今回は冬、年の瀬の旅の記事です。
友人と巡る雨の山陰はなかなか最高でありました。
---
今回は山陰を旅しようということで、フェリーで神戸まで行って、帰りながら旅をするという形になりました。
なお、都合上オレンジの4日目のルートは少し違っております。
乗船したのはフェリーさんふらわあ(確か『ぱーる』)。
高校生たるもの無駄遣いはできない、最下層の部屋で耐ゆるべし…
と思いこの18人雑魚寝のツーリスト部屋に身を投じたが、案外客が少ない。中国人観光客の方はいたが、彼らは深夜までラウンジで過ごしていた。
おかげで非常に快適、適当な話をしたりフェリー駅メモをしていたら時間があっという間に過ぎていった。
勉強道具(フェイク)
翌日船内のバイキング形式のレストランで朝食を取った後、連絡バスでJR住吉駅へ移動。
列車の時間ギリギリだったので朝から早速、鉄道旅行の風物詩乗り換えダッシュを敢行。
何とか新快速に乗り込むも、朝の新快速は超満員。なかなかの地獄を味わった。
京都駅で友人2名と別れ、我々は山陰本線に乗り換える。
途中駅で昼食を取ったりしながら北上し、餘部駅に着いたのは14時頃だった。
餘部駅は『天空の駅』といって、鉄橋鉄橋の横を途中まで歩行者が渡れるという施設がある。
これは良い写真が撮れますわと期待していたものの、工事の人がなにやら作業をしていたので断念。
駅前をぶらぶら歩いていたら、後ろの方に居た友人が木に比べて相対的にとても小さく見えたので一枚。
列車の都合上いったん香住駅まで戻った。快速は鎧駅等を通過するからだ。
この一見無駄に見える行程に、友人からは「セルフスイッチバック」とケチをつけられた。
鎧駅や先程の餘部駅を通過して、久谷駅に到着。
今回の山陰旅行は雨に降られて残念だと思っていたが、特に1日目はその雨に写真的には助けられたと思う。
実はこの駅で、某コンテストに入賞した写真を撮ったのだ。
その写真は、秘密。
山と霧と雨、僕の山陰のイメージにハマった駅だった。
残念だったことといえば、上の写真の反対方向、つまり香住駅側方面は、列車がトンネルを抜けてこの駅に入ってくるのだ。
霧の山から姿を現す光を撮りたかったがダイヤ上不可能だったことが無念だ。
後ろ髪を引かれながら、再びセルフスイッチバックをキメて鎧駅。
鎧駅といえばこの検索結果を見れば分かる通り、海が見える駅で知られている。
2001年の冬の青春18きっぷのポスターに採用された駅でもあって、『なんでだろう。涙が出た』というコピーが付いた。
僕もそのカットを狙いに行ったのだが、ここでは雨が祟った。曇り空ではあまり映えないようだ。
香住駅から2両の赤いディーゼル車がやって来る。
それを狙うと、水たまりが光を反射し、思いのほか印象的な写真になった。
やっぱり、雨も良い。
西へ向かう。
途中の鳥取駅で駅弁を買う。パッサパサだけどおいしい。
快速とっとりライナーで米子へ移動し、東横イン米子駅前で一泊。
有料ビデオのパンフレットに悶える夜だった。
2日目は朝7時の列車で松江に移動。私鉄の『一畑電車』でフリーきっぷを購入し、出雲大社を訪ねる。
この乗車券、和紙なんですよ……。そそりますね……。
北松江線から大社線に乗り換え。車内では女性ガイドの方が沿線の解説をしていた。
出雲大社周辺は観光地らしいささやかな喧騒があって、とても雰囲気が良い。
途中の鳥取駅で駅弁を買う。パッサパサだけどおいしい。
快速とっとりライナーで米子へ移動し、東横イン米子駅前で一泊。
有料ビデオのパンフレットに悶える夜だった。
2日目は朝7時の列車で松江に移動。私鉄の『一畑電車』でフリーきっぷを購入し、出雲大社を訪ねる。
この乗車券、和紙なんですよ……。そそりますね……。
北松江線から大社線に乗り換え。車内では女性ガイドの方が沿線の解説をしていた。
出雲大社周辺は観光地らしいささやかな喧騒があって、とても雰囲気が良い。
学業成就を願い、御守を買い、色々見学して大満足。
近くの店で割子そばを食べている間は大雨が降っていたが、食べ終わる頃には止んでいた。
もしや、神のご加護かもしれぬ。
ここからしばらく歩くと、旧JR大社線の大社駅跡がある。
構内には往時を偲ばせる鉄道用具やSLが展示されていた。
ただ、SLは雨ざらしで、死んでいるように見えた。
一畑電車は『レトロ』とはまたちょっと違う種類の古さを感じるものが多い。
うーん、車内一面にハートマークを散りばめるセンスは、古い?
