2015年4月25日土曜日

日常撮影(H27.04.18)

前日の夕方から徹夜で撮影しました。
 06:10 4071レ ED76-1017
初めての4071レ撮影。場所はいつもの細ストレート。
6時でももう明るいですね。

 09:32 4633M 415系FO117編成
場所は初の丹生川鉄橋
側面は逆光やけど仕方ないか

 10:03 列番不明 815系
なんとなく...。

10:29 4075レ EF81-451
これは結構良く決まったなぁと
顔の横の柱が少し気になるけどまぁ許容範囲でしょ
それにしても、この貨物はカラフルだ
横から撮ってればよかったなぁ

END

2015年4月19日日曜日

佐賀関鉄道その1

概要

今回は大分県・佐賀関地域を昔走っていた軽便鉄道である『佐賀関鉄道』の廃線を友人と探訪してきました。廃れてる所もあれば、生活道路として利用されている所もあり、面白かったです。
今回、午前に撮った写真と午後に撮った写真をいっしょくたにしているので多少写真におかしなところがあると思いますが(天候など)、ご了承ください。

実施日:平成27年01月12日

参考:佐賀関鉄道の概略図
日本鉱業佐賀関鉄道(通称・佐賀関線)は、かつて大分県北海部郡佐賀関町(現・大分市)の日鉱幸崎駅から日鉱佐賀関駅までを結んでいた、日本鉱業(日鉱、現・JX日鉱日石金属)が運営していた鉄道路線である。(引用:wiki)
この地図は僕が事前に書いておいた簡易地図だ。小志生木-古宮あたりは不明瞭だが参考にされたい。
なお、大志生木駅、小志生木駅は正確な場所が特定出来なかった。小志生木はともかく、大志生木は再調査を行うべきだろう。

幸崎駅方面から巡っていく。
かつて幸崎駅は貨物取扱をしており、そこから日鉱に佐賀関鉄道を使って物資が送られていた。

幸崎駅を出て道なりに進むとまもなく、本幸崎駅が見えてくる。1つ目の駅だ。
見ての通り、草ボーボーである。が、下にホーム跡の段差があり、確かにここが駅だったということを示している。
場所は、大分県道715号線との交点の場所である。
ちなみに、駅舎は全ての駅で取り壊されている。不良が溜まるから、らしい。

直線を進み197号と合流。佐賀関方面に進むと、この看板が見えてくる。
『さがのせきサイクリングロード』

廃線跡を整備し、地元の生活道路として、サイクリングロードとして有効活用しているのである。
軽快な直線道路が彼方まで続いている。

しばらく進むと、『大平集落』に入る。そこを更に進むと大平駅跡が見えてくる。
なお、ほぼ全ての駅はホームが山側にある。
ここのホームも残っている。

いかにもwindowsペイント加工で恥ずかしい。
見ての通りだが、傾斜がある。そこがホームへの軽い上り坂で、奥にホームがあったと推定できる。

また、近くにはこのような杭もある。
最初は関係無いかと思ったが、後々また登場したのでおそらく鉄道関係だろう。参考までに。

またしばらく進むと、かつての鉄道橋を渡ることができる。
廃線跡の道らしい、独特な光景だ。

その後、197号線を渡ると海沿いの道に出る。これも立派な廃線道である。
ちなみに廃線にそってパイプラインが通っており、随所で見受けられることとなる。
この部分は特に顕著だ。

往時の光景を想像するとたまらない。

その後、再び197号線を渡り、大志生木集落を通る。ここに、大志生木駅があった…らしいが、そのような跡はほぼ見受けられなかった。唯一、鉄道杭があった。

さて、橋を渡ると見どころである、大志生木トンネルが見えてくる。
今でも生活道路として活用されている。

中はこんな感じで、明かりも付いている。
鉄道トンネルとしての役割を終えた後、壁はコンクリートで補修されているらしい。

トンネルを抜けると小志生木だった。
この小屋はバス停である。良い雰囲気だ。

おそらく、この辺りに小志生木駅があったのであろうが、197号の開発にともなって姿を消したようだ。

また、トンネルも塞がれていた。仕方なく迂回。

197号線を走り、再びトンネルに入る前に旧道方面に迂回。
すると、辛幸駅跡が見えてくる。

『さがのせき潮騒物語』

ちなみにここも大分バスのバス停だ。1時間に1本程度である。
大分駅前行きの急行系統が走っている。
大分から大在あたりまでが急行で、大在から佐賀関までが各駅停車である。
佐賀関からは臼津バスに乗り換えることが出来る。

さて、197号旧道を走ってしばらく行くと、佐賀関中学校の近くの脇道に入る。
そこが、古宮駅である。
自転車置場の段差がもしかしたらホーム跡なのかも?
解らないが、ここが駅跡なのは確かである。

おそらく山側だから...どうだろう。

ここは写真の向きが逆なので、注意して欲しい。
ところで...
左のこの写真は佐賀関鉄道現役時代の写真であるが、場所が一致している。
左にある住宅は日鉱の社宅であり、今でも残っている。また、奥の一般住宅も一致している。
そこを抜けるとすぐに金山トンネルがある。
ここも先ほどの大志生木トンネルと同じようなものである。

そのトンネルを抜けると金山駅。
この石がおそらくホームであろう。

ちゃんと線路跡の山側にあるから、おそらくそうだ。
横には197が走っている。この後、廃線は197に吸収され、見る影も無い。



これは友人から貰った写真である。佐賀関駅付近の写真で、線路が日鉱に入っていく様がわかる。

これが現在の様子である。

さて、長々と佐賀関鉄道の画像を貼っていったが、まだまだ曖昧な所が多い。
いずれ、再調査をします。




佐賀関駅跡(現・市民センタ)で撮った大分バス

大煙突が無くなって残念。

同行者の友人。
見ての通りの人である。