ふと視線を感じました。前を見ると、幼い子供が座席の上から目だけを出してこちらを覗いています。僕が見返すと彼は頭を引っ込め、少し時間が経つとまた目だけを出すのでした。僕もその度ににらめっこのように見返していると、その子の母親が気付いて謝ってきました。周りの鉄オタのせいで荒んだ心が洗われるようでした。列車は丘陵地帯の広大な荒野を走ります。

北海道の中心に美瑛町という町があります。そこは様々な美しい景色で有名で、写真を撮る者としてはぜひ訪れたい場所でした。その中でも一番僕が撮りたいと思ったのは『マイルドセブンの丘』という場所です。かつてタバコのマイルドセブンのCMで使われたというその場所には、広大な平野の中に並木が佇む光景が広がっています。
当初は美瑛町も旅程に組み込んでいたのですが、冬場はレンタサイクルを使えないこともあり、今回は見送っていました。マイルドセブンの丘を撮れない事に少し寂しさを覚えていました。
しかし、石勝線の車窓には無数のマイルドセブンの丘がありました。起伏の激しい雪原に並木が立っています。なんだ、わざわざ美瑛町まで行くまでもないじゃないか。北海道、試される大地の真骨頂を見たように思います。


死んだ町

夕張支線に入り暫くすると終着・夕張駅に着き、同業者……鉄オタ達……がゾロゾロと降りていきました。皆駅に併設された観光案内所でグダグダやってましたが、僕はいち早く駅を出て駅前のセイコーマートに急ぎました。同業者達に昼飯を取られてはかなわないからです。ですが、その心配も杞憂に終わりました。ある者は折り返しの電車で、またある者は並行するバスで、夕張支線への分岐点である新夕張まで下るようでした。即ち、そのまま夕張に残る者はごく僅かでした。
観光案内所でセコマのカツ丼を食べていると、案内所のお婆さんに話しかけられました。「石炭の歴史村を見に行くと良い」とお婆さんは言いました。荷物を預かってもらい本町を通って2キロほど歩き、そこへ向かいました。僕は夕張市の市街地を通ったと思うのですが、そこはどこも廃墟だらけで、町が死んでいるようでした。

終点・夕張駅

夕張市は死んだ町です。石炭産業で興った夕張市はエネルギー革命の後も石炭の夢を引っ張り続け、国から引っ張った金でハコモノを作り続けました。2007年、遂に夕張市は353億円の巨額赤字を抱えて"破産"しました。おかげで夕張市は半ば廃墟と化しているのです。観光振興の一環として、昔の映画の看板を町の至る所に配置する夕張キネマロードという通りがありますが、その古い看板が演出なのか本気で放置されてるのか分からないくらいには、町が廃れてます。

九州人にしてみれば、雪道を歩くだけで一苦労

共産主義圏風の建物

さて、そんな夕張の歴史を伝える石炭の歴史村ですが、簡潔に申せば、入れませんでした。冬季休業中ではあると聞いていたのですが、周りの坑道には入れるとお婆さんは申しておりました。しかし入れませんでした。なんという無駄足!また2キロ歩いて観光案内所に戻りお婆さんを問いただそうとするも、既にお婆さんの姿はありませんでした。最早どうでもよくなり、荷物を受け取って案内所を出ました。

粉雪が舞う寂れた町を歩きます。車を除いて、人を見かける事はついぞありませんでした。灰色の街に『夕張メロン』の文字だけが明るく踊っています。死んだ夕張市ですが、夕張メロンのブランド力は世界に飛躍できる水準だそうです。

夕張駅の1つ南、鹿ノ谷駅に着いたのは日も暮れかかる16時頃でした。立派な駅舎に入って身体に付いた雪を落として中を物色すると、駅ノートがありました。なるほど、駅の周りには少しの集落があるのみ。確かにここも秘境駅と言えるかもしれません。駅ノートに一筆認めました。



16時20分頃夕張方面へ向かう列車をどこで撮ろうかと道中考えていましたが、折角の立派な駅舎があることなので、この駅を使って撮ることにしました。近くに跨線橋があり、そこから駅舎と線路が見渡せます。三脚を担いで雪の積もった階段を踏みしめ、良い位置を探しました。

空には雪とカラスが舞い、雲がだんだんと暗く黒くなっていきます。三脚の上の一眼を雪から守るべくビニール袋で悪戦苦闘しているうちに列車が入ってきました。デジカメも使ってバシャバシャ撮りました。ちょうど人が一人降りたようで、いい感じのアクセントになりました。




満足して駅舎に戻り、折り返しの列車に乗って夕張を去りました。また来ることはあるのでしょうか。いずれにせよ、列車で来ることは叶わないでしょう。さっき撮った写真が、僕の夕張線となりそうです。

新夕張で下車し、新得方面の特急列車に乗り換えます。新夕張-新得間は長大な距離に僅かな駅しかなく、普通列車が運行されていません。よって、普通列車専用のフリーきっぷでも特例で乗ることができるのです。

雪はしんしんと降ると言いますが、この『しんしん』は擬音語で、『無音』を表現しています。しーんとする、の『しん』。あぁ日本語は美しや、新夕張の夜空に雪がしんしんと降っていました。今日はクリスマス・イブだから、サンタが飛んでいるやもしれません。あぁ、クリスマス・イブに僕は独り北の大地で何をしているのだろうかと、まさに深深と後悔するのであります。そうくだらないことを考えていると後ろから声が掛かりました。「もしかしてつむさんですか?」

運命の人がようやく現れた!などと思う間もなくそれは男性で、朝Twitterでリプライを送ってきたO氏でした。まさか出会えるとは思いませんでしたが、思えば特例で乗れる特急は一日に数が限られており、東に向かう者が同じ特急に乗り合わせるのはそう不思議な事ではありません。一人旅同士で話も弾み、それから帯広まで一緒に行動しました。とりあえず『クリぼっち』は回避できたかと思います。

帯広で彼も夕飯を食べると言うので、旅であまり食に拘らない僕ですが付いて行くことにしました。本当は名物の豚丼を食べたかったのですがその店が閉まっており、途方に暮れておりました。すると近くからクリスマスらしくサンタクロースとトナカイの仮装をした陽気な居酒屋の客引きが2人現れました。これは面倒くさいぞ、と思いきやすぐに彼らは引き下がり、逆にオススメのラーメン屋を教えてくれました。親切な人達で良かったです。

帯広ラーメンはO氏に奢って頂きました。付いていって奢らせてしまって申し訳なかったです。そうして別れ、僕は帯広のホテルに入りました。部屋に入ると、窓にはクリスマス・イブ色の空が……。


第三夜に続く