当然のように、旅に出ている。世界中が大混乱の2020年夏にも平然と旅に出ていたのだから、当然といえば当然、フランス革命が最終的にルイ16世のギロチンに至るほどには当然の出立であった。2021年の春、僕は例の如く旅を始める。
僕はカブに跨っている。相棒、50ccのロシナンテだ。それもコロナのせいである。2020年3月、ヨーロッパでのコロナの猛威を前に、僕は友人とのフランス・スペイン・モロッコ縦断を断念し、虚無の日々を過ごしていた。虚無の日々というのはつまり、クソ安アパートでクソオンライン講義を受ける日々のことだ。
「夏までには」僕はこう考えていた。コロナもまぁ収まっているだろう、と。多くの日本国民は、いや世界中の人々が同様であったに違いない。だが結果は周知の通りであって、第一波を優に凌ぐ感染爆発が起ころうとしていた。
その中にあって、こう考えた僕は偉いだろう。海外が無理ならば、国内を巡ろう。なんと前向きな心構えだろうか。困難にあっても代替案を提示できる人材として、御社に貢献できます!と面接官に叫びたいくらいだ。国内を巡るといっても、もう高校生じゃ無いんだから、18きっぷは卒業しよう。ならば、カブを買おう。ずっと目を背けていた、原付免許を取得しよう。そういうわけで、寝ぼけながら府中の免許試験場に出向き見事に一発合格を決め、翌日にはバイク屋で今の愛車を買っていた。変な方向に思い切りが良いのが僕の特長であった。そうして、公道運転一発目にして、バイク屋から家まで雨の環状7号線を走るというスリル満点ツーリングをクリアし、さっさとレポートを片付けて九州を巡ったのが昨年の夏の話であった。
今回もまた九州である。なぜか。郷土愛か。九州男児か。それは、前回夏に巡れなかった積み残しがあることに加え、『薩摩隼人』に非常な関心を持っていたからだ。そう、僕は東京大学文学部で日本史を専攻する、立派な歴史学徒なのだ。歴史をやるために生を受けたのだ。名前に「史」が入っていてちょうど良いくらいだ。
いや、本当は文化人類学をやりたかった。気まぐれで(単位数稼ぎで)参加した少人数の文化人類学ゼミで議論したテーマが案外面白く、友人からそれに向いているという勧めもあり、文化人類学の道を歩もうと決意したのが2年生の春であった。しかし、その頃には既に僕の東大においての落ちこぼれの地位は盤石・不動のものとなっており、文化人類学専攻はとうてい落伍者が進学できる場所ではなかった。そういうわけで僕は1年生の自分が残した低迷する成績の十字架を背負いながら万年定員割れの日本史学専攻の丘を上ったわけだが、大きな問題があった。それは高校で日本史を履修していないという出オチのごとき致命的難点であった。僕が高校3年生の時に、地理選択が他にいなかったために先生とマンツーマン授業を1年間したというのはすでにコスり倒した話であるが、その恩恵の裏に失われた日本史の知識があったのだ。これでは授業の議論についていけず、正真正銘の落第者になって留年を重ね、最終的に東京で孤独死してしまう。その危惧に襲われた僕はとりあえず高校日本史を一通りやろうと決めて参考書を買い、古代史だけで飽きて放り出したわけだが、そこで僕の琴線に触れたのが古代に出てくる『薩摩隼人』だったのだ。......
ここでページは途切れている......。
上の文章は、なんか深夜に気分が上がった時に書いてそのまんま放っておいた文章でした。
本当はこの後薩摩隼人への熱意をつらつらと述べ、長大な旅行記を書く予定だったのだけど、面倒臭いのでやめ!
以後は以上のような長ったらしい文章ではなく、日にちに沿って写真と絵解きを重ね、時に小ボケ、時にユーモラスでプリティチャーミーなジョークを挟みながら旅の輪郭をかたどっていくという、よくあるブログになります。
結局このスタイルが書くの楽だし楽しいってことです。