日本には、貨幣を傷付けることを禁止する「貨幣損傷等取締法」があり、このせいでマジシャンが困っているとか、そういう話は有名かと思います。
本稿では、同法について、必要以上に深掘りしていこうと思います。
なお、本稿執筆時点で、筆者は法律に関してなんの資格も有しておりませんので、詳細は貨幣損傷等取締法に強い弁護士など専門家にお尋ねください。
一応、ファイナンシャル・プランナーの資格は有していますが、ファイナンシャル・プランナーはそこまで物理的なお金に関する知識を担保する資格ではありません。
貨幣損傷等取締法
① 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。
② 貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶす目的で集めてはならない。
③ 第一項又は前項の規定に違反した者は、これを一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。
まず面白いのは、第二項が準備行為をも禁止している点です。つまり、ドリルを準備し、穴を開ける強い意志を持って五百円玉を収集する行為は、これ自体が罪に問われるということです。
法が準備行為を処罰対象とするのは珍しく、刑法では内乱予備罪、殺人予備罪など八種類しかありません。ちなみに、その八種の中には「通貨偽造準備罪」があります。総じて通貨系の犯罪は準備行為に厳しいことが伺えます。
刑法第153条 貨幣、紙幣又は銀行券の偽造又は変造の用に供する目的で、器械又は原料を準備した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
実際に、マジシャンが五百円玉を海外で加工(損傷!)して再輸入し、税関でバレた事件では、(おそらく)損傷自体は海外で行われたので第一項の構成要件を満たさないものの、五百円玉を集める行為が国内で行われたために、第二項が適用されています。多分。
まあ、本命は第一項です。再掲します。
貨幣は、これを損傷し又は鋳つぶしてはならない。
色々と定義すべきことがありますね。
まず「貨幣」とはなんでしょうか。
同法の指す「貨幣」はまず「硬貨」であり、紙幣は含みません。
紙幣を「鋳つぶ」すことができないことは言葉の問題として自明ですが、「損傷」させることも法的には問題ないということです。
昨今、変わった人たちが千円札に怪文書を印字して流通させることがあるようですが、これは無罪です。
国立印刷局では、紙幣を傷付ける行為について
「お札はみんなで使うものですから、大切に使ってください。」
との見解を示しています。あくまでお願いベースということです。
この紙幣・硬貨の区別の存在理由ですが、そもそも同法の趣旨として、鋳潰しを防ぐことが挙げられますから、原料が紙でしかない紙幣についてとやかく規制するのは法趣旨にそぐわないと考えられます。
また、日常の問題として、紙幣は明らかに硬貨より「損傷」しやすいですから、いちいち罪としていたら大変でしょう。
次に「硬貨」について考えます。同法の「硬貨」は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」第五条の硬貨を指します。では、これを読んでみましょう。
第五条 貨幣の種類は、五百円、百円、五十円、十円、五円及び一円の六種類とする。
2 国家的な記念事業として閣議の決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣の種類のほか、一万円、五千円及び千円の三種類とする。
3 前項に規定する国家的な記念事業として発行する貨幣(以下この項及び第十条第一項において「記念貨幣」という。)の発行枚数は、記念貨幣ごとに政令で定める。
要するに、500円玉・100円玉・50円玉・10円玉・5円玉・1円玉と、記念硬貨です。
これで、外国硬貨や、1円未満の硬貨(戦前には一厘硬貨や十銭硬貨がありました。)は同法の埒外とわかります。
しかし、このように書くと、古銭に一家言ある読者諸兄から「では昭和23年発行の(現在通用しない)一円黄銅貨や、明治時代の一円銀貨の損傷は法律で禁じられているのか」と早口で詰められるかもしれません。また、明治時代には十円金貨なるものもありましたが、これも10円玉と言えなくもないです。
この点について明確にしている法律はないのですが、先述したマジシャン事件の東京高裁判決は同法の趣旨について踏み込んでおり、その目的たる「経済取引の円滑」の部分から判断するに、同法の「硬貨」は「現行貨幣」のみを対象としていると考えられます。以下、引用します。
貨幣損傷等取締法は、・・・(中略)貨幣の信用を維持し、経済取引の円滑を期することを広く目的としている・・・(後略)
以上の考察から、 貨幣損傷等取締法のいう「貨幣」は「現行」の「硬貨」を指していると考えられます。
これは貨幣マニアの方には当然の話ですが、「現行の硬貨」は、「現在発行されているもの」だけではありません。例えば、昔の五百円玉(自販機で使えるヤツ)が現在発行されていないのに「現行」(自販機で使える)であることと同様に、昔のお金でも現行のものは結構あります。そして、その中には、金属価格が額面価値を超えるものも散見されます。
例えば、昔の百円玉は銀貨(品位・銀60%、量目・4.8g)でしたが、これは2024年現在の銀価格に鑑みるに、金属として350円程度の価値があります。これは額面100円を超えており、鋳潰す対象となり得ます。しかし、これを鋳潰すことは法が禁じているというわけです。
では次に、「損傷」「鋳つぶし」について考えていきます。
私見ですが、「損傷」は「鋳つぶし」を含んだ概念だと考えられますから、本稿では「損傷」のみを考えます。
(鋳潰しの過程に必ず損傷がある。対偶をとれば、損傷しなければ鋳潰すことはできない。)
実際、検挙事例はほとんどが「損傷」であると思われます。鋳潰しを証明することは困難でしょうし、損傷で検挙すれば足ります。
「損傷」とはどの程度の傷付ける行為を指すのでしょうか?