近くの店で割子そばを食べている間は大雨が降っていたが、食べ終わる頃には止んでいた。
もしや、神のご加護かもしれぬ。
ここからしばらく歩くと、旧JR大社線の大社駅跡がある。
構内には往時を偲ばせる鉄道用具やSLが展示されていた。
ただ、SLは雨ざらしで、死んでいるように見えた。
一畑電車は『レトロ』とはまたちょっと違う種類の古さを感じるものが多い。
うーん、車内一面にハートマークを散りばめるセンスは、古い?
出雲市駅まで移動し、宍道駅で乗り換え。いよいよ山間部へ挑む。
この木次線は地味な存在だが、何か際立つものが無いだけで、全然過疎路線である。
写真の出雲坂根駅は1日の乗降客が1人(出典:Wikipedia)。
そして、この駅はJR西日本唯一の『三段スイッチバック』があるのだ!
車内の鉄オタとの一体感がすごかった。
三段スイッチバックを越えると、標高は更に上がっていく。
列車もだんだん鈍足になっていく。時々停まる。
外を見ると雪が斜めに降っていた。
暗くなっていく空、雪の降る外、遅くて揺れる気動車、明るく暖かな車内。
不思議な安堵を感じた。
ようやく終点・備後落合駅に着く。
ここは路線の交わるターミナル駅、だがその実情はまた秘境駅である。
当然のごとく無人駅、駅前にも特段何もない。
光が少なく、2、3枚失敗した。
芸備線を西に進み、三次に泊まった。
この朝は早かった。朝5時44分の列車を逃すと次は10時なのだ。
そう、これから我々が行くのは18年春に廃止が決定済の秘境路線『三江線』だ。
まず我々が降り立ったのは宇津井駅。
餘部駅とはまた違うテイストの『天空の駅』で、地上からの高さは約20m、ホームに上るには116段の階段を上る必要がある。
途中から雪が降り始めた。フラッシュを焚いてみたら面白くなった。
ほぼ雪を見ない地域で育つ僕にとって、雪は新鮮で美しい……
という感情に勝る圧倒的な寒さが僕を待合室に閉じ込めた。
雪が止むとすぐに陽が差し込んだ。
我々は最早恒例のセルフスイッチバックを発動し、三次駅の目と鼻の先の長谷駅まで戻った。
この駅は、数少ない三江線の列車でさえも通過することがあるほど大変人気の無い駅だ。
ひとしきり駅舎を見た後、隣の船佐駅まで歩く。
江の川沿いの細道を進む。
川の人工の滝が美しかった。
道中、ひどく悲しい思いになる横断幕があった。
その未来はもう潰えてしまった。
三江線は元からローカル路線であった。
全通した時期は遅く、もうモータリゼーションの進む時代だった。
廃止の背景には利用客の少なさに加え、何度も大きな災害が起こっていることがあった。
最近では2006年、13年と頻繁に豪雨災害が起こっており、JR西日本はこの災害リスクを看過できないとした。
船佐駅から再び乗車する。
この列車は石見川本という駅で90分停車する。
なぜなら当駅が三江線唯一の、列車行き違いが出来る途中駅だからだ。
はてさて、事前に調べた限り何にもなさそうな町である。
昼食を食べるより他はなく、駅前から少し入った『飯田食堂』に入った。
おばさんが作るこれぞ定食という感じの定食を食べながらくつろいでいると、奥からこの食堂の若い男性が入ってきて、写真の駅名標キーホルダーをくれた。
非売品らしい、良い思い出になりそうだ。ありがとうございます。
食堂を出ると駅前が何やら騒がしい。
観光協会の方が休憩所を作っていた。
早速入ってみると、川本町をアピールする様々なポスターが張ってあったり特産品を売っていたりして、観光協会の熱意が伺えた。
列車内で発車を待っていると、観光協会の方が列車に乗り込んできた。
そして、三江線はなくなってしまうが、ぜひ川本町に遊びに来て欲しいという名演説をしていた。
少し感動していると、その方が「列車を撮るポイントがある」と言うので他の鉄オタ達と一緒に着いていった。
ミラーを使って三江線内の3車両全てを写真に収めることができる、という趣旨らしい。
いつかまた川本町に訪れたいものだ。夏の自然を見に来たり。
川本町のフェイスブックページ
一旦江津駅まで乗って三江線乗り潰し完了。
今回3度目となるセルフスイッチバックで千金駅まで戻り、徒歩で江津まで行く。
千金駅とはまたゴージャスな名前だが、実際は狭く小さな駅で、その道の狭さから代行バスも当駅は通過する。
近くで良質な砂鉄が採れたことからこの名がある。
曇り空も相まって、荒涼とした雰囲気を醸し出す江の川沿い。
道中の神社。
江津本町駅を訪ねた後、江津駅へ戻る。
列車が発車する頃はもう辺りは暗い。
この写真、旅の写真っぽいでしょ???