いくつか逮捕の事例を見ていきます。
①2017年東京都中野区「手品用に硬貨加工容疑 3人逮捕、プロにも販売」
産経新聞より引用します。下線は筆者によります。
3人は500円硬貨が別の硬貨に変わったように見せるため、二つに割って内側をくりぬいた中に薄く削った10円硬貨などを隠したり、安全ピンで硬貨を貫けるよう穴を開けたりして、マジックの小道具を作った疑いが持たれている。
店舗やインターネットオークションで1枚当たり2千円~3万円で販売し、2月までの1年間に約100万円を売り上げた。逮捕容疑は2015年5月下旬~今年2月、硬貨約500枚を削って薄くしたり、穴を開けたりした疑い。
これはオーソドックスな、ストロングスタイルな「損傷」で、異議なし!だと思います。あまりにオーソドックスなので参考になりませんね。そういう意味では、意義なし!でもあります。
②2015年兵庫県「マニア垂涎の「エラーコイン」偽造しヤフオクに出品 詐欺容疑で兵庫県の無職男逮捕 千葉県警」
この事件は、貨幣蒐集家にとっては非常に興味深いものです。
再び産経新聞より引用します。下線は筆者によります。また、個人情報は一応伏せます。
製造時に文字が欠けるなどの欠陥が生じた、希少価値が高いとされる硬貨「エラーコイン」を偽造してインターネット上で販売したとして、千葉県警サイバー犯罪対策課は16日、詐欺の疑いで、兵庫県●●市●●、無職、●●●●容疑者(●●)を逮捕したと発表した。同課によると、偽造エラーコインの詐欺事件立件は全国初とみられるという。
逮捕容疑は、4月4日~5月8日、2回にわたりネットのヤフオク!(ヤフーのオークション)に、製造年の刻印などを削った100円、500円硬貨計2枚をエラーコインと偽り出品。(中略)
エラーコインは製造過程で刻印が打たれなかったり図柄が欠けたりした貨幣で、マニアの間で高値で取引されている。
同課によると、●●容疑者は、自宅で硬貨を研磨剤で削るなどしてエラーコインを偽造。1~6月に計約57万円をだまし取り、被害者は全国で延べ45人に上るとみられている。「小遣い目的でやった」と供述しており、同課は貨幣損傷等取締法違反の疑いでも立件する方針。
非常に興味深いですね。①の事件では硬貨に穴を開けたり割ったりしていましたが、本件では削る行為でも「貨幣損傷等取締法違反の疑いでも立件」される可能性が示唆されています。(続報がないので、その後はわかりません。)
それよりも興味深いのは、「偽造エラーコイン」という言葉です。エラーコインが偽造されることが問題となるのは、「真正なエラーコイン」の存在を前提としているからです。
造幣局がどういう見解を示しているのかは分かりかねますが、少なくとも千葉県警は、造幣局がエラーを吐くことはありうると考えています。そうでなければ、詐欺罪になりません。単に変造したコインを売っただけでは詐欺ではなく、エラーコインというものが実在し、それと偽っているから詐欺なのです。
さて、ここまで読んで、歯茎剥き出しでニコニコされている読者諸兄も多いことかと思いますが、実は、2024年現在でも、「損傷」に該当する可能性がある商品はたびたびヤフオクに出品・落札されています。
このヤフオク問題の難しいところは、造幣局のミスによるエラーコインなのか、私人の損傷によるエセ・エラーコインなのか、この峻別が素人には分かりづらい点にあると思います。
真正エラーコインだと信じて購入した素人がエセ・エラーコインを掴まされ、販売者を訴えるということは保護されるべき権利だと思いますが、外部の者が無闇にヤフオク運営に通報を繰り返すと、「エラーコイン」の出品が一律で規制されてしまう恐れがあります。
筆者は、ヤフオクにおけるエラーコイン市場は、偽物が出回るのは大いなる問題ではあるものの、コイン専門のサイトでは扱わないような細かいエラーコインが流通するという点では貴重な場所だと考えています。
結局、私人の損傷で実現できるエラーは一律に無視するという、購入者側のリテラシーが問われているのかなと思います。
本題に戻りましょう。「損傷」の程度ですが、上記二件の事例から、少なくとも金属を加工することは「損傷」に当たると思われます。
それ未満の行為については、判例が乏しいため、立法趣旨に遡って明確にするのが法解釈の常道とはなります。
例えば、十円玉に水性ペンで落書きする程度では、立法趣旨である「経済取引の円滑」を妨げるものではないと思われます。洗えば落ちます。
油性ペンでも円滑流通を妨げるほどに汚損することは難しいと思います。「経済取引の円滑」から見た十円玉のデザインの本質は「10」「十」の表示ですから、その部分の汚損は他の部分より厳しめに判定されるかもしれませんが、完全に私見です。
また、たとえ「損傷」に該当すると評価されても、数枚程度の「損傷」なら可罰的違法性に欠けるとして犯罪成立が否定されることがほとんどであろうとも思います。上記事件では、下線で示した通り、数百枚規模で損傷をしています。
以上をまとめますと、貨幣損傷等取締法は「現行」の「硬貨」の「金属を削る」行為を罰するもので、「金属を削らない」行為については、「経済取引の円滑」という立法趣旨から判断されることになりそうです。
最後に。千葉県警お墨付きの「エラーコイン」ですが、これを所持することは罪に問われることはありません。貨幣損傷等取締法は損傷行為自体やその準備行為を罰するもので、所持は罰しないからです。バシバシ集めていきましょう。
【参考文献】
産経新聞2017年10月5日「手品用に硬貨加工容疑 3人逮捕、プロにも販売」
産経新聞2015年10月15日配信「マニア垂涎の「エラーコイン」偽造しヤフオクに出品 詐欺容疑で兵庫県の無職男逮捕 千葉県警」
高等裁判所刑事裁判速報集平成19年331頁