益田まで移動し、就寝。
最終日はただ駅メモ路線制覇をしただけだった。
朝、二人共寝過ごしてしまい計画を必死に練り直した。
泊まったホテルは朝全室に『山陰中央新報』を配っていたので良い感じに時間が潰せた。
山口線→宇部線→日田彦山線、という感じで大分に帰着。
この木次線は地味な存在だが、何か際立つものが無いだけで、全然過疎路線である。
写真の出雲坂根駅は1日の乗降客が1人(出典:Wikipedia)。
そして、この駅はJR西日本唯一の『三段スイッチバック』があるのだ!
車内の鉄オタとの一体感がすごかった。
三段スイッチバックを越えると、標高は更に上がっていく。
列車もだんだん鈍足になっていく。時々停まる。
外を見ると雪が斜めに降っていた。
暗くなっていく空、雪の降る外、遅くて揺れる気動車、明るく暖かな車内。
不思議な安堵を感じた。
ようやく終点・備後落合駅に着く。
ここは路線の交わるターミナル駅、だがその実情はまた秘境駅である。
当然のごとく無人駅、駅前にも特段何もない。
光が少なく、2、3枚失敗した。
芸備線を西に進み、三次に泊まった。
この朝は早かった。朝5時44分の列車を逃すと次は10時なのだ。
そう、これから我々が行くのは18年春に廃止が決定済の秘境路線『三江線』だ。
まず我々が降り立ったのは宇津井駅。
餘部駅とはまた違うテイストの『天空の駅』で、地上からの高さは約20m、ホームに上るには116段の階段を上る必要がある。
ほぼ雪を見ない地域で育つ僕にとって、雪は新鮮で美しい……
という感情に勝る圧倒的な寒さが僕を待合室に閉じ込めた。
我々は最早恒例のセルフスイッチバックを発動し、三次駅の目と鼻の先の長谷駅まで戻った。
この駅は、数少ない三江線の列車でさえも通過することがあるほど大変人気の無い駅だ。
ひとしきり駅舎を見た後、隣の船佐駅まで歩く。
江の川沿いの細道を進む。
川の人工の滝が美しかった。
道中、ひどく悲しい思いになる横断幕があった。
その未来はもう潰えてしまった。
三江線は元からローカル路線であった。
全通した時期は遅く、もうモータリゼーションの進む時代だった。
廃止の背景には利用客の少なさに加え、何度も大きな災害が起こっていることがあった。
最近では2006年、13年と頻繁に豪雨災害が起こっており、JR西日本はこの災害リスクを看過できないとした。
船佐駅から再び乗車する。
この列車は石見川本という駅で90分停車する。
なぜなら当駅が三江線唯一の、列車行き違いが出来る途中駅だからだ。
はてさて、事前に調べた限り何にもなさそうな町である。
昼食を食べるより他はなく、駅前から少し入った『飯田食堂』に入った。
おばさんが作るこれぞ定食という感じの定食を食べながらくつろいでいると、奥からこの食堂の若い男性が入ってきて、写真の駅名標キーホルダーをくれた。
非売品らしい、良い思い出になりそうだ。ありがとうございます。
観光協会の方が休憩所を作っていた。
早速入ってみると、川本町をアピールする様々なポスターが張ってあったり特産品を売っていたりして、観光協会の熱意が伺えた。
列車内で発車を待っていると、観光協会の方が列車に乗り込んできた。
そして、三江線はなくなってしまうが、ぜひ川本町に遊びに来て欲しいという名演説をしていた。
少し感動していると、その方が「列車を撮るポイントがある」と言うので他の鉄オタ達と一緒に着いていった。
ミラーを使って三江線内の3車両全てを写真に収めることができる、という趣旨らしい。
いつかまた川本町に訪れたいものだ。夏の自然を見に来たり。
川本町のフェイスブックページ
今回3度目となるセルフスイッチバックで千金駅まで戻り、徒歩で江津まで行く。
千金駅とはまたゴージャスな名前だが、実際は狭く小さな駅で、その道の狭さから代行バスも当駅は通過する。
近くで良質な砂鉄が採れたことからこの名がある。
曇り空も相まって、荒涼とした雰囲気を醸し出す江の川沿い。
道中の神社。
列車が発車する頃はもう辺りは暗い。
この写真、旅の写真っぽいでしょ???
益田まで移動し、就寝。
最終日はただ駅メモ路線制覇をしただけだった。
朝、二人共寝過ごしてしまい計画を必死に練り直した。
泊まったホテルは朝全室に『山陰中央新報』を配っていたので良い感じに時間が潰せた。
山口線→宇部線→日田彦山線、という感じで大分に帰着